法光寺ほうこうじ

南部町の西南、標高615mの名久井(なくい)岳の東麓にある。青い森鉄道、諏訪ノ平駅から南東約6km、15分の位置である。
 平安時代に創建された無量山観音寺が草創と伝えるが、建長年間(1249~1256年)に鎌倉執権北条時頼*が観音寺を廃して当寺を興したと伝わっている。中世には南部氏*と親交をもち、戦国期には東三郎義政の菩提所として寺領150石を安堵されたといわれている。江戸時代に入ると南部八戸藩領曹洞宗25か寺を統轄する寺として法光寺が信仰の拠点にもなる。1878(明治11)年に建物は焼失したが後年再建されている。1949(昭和24)年承陽塔が建立され、2017(平成29)年に国の有形文化財に登録されている。
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みどころ

深い森の中に堂塔が静まり、大寺の面影を残している。参道の赤い月見橋の先石段の上に欅の山門があり、周辺の緑色の草や樹木が彩りを添え美しい。山門には四天王の木像がありその姿は迫力満点。その正面が本堂であり、本堂内は珍しい赤や青の色使いの彫刻がなされている。本堂裏手にはこの寺の一番の見どころ三重塔「法光寺承陽塔」がある。高さ33mの三重塔は荘重な建築であり三重塔としては国内最大級である。その周りは広さこそないが美しい庭園があり、庭園からの三重塔が写真撮影の絶好ポイントである。
 その他、境内にある爺杉(県天然記念物)は樹齢約1000年、樹高35m、太さ約8m、森の主といった風格を持ち、村を守る神、鎮守さんとして崇められている。また山道の千本松並木(県天然記念物)も美しく散策コースの一つになっている。
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補足情報

*北条時頼:時頼には廻国伝説があり、出家後日本全国を行脚したと伝わるが真偽のほどは明らかでない。
*南部氏:中世の陸奥国の豪族。1590年三戸家の南部信直(のぶなお)は豊臣秀吉から南部7郡の領有を認められ、近世大名としての基礎を築いた。江戸期の居城は盛岡城で代々盛岡藩主を世襲して明治維新に至る。
関連リンク 青森県南部町(WEBサイト)
参考文献 青森県南部町(WEBサイト)
Amazing AOMORI(青森県・公益社団法人青森県観光国際交流機構)(WEBサイト)
『青森県の歴史散歩』青森県高等学校地方史研究会(編) 山川出版社

2023年10月現在

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