岡崎市は愛知県中央部、西三河地方の中心都市。市の北部は豊田市に、東部は新城市に、西部は安城市、西尾市に、南部は幸田町、蒲郡市、豊川市に接している。
 JR東海道本線が通じ、愛知環状鉄道を分岐する。また、名古屋鉄道本線が通じ、名古屋へは約40分。道路は、東名高速道路(岡崎インターチェンジ)、新東名高速道路、国道1号、248号、301号、473号が走る。
 三河山地と岡崎平野の接点にあり、三河高原の西端に位置。花崗岩を主体とする地質で、山地、丘陵、台地及び平野など地形の変化に富み、水源が豊かで緑に包まれている。岡崎平野を広く展望する丘陵台地の西を、北から南に縦断して流れる矢作川は長野県に源を発し、三河湾に注ぐ。この流域は水田地帯となるが、平地であることから工場の適地で、豊富な水は水力発電、農工業用水、飲料水として利用されている。また、本宮山に源を発し、市の中心部を西に流れて矢作川と合流する乙川は、観光、文化、住宅の適地として最良の環境となっている。ほかに男川が流れる。
 1916年(大正5)市制施行。数回の編入があり、2003年(平成15)中核市に移行。2006年(平成18)額田町を編入して現在の市域となる。岡崎の名は地勢からつけられたといわれ、山地の末端が市街中央に延び甲山(約65m)となり、岡と坂の多いのが特徴。徳川家康の生誕地として知られる。江戸時代には5万石の城下町、東海道五十三次の宿場町としてにぎわった。岡崎城は三河守護代西郷稠頼が1455年(康正1)に築き、のちに松平清康(家康の祖父)が入城。本格的な城下町づくりは1590年(天正18)田中吉政によっておこなわれた。本多、水野、松平(松井)、本多の歴代城主は譜代大名で幕府の要職にもついた。西三河全域の商業の中心となっている。
 工業は近代工業の繊維、化学、自動車工業と伝統工業の石材工業、花火、八丁みそ、ガラ紡、特紡などの複合工業型となっている。「石都岡崎」の異名がある。
 岡崎城跡の岡崎公園には、堀、石垣が当時のまま残り、産湯の井、復原天守閣(1959)、「三河武士のやかた家康館」などもある。ほかに、大平一里塚、真宮遺跡、北野廃寺跡などは国指定史跡。また家康ゆかりの社寺としては大樹寺はじめ、伊賀八幡宮、六所神社、瀧山東照宮などがあり、大樹寺は徳川氏の菩提寺で松平8代の墓がある。祭りには瀧山寺鬼祭、家康行列などがあり、菅生川(乙川の下流)畔の夏の夜の花火大会は有名。そのほか、岡崎市美術博物館、岡崎市美術館、おかざき世界子ども美術博物館、郷土館(建物は国指定重要文化財)などの文化施設があり、自然科学研究機構の岡崎共通研究施設、愛知学泉大学、愛知産業大学、人間環境大学、県立農業大学校など、教育・研究機関も多い。

観光資源一覧

瀧山寺の写真

写真提供:一般社団法人岡崎市観光協会

瀧山寺 (愛知県 岡崎市 )

名鉄名古屋本線東岡崎駅からバス25分。686(朱鳥元)年天武天皇の勅願により建立されたと伝わる古刹。源頼朝の帰依厚く、建久年間(1190~1199年)に寺領四百石が寄進された。保安年間(1120~1124年)に比叡山の僧・仏泉上人永救が再興。徳川家ほか数々の中央権力に密接な檀家からの信仰と擁護により栄える。  バス停のかたわらの朱もあざ...

伊賀八幡宮の写真

写真提供:伊賀八幡宮

伊賀八幡宮 (愛知県 岡崎市 )

名鉄東岡崎駅の北方2.5kmに位置し、松平家・徳川家代々の祈願所であった。1470(文明2)年松平第4代親忠(ちかただ)*が、武運長久・子孫繁栄を祈願するため、社を伊賀(三重県)から三河国に勧請した。1566(永禄9)年、松平第9代にあたる家康が三河守に任じられた際に社殿を造営。家康は出陣の際には必ず祈願したと伝えられる。1611(慶長...

大樹寺の写真

写真提供:大樹寺

大樹寺 (愛知県 岡崎市 )

名鉄東岡崎駅からバスで15分。「大樹」とは唐名で「将軍」を意味する。  1475(文明7)年松平4代親忠が念仏堂を設けたのが始まりで、松平家・徳川家代々の菩提寺である。1535(天文4)年岡崎城主松平清康(徳川家康の祖父)により七堂伽藍・多宝塔が造営される。1603(慶長8)年、徳川家康*は征夷大将軍に任ぜられると、将軍先祖の菩提寺...