北上・みちのく芸能まつり(鬼剣舞)きたかみ・みちのくげいのうまつり(おにけんばい)

メイン会場は、東北自動車道北上江釣子ICから約10分、JR北上駅から徒歩約3分のJR東日本北上駅前のまつり広場。
 「鬼剣舞」*「鹿踊(ししおどり)」*をはじめ「神楽」*「田植踊」*など、県内外から100余りの団体が参加し、約500mの道路を8つの会場に分けて芸能公演が行われ、町がまつり一色となる民俗芸能の祭典。
 8月の第1金曜から3日間にわたり県内外の民俗芸能が披露される。特に2日目の夜は、JR東日本北上駅前のまつり広場において、「鬼剣舞」や「鹿踊」の大群舞があり、人気を博している。中でも「鬼剣舞大群舞」では、かがり火を灯して200人の踊り手が一斉に「一番庭」と「刀剣舞の狂い」の2演目を披露し、かがり火に浮かぶ鬼剣舞は、一層激しく荘厳さを増す。「鬼剣舞」は、いかめしい鬼(仏の化身)の面をつけた踊り手が勇壮に舞うもので、北上地方に 1300年前より伝わると言われる民俗芸能である。3日目のフィナーレでは「トロッコ流し(灯ろう流し)」と花火大会が開催される。
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みどころ

3日間にわたり、町が芸能まつり一色になるこの祭りの主役は鬼剣舞で、ダイナミックで迫力がある。かがり火の前で200人の踊り手がいっせいに舞う「鬼剣舞大群舞」は、東北の郷土芸能において、ひときわ印象に残る光景であろう。
 また、鬼剣舞をはじめ、鹿踊、神楽など、これだけ多くの種類の郷土芸能が集まる機会は稀であり、それぞれが独特な姿形と舞で受け継がれてきたことがうかがい知れる。東北というスケールにとどまらず、日本にとって、貴重な郷土芸能の祭典である。
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補足情報

*鬼剣舞:岩手県南に伝わる民俗芸能の代表的なもの。剣舞の名で総称されるものにはほかに念仏剣舞・ひな子剣舞などがある。剣舞の起源は諸説あり、羽黒山の法師が悪魔退散・衆生済度の念仏踊りとして伝えたとか、安倍頼時の子ががいせん踊りとして奨励したのが広まったと伝えられている。鬼剣舞の装束は青・白・赤・黒の四色の鬼面、毛頭を付け、大口袴に剣・鎖帷子で勇壮・躍動的に踊る。はやしは太鼓・笛・手平鉦のみで、踊りは「一番庭」「三人加護」など18種目ある。
*鹿踊(ししおどり):県南地方に伝わる「鹿」の字をあてた太鼓系の「鹿踊」と、遠野・県北地方に伝わる幕踊系の「獅子」(一部には「鹿子」)の字をあてた「獅子踊」がある。由来はそれぞれ踊り組によって異なるが、狩人が誤って殺した弔いのためにとか、鹿が野で遊んでいる様子を踊りにしたとか、また、農耕儀礼、豊年予祝、先祖供養のために踊られ、山伏修験道が奉じた権現様の威力のお助けを加えて出来たものではないかとも言われている。
*神楽:岩手には山伏修験道により伝わった「山伏神楽」、山伏神楽の流れをくみ農民の間に広まった「大乗神楽」、神道の社家神職により伝わった「社風神楽」、旧伊達藩内の農民の間に起こった「セリフ神楽(南部神楽)」そして、神道と関係なく町民芸として伝わった「江戸舞神楽」があり、このほか代神楽の「太神楽」が伝わっている。
*田植踊:稲田の作業を舞踊化し、「物まね」をすることでその年の豊年を祈願する「予祝(よしゅく)」の意味を持つ芸能。一般的には正月期間に行われ、屋外で演じる「庭田植え(踊り)」と、室内で演じる「座敷田植え(踊り)」に大別される。岩手県内の田植踊りは気仙・東磐井型、胆沢型、和賀型、中部型(盛岡周辺)などに分類され、中部型以外は庭田植えである。