石狩川いしかりがわ

大雪山系の石狩岳に水源をもつ石狩川は層雲峡をつくり、上川盆地・空知平野・石狩平野を流れる。途中、忠別川・雨竜川・空知川・幾春別川・夕張川・千歳川・豊平川などを併せ、石狩市で日本海に注ぐ。日本で3番目に長い川約268kmで、流域面積は約14,330km2全国2位の大河である。
 石狩川の語源は、アイヌ語のイシカラ・ペツ「非常に曲りくねった川」という説と、イシ・カラ・ペツ「美しく作りたる川」という説などがある。
 川の歴史はそのまま洪水の歴史であり、たび重なる氾濫が幾多の農民を苦しめた。1898(明治31)年石狩川の氾濫による大洪水の後、1918(大正7)年、下流の生振捷水路*治水工事が始まり、ようやく暴れん坊の性質を改めた。
 道産子は石狩川を母なる川と呼んで親しんできた。そして、この豊かな河水は農業用水、工業用水など多くの恩恵を人々に与えている。夏の夜、石狩川が一瞬のうちに狂乱の極に達するときがある。広い白い河原から、いっせいに花火が打ち上げられ、夜空は数百の花模様で彩られる。年に一度、旭川市のシンボル旭橋と石狩川の河畔で開催される旭川夏まつり道新納涼花火大会である。
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みどころ

1900年代の29か所の捷水路工事主体の河川改修により、石狩川本川は改修前には364kmあった流路延長が100kmも短くなり、洪水による被害は大幅に減少した。この工事により何もなかったところに、農地開発、市街地整備など土地の有効利用が可能となった。1900年頃(明治後期)と比較すると人口、耕地面積、市街地面積は大幅に拡大した。暴れ川で泥炭地だったところを開拓した先駆的な開発であり世界に類がなく、その技術を学ぶために台湾などからの視察も多いという。
 現在の石狩川沿いには数多くの旧河川が三日月状に残り、石狩川の壮大な歴史を感じさせる景観となっている。特に石狩川下流の石狩市にある茨戸川は旧石狩川であり、大きな三日月状となって残され、周辺に広大な畑が広がっているのを実感できる。さらに石狩川の下流は日本海に流れる河口で、周辺にはまなすの丘公園、石狩灯台がある。はまなすの丘公園は日本海と石狩川の交わりに形成された1,500mにおよぶ砂しにあり、80種に及ぶ海浜植物が自生しており、6月下旬から7月上旬にかけてハマナスが咲き乱れる。石狩灯台は1892(明治25)年の開設以来、100年以上の歴史を誇る石狩のシンボル。1957(昭和32)年、「喜びも悲しみも幾年月」の撮影の舞台となった。はまなすの丘公園をバックに赤と白の2色の灯台が美しい。
 石狩灯台から南西内陸部に戻ったところにある札幌開発建設部石狩放水路管理センター内に「川の博物館」がある。石狩川の水害の歴史や治水の歴史などが展示されており、壮大な治水工事を学んでみよう。
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補足情報

*生振捷水路(おやふるしょうすいろ):生振は石狩市にある地名。捷水路は著しく湾曲している河道の湾曲部をショートカット(短絡)するために開削される河道。河水が流れやすくなり、洪水による被害を大幅に減らすことが出来る。さらに、地下水位が下がるので、農地などに利用出来る土地を増やすことが出来る。
関連リンク 国土交通省北海道開発局(WEBサイト)
参考文献 国土交通省北海道開発局(WEBサイト)
一般財団法人石狩川振興財団(WEBサイト)
『北海道の歴史散歩』北海道高等学校日本史教育研究会 山川出版社

2024年01月現在

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