毛越寺もうつうじ

毛越寺は天台宗の別格本山で医王山金剛王院と号し、17院からなる一山寺院をいう。JR東北本線平泉駅の西にある。
 寺伝では850(嘉祥3)年、中尊寺と同じく慈覚大師*が嘉祥寺を開き、毛越寺の基としたといわれる。その後、堀河天皇より藤原清衡*が勅命を受け、基衡*、秀衡*の時代に多くの伽藍が造営された。金堂円隆寺をはじめ、嘉祥寺・常行堂・講堂・経蔵・二階総門などが建てられ、最盛時には堂塔40・僧房500あまりを数えたと伝えられている。吾妻鏡*に霊場の「荘厳吾朝無双(しようごんわがちようむそう)なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれる。
 1226(嘉禄2)年、円隆寺・嘉祥寺などが炎上、その後たびたびの兵火や野火でことごとく焼失した。現在は塔山(とうやま)を背後に木立と芝生の中に礎石・土壇と大泉ガ池をもつ庭園*を残すのみで、当時の建物は一宇もとどめていない。しかし、当時の金堂円隆寺・嘉祥寺・南大門などの礎石や遺構がよく残され、特別史跡に指定されている。
 境内には本坊・常行堂・宝物館などがあり、本坊前に発掘調査に基づく復元図や芭蕉の句碑*が2基ある。常行堂は宝形造りで、須弥檀中央に本尊の宝冠を被った阿弥陀如来、両側に四菩薩、奥殿に摩多羅神が祀られている。1月20日の二十日夜祭(摩多羅神祭)では、延年の舞が披露される。
 大泉が池周辺の約30アールの花菖蒲園に、300種、3万株の花菖蒲が、緑濃い浄土庭園に6月下旬~7月中旬まで咲き誇る。毛越寺あやめまつりが開催される。
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みどころ

山門を潜るとまるで時空を超えたのかと思うような平安時代の空間が広がる毛越寺。大泉が池をゆっくり歩き一周すると、四囲の樹木とあわせて塔山を背景にした苑地美観が楽しめるのでぜひ散策してほしい。
 歴史に造詣が深ければなお、たとえ歴史的な予備知識を持ち合わせていなくても、約800年前に極楽浄土の世界を再現しよう作られた魅力ある浄土式庭園の空間は、忙しい現代人にとってただそこにいるだけで心が穏やかに過ごせる場所である。
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補足情報

*慈覚大師:円仁、794(延暦13)年~864(貞観6)年。第3代天台座主。入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれで出自は壬生氏。
*藤原清衡:1056(天喜4)年~1128(大治3)年。平泉平安後期の陸奥の豪族。後三年の役で源義家に味方し、のち陸奥・出羽を支配。平泉に中尊寺を建立した。亡骸は中尊寺金色堂に現存。
*(藤原)基衡:生没年未詳。平安末期の豪族。陸奥・出羽押領使。関白藤原忠実を本家と仰ぎ、平泉に居館を構える。陸奥六郡を支配し、父清衡、子秀衡とともに奥州藤原氏の栄華を誇った。
*(藤原)秀衡:生年未詳、1187(文治3)年没。平安後期の陸奥の豪族。基衡の子。鎮守府将軍。平家滅亡後は、源義経をかくまって頼朝に対抗。奥州藤原氏3代の栄華の頂点をつくった。
*吾妻鏡:鎌倉時代の歴史書。鎌倉幕府の家臣の編纂。52巻(巻45欠)。1180(治承4)年源頼政の挙兵から、1266(文永3)年までの87年間を変体漢文の日記体で記す。
*庭園:毛越寺庭園として国の特別名勝。金堂円隆寺跡の前面にあり、大泉ガ池を中心に造園当時の配石を残し、遣水(やりみず)、船着場・橋脚・石組・中島などがある。大泉ガ池は東西約200m、南北約100mで、東南隅に洲浜が入江をつくり傍に荒磯を表わした石組の出島がある。西南隅から西に3つの築山がある。中央に島、水底に美石を並べ、龍頭鷁首の船を浮かべたといい、極楽浄土の姿を地上に表現した典型的な浄土庭園である。大泉が池に注ぐ全長80mの遣水も800年ぶりに復元され水が流されている。
*芭蕉の句碑:2基の句碑とも「夏草や兵どもが夢のあと」だが、大泉が池に向かって左側が芭蕉の直筆を写したものである。

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