棟方志功記念館むなかたしこうきねんかん

青森駅の東南約3km、青森市中央市民センターのはす向かいにある。青森が生んだ板画*家、故棟方志功の文化勲章受章を記念して1975(昭和50)年に建てられた記念館である。建物は鉄筋コンクリート2階建て延べ床面積768m2。館内には、独特の力強いタッチの板画、倭画、油絵など30~40作品が常時展示されている。
 棟方志功は1903(明治36)年青森市生まれ。小学校卒業後、家業の鍛冶(かじ)職の手伝い、裁判所の給仕の後画家を志し、1924(大正13)年上京する。ゴッホのひまわりに感銘を受けて「わ(我)だばゴッホになる」と油絵画家を志したが、公募展への落選を続けるうちに油絵の在り方に疑問をもち始める。西洋からやってきた油絵では西洋人より上に出られないのではないか、日本から生まれ切れる仕事がしたいと考えた棟方は憧れのゴッホも高く評価した日本の木版画に気づき、「版画こそ日本の芸術である」と確信して油彩画から木版画に転じて数々の作品を残した。日本の近代画壇での版画の地位を向上させただけでなく、「世界のムナカタ」と称され、20世紀の日本を代表する芸術家である。1975(昭和50)年死去、72歳。青森市の三内霊園にゴッホの墓を模して作られた「静眠碑*」と名付けられた墓がある。
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みどころ

校倉造りを模した建物は、池泉回遊式庭園と調和し、落ち着いたたたずまいを見せている。2012(平成24)年に鎌倉市の棟方板画館と合併し、すべての棟方作品が移管されたことにより、収蔵作品数は国内最多となっている。代表作「二菩薩釈迦十大弟子」*をはじめ、倭画(肉筆画)、油絵、書など幅広い棟方作品を展示しており、棟方志功晩年のドキュメンタリー映像や、板木や使用した道具などの関連資料も展示されている。
 「アイシテモあいしきれない オドロイテモおどろききれない ヨロコンデモよろこびきれない カナシンデモかなしみきれない それが板画です」という棟方が板画を愛した言葉が残されており、板画づくりの際、極度の近眼のため前のめりに集中している姿が印象に残っている。
 「作品を一点ずつじっくり見て欲しい」という棟方の意向により、限られた広さの中、年4回季節ごとに展示替えが行われている。展示作品数が多くないため、一点一点十分時間をかけて鑑賞できるため、その美しさや緻密さが記憶に残りやすいのがこの記念館の最大の特徴といえる。
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補足情報

*板画:棟方志功は、木版画を「板画」と呼んでいた。1942(昭和17)年自らの「版画」を「板画」としますと宣言した。
*二菩薩釈迦十大弟子:1939(昭和14)年の作品。文殊菩薩と普賢菩薩と、釈迦如来の十大弟子を描いた板画。1948(昭和23)年空襲で二菩薩の板木が焼失したため新たに彫り直し、第3回サンパウロ・ビエンナーレ、第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに本作品などを出品し、国際美術展において2年連続で版画部門の最高賞を受賞。
*碑の偏は玉。棟方の創作文字。
関連リンク 棟方志功記念館(WEBサイト)
参考文献 棟方志功記念館(WEBサイト)
Amazing AOMORI(青森県・公益社団法人青森県観光国際交流機構)(WEBサイト)
『青森県の歴史散歩』山川出版社
『全国博物館総覧』日本博物館協会(編)
『棟方志功記念館を見学しよう!』 パンフレット 棟方志功記念館

2023年08月現在

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