昭和新山しょうわしんざん

洞爺湖の南、有珠山の東麓にあり、標高は395m。茶褐色の岩肌から白煙を噴出し、どこから見てもすぐわかる独特な山容をもっている。
 1943(昭和18)年12月28日の夕刻、突然地震があり、地割れとともに麦畑や松林が隆起、数百回の爆発が繰り返された。それから約2年間、噴煙・降灰・泥雨・雷電を伴う数回の爆発によって、畑地は約300mも押し上げられ新しい火山ができあがった。
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みどころ

現在、山の成育は停止しているが、火山岩尖*の溶岩の割れ目や噴気孔からは灼熱したガスが噴出して不気味である。一方、山の表面はすでに谷が刻まれ、地形の発達順序をはっきり読みとることができる。
 昭和新山の誕生を見守り続けたのが郵便局長の三松正夫。第二次世界大戦中ではあるが地震発生から噴火、そしてその活動が止まるまでを独学の観測方法でつぶさに観察、詳細な記録を残した後にミマツダイヤグラムと命名、称賛された。
 昭和新山山麓には三松正夫が昭和新山を観察する姿のモニュメントがあり、また周辺の三松正夫記念館には昭和新山の生い立ちを克明に観察・記録したミマツダイヤグラムをはじめ、資料、観測機器、写真などが展示されている。
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補足情報

*火山岩尖:粘性が極端に大きい溶岩が火口から遠くまで流れず、柱状に固結して地表に押し上げられ、尖峰をそびえさせた火山地形。