天人峡てんにんきょう

大雪山国立公園の南東山麓、忠別岳から流れ出る忠別川の上流に位置する。約3万年前に起きた巨大噴火による火砕流がもとになり、長い年月をかけて形成された柱状節理が天人峡のシンボルとなっている。特徴的な岩には名前が付けられ、巨大な一枚岩から清水が流れる姿がまるで泣いているように見える「涙岩」や、柱状節理が7本等間隔で並んだ様子が美しい「七福岩」が代表的。上流部にある羽衣の滝は、忠別川の支流アイシホップ沢川と双見沢川が合流する地点にある左曲右折七段に分かれて落水する飛瀑で、北海道一の落差270メートルを誇る。1901(明治34)年頃に発見され、夫婦滝ともいわれていたが、1918(大正7)年文人・大町桂月が、「まるで天女が羽衣をまとって降りてくるかのようだ」と、この絶景に感動し、「羽衣の滝」と命名したといわれている。
 また、柱状節理の岩場の間を流れる忠別川沿いに沸く天人峡温泉は1894(明治27)年に忠別川での鉱物探索中に発見された。1937(昭和12)年に現在の天人峡温泉という名前になり、翌年の1938(昭和13)年の自動車道路開通以降、より多くの人々が訪れるようになった。
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みどころ

夏には鮮やかな新緑、秋には色とりどりの紅葉と、四季折々に色を変える自然が織りなす景観を楽しむことができる。とりわけ10月初旬ごろ、紅葉の中を空へ向かって突き出すような柱状節理の姿は撮影対象として人気がある。天人峡温泉は大自然に囲まれた源泉100%の掛け流し温泉として広く知られており、ここを拠点にした遊歩道を行けば、羽衣の滝を見ることができる。
 また、滝見台からの眺望はいっそう見ごたえがある。ここまでは急な坂道と、「三十三曲り」とも呼ばれ33回ある狭くて急なカーブを登るため、厳しいトレッキングになる。登り切った滝見台からは、落差270mの羽衣の滝を正面に望み、晴天日にはその奥に旭岳を眺めることができる。まさに絶景である。
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補足情報

*大町桂月(おおまちけいげつ):1869年-1925年。高知県出身の詩人、歌人、随筆家、評論家。1896(明治29)年東京帝国大学国文科卒。『文芸倶楽部』『太陽』『中學世界』などに随筆を書き美文家として知られた。1913(大正2)年出版の『人の運』は、処世訓集として当時のベストセラーに。酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称された。北海道各地を旅行し、紀行文で紹介した。層雲峡や羽衣の滝の名付け親。黒岳近くには、名前にちなんだ桂月岳という山がある。