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都道府県「群馬県」 タイプ「神社・寺院・教会」

鎌原観音堂の写真

鎌原観音堂 ( 群馬県 嬬恋村 )

1783(天明3)年の浅間山大噴火の時に、鎌原村(現在の嬬恋村の一部地域)を埋め尽くした浅間山噴火土石なだれから残った唯一の建物。大噴火の土石なだれは、時速100km以上のスピードで火口から12km離れた鎌原村を襲い、村は5~6mの深さに埋もれた。  災害前の観音堂は村から石段で50段上がった場所にあった。その階段を駆け上がって助かっ...

黒瀧山不動寺の写真

黒瀧山不動寺 ( 群馬県 南牧村 )

標高870mの黒瀧山に立つ山岳信仰の霊場。上州南牧谷の奥深い黒瀧山の岸壁から滝しぶきの舞う所にあり、山門から不動堂、本堂、黒瀧泉、そして開山堂とつづく。江戸時代前期の1675(延宝3)年、徳川綱吉が帰依した潮音禅師によって中興開山された。  行基作と伝わる不動明王を安置し、厄除けの不動の霊場として千余年の歴史を重ねる静寂幽玄...

茂林寺の写真

茂林寺 ( 群馬県 館林市 )

茂林寺前駅の南東約300m、杉の茂った平地にある。1426(応永33)年開山の末寺18カ寺を有する大寺で、むかし話で登場する「分福茶釜」*があるので有名。山門を入ると、ユーモラスな22の大きな陶製の狸が両側にずらりと並んで迎えてくれる。本堂内の宝物室には分福茶釜を初め狸のコレクションや寺宝が展示されている。  茂林寺沼とその周辺は...

高崎白衣大観音の写真

高崎白衣大観音 ( 群馬県 高崎市 )

1936(昭和11)年、高崎市の実業家井上保三郎氏*によって、高崎歩兵第一五連隊戦没者慰霊供養、観光高崎の建設を目的に、白衣大観音像が建立され開眼法要された。  高さおよそ42m、9階に分かれた内部には20体の仏像が安置され、上部まで階段で胎内巡りができる。上部からは三国山脈、秩父・八ガ岳、赤城の山々が眺望できる。参道にはみや...

少林山達磨寺の写真

写真提供:少林山達磨寺

少林山達磨寺 ( 群馬県 高崎市 )

市の西、鼻高丘陵の北斜面にある。その昔、行基菩薩作とされる観音菩薩をお祀りする御堂があった。江戸時代に碓氷川の氾濫の折流れ着いた光り輝く香木で、一了居士が達磨大師坐像を彫刻し安置したのが達磨寺となる由縁である。  1697(元禄10)年に水戸光圀公の帰依された心越禅師を開山と仰ぎ、前橋城の裏鬼門を護る寺として、第5代前橋城...

榛名神社の写真

榛名神社 ( 群馬県 高崎市 )

榛名湖南西約2kmの榛名山中腹にある。延喜式内社で創立は用明天皇(585~587年)のころと伝わる古社。修験者の霊地として古くから榛名山信仰の参詣者を集め栄え、中世以降は神仏習合し満行宮とも称して、上野寛永寺の管理下に繁栄を極めた。  境内は約15万m2、老杉・奇岩・渓流に囲まれて山気に満ち、社殿は屹立する巨岩の間に...

三夜沢赤城神社の写真

三夜沢赤城神社 ( 群馬県 前橋市 )

県内外に散在する赤城神社約300社の総本社のひとつといわれる神社である。杉木立ちの中に、上野国二の宮*と称されるこの社がある。社伝によると、古代、豊城入彦の命の子孫である上毛野君という氏族の創祀といわれ、戦国時代には、上杉・北条・武田の3氏を始め各武将の崇敬を集め栄えた。  本殿・中門などは県の重要文化財。神社の北裏2km...

大光院の写真

大光院 ( 群馬県 太田市 )

太田駅の北西約1.8kmにあり、「子育て呑龍さま」と広く呼び親しまれている。1611(慶長16)年、徳川家康が先祖とした新田義重の旧跡を訪ねて寺を建て、呑龍上人(どんりゅうしょうにん)*を招いたと伝えられる。呑龍上人は、当時農民の間で行われていた赤子の間引を悲しみ、農民を説得し子育てにつとめたので子育呑龍と慕われるようになった。...

一之宮貫前神社の写真

一之宮貫前神社 ( 群馬県 富岡市 )

上州一の宮駅の北西、北は高田川、南は鏑川の清流にはさまれた丘陵上にある。創建は社伝によると現在の社地に社を定めたのが西暦531年とされる。  参道を登りつめると朱塗の大鳥居が立ち、その鳥居をくぐると下りの石段の下に社殿が整然と立ち並ぶ。総漆塗極彩色の本殿は、1635(寛永12)年、江戸幕府第3代徳川家光によって造営されたもの...

妙義神社の写真

妙義神社 ( 群馬県 富岡市 )

妙義山の主峰、白雲山(1,104m)の中腹にある。今からおよそ1500年前、宣化天皇の時代に創建されたと伝わる古社。春には参道や神社境内にある樹齢200年余りのしだれ桜が見事である。樹木がうっそうと茂る奥深い境内には、色鮮やかなお堂が立ち並ぶ。  黒漆塗り、権現造り*の本殿をはじめ各社殿とも江戸時代の建築様式の壮麗なもの。また関...