清須市
印刷する清須市は県北西部に位置する。北から東は北名古屋市、東から南は名古屋市、西はあま市、稲沢市、北は一宮市に接している。
JR東海道本線、名鉄名古屋本線・犬山線・津島、東海交通事業城北線が通る。JR東海道本線に並行して東海道新幹線が走る。名古屋第二環状自動車道、名古屋高速6号清須線、16号一宮線が通り、清須ジャンクションで交差している。名古屋第二環状自動車道には清洲東、清洲西のインターチェンジがある。この他、国道22号、302号などの道路網が通じる。
尾張平野中央部の平坦地に広がる。南東を流れる庄内川の下流域に位置し、新川、五条川等が流れる。中部山岳地帯に源を発する木曽川・庄内川の氾濫が原因となって発達した沖積地で、海抜10m未満。起伏がなく概ね平坦で、わずかに北部から南部へ緩く傾斜している。
2005年(平成17)、3町が合併して市制施行。2009年(平成21)1町を編入。市名は市内の「清洲」の地名によるが、江戸時代前期頃までは「清須」と記されることが多く、新市名はこの用字を採用している。清須城は織田信長が本城とした城で、清須は尾張の中心地となり城下も地方都市として発展していたが、関ヶ原合戦後に入場した徳川義直が居城を名古屋に移転後に衰退した。1611年(慶長16)青物などを扱う問屋ができ、1616年(元和2)に東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場として再び賑わうこととなる。1622年(元和8)枇杷島橋が架設後は毎日市が立つようになり、名古屋城下の台所を預かって繁盛した。やがて名古屋の城下町に販売する市場特権を有し、城下の延長のような市街景観を呈した。近年は、名古屋のベッドタウンとして市街地化が著しい。
紡績をはじめパルプ、食品、機械などの工業が盛ん。旧春日町地区は江戸時代から昭和初期まで全国にその名を知られた宮重大根発祥の地として著名。
五条川左岸の朝日を中心に、名古屋市西区にまたがる貝殻山貝塚は、弥生前期の標式土器(貝殻山式土器)が出土したことで知られる。中期の方形周溝墓群、後期の環濠集落も検出され、国指定史跡。14世紀中頃成立の『神鳳鈔』に伊勢神宮内宮領の「清須御厨」がみえる。例年6月に行われる尾張西枇杷島まつりには、5輌の山車が練り歩く。