豊田市は県中北部にあり、東は設楽町、新城市、長野県根羽村、南は岡崎氏、安城市、西は瀬戸市、長久手市、日進市、東郷町、みよし市、刈谷市、知立市に接している。
 愛知環状鉄道線、名古屋鉄道三河線・豊田線、愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)、国道153号、155号、248号、257号、301号、419号、420号、473号、猿投グリーンロード、新東名高速道路、伊勢湾岸自動車道、東海環状自動車道、衣浦豊田道路が通じ、東名高速道路の豊田インターチェンジがある。
 矢作川が市内中央を南北に貫流し、三河高原と岡崎平野との接点に位置しており、矢作川の中流部の挙母盆地に中心市街地がある。⽮作川⽔系と境川⽔系に⼤別される⼤⼩ 484 の河川が流れている。おおむね⼭地・丘陵地、台地、低地の3つの地形に区分され、海抜 3.2mから1,240.0mに及ぶ⾼低差がある。北部と東部の⼭間地域には、傾斜の⼤きい地域が広がり、南部の低地には水田が広がる。市域は愛知県中北部を広く占めており、愛知県全体の17.8%を占める広大な面積を持つ。自動車工業都市。
 1951年(昭和26)挙母(ころも)町が市制施行して挙母市となり、1956年(昭和31)高橋村を編入、1959年(昭和34)豊田市と改称。数回の編入ののち、1998年(平成10)中核市に移行。2005年(平成17)4町2村を編入し、現在の市域となる。挙母の地名は『古事記』には許呂母別(ころもわけ)とあり、三河之衣君(ころものきみ)という豪族が住んでいた。平安時代の『和名抄』には挙母郷がみえ、鎌倉時代にも高橋荘衣郷(ころものごう)(中条氏支配)があった。江戸時代は挙母藩2万石の城下町として栄えた。明治以後は繭の集散地として栄え、生糸工業もおこったが、養蚕業の不振とともに衰えた。1937年(昭和12)刈谷から進出したトヨタ自動車が工場を設立後、とくに1950年代に飛躍的な発展を遂げた典型的な企業城下町で、全国有数の製造品出荷額を誇る「クルマのまち」として知られる。
 「クルマのまち」としてトヨタ自動車関連の工業が盛ん。一方で農業生産も多く、米やナシ、モモ、ブドウの果実、酪農などが盛んである。
 愛知高原国定公園内に鞍ケ池公園、猿投山、勘八峡、王滝渓谷などの景勝地がある。足助八幡宮本殿、長興寺の絹本著色仏涅槃図と紙本著色織田信長像などは国の重要文化財に指定されている。国の天然記念物に猿投山の球状花崗岩(菊石)など、国史跡に舞木廃寺塔跡などがある。足助の商家の町並は重要伝統的建造物群保存地区に選定され、香嵐渓は紅葉の名所として著名。

観光資源一覧

香嵐渓の写真

写真提供:豊田市足助観光協会

香嵐渓 (愛知県 豊田市 )

名鉄名古屋本線東岡崎駅からバス*。足助川と巴川の合流点付近、巴川が浸食してできた渓谷で、巴橋から香嵐橋までの約1kmをいう。  1634(寛永11)年の頃、標高254mの飯森山にある香積寺の11世住職・三栄本秀和尚が、巴川沿いの参道から香積寺境内までの約400~500mの間に、カエデ、スギを植えたのが始まりとされる。その後、1923(大正12...

小原の四季桜の写真

写真提供:小原観光協会

小原の四季桜 (愛知県 豊田市 )

名鉄三河線豊田市駅から、とよたおいでんバスで約1時間20分。四季桜*は、文政年間(1818~1829年)に医師の藤本玄碩が名古屋方面にて苗を求め植えたのが最初で、それが親木となり広まったといわれる。  4月と10月から12月の期間に花を咲かせる。サクラは、マメザクラとエドヒガンの種間雑種で、白や淡紅色と地味であるが上品な色の花である...

豊田市美術館の写真

写真提供:豊田市美術館

豊田市美術館 (愛知県 豊田市 )

名鉄豊田市駅から南に400m進み、国道153号線を西上した拳母(ころも)台地上の童子山と称される独立丘陵に拳母城跡があり、その本丸部分に1995(平成7)年に開館したのが豊田市美術館である。美術館正面わきにある復元された二重櫓がその面影を伝える。  美術館は、一人ひとりの鑑賞者が作品と対話し、それぞれの作品との関係を結ぶ場とな...

松平氏遺跡の写真

写真提供:松平観光協会

松平氏遺跡 (愛知県 豊田市 )

名鉄三河線豊田市駅からバス。1994(平成6)年、高月院*・松平氏館跡*・松平城跡*・大給(おぎゅう)城跡*の4か所が一括されて、「松平氏遺跡」として、国指定史跡となった。松平氏は江戸幕府の創始者である徳川家康の祖で、この地が発祥の地、松平郷である。伝承によると時宗の遊行僧徳阿弥が東国からこの地に入り、在原信重の娘婿にな...