北見市は、道東部にあり、東は網走市、大空町、美幌町、南は津別町、訓子府町、置戸町、西は上川町、北は遠軽町、佐呂間町、湧別町に接する。常呂自治区はオホーツク海とサロマ湖に面する。
 JR石北本線、国道39号、333号、238号、242号が通じる。
 東大雪山系三国山を源流とする常呂川、無加川の流域に位置し、北見盆地からオホーツク海にいたるオホーツク圏最大の中核都市。常呂川中流域にあたり、北見盆地の中央を占める。常呂川流域沿いには北見・端野・常呂の各自治区、無加川流域沿いには留辺蘂自治区の市街地と農地が形成され、周囲は森林に囲まれている。西に大雪山国立公園、東に知床国立公園、南には阿寒国立公園を望む大自然に囲まれた地域。大雪山系の東端から支湧別山地、置戸山地、仁頃山地などが広い範囲に分布し、比較的急峻な大起伏山地である源流部をはじめ、地域全体としては小起伏が多く分布している。丘陵地は、北見台地と仁頃台地を分ける北見丘陵地、サロマ湖と能取湖との間から北見盆地まで延びた常呂丘陵地、北見東方の北見台地と網走川流域の美幌台地を隔てる栄森丘陵地がある。また、町内を流れる河川流域は河岸段丘群を形成しており、網走地方における最大の内陸凹地となっている。 低地はサロマ湖の砂州および砂丘、三角州、扇状地を含む常呂低地が常呂川河口付近に狭い範囲で分布。こうした丘陵に挟まれた市街地や農地の分布状況から、「市街地や農地から背景となる周辺の丘陵地を見上げる景観」「周囲の丘陵から市街地や農地を見下ろす景観」が北見の景観の特徴となっている。
 1942年(昭和17)野付牛町が市制施行して北見市と改称。1956年(昭和31)1村を編入。2006年(平成18)3町を合併して現在の市域となる。1897年(明治30)に、屯田兵村の設置と、高知県からの北光社移民団の入植が行われ、ともに開拓の基礎を開いた。1902年(明治35)に導入されたハッカ栽培の成功は、開拓を推進するうえで重要な役割を果たし、まもなく全国一の生産量を示すに至った。明治末期の鉄道の開通は農林加工業の立地と商業の繁栄を促し、網走市と発展を競い合った。第二次世界大戦後の伸長は著しく、北海道東部では釧路市に次ぎ、帯広市と並ぶ都市に成長した。
 製糖、製粉、乳業などの食品工業、木材関連工業、金属機械工業に加えて、湿度の低い気象条件を生かし、工業団地、ハイテク団地に電子部品、精密機械、コンピュータ・ソフトなどの工業も立地。また、卸売センターや卸売団地があり、網走地方の流通拠点ともなっている。農業では、ハッカにかわり、タマネギや水稲の作付けが多い。
 科学館、博物館、美術館、視聴覚センターの複合施設である北網圏北見文化センター、北見ハッカ記念館などの施設がある。サロマ湖は網走国定公園に含まれ、砂嘴に広がるワッカ原生花園は北海道遺産となっている。

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