博物館網走監獄はくぶつかんあばしりかんごく

網走湖の東北岸、天都山麓にある1912(明治45・大正元)年に建てられた網走監獄(現網走刑務所)の旧建造物を保存公開する野外歴史博物館。舎房及び中央見張所(重要文化財)、庁舎(重要文化財)、二見ヶ岡刑務所(重要文化財)、教誨堂(重要文化財)、煉瓦造り(登録有形文化財)、網走刑務所裏門(登録有形文化財)、哨舎(登録有形文化財)の他、再現建築物を含め合計25棟を展示している。
 1973(昭和48)年に網走刑務所の改築計画が公表され、貴重な建築物が失われることを憂慮した当時の網走新聞社社主の佐藤久らの提唱により、移築や復原のための資金の受け皿になる財団法人が設立された。開館は1983(昭和58)年。館内には、手錠や鉄丸、鎖などのほか、現在の囚人たちの生活の一部が写真で展示されている。1985(昭和60)年に移築された「舎房及び中央見張所」は、刑務所の施設としては日本国内最古であり、木造の行刑建築としては世界最古である。
#

みどころ

広い園地に、いくつもの施設が立ち並ぶ。中でも圧巻は片側に放射状に舎房が連なり、扇の要の部分が見張り所となる「舎房及び中央見張所」で、施設内部も見学できる。独居房や懲罰房では、どのような懲罰が与えられていたのかが展示されており、その様子を覗き込むことによって当時の刑の厳しさをうかがうことができる。一つ一つの施設を丁寧に見て回ると、ゆうに2時間はかかるだろう。施設の周辺には花が植えられ、全体が公園のように整備されている。
#

補足情報

*網走刑務所:明治政府が、ロシア帝国の脅威への対抗策として蝦夷地(北海道)を開拓するための労働力として、刑期が12年以上の受刑者用に、1890(明治23)年に設置した。当初は「網走囚徒外役所」と呼ばれ、釧路集治監から網走に受刑者1200名を移動させた。このうちの3割以上が無期懲役だったといわれている。受刑者は北海道の道路建設などに従事し、昼夜兼行の強行により、僅か1年で網走から北見峠までの約160kmが開通した。しかし、過酷な労働によるケガや、食料不足による栄養失調者が多発し、200名を越える死者がでたという。その後も、広大な農地開拓などにも受刑者が駆り出された。逃亡を防ぐために、2名が鉄の鎖で繋がれていた。仮に逃げられたたとしても、周囲の原生環境から、生き延びるのは困難だったとみられている。
*網走刑務所を扱った文芸作品は多く、中には映画化やドラマ化されたものもある。例えば次のようなものがある。
『脱獄者』八木義徳 1950(昭和25)年
『網走刑務所』八木義徳 1950(昭和25)年
『網走獄中記』村上国治 1963(昭和38)年
『網走番外地』伊藤一 1965(昭和40)年
『網走囚徒』柴田錬三郎 1968(昭和43)年
『天の墓標』夏堀正元 1975(昭和50)年
『破獄』吉村昭 1983(昭和58)年
『網走の覚書』宮本顕治 1984(昭和59)年
『囚人道路』安部譲二 1993(平成5年)年
*『破獄』(はごく)は、吉村昭の長編小説。網走刑務所から4度の脱獄を繰り返した実在の受刑者・白鳥由栄がモデル。脱獄の常習犯である主人公とそれを防ごうとする刑務官たちとの闘いを描いた犯罪小説である。2017(平成29)年にはビートたけし主演でドラマ化された。
*『幸福の黄色いハンカチ』は、網走刑務所から刑期を終えた元炭鉱夫の島勇作(高倉健)を中心に描いた、1977(昭和52)年公開の山田洋次監督による映画。
関連リンク 博物館網走監獄ホームページ(WEBサイト)
参考文献 博物館網走監獄ホームページ(WEBサイト)
網走市観光協会ホームページ(WEBサイト)

2023年12月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。