龍飛崎たっぴざき

津軽半島の突端、龍飛崎は北緯41度15分に位置し、津軽海峡をへだてて向かいあう北海道の白神崎とはわずか20kmの距離にある。岬付近は標高100m前後の高台になっており、北西寄りに龍飛崎灯台が立っている。
 龍飛崎の周辺には、小説「津軽」の一文を刻んだ「太宰治*文学碑」があり、台地の上の碑の丘には川柳作家「川上三太郎*句碑」、幕末の思想家「吉田松陰*碑」、「大町桂月*碑」など、また別の展望台には「津軽海峡冬景色」歌謡碑があり人気となっている。
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みどころ

龍飛は太宰治をして”ここは本州の極地である。この部落を過ぎて路はない”といわせた漁村である。現在は海岸線の道路が漁村から362段の階段で灯台のある台地に続いており、日本で唯一の階段国道としてマスコミによく取り上げられており有名である。
 灯台付近の台地上はなだらかな起伏の草原で斜面はススキにおおわれている。台地の岬先端に立てば、龍飛潮流*が流れる津軽海峡の狭隘部を前に、正面に北海道の山並みが大きく、南の日本海側は岩礁と岬を交錯させた龍飛裏海岸が、小泊の権現崎まで一望できる。
 灯台や展望台付近は龍飛にちなむ詩碑や歌碑が数多い。特に津軽海峡冬景色歌謡碑では、設置されている怪しげな赤いボタンを押すと「ごらん あれが竜飛岬 北のはずれと………あぁー津軽海峡冬景色」と石川さゆりの津軽海峡冬景色の2番が大音量で流れてくる。龍飛を訪れた有名人の多さや、詩や歌の題材となることからも魅力ある地であると気づかされる。
 岬の手前には「青函トンネル記念館」(別掲参照)もあり、様々な見どころが点在しており歩いて回るには大変ではあるが、見どころが数多い。
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補足情報

*太宰治:1909~1948年。作家。本名津島修治。1909(明治42)年大地主の六男として誕生。東京帝国大仏文科卒業後、本格的な作家活動に入り、1933~1945(昭和8~20)年にかけて、次々と佳作を発表した。その文章の底流には鋭敏な感受性がもたらす人間的葛藤と、故郷津軽の風土に根ざすほの暗い頽廃的なものを秘めている。1948(昭和23)年、玉川上水で自殺。代表作に「斜陽」「富嶽百景」「走れメロス」「津軽」など。
*川上三太郎:1891~1968年。大正~昭和時代の川柳作家。純詩性川柳、連作川柳など純文学的な川柳を発表する一方、大衆的な川柳を広めた。句集「孤独地蔵」など。
*吉田松陰:1830~1859年。幕末期長州藩の志士、思想家、教育者。自宅で松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、井上聞多(井上馨)、伊藤博文ら尊王攘夷運動の指導者を輩出した。松陰は水戸、仙台、米沢、会津など文武の盛んな東北沿岸を旅し名だたる藩校を訪ねた。この際龍飛崎周辺の小泊から三厩あたりまで旅しており、この地に碑がある。
*大町桂月:1869~1925年。明治大正時代の文人、旅行作家。旅と酒とをこよなく愛し後半生は、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得した。
*龍飛潮流:岬沖合を流れる対馬海流の支流は毎時12~14kmと早い潮流となっている。
関連リンク 外ヶ浜町(WEBサイト)
参考文献 外ヶ浜町(WEBサイト)
『外ヶ浜町』パンフレット
日本財団 海と日本PROJECT in 青森県(日本財団)(WEBサイト)
『郷土資料事典 青森県・観光と旅』人文舎

2023年09月現在

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