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札幌のライラックの写真

札幌のライラック ( 北海道 札幌市 )

大通公園をはじめ個人の庭にも植えられる札幌の市木。花色は、基本的にホワイト、ヴァイオレット、ブルー、ライラック、ピンク、マゼンダ、パープルの7系統がある。ライラックは英名、フランス名はリラ、和名はムラサキハシドイ。名前の響きがいいのでライラックが定着したものと思われる。札幌市には大通公園以外にも見どころの公園*が数多...

大通公園の写真

大通公園 ( 北海道 札幌市 )

札幌駅から南に約800m、市の中心街に位置する。大通西1丁目から西12丁目までの長さ約1.5km、幅員約60mの公園。1869(明治2)年、札幌にいた開拓判官の島義勇(しまよしたけ)が札幌を2つに分け、北を官庁街、南を住宅・商店街とする計画を立てた。その後1909(明治42)年、長岡安平(ながおかやすへい)*の設計で、逍遥*地としての形態が整...

モエレ沼公園の写真

写真提供:モエレ沼公園

モエレ沼公園 ( 北海道 札幌市 )

ゴミ処理場の跡地を、イサム・ノグチ*の設計で札幌市の総合公園として造成・再生したもの。札幌駅から北東に約10km、面積約190万m2、1982(昭和57)年に工事着工し、イサム・ノグチの死後も工事を続け23年かけて2005(平成17)年に完成している。  イサム・ノグチは「全体をひとつの彫刻作品とする」というコンセプトのもと、...

札幌市円山動物園の写真

写真提供:札幌市円山動物園

札幌市円山動物園 ( 北海道 札幌市 )

札幌駅の南西部の円山公園内にあり、地下鉄東西線円山公園駅からバス約5分で動物園前下車。敷地面積22万4,780m2とスケールの大きさでは北海道で最大である。約150種、750点もの動物を飼育する。  戦後の1950(昭和25)年、札幌市は上野動物園(東京)から移動動物園を招き会場の円山坂下グラウンドで開催、空前の人出で賑わい、...

北海道開拓の村の写真

北海道開拓の村 ( 北海道 札幌市 )

札幌駅の東約15km札幌市厚別区の野幌森林公園*内にあり、地下鉄東西線新札幌駅からバスで20分の位置にある。北海道開拓の村の周辺には北海道博物館*もある。  54.2万m2の区域に、1983(昭和58)年4月に開村した野外博物館。旧札幌停車場、旧小樽新聞社、旧浦河支庁庁舎など明治から昭和初期に建てられた道内の歴史的建築物52...

札幌ラーメンの写真

札幌ラーメン ( 北海道 札幌市 )

札幌市内に2,000軒以上のラーメン店がある。札幌ラーメンは第2次世界大戦後、満州からの引揚者人たちが、札幌の繁華街すすきのあたりに屋台を出し工夫されたのが始まりといわれている。中でも味噌ラーメンは札幌が発祥の地である。「味の三平」の大宮守人が味噌のスープを考案し、西山製麺の西山孝之によってつるりとした喉越しの多加水熟成...

無意根山の写真

無意根山 ( 北海道 札幌市 / 北海道 京極町 )

札幌市の西側京極町との境界に位置する標高1,464mの山。アイヌ語の「ムイ・ネ・シリ」(箕・のような・山)が語源である。奥深い森林の上にやわらかく緩やかな楕円形の稜線を描き、椀状に見えるため「箕」の名前になったと思われる。  比較的古い火山による山岳地形で、高山植物が生育し展望にも優れているため、札幌市方面からの格好の日...

北海道神宮の写真

北海道神宮 ( 北海道 札幌市 )

札幌駅の南西部の円山公園に隣接しており、地下鉄東西線円山公園駅から徒歩約15分、境内は約18万m2と広く緑に包まれている。1869(明治2)年明治天皇の思し召しにより、北海道開拓の守護神として大国魂神*(おおくにたまのかみ)・大那牟遅神*(おおなむちのかみ)・少彦名神*(すくなひこなのかみ)の三神を祀って北海道の総...

トラピスト修道院の写真

写真提供:トラピスト修道院

トラピスト修道院 ( 北海道 北斗市 )

北斗市当別丸山*の丘陵に映える赤煉瓦のゴシック式建物で、わが国では最初のトラピスト修道院*である。正式名称は「厳律シトー会燈台の聖母トラピスト修道院」といい、1896 (明治29)年、フランス、オランダ、イタリア、カナダから総勢9人の修道士たちにより創設された。翌年、フランスのブリックベック大修道院からジェラル・プーリエ師...

恵庭岳の写真

恵庭岳 ( 北海道 千歳市 )

恵庭岳は札幌市の南約30km、支笏湖の北西に位置する活火山で支笏湖岸に高くそびえる円錐形の火山、標高1,320m。山頂部は無数の裂け目があり噴煙が立ち昇っており、岩塔の幾つかは崩壊が進んでいる。1972(昭和47)年、札幌オリンピックの滑降競技のコースとして使用され、支笏湖へ飛び込むような景観に魅了された。その後、自然保護の観点か...

支笏湖の写真

支笏湖 ( 北海道 千歳市 )

千歳市の西端にあるカルデラ*湖で、最深360mと田沢湖に次ぐ日本第2の深さ、面積は78.4km2と日本8位、透明度は17.5mで第4位(環境庁1993「湖沼調査報告書」)である。日本最北の不凍湖で、水中にプランクトンの発生が少なく透明度が高い。  支笏湖は約3万2千年前に始まった火山活動によりカルデラが形成された。当時は丸型の湖...

オコタンペ湖の写真

写真提供:千歳市

オコタンペ湖 ( 北海道 千歳市 )

支笏湖の北西、恵庭岳の北西麓に位置し、恵庭岳の火山噴出物によりできた堰止湖。深い森に囲まれ、アクセスが困難なことからオンネトー*、東雲湖*と並んで、北海道の秘湖の一つに数えられる神秘の湖。  周囲約5km、湖面面積はわずか約0.4km2と小さいが、周辺の環境、湖水の色の変化など特色がある。支笏湖より324m高く、エゾ...

石狩鍋の写真

写真提供:石狩観光協会

石狩鍋 ( 北海道 石狩市 )

ぶつ切りにした骨付きのサケの身や頭、豆腐、つきこんにゃく、キャベツやたまねぎ等の野菜類を昆布のだし汁で煮込み、白みそで味付けした石狩鍋は寒さが厳しい北国の代表的な冬の料理である。サケで有名な石狩川の河口にある石狩町(現石狩市)で生まれた料理と言われている。  昭和20年頃、石狩市でサケの地引網漁が注目されると、その漁...

トラピスチヌ修道院の写真

トラピスチヌ修道院 ( 北海道 函館市 )

JR函館駅から東へ約9km、湯の川温泉から3.5km、上湯川町の緑の高台にあり、四方をめぐらす高い塀と赤煉瓦の建物の日本初の女子観想修道院。1898(明治31)年、フランスのウプシー修道院から派遣された8人の修道女によって創立され、その後1925(大正14)年と1941(昭和16)年の2回、火災に遭い再建したもの。  中では修道女が聖ベネディク...

五稜郭の写真

写真提供:函館市教育委員会

五稜郭 ( 北海道 函館市 )

五稜郭は、函館山から約6km離れた函館市のほぼ中央にある。1857(安政4)年、蘭学者武田斐三郎*の設計により蝦夷地防備と近代兵器の発達に対処するため、8年の歳月をかけて竣工したわが国最初の洋式城郭で、塁形が五つ星の形をしているところから五稜郭と呼ばれているが、建設当時には亀田役所土塁とも言われていたという。  外堀の幅30m...

函館山山麓周辺の街並みの写真

函館山山麓周辺の街並み ( 北海道 函館市 )

函館は、横浜・長崎とともに幕末最も早く開港し多くの外国人が生活していた。特に元町付近は海外との交流の場として開けた古い地区。函館山北東斜面の山の手にあり、現在でもハリストス正教会*をはじめ赤煉瓦や木造洋館*など、異国文化の影響を受けた明治の建築物が数多く残存し、風情ある町並みを見せている。  外国人墓地から旧ロシア...

函館山からの夜景の写真

函館山からの夜景 ( 北海道 函館市 )

函館山は函館市街地の最南端にあり、津軽海峡に突出している。海中から噴火した火山であり、標高334m、周囲約9km、別名臥牛(がぎゅう)山とも呼ばれている。函館山は海の中から生まれた山であり、周辺の陸地とトンボロ*という現象で函館山直下の陸地が作り出され陸繋島*となった。山頂からは市街と港を一望でき、両側がくびれた市街地と両...

函館の朝市の写真

函館の朝市 ( 北海道 函館市 )

函館駅南側、約3万m2の一角に立ち並ぶ一般消費者、観光客向けの市場。1945(昭和20)年に近隣町村の農家が野菜や果物を持ち込み、函館駅前で立ち売りしたのが発祥といわれている。店舗数は周辺店舗を合わせて約250店舗。  カニやサケなど海産物や新鮮な海の幸の土産品を中心に、北海道ならではの鮮度の高い食品が一堂に集まる活...

函館八幡宮の写真

函館八幡宮 ( 北海道 函館市 )

室町時代に現在の元町、公会堂前あたりに創建*されたが1880(明治13)年に移転、函館市電の谷地頭(やちがしら)停留場から西に約400m、坂と石段の参道を上がった所にある。開運厄除や漁業、航海の守り神として知られている。本殿は聖帝造*と八棟造*を併せた聖帝八棟造であり、大正式八幡造の代表作と言われる。  八幡宮の南には、箱館...

函館山の写真

函館山 ( 北海道 函館市 )

函館山は函館市街地の最南端にあり、津軽海峡に突出している。標高334m、周囲約9km、別名臥牛*(がぎゅう)山とも呼ばれている。函館山は大古の火山活動によって生まれた山であり、周辺の陸地とトンボロ*という現象で函館山直下の陸地が作り出され陸繋島*となった。山頂からは市街と港を一望でき、両側がくびれた市街地と両脇の海の形状が...

函館のイカ料理の写真

函館のイカ料理 ( 北海道 函館市 )

海の幸に恵まれた北海道。中でもイカの漁獲量は国内屈指で、特に津軽海峡という豊かな漁場に恵まれた函館は、道内一のイカの産地*。イカを使った料理がふんだんに味わえる。  函館のイカは、一般的にはスルメイカのことをいい、北海道・東北地方ではこれを「マイカ」と呼んでいる。スルメイカは日本海を回遊する魚で、九州の西側、東シナ...

駒ヶ岳の写真

写真提供:七飯大沼国際観光コンベンション協会

駒ヶ岳 ( 北海道 森町 / 北海道 鹿部町 / 北海道 七重町 )

駒ヶ岳は北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131mの成層火山*である。噴火により形成された鋭い山頂と美しい裾野の景観で、大沼公園を象徴する道内屈指の名山のひとつに挙げられる。  山頂部にある火口原は剣ヶ峰(けんがみね)、砂原岳(さわらだけ)、隅田盛(すみだもり)に囲まれ、眺める場所によってその山容は姿を変える。 ...

大沼の写真

写真提供:七飯大沼国際観光コンベンション協会

大沼 ( 北海道 七飯町 )

大沼公園駅周辺にある大沼・ 小沼・ 蓴菜沼は、駒ヶ岳の噴火によってできた堰止湖、及び陥没湖である。大沼はもっとも北東に位置する公園の中心的な湖で、湖水面積は5.31km2、周囲約24kmの大きさ。  大沼に隣接する小沼は湖水面積3.8km2、周囲約16km、蓴菜沼はその名の通り蓴菜が採れる湖で、湖水面積0.75km2

松前のサクラの写真

写真提供:一般社団法人北海道まつまえ観光物産協会

松前のサクラ ( 北海道 松前町 )

松前城*の後方一帯を松前公園と呼び、約21万3,500m2もの広大な敷地内で史跡や多数の社寺が点在している。園内には約250種、合わせて8,000本近い桜があり、4月下旬から5月下旬にかけて次々と花を咲かせる道内有数の桜の名所である。別にこれらの桜の木を1ケ所に展示した桜見本園・桜資料館*があり、松前城から歩いて10分ほどのと...

松前城(福山城)の写真

松前城(福山城) ( 北海道 松前町 )

松前城は函館市の南西約70km、渡島半島の南西端松前町の松前湾に面する台地上に築かれ、海防を重視した縄張り*の城で、隣接する寺町などを含む国指定史跡としての面積は約14万8千m2である。  慶長年間(1596~1614年)、松前氏が福山館を築いたのにはじまり、その後1854(嘉永7・安政元)年に外国船打ち払いのための本格的な城...

上の湯温泉の写真

上の湯温泉 ( 北海道 八雲町 )

上の湯温泉は函館市の北西方面に位置する八雲町の温泉地。八雲の中心地から約30km離れた標高約70mの山の中に四方を緑に囲まれた落部(おとしべ)川上流にある。昔ここを発見したアイヌの人々は河畔の岩壁に浴槽を設けていたという。  江戸時代後期の1846(弘化4)年には松浦武四郎*が入浴し、全国に紹介されたという。また1868(慶応4・明...

しかべ間歇泉の写真

しかべ間歇泉 ( 北海道 鹿部町 )

函館市の北側、太平洋に面した国道278号線の「道の駅しかべ間歇泉公園」にある。1924(大正13)年の温泉開発の際に発見されたという鹿部町の間歇泉。間歇泉とは、規則的または不規則的に熱水や水蒸気を吹上げる温泉で、火山地域にみられる。ニュージーランド、アイスランドのほか、アメリカのイエローストーン国立公園の間歇泉は世界的に有名...

江差追分全国大会の写真

写真提供:江差町

江差追分全国大会 ( 北海道 江差町 )

函館市の西、渡島半島の日本海に面した江差町で行われる民謡「江差追分」の全国大会。全国から選び抜かれた江差追分の唄い手約370人が集い、日本一のノドを競い合うもので、毎年9月中旬の3日間行われる。一般の部以外にも熟年全国大会、少年全国大会も同時期に開催される。  江差追分の歴史は、江戸時代に信州中山道で唄われていた馬子唄(...

おたる水族館の写真

写真提供:おたる水族館

おたる水族館 ( 北海道 小樽市 )

小樽駅の北、直線距離で約5kmの祝津にあり、日本海に隣接した豊かな自然環境に恵まれた水族館である。1958(昭和33)年に北海道大博覧会の「海の会場」として建設され、翌年「小樽市立水族館」として営業を開始した。その後1974(昭和49)年に新館(現 本館)を竣工し株式会社小樽水族館公社の経営で現在に至る。  北の魚類、海獣類を中心...

羊蹄山の写真

写真提供:ニセコ町

羊蹄山 ( 北海道 京極町 / 北海道 ニセコ町 / 北海道 俱知安町 / 北海道 真狩村 / 北海道 喜茂別町 )

渡島半島の基部にあたる後志火山群の一つで、その秀麗な円錐形の山容の成層火山*が富士山に似ているところから別名「蝦夷富士」と呼ばれ親しまれており、最高点は1,898mで喜茂別町にある。頂上からは日本海と太平洋を遠望でき、眼下にニセコ連峰などの山々が望める。  しりべしの語源は、アイヌ語で「しりへ」は後という意味で、「し」は「...

ニセコアンヌプリの写真

写真提供:ニセコ町

ニセコアンヌプリ ( 北海道 ニセコ町 / 北海道 倶知安町 / 北海道 蘭越町 / 北海道 共和町 / 北海道 岩内町 )

ニセコ連峰はニセコ比羅夫から日本海側の雷電峠までの東西約25km、南北15kmにわたる11の連なった山々。国道268号線の新見峠を境としてニセコ東山系*とニセコ西山系*に大別される。東山系の山の名はすべてカタカナ名、西山系はすべて漢字名となっている。山の名前が個別に付けられたのは、昭和初期に温泉の開発により入りやすくなり、夏の登...

積丹半島の海岸の写真

写真提供:積丹観光協会

積丹半島の海岸 ( 北海道 余市町 / 北海道 古平町 / 北海道 積丹町 / 北海道 神恵内村 / 北海道 泊村 )

積丹半島は小樽市の西、日本海に突き出した半島であり、余市町から岩内町に至る国道229号線(積丹半島ブルーライン)約100kmに及ぶ海岸線で奇岩群が連続する地域である。積丹半島の中でも「神威岬」「島武意海岸(積丹岬)」「黄金岬」が主な見どころであり、その他美しい海岸、奇岩が連続している。海岸線はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指...

ニセコ湯本温泉の写真

写真提供:蘭越町

ニセコ湯本温泉 ( 北海道 蘭越町 )

ニセコ連峰チセヌプリの麓にある温泉郷で標高560mの高所にある。絶えず噴煙を上げる長径70m、短径30mの大湯沼が温泉郷に隣接しており周囲を圧している。この大湯沼は水面に珍しい硫黄球が浮遊し、学術上貴重なものとなっている。  ニセコ湯本温泉の湯元は大湯沼。泉質は単純硫黄泉-硫黄泉が主なものとなっている。  宿は2軒で、いずれも...

京極の噴出しの写真

京極の噴出し ( 北海道 京極町 )

後方羊蹄山(しりべしやま)の北西山麓にある道の駅「名水の郷きょうごく」に隣接してある「ふきだし公園」に、後方羊蹄山から大量に噴き出す湧水がある。「ふきだし公園」は後方羊蹄山腹から湧出する清澄な水を利用してつくられた自然公園。  噴出し湧水は、後方羊蹄山に降った雨や雪が数十年の歳月をかけて地下に浸透し、京極のこの地に...

夕張岳の写真

写真提供:夕張市

夕張岳 ( 北海道 夕張市 / 北海道 南富良野町 )

南富良野町の西端、夕張市との境界に位置し、標高は1,667.8m。夕張山地は日高山地とともに北海道には珍しく非火山性の構造山地*である。  登山口は西側の冷水からと東側の金山からの2か所。原生林を縫って登山道が開かれ、標高1,400mを超えた高山帯には夕張岳固有の植物が生育しており、豊かな自然環境を有することから、国の天然記念物に...

安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄の写真

写真提供:安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄

安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄 ( 北海道 美唄市 )

安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄は、札幌から北東へおよそ60km、石狩平野のほぼ中心の美唄市にある野外彫刻公園。JR函館本線美唄駅からバスで19分。「アルテピアッツァ」はイタリア語で「芸術広場」。  かつての炭鉱都市であった美唄市に、閉校した小学校校舎や体育館を改修し、姿をほぼそのままに残し、美唄出身の世界的彫刻家・安...

石狩川の写真

石狩川 ( 北海道 滝川市 / 北海道 石狩市 )

大雪山系の石狩岳に水源をもつ石狩川は層雲峡をつくり、上川盆地・空知平野・石狩平野を流れる。途中、忠別川・雨竜川・空知川・幾春別川・夕張川・千歳川・豊平川などを併せ、石狩市で日本海に注ぐ。日本で3番目に長い川約268kmで、流域面積は約14,330km2全国2位の大河である。  石狩川の語源は、アイヌ語のイシカラ・ペツ「非...

雨竜沼湿原の写真

写真提供:中村稜太

雨竜沼湿原 ( 北海道 雨竜町 )

暑寒別連峰に囲まれた、標高850mの高原にあるスケールの大きな高層湿原*。東西約2km南北約1kmにわたる湿原には、大小100を超す池塘(ちとう)が点在し、その池塘には浮島*が浮遊して約150種類の湿原性植物がみられる。  雨竜町市街から道道432号線を西側に26km、車で45分のところに登山口の南暑寒荘がある。その後、徒歩で標高差300m、3....

北竜町ひまわりの里の写真

写真提供:北竜町

北竜町ひまわりの里 ( 北海道 北竜町 )

北竜町は旭川市の西側、国道12号と道道57号で約46kmの距離にあり、暑寒別岳を主峰とする増毛山脈と、その支脈が町内を走り、全面積の70%が山林となっている。北竜町ひまわり里は町の中心部から北側に1.6kmにあり、面積23万2、約200万本のひまわりが8月上旬に咲く。毎年7月下旬から8月下旬に「ひまわりまつり」が開催され、ひまわ...

上野ファームの写真

写真提供:上野ファーム

上野ファーム ( 北海道 旭川市 )

北国ならではの開花期や鮮やかな花の色など、北国の気候風土で育つ植物がつくりだす庭を「北海道ガーデン」ととらえ、四季折々に開花する宿根草を中心に整備された庭。代表的な「マザーズガーデン」「ミラーボーダー」をはじめ、「白樺の小道」「ロングボーダー」「サークルボーダー」「木の声が聞こえる庭」「射的山」など、計算されたコン...

旭川市旭山動物園の写真

写真提供:旭川市旭山動物園

旭川市旭山動物園 ( 北海道 旭川市 )

旭川駅の東側約11km、桜と紅葉で有名な旭山公園の丘陵に位置し、敷地面積約15.2万2、飼育動物点数101種/639点(2023年10月現在)の動物園。  1967(昭和42)年に日本最北の動物園として開園し、物珍しさもあり人気となったが施設の老朽化とともに徐々に入園者が減少し閉園の危機もあった。しかし理想の動物園を作る夢を貫き、19...

原始ヶ原の写真

原始ヶ原 ( 北海道 富良野市 )

十勝岳連峰の最南に位置する富良野岳の南側斜面の標高1000~1300m地点に広がる中・高層湿原。総面積は1.15km2にも及ぶ。富良野岳山頂を目指す富良野市側からの入口となる原始ヶ原登山口から登山ルートを歩くとここを通過することになる。まさに手付かずの自然という場所で、その名の通り原始的な風景が広がっており、木道をはじめ...

芦別岳の写真

芦別岳 ( 北海道 富良野市 / 北海道 南富良野市 / 北海道 芦別市 )

夕張山地の中心で標高1,727m、山頂部は富良野市と南富良野町の境界にある。富良野市の西端にそびえ、「北海の槍」とか「北海谷川岳」の別称をもつ尖峰の山頂部と数多くの岩稜や岩壁から成る山である。  山名の芦別はアイヌ語の「アシ・ベツ」で灌木の川を意味し、芦別岳から西に流れる芦別川からきていると言われている。  登山道は富良野市...

大雪山の写真

大雪山 ( 北海道 東川町 / 北海道 上川町 / 北海道 美瑛町 )

北海道の大屋根といわれる大雪山は独立峰ではなく、旭岳をはじめとしたお鉢平を囲む外輪山とそれらの南部に続くトムラウシ山までの東西約15km、南北約10kmにわたる火山群の総称であり、表大雪とも呼ばれ、大雪山国立公園の北部に位置する。  大雪山は約100万~3万年前にかけて複数の火山活動により形成され、中でも約3万4千年前の大規模な...

十勝岳連峰の写真

写真提供:環境省

十勝岳連峰 ( 北海道 美瑛町 / 北海道 上富良野町 / 北海道 富良野市 / 北海道 新得町 )

十勝岳連峰は、富良野盆地の東側に位置する。富良野岳からオプタテシケ山までの約30kmにわたり、火山性の山々が延々と連なる。最高峰の十勝岳を中心に起伏のある稜線が広がり、深く切れ込んだ谷や岸壁が連続している。  富良野側からの主な山は以下の通り。富良野岳(1912m)、上ホロカメットク山(1920m)、十勝岳(2077m)、美瑛岳(2052m)、美...

トムラウシ山の写真

写真提供:環境省

トムラウシ山 ( 北海道 新得町 / 北海道 美瑛町 )

十勝川の源流トムラウシ川の水源の山で標高2,141m。表大雪と十勝岳連峰の中間に位置し、独立峰ではないものの、他の山々の主峰から遠くひと際高く目立つ存在である。  トムラウシの語源はアイヌ語で「緑の藻の一種が群生するところ」からという説や、温泉鉱物の湧く沢の「水垢の多いところ」からという説など、諸説ある。  登山道は表大...

沼ノ平の写真

写真提供:環境省

沼ノ平 ( 北海道 上川町 / 北海道 東川町 )

沼ノ平は、旭岳北西の標高1400mに位置する高層湿原である。愛山渓温泉登山口から約90分で高層湿原の入口に至る。 湿原には大小多くの池塘*が広がり、タチギボウシやワタスゲなどの花が咲く。湿原からさらに90分ほど登ると、当麻乗越(とうまのっこし)に至る。当麻乗越から見下ろす大小様々な池塘群は「神遊びの庭」と呼ばれる。

沼ノ原の写真

写真提供:環境省

沼ノ原 ( 北海道 上川町 / 北海道 新得町 )

北海道中央部にある大雪山系、その中央部に位置する。標高1,420m~1,460mの溶岩台地上に発達した高層湿原*で、南北約1.2km、東西約1kmの広さをもつ。別名「大雪山の奥庭」とも呼ばれ、国の天然記念物にも指定されている。  旭川紋別自動車道上川層雲峡Icから約50kmでクチャンベツ沼ノ原登山口に到着。登山口から沼ノ原湿原までは、標準的...

朱鞠内湖の写真

朱鞠内湖 ( 北海道 幌加内町 )

1943(昭和18)年の雨竜第一ダムの完成によって生まれた日本最大級の湛水面積(広さ23.73km2)をもつ人造湖。周囲の山々の地形によって、リアス式海岸のような入り組んだ湖岸となっており、大小の13の島々が浮かぶ様子や、周囲の原生的な森林によって、自然湖を思わせる景観である。内陸に位置し、標高は高く(湖面標高282m)、盆...

層雲峡の写真

層雲峡 ( 北海道 上川町 )

大雪湖から上川町中心街に向かって流れる石狩川上流域に形成された延長20数kmに及ぶ大峡谷である。両岸には高さ約200mの溶結凝灰岩による柱状節理がみられる。この大峭壁には、雪渓からの流れが多くの滝となって落ち、周囲の原生林とともに雄々しい景観をみせている。なかでも代表的なのは、流星の滝と銀河の滝。流星の滝は落差90mあり、雄滝...

天塩川の写真

天塩川 ( 北海道 音威子府村 / 北海道 天塩町 )

北見山地の天塩岳(標高1558m)を水源とし、北へ向かって流れ、天塩町で日本海に注ぐ川である。本流の長さは256kmあり、北海道内では石狩川に続き2番目に長く、日本国内でも4番目の長さとなる長流河川である。アイヌ語の「テッシ(簗・やな:魚を獲る仕掛け)・オ(多い)・ペッ(川)」が語源であり、岩が簗(やな)のような形で川を横断し...

天人峡の写真

天人峡 ( 北海道 東川町 )

大雪山国立公園の南東山麓、忠別岳から流れ出る忠別川の上流に位置する。約3万年前に起きた巨大噴火による火砕流がもとになり、長い年月をかけて形成された柱状節理が天人峡のシンボルとなっている。特徴的な岩には名前が付けられ、巨大な一枚岩から清水が流れる姿がまるで泣いているように見える「涙岩」や、柱状節理が7本等間隔で並んだ様...

美瑛の丘の農村風景の写真

美瑛の丘の農村風景 ( 北海道 美瑛町 )

大雪山十勝岳連峰のすそ野に位置する、南方の富良野盆地と北側の上川盆地を分ける丘陵地帯の風景。十勝岳の噴火に伴い押し寄せた溶岩や、降り積もった火山灰により形成された傾斜地が小さな河川によって浸食されてできた地形で、美瑛川などの河川がつくる幅の広い谷床には水田が開けているのに対し、大きくうねる幾重にも連なった丘は馬鈴薯...

層雲峡温泉の写真

層雲峡温泉 ( 北海道 上川町 )

上川町の層雲峡地区のほぼ中間地点にあり、十数軒のホテル・旅館・民宿・ぺンション、共同浴場などによる温泉街を形成している。安政年間(1854~60年)の発見といわれ、この地域ではもっとも古くに開けた温泉。近代的な温泉地としての利用は1950年代になってから。温泉街には、ホテルや旅館の他にも、足湯、層雲峡博物館や層雲峡ビジターセ...

白金 青い池の写真

白金 青い池 ( 北海道 美瑛町 )

JR富良野線美瑛駅から十勝岳に向かって南東に17kmほどのところにある。さらに3.5kmほど十勝岳の山懐に入れば白金温泉がある。  水面が鮮やかな青い色*1をみせている青い池は、1988(昭和63)年に噴火した十勝岳の火山泥流対策のため建設された美瑛川畔の堰堤。水面が青く見える理由は、美瑛川の上流において、十勝岳から流れ出る硫黄沢川や...

暑寒別岳の写真

写真提供:増毛町

暑寒別岳 ( 北海道 増毛町 / 北海道 雨竜町 )

暑寒別岳は札幌市北部、日本海に面した増毛山地の最高峰で標高1,492m。日本海に直面しているため積雪量も多く、春になっても白く輝く山である。  山頂からは西側の日本海や東側の雨竜沼湿原も望め、天気の良い日には大雪山や積丹なども間近である。  登山ルートは様々な方向から延びているが、一般的なルートは、増毛市街地からの2つのル...

利尻山の写真

利尻山 ( 北海道 利尻富士町 )

利尻島は直径約19km、周囲約60kmのほぼ円形の島であり、島全体が利尻山で構成されているため、まさに海上に浮かぶ山。隣の礼文島が平坦であるのに対し、円錐形の美しい山からなる島と対照的である。  利尻山は海抜1,721mの火山であるが、活動が早く終わっているため火口跡などは明らかでない。夏期以外は完全に雪と氷の山で、まったく人を...

サロベツ原野の写真

サロベツ原野 ( 北海道 豊富町 / 北海道 幌延町 )

サロベツ原野は、北海道北部の日本海側に位置する、東西約5~8km、南北約27km、面積67km2を誇り、その一部は日本最大といわれる高層湿原である。多種多様な湿原植物と水生植物の宝庫であり、湿原内の湖沼は渡り鳥の中継地であることから、2005(平成17)年にラムサール条約湿地として登録された。  サロベツ原野の観光拠点は、...

クッチャロ湖の写真

写真提供:浜頓別町

クッチャロ湖 ( 北海道 浜頓別町 )

浜頓別町市街の西方に位置する。かつて陸地に浸入した海の湾口部に、砂州や砂嘴などがつくられ、閉ざされてできた海跡湖。周囲は30kmで、大沼(長径5.5km)と小沼(長径3km)の2つの沼が細い水路によって繋がり、変形した瓢箪型をしている。平均水深1.5mと浅く、標高が低いため、満潮時になると約3km離れたオホーツク海の海水が流れ込む汽水...

礼文島の高山植物群落の写真

礼文島の高山植物群落 ( 北海道 礼文町 )

北海道の北端、稚内市の西方60kmの日本海に位置する最北の離島である礼文島には、レブンアツモリソウ、レブンウエスユキソウやレブンコザクラなど、この島にしか見ることのできない固有種の他、さまざまな高山植物が生育しており、「花の浮島」とも呼ばれている。南北に細長く標高200~300mほどの丘陵性の起伏の続く島のいたるところには、本...

網走湖の写真

写真提供:(一社)網走市観光協会

網走湖 ( 北海道 網走市 / 北海道 大空町 )

網走市の南西部から女満別町にかけたところに位置する周囲約39kmの汽水湖。かつては海の一部だったものが、海水面の変動や漂砂などによってできた海跡湖である。網走川によってオホーツク海と結ばれ、潮の干満により流入した海水は湖の地形と比重の違いによって湖の底に沈み、上層の淡水層と下層の塩水層とは混じり合うことのない二層構造を...

能取岬の写真

能取岬 ( 北海道 網走市 )

網走市内の北側に位置する、ゆるやかな弧を描く海岸線がオホーツク海に突きでた岬。砂浜が続くオホーツク沿岸にあって、知床半島、神威岬と並び、およそ40~60mの高さの断崖絶壁がせりだした地形である。アイヌ語の「ノッ・ホロ(岬・の所)」に由来している。断崖の上は比較的平坦で、先端には1917年建築の白と黒に塗りわけられた灯台が立つ...

オホーツク海沿岸の流氷の写真

写真提供:(一社)網走市観光協会

オホーツク海沿岸の流氷 ( 北海道 紋別市 / 北海道 網走市 )

流氷はオホーツク海沿岸の海一面を覆いつくす氷の塊で、紋別、網走、知床でみられる。海水が凍ってできる氷は「海氷(かいひょう)」といい、海氷として動く氷を「流氷」と呼ぶ。海水は真水に比べ凍りにくく、約-1.8℃で結氷する。  11月下旬アムール川河口付近で生まれた流氷*は、サハリン北方の海岸に凍りつき動かなくなり、もっと北の...

博物館網走監獄の写真

写真提供:博物館 網走監獄

博物館網走監獄 ( 北海道 網走市 )

網走湖の東北岸、天都山麓にある1912(明治45・大正元)年に建てられた網走監獄(現網走刑務所)の旧建造物を保存公開する野外歴史博物館。舎房及び中央見張所(重要文化財)、庁舎(重要文化財)、二見ヶ岡刑務所(重要文化財)、教誨堂(重要文化財)、煉瓦造り(登録有形文化財)、網走刑務所裏門(登録有形文化財)、哨舎(登録有形文化...

斜里岳の写真

写真提供:きよさと観光協会

斜里岳 ( 北海道 斜里町 / 北海道 清里町 )

知床半島の付け根の清里町と斜里町の境界にあり、緩やかな円錐形の火山で標高1,547m。頂上からは国後島や阿寒の山々を望む。斜里の語源はアイヌ語の「サルン・ペッ」で葦原にある川の意。  登山道は北側の斜里コースと一般向きの西側の清里コースがある。裾野の広いピラミッド型が印象的。

羅臼岳の写真

羅臼岳 ( 北海道 羅臼町 / 北海道 斜里町 )

知床半島の中間部、羅臼町と斜里町の境界線上にある標高1,661mの山。特徴のあるドーム状の形状で、岩場あり雪渓ありと変化に富んでいる。高山植物*も豊富で、約200種にものぼる。  羅臼岳から硫黄山、知床岳への連山が知床半島に連なる。  羅臼の山の名*は「鹿や熊を捕獲、解体した後で臓腑や骨を葬った場所」という意味。  登山ルー...

知床五湖の写真

写真提供:知床斜里町観光協会

知床五湖 ( 北海道 斜里町 )

知床山系の山裾に広がる原生林の中に点在する大小5つの火山性堰止湖。それぞれ一湖、二湖と番号で呼ばれ、一番大きいのが二湖、小さいのが五湖である。流入、流出する川はなく、五湖の水は湖底の岩を伝い、知床半島の断崖(五湖の断崖)にしみ出している。五湖全てを周る大ループと呼ばれる地上遊歩道は1周3kmで、コースタイムは約1時間30分...

サロマ湖の写真

サロマ湖 ( 北海道 佐呂間町 / 北海道 湧別町 )

オホーツク海岸の北見市、佐呂間町、湧別町の3つの市町にまたがる周囲約90km 、面積約152km2を誇る北海道内では最も大きな湖である。日本全体では、琵琶湖、霞ヶ浦に次いで第3番目。もとはオホーツク海に接する湾状の地形だったが、湾口に堆積した砂が海と湖を隔てる砂州となり、現在のような湖になった。20km以上の細長い砂州で...

カムイワッカ湯の滝の写真

写真提供:斜里町

カムイワッカ湯の滝 ( 北海道 斜里町 )

ウトロ中心街から陸路で25kmほど知床半島の中に入った場所に位置する。硫黄山を源流とするカムイワッカ川の中流域に相当し、活火山である知床硫黄山の中腹から涌き出る温泉が川に流れ込み、川全体が流れる温泉のようになっている。ところどころに滝状に水が落下する箇所があり、それぞれの滝壺は天然の露天風呂である。「カムイワッカ」とは...

知床半島の海岸の写真

知床半島の海岸 ( 北海道 斜里町 / 北海道 羅臼町 )

知床半島は北海道の東北端から北北東に突き出た半島で、長さ約65km、幅は基部で約25km。北側(ウトロ側)はオホーツク海に面し、南側(羅臼側)は根室海峡をはさんで国後島に相対している。知床半島はアイヌ語では「地の涯て」を意味する「シリエトク」と呼ばれている。海岸線は切り立った崖であり、ウトロ側はおよそ20~30mの海岸段丘となっ...

小清水原生花園の写真

小清水原生花園 ( 北海道 小清水町 )

JR釧網本線の浜小清水駅から北浜駅の間に広がる、オホーツク海と濤沸湖に挟まれた約8km、約2.75km2の細長い砂丘に形成された原生花園。国道244号を挟んで濤沸湖側の湿原にはアヤメが群生し、海側の砂丘にはハマナス・エゾキスゲ・エゾスカシユリなどが密生する。4月末から9月いっぱいにかけて、200種類にも及ぶ植物を見ることがで...

濤沸湖畔の原生花園の写真

濤沸湖畔の原生花園 ( 北海道 小清水町 )

濤沸湖は、網走市と小清水町にまたがる汽水湖である。オホーツク海に面した遠浅の湾が、潮の満ち引きによって作られた砂嘴によって塞がれた潟湖の一種で、周囲27.3km、総面積9km2。アイヌ語で沼の口を意味する「トープッ(to-put)」を語源とし、かつてはアイヌ語の別名で「チカプントー(鳥がいつもいる沼)」とも呼ばれてたように...

芝ざくら滝上公園の写真

写真提供:滝上町

芝ざくら滝上公園 ( 北海道 滝上町 )

芝ざくら滝上公園は滝上町の小高い丘を中心にした公園。1954(昭和29)年の洞爺丸台風の被害により公園内の桜の木が壊滅状態になった。これを受けて当時の公園管理者が1957(昭和32)年にお寺の境内に咲いていたシバザクラをミカン箱一つ分譲り受け、公園に植えたのが芝ざくら公園の発端である。1959(昭和34)年に、管理者の友人が町長にな...

樽前山の写真

樽前山 ( 北海道 苫小牧市 )

樽前山は北海道道央地方にある支笏湖の南側、苫小牧市の北西部に位置する三重式活火山で、標高は最高点の樽前ドームで1,041m。  江戸時代には大噴火を起こし、苫小牧から千歳市周辺に大量の火山灰と軽石を堆積させた。特に1909(明治42)年の爆発で頂上火口内に溶岩円頂丘*を生成したことで、その姿は一度目にしたら忘れられない独特の姿...

登別温泉の写真

登別温泉 ( 北海道 登別市 )

登別駅の北8km、標高200mの原生林に囲まれた温泉。多種に及ぶ多彩な泉質と豊富な湯量で、北海道を代表する温泉地のひとつであり海外でも知名度が高い。温泉街の入り口に位置する道南バス登別温泉ターミナルから地獄谷の入口にかけて、旅館、みやげ物店、飲食店が多数並んで賑わいを見せている。また周囲には、大湯沼、四方嶺、倶多楽湖と探勝...

有珠山の写真

有珠山 ( 北海道 壮瞥町 / 北海道 洞爺湖町 / 北海道 伊達市 )

洞爺湖から内浦湾に至る地域での活火山の王者であり標高は733m。山頂部は成層火山*の上部が陥落して、直径1.8kmのカルデラ*となり、そのなかには3個の溶岩ドーム(大有珠、小有珠、有珠新山)に加え多数の潜在ドーム*を持っている  有珠山は、1663年以降、明らかになっているだけで9回、20世紀だけでも4回(1910(明治43)年、1944~194...

昭和新山の写真

昭和新山 ( 北海道 壮瞥町 )

洞爺湖の南、有珠山の東麓にあり、標高は395m。茶褐色の岩肌から白煙を噴出し、どこから見てもすぐわかる独特な山容をもっている。  1943(昭和18)年12月28日の夕刻、突然地震があり、地割れとともに麦畑や松林が隆起、数百回の爆発が繰り返された。それから約2年間、噴煙・降灰・泥雨・雷電を伴う数回の爆発によって、畑地は約300mも押し...

洞爺湖の写真

写真提供:洞爺湖町 経済部観光振興課

洞爺湖 ( 北海道 洞爺湖町 / 北海道 壮瞥町 )

北海道の南西部に位置する支笏洞爺国立公園のほぼ中心にあり、面積約70km2、約11万年前の巨大噴火によって形成されたカルデラ湖。カルデラ湖では日本で3番目に大きい円形の湖である。湖の中央部には溶岩円頂丘*の中島(大島、観音島、弁天島、饅頭島)が浮かび、いずれもミズナラ、イタヤカエデなどの広葉樹林で覆われており、中...

倶多楽湖の写真

写真提供:一般社団法人白老観光協会

倶多楽湖 ( 北海道 白老町 )

登別温泉街の東3.5kmにあり、大湯沼を経て湖岸に通じている。俱多楽火山の噴火により形成されたカルデラ湖であるという説が有力という。湖の面積は4.7km2、水深148m、周囲約8kmのほぼ「まる」の形をしており、肢節量(1.01*)はカルデラ湖において全国1位である。  また、透明度(22.0m*)は摩周湖に次いで全国第2位、水質(c...

幌尻岳の写真

写真提供:平取町役場 観光商工課

幌尻岳 ( 北海道 新冠町 / 北海道 平取町 )

幌尻岳は、日高山脈の最高峰で、標高2,052mの奥深い健脚向きの山。夏には一面高山植物のお花畑となるカール*状大地や豊富な動植物群、山頂からは幾重にもなる日高山脈の山並みが一望できるなど、魅力あふれる山として人気がある。  登山口は額平川コース(平取町)、新冠コース(新冠町)、チロロ林道コース(日高町)があるが、いずれも...

襟裳岬の写真

写真提供:えりも町役場 産業振興課

襟裳岬 ( 北海道 えりも町 )

造山運動によって形成された南北150kmにわたって2,000m級の山々が鯨の背骨のように連なる日高山脈が、太平洋に落ち込むところが襟裳岬である。この岩礁地帯は襟裳岬展望台*から沖合2kmかけて海へと沈み、海面下でも6km先まで続いている。日高山脈がそのまま太平洋に沈みこんでいることを表している。常に風が強く、ここには高い樹木は見られ...

二十間道路の桜並木の写真

二十間道路の桜並木 ( 北海道 新ひだか町 )

峰々が連なる日高山脈を背に、太平洋を望む道内では比較的温暖な新ひだか町(日高町の南東に位置する)内を流れる静内川右岸沿いの道道より一本外側の道路の両側に、直接7kmにわたり咲き誇る桜並木である。1872年、北海道開拓使長官黒田清隆により北海道産馬の改良を目的として日高管内の静内・新冠・沙流の三郡に及ぶ約7万haの広大な用地に創...

アポイ岳高山植物群落の写真

アポイ岳高山植物群落 ( 北海道 様似町 )

アポイ岳(810m)は標高が低いにもかかわらず、山腹には約80種の高山植物が生息し、5月初旬から10月頃までの間に入れ替わりに花が咲く。北海道の他の山では通常なら標高1,000m以上でしか見られない高山植物がアポイ岳では約350mの5合目付近から姿を見せ始める。また、このうちの固有な植物は20種近くに及び、これほど固有な植物が集中する地...

日高の競走馬牧場群の写真

写真提供:日高町

日高の競走馬牧場群 ( 北海道 日高町 )

日高地方はサラブレッド(競走馬)の生産地として名高く「優駿*のふるさと」とも呼ばれている。この地方には競走馬の牧場が約1,100戸、約20,000頭の馬がおり、日本の競走馬の8割を占めるというデータもある。北海道のなかでは気候が温暖であり、雪も少ないため昔から馬が育てられてきたということが大きな理由の一つである。  歴史を振り...

日高のコンブ干しの写真

日高のコンブ干し ( 北海道 新ひだか町 )

浦河町からえりも町にかけた海岸沿いでは、白い砂利を敷き詰めた「干場」が点在し、漁獲されたコンブが天日干しのために並べられる。天然コンブの好漁場として知られるこのエリアでは、7月上旬から一斉にコンブ漁がスタートし、9月下旬、遅いときで10月中旬まで続く。この季節には前浜から数十メートル先の岩礁地帯が漁場となり、漁師たちは「...

ばんえい競馬の写真

写真提供:ばんえい十勝

ばんえい競馬 ( 北海道 帯広市 )

世界で唯一、帯広競馬場で開催されている「ばんえい競馬」。古くから農耕馬として人々を支えてきた体重約800~1200kg前後のばん馬が、重量物を積載した鉄製のそりを曳き、2か所の障害(台形上の小山)が設置された直線200mのコースを走る競馬だ。障害を越えることが勝敗を分けるため、コースを一目散に走りきるのではなく、途中で止まり息を...

然別火山群の写真

写真提供:鹿追町役場ジオパーク推進課

然別火山群 ( 北海道 士幌町 / 北海道 上士幌町 / 北海道 鹿追町 )

大雪山国立公園南東部、然別湖を囲む南・北ペトウトル山、東・西ヌプカウシヌプリ、天望山、白雲山などの約30-1万年前に活動を繰り返した火山群。  主峰は然別湖の北西に位置する北ペトウトル山で標高1,421m。南ペトウトル山は然別湖の西にあり標高1,348m。然別湖の南に位置する山は、西から西ヌプカウシヌプリ1,251m、東ヌプカウシヌプリ1...

オンネトーの写真

オンネトー ( 北海道 足寄町 )

阿寒湖温泉の南西部、国道240号線経由で約20km、エゾマツ・トドマツを主体とした亜寒帯性の針広混交林原生林に包まれた神秘的な湖。湖の周囲長は約2.5km、湖沼面積0.23km2、最大水深は約10m。阿寒湖からの道の途中には雌阿寒温泉があり、また赤褐色の水をたたえる錦沼もある。  アイヌ語で「老いた沼・大きい沼」の意の火山堰止湖...

然別湖の写真

然別湖 ( 北海道 鹿追町 / 北海道 上士幌町 )

大雪山国立公園の南東隅に位置する約3万年前の噴火で川がせき止められて出来た堰止湖。周囲は約13km、標高810mの高所にあり、最深部は約100mの大雪山国立公園唯一の自然湖である。火山の噴火により湖岸の出入は複雑で、北からヤンベツ川が流入し、南西からトウマベツ川が流出する。複雑な湖岸線に9つの湾を形成し、湖北には弁天島がある。 湖...

旧国鉄士幌線アーチ橋梁群の写真

旧国鉄士幌線アーチ橋梁群 ( 北海道 上士幌町 )

上士幌町の市街地から糠平、十勝三股の山岳森林地帯を南北に貫く国道273号に並行して所々に見かける、かつての国鉄士幌線で使われたコンクリート造りのアーチ橋梁群。1987(昭和62)年に鉄路が廃止になり、現在は東大雪の開拓の歴史を伝える近代産業遺産として残されている。  このうちタウシュベツ川橋梁(通称めがね橋)は、ダム(糠平湖...

ニペソツ山の写真

写真提供:上士幌町観光協会

ニペソツ山 ( 北海道 新得町 / 北海道 上士幌町 )

東大雪の糠平湖北西に位置し、石狩連峰の最高峰標高2,013mの急峻な山容を持つ独立峰。溶岩の積み重なった岩場にエゾナキウサギ*が生息し、時折岩の隙間から姿を現すことがある。  2016年の台風被害により杉沢コースに至る林道が消失したため、現在は幌加温泉コースの登山道のみ利用可能となっている。  語源はアイヌ語の「ニペシ・オツ...

雌阿寒岳の写真

雌阿寒岳 ( 北海道 釧路市 / 北海道 足寄町 )

釧路市阿寒湖の南西部に位置し、標高1,499mの活火山。阿寒カルデラが陥没した反動でカルデラ壁上に噴出した火山である。頂上付近は多くの小火山や火口が集まり複雑な形状をしている。  山麓付近はエゾマツなどの原生林、7合目以上には高山植物が見られる。  登山道は3か所あるが、西側の雌阿寒温泉とオンネトー湖畔からが一般的である。

雄阿寒岳の写真

雄阿寒岳 ( 北海道 阿寒町 )

釧路市阿寒湖の東に位置し、標高1,370mの円錐形をした山である。阿寒湖南西部の雌阿寒岳に対して、その山容のするどさから雄阿寒岳と呼ばれ、アイヌ語ではピンネシリ(=雄山)という。  阿寒カルデラ*陥没の反動により、カルデラ中心部に噴出した中央火口丘が山頂であり、輝石安山岩・橄欖(かんらん)石*などの溶岩流で構成されている...

阿寒湖の写真

阿寒湖 ( 北海道 釧路市 )

JR根室本線釧路駅から北へ約65km、雄阿寒岳(標高1370m)、雌阿寒岳(標高1499m)などの山並みの懐に抱かれ横たわる、やや菱形をした湖。湖岸の出入りは複雑で、北方からイベシベツ川、西方から尻駒別川といった数多くの河川が流入し、東南から阿寒川となって流れ出る。湖にはオンネモシリ(大島)・ポンモシリ(小島)・ヤタイモシリ・チュ...

ペンケトー・パンケトーの写真

ペンケトー・パンケトー ( 北海道 釧路市 )

阿寒湖温泉街の北東、直線距離で7~8kmに位置する二つの湖。ペンケトーは面積0.3km2、周囲長3.9km、透明度は15.9mで全国5位、下流のパンケトーは面積2.83km2、周囲長12.4km、透明度は11.3mで全国8位の透明度を誇る。  数十万~15万年前の火山活動によってできた長径24km、短径13kmという広大な阿寒湖カルデラのなか...

阿寒湖のマリモの写真

写真提供:釧路市教育委員会

阿寒湖のマリモ ( 北海道 釧路市 )

緑藻類、淡水産アオミソウ科の一種で、世界の寒冷地の湖に産する。マリモは濃緑色の細い藻が中心から放射状に生えビロード状の球状をなすが、球状にならず糸状体の細い藻のみが、ばらばらに生長した房状のものも多い。球形のマリモの大きさは豆粒大から6~8cmほどが平均的であるが、阿寒湖では30cmを超えるものもみられる。  日本におい...

アイヌ古式舞踊(阿寒湖アイヌシアターイコㇿ)の写真

写真提供:阿寒アイヌ工芸協同組合

アイヌ古式舞踊(阿寒湖アイヌシアターイコㇿ) ( 北海道 釧路市 )

北海道一円に居住しているアイヌの人々*1によって伝承されている歌舞。アイヌ独自の信仰に根ざし、信仰と芸能と生活が密接不離に結びついているところに特色がある。  熊送り・梟祭り・菱の実(ベカンベ)祭り・柳葉魚(シシャモ)祭りなどのアイヌの主要な祭りに踊られる儀式舞踊のほか、家庭における各種行事の祝宴、作業歌舞、娯楽舞踊...

アトサヌプリ火山群の写真

写真提供:一般社団法人摩周湖観光協会

アトサヌプリ火山群 ( 北海道 弟子屈町 )

アトサヌプリは屈斜路カルデラ*の中央部に形成されたアトサヌプリ火山群*中の標高508mの山で、別名硫黄山とも呼ばれている。現在も活発に火山活動が続いている山、独特な景観を生み出している。  この地域は、かつて硫黄の採掘で栄えたものであり、この地に鉄道を敷設させるとともに川湯温泉の発展につなげていったという歴史をもつ。た...

別寒辺牛湿原の写真

写真提供:厚岸町観光商工課

別寒辺牛湿原 ( 北海道 厚岸町 / 北海道 標茶町 )

厚岸湖に流れ込む大別川の上流にある湿地。この湿原が知られるようになったのは比較的新しく、1983(昭和58)年に「厚岸観光十景」を選定したときに、選定された湿原に「別寒辺牛」という名称を冠してからである。さらに1993(平成5)年に「厚岸湖・別寒辺牛湿原」がラムサール条約の登録湿地となったことから急速に注目されるようになった。...

摩周湖の写真

写真提供:弟子屈町役場 観光商工課

摩周湖 ( 北海道 弟子屈町 )

釧網本線摩周駅から摩周湖*1第3展望台まで北へ道道52号線経由で約10km、同じく川湯温泉駅から第1展望台まで南東へ約10km。水の出入の見られぬ勾玉状の湖(長径約7km、短径約3km、面積19.6km2)で、湖心にカムイッシュと呼ばれる小島が浮かぶ。湖面標高は352m、最大深度は212mで、現在の透明度*2は20m前後とされる。周囲は150~350m...

屈斜路湖の写真

屈斜路湖 ( 北海道 弟子屈町 )

東西約26km、南北約20kmの阿蘇をしのぐ屈斜路*大カルデラ*の北西部にある淡水の大火口原湖で、阿寒摩周国立公園中最大の湖である。摩周火山の堰き止めによって生じたものと考えられるが、周囲には湖岸段丘が発達し、3回に渡って湖面が低下し、湖盆が傾き動いたことが考えられる。  湖面標高121m、湖面積79.4km2、透明度は20m...

川湯温泉の写真

写真提供:一般社団法人摩周湖観光協会

川湯温泉 ( 北海道 弟子屈町 )

弟子屈町の北部にあり、針葉樹林に囲まれ、アトサヌプリ(硫黄山)の噴煙を仰ぐ温泉。温泉は、摩周湖の伏流水がアトサヌプリで熱せられて自噴しているもの。  この地域は、かつて硫黄の採掘で栄えた。この地に鉄道を敷設させるとともに川湯温泉の発展につなげていったという歴史をもつ。ただし鉄道が開設されたことで硫黄の採掘量が飛躍的...

屈斜路湖畔の温泉の写真

写真提供:一般社団法人摩周湖観光協会

屈斜路湖畔の温泉 ( 北海道 弟子屈町 )

北海道東部弟子屈町にある屈斜路湖の東岸に仁伏(にぶし)温泉、砂湯、池ノ湯、和琴温泉が並ぶ。湖畔沿いに、ホテル・旅館・民宿などのさまざまな宿泊施設があるが、ここでの楽しみは、湖岸のどこを掘っても温泉が湧出する砂湯*、岩の間から自然に温泉が湧きだしていて湖畔に露天風呂がある池ノ湯温泉*、和琴半島の付け根に露天風呂のある...

春国岱(根室)の写真

春国岱(根室) ( 北海道 根室市 )

風蓮湖と根室湾を区切る長さ8km、幅1.3kmの長大な島。第一浜堤、第二浜堤、第三浜堤の3つの浜堤からなり、面積は6km2。 春国岱には、山と渓谷を除けば、広葉樹林、針葉樹林、草原、湿原、湖沼・川、干潟、塩性湿地といった北海道の自然のエッセンスがほとんどすべてつめこまれているともいわれている。砂丘上に形成されたアカエ...

羅臼湖の写真

羅臼湖 ( 北海道 羅臼町 )

ウトロと羅臼を結ぶ知床横断道路のほぼ中央部から、西側の樹林帯の中を約3kmほど進んだところにある面積0.43km2、最大水深2.1mの知床国立公園内では最大の湖。道路沿いの羅臼湖入口からダケカンバやトドマツの混交林内に通る歩道を往復するルートは、標高差約70m、四つの沼や湿原を巡るコースで、往復には3~4時間程度が必要。初...

ウポポイ(民族共生象徴空間)の写真

ウポポイ(民族共生象徴空間) ( 北海道 白老町 )

白老駅から北1kmのポロト湖畔に2020(令和2)年にオープンしたウポポイ(民族共生象徴空間)。以前あったアイヌ文化を扱う野外博物館のポロトコタン*の敷地を拡大してアイヌの文化を紹介し、さらにアイヌ文化の復興・創造等を目指した国立の施設として建設されたもの。  愛称のウポポイとはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味し...

鰊御殿の写真

鰊御殿 ( 北海道 小樽市 )

小樽駅の北側、直線距離で約5kmの祝津にある高崎岬の高台にあり、日和山(ひよりやま)灯台やおたる水族館に隣接している。ここにある小樽市鰊御殿は、西積丹泊村から1958(昭和33)年この地に移築されたもと網元*の母屋で、間口29m、奥行13m、面積611.9m2の建物。鰊親方田中福松が1898(明治31)年に建築したもので、田中漁場の...

ポー川史跡自然公園の写真

ポー川史跡自然公園 ( 北海道 標津町 )

ポー川*1史跡自然公園は根室中標津空港から北西に約25km、JR釧網本線知床斜里駅から南東に約52km、根室半島と知床半島の中間、オホーツク海を臨むところにある。公園の総面積は約630万m2で、国の天然記念物に指定されている「標津湿原*2」の一部212万m2、国指定の史跡「標津遺跡群*3」のひとつ「伊茶仁カリカリウス遺...

ひがしもこと芝桜公園の写真

写真提供:株式会社東藻琴芝桜公園管理公社

ひがしもこと芝桜公園 ( 北海道 大空町 )

シバザクラで知られる東藻琴村は、2006(平成18)年に女満別町と合併をして、大空町となった。藻琴山の麓に繰り広がる約10万m2のシバザクラは「ひがしもこと芝桜公園」として整備されている。ここは網走市から車で約45分、女満別空港からは約30分、東藻琴の市街地からは約8kmと至便な地にある。  5月上旬から5月下旬の期間、10...

北海道大学植物園の写真

写真提供:北海道大学植物園

北海道大学植物園 ( 北海道 札幌市 )

札幌市の中央部、北海道庁の西側に隣接した、面積13万3,957m2の植物園。北海道自生植物を中心に約4,000種の植物が育成されており、また世界各地から移植した変わりだねの珍しい植物もある。園内には北方民族植物標本園・高山植物園、温室・冷室とともに北方民族資料室、北海道の動物・考古学の資料の博物館*もある。博物館は北海...

姥神大神宮渡御祭の写真

写真提供:江差観光コンベンション協会

姥神大神宮渡御祭 ( 北海道 江差町 )

函館市の西、渡島半島の日本海に面した江差町の町中にある姥神大神宮*の例大祭で、毎年8月9日~11日の3日間に開催されている。ニシン漁で隆盛を極めていた文化・文政年間(1804~1830)のころ、豊漁を感謝、祈願して行われたのが始まりと言われている。姥神大神宮渡御祭は京都祇園祭に由来したもので、北前船が鰊を京都に運び、京都からは文...

滝瀬海岸(シラフラ)の写真

写真提供:乙部町役場 産業課

滝瀬海岸(シラフラ) ( 北海道 乙部町 )

乙部町は渡島半島の西部の日本海に面しており、南は江差町、北は八雲町に接している。海岸線沿いに江差町から乙部町に入った直後に長さ約500m・高さ約20mの白壁の断崖がそびえ立つ滝瀬海岸がある。  乙部町役場から南に約1.2km、1国道を右折してくぐり岩への駐車場へ。ここから南側に徒歩で500m海岸線を歩いて到達できる。また、2国道を右...

大雪高原温泉の写真

写真提供:大雪山国立公園管理事務所

大雪高原温泉 ( 北海道 上川町 )

大雪山主稜線の高根ヶ原の東斜面のふもとに位置する。ナナカマドやダケカンバ、ミネカエデなどの広葉樹と、エゾマツなどの針葉樹の混交林による森林帯には大小多くの池沼が点在している。標高約1200mの高原温泉を起点にした沼や池をめぐる林間の登山道、大雪高原温泉沼めぐり登山コースが整備されており、1周約7kmの周遊ルートを4時間から5時...

オタトマリ沼の写真

オタトマリ沼 ( 北海道 利尻富士町 )

利尻島の南東に位置する周囲約1.1km、水深約3.5mの島内でもっとも大きな沼である。道路を隔てた海側は、雷泊奇岩で知られる岩礁地帯となっている。沼浦湿原の一部であり、近くには三日月沼がある。沼浦湿原はおよそ7,000年前以前に起きたマグマ水蒸気爆発によってできた火口跡に海面上昇で水がたまり、その後の海退に伴って約4,000年前に誕生...

宗谷丘陵の写真

宗谷丘陵 ( 北海道 稚内市 )

宗谷岬の南部の後背地に広がる標高20~400mまでのなだらかな丘陵地帯。今から約1万年前の氷河期に雨水や川水で削られてできた周氷河地形*である。深い谷はなく、なだらかな波のようにうねる形状をしている。明治の中頃までは丘陵全域にわたりうっそうとした森林が生い茂っていたが、相次ぐ山火事によって、今では一面が宗谷岬牧場による牧草...

盛美園の写真

盛美園 ( 青森県 平川市 )

弘前市近郊に位置し、津軽尾上駅より西に1kmのところにある。庭園は明治時代に作庭した1.2万m2の池泉廻遊式庭園であるが、一部は枯山水になっている。園内には明治文化の面影を残す盛美館や、御宝殿が立つ。  盛美園は武学流*の真髄を示した名園といわれ、築山庭造伝や造庭秘伝書の形式を忠実に再現したもの。清藤家*24代盛美...

種差海岸の写真

種差海岸 ( 青森県 八戸市 )

八戸市の東部、太平洋に面している。蕪島から東の鮫角(さめかど)を南に回って南北約12kmの連続した白い砂浜と岩礁の海岸である。探勝の中心はJR八戸線陸奥白浜駅と種差海岸駅の間、約2kmの海岸が遊歩道で結ばれているエリア。ここの海岸はおだやかな海面を前にして低い段丘が緑の芝におおわれて連続し、一帯は独特の気候に育まれた海浜植物...

蕪島のウミネコの写真

蕪島のウミネコ ( 青森県 八戸市 )

蕪島は八戸市の東、種差海岸の西側に隣接している。もとは離島であり吊り橋がかかっていたが、1943(昭和18)年に埋め立てられ、今は周囲約800m、高さ約17mの陸繋島*である。ウミネコ*の繁殖地として有名。毎年2月頃に3万羽から4万羽と言われるウミネコが飛来して巣を営み、4~5月に産卵、7月末に成長したヒナとともに北へ飛び去る。島に...

櫛引八幡宮の写真

櫛引八幡宮 ( 青森県 八戸市 )

八戸市の南西、国道104号沿いにある。古くから南部家*の総鎮守の社、祈願所であった。1664(寛文4)年に八戸藩が盛岡藩から分立した後、盛岡藩の飛び地として残されたのも南部家にとってそれほど重要であったといえる。本殿は1648(慶安元)年南部重直の造営といわれ、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)*で屋根は切妻であり、屋根の...

八戸えんぶりの写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

八戸えんぶり ( 青森県 八戸市 )

2月17日の早朝、八戸市と周辺の町村から集まった合計30組を越える「えんぶり組」が長者山新羅神社*に奉納した後、神社の行列にお供をし、美しい烏帽子を冠った太夫*がはやしと歌に合わせ市街で一斉に舞う[一斉摺り(いっせいずり)]。郷土色豊かな田楽として重要無形民俗文化財に指定されている。  東北地方各地には初春の祝いに、田植...

八戸三社大祭の写真

写真提供:八戸市観光課

八戸三社大祭 ( 青森県 八戸市 )

毎年7月31日から8月4日に青森県八戸市で行われる神社神道の祭礼でユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されている。八戸市内の龗(おがみ)神社*、長者山新羅(ちょうじゃさんしんら)神社*、神明宮(しんめいぐう)*の三社合同例祭である。 7月31日は前夜祭、8月4日は後夜祭で中3日が本祭である。1日目は「お通り(おとおり...

法光寺の写真

法光寺 ( 青森県 南部町 )

南部町の西南、標高615mの名久井(なくい)岳の東麓にある。青い森鉄道、諏訪ノ平駅から南東約6km、15分の位置である。  平安時代に創建された無量山観音寺が草創と伝えるが、建長年間(1249~1256年)に鎌倉執権北条時頼*が観音寺を廃して当寺を興したと伝わっている。中世には南部氏*と親交をもち、戦国期には東三郎義政の菩提所として...

尻屋崎の写真

尻屋崎 ( 青森県 東通村 )

下北半島の北東端であり、津軽海峡をはさんで北海道恵山岬と相対している。岬付近の海域は、岩礁が多く、潮の目*にもなっているために、むかしから船の墓場として恐れられてきた。岬の先端には高さ32.8mの尻屋埼灯台*がある。  岬付近の台地は緑の草原に牛馬が群れ、明るく牧歌的な風景である。放牧されている馬は寒立馬*(かんだちめ)...

鶴の舞橋の写真

写真提供:鶴田町企画観光課

鶴の舞橋 ( 青森県 鶴田町 )

JR五能線陸奥鶴田駅の東、県道153号線を利用して約7kmで「つがる富士見荘」の駐車場に、そこから徒歩で橋のたもとに着く。1994(平成6)年7月8日、日本一長い木製の三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられたもので、全長300m幅3m、青森県産のひば材の丸太3,000本、板材3,000枚を使った美しい形の橋である。2016年にテレビCM*で知名度が全国規...

大間崎の写真

大間崎 ( 青森県 大間町 )

下北半島の先端、北緯41度33分 本州最北端の岬で、大間崎と北海道との距離は、わずか17.5km。岬の先端には「本州最北端の地」の碑やマグロ一本釣りの町の「マグロ像」*などのモニュメントがあり写真撮影スポットとなっている。また岬から600m離れた海上にある弁天島と大間埼灯台が岬らしさを感じさせ、絶好の写真背景である。弁天島には赤く...

八甲田山の写真

八甲田山 ( 青森県 青森市 / 青森県 十和田市 / 青森県 黒石市 )

青森県の中央、青森市と十和田湖の中間に構える火山で、那須火山帯*に属し、奥羽山脈北端の堂々とした群峰である。1,585mの大岳を最高峰とし、高田大岳、赤倉岳、さらにその南側に連座する櫛ヶ峰、駒ヶ峰、乗鞍岳、横岳などの火山群の総称である。山体を覆うブナやアオモリトドマツの自然林、山稜部の高山植物や湿原など、すぐれた植物相を...

八甲田のブナ林の写真

八甲田のブナ林 ( 青森県 青森市 / 青森県 十和田市 / 青森県 平川市 / 青森県 黒石市 )

八甲田山は青森県の中央、青森市と十和田湖の中間に構える火山で、那須火山帯*に属し、奥羽山脈北端の重鎮である。1,585mの大岳を最高峰とし、高田大岳、赤倉岳、さらにその南側に連座する櫛ヶ峰、駒ヶ峰、乗鞍岳、横岳などの火山群の総称である。  山体を覆うブナやアオモリトドマツの自然林、山稜部の高山植物や湿原など、美しい植物相...

八甲田山の樹氷の写真

八甲田山の樹氷 ( 青森県 青森市 )

八甲田山は青森県の中央、青森市と十和田湖の中間に構える火山で、奥羽山脈北端の重鎮である。1,585mの大岳を最高峰とし、高田大岳、赤倉岳などの火山群の総称である。樹氷とはシベリアからの冷たい風が日本海を越えるときに湿気を多く含み、山岳にぶつかり上昇気流に乗るときに急速冷却され、0℃以下の水分のまま雪山の常緑樹に付着し氷とな...

酸ケ湯温泉の写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

酸ケ湯温泉 ( 青森県 青森市 )

八甲田大岳の中腹、標高約900mの位置にある古くからの湯治場で、国民保養温泉*の第1号に指定されている。江戸時代 1684(貞享1)年に開かれたとされている。酸性の強い硫黄泉のため酢ヶ湯と呼ばれていたと考えられる*。高温自然湧出の源泉を求める湯治客と、十和田奥入瀬の途中に立ち寄る観光客でにぎわう。 最近は豪雪地域の代名詞とし...

青森のねぶた・ねぷたの写真

青森のねぶた・ねぷた ( 青森県 青森市 )

東北三大祭り*のひとつで、短い夏を謳歌するように熱気を帯びた祭りである。「ねぶた」や「ねぷた」などと言われ、名称は各地で若干異なるが青森県内各地域40箇所以上で7~8月に開催されている。禊祓(みそぎはらえ)などその起源*も諸説あるが、古くから大切に受け継がれてきた伝統行事。あかりを灯した巨大な灯籠(=ねぶた)を山車に乗せ...

城ヶ倉渓流の写真

城ヶ倉渓流 ( 青森県 青森市 )

城ヶ倉渓流は十和田国立公園、八甲田山系の大岳、櫛ケ峰、駒ケ峰に源を発して、陸奥湾に注ぐ2級河川の上流部。渓流の岩壁は、第三紀中新世中頃(およそ1千万年前)の火山活動でできた柱状節理*の深く狭い渓谷である。流れの水は、強酸性で魚は生息しておらず、11月から5月までは数メートルの雪に埋もれる厳しい環境にある。  以前は酸ヶ湯...

三内丸山遺跡の写真

三内丸山遺跡 ( 青森県 青森市 )

青森駅の南西約7km車で約20分、青森県立美術館や県総合運動公園に隣接した緑豊かな空間の中にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡は日本最大級の縄文集落跡である。1992(平成4)年から始まった発掘調査では、縄文時代前期~中期(紀元前約3900~2200年 現在から約5900~4200年前)の大規模な集落跡が見つかり、たくさんの竪穴建物跡や掘立...

青森県立美術館の写真

写真提供:©ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2023,Chagall®X0157

青森県立美術館 ( 青森県 青森市 )

青森駅の南西約7km車で約20分、三内丸山遺跡、県総合運動公園に隣接した緑豊かな空間の中にある。三内丸山遺跡と一帯の文化観光拠点として、また青森県の芸術文化を発信することを目的として2006(平成18)年開館している。  展示作品はシャガールの大作「アレコ」の舞台背景画(9mx15m)4点(※第3幕はアメリカフィラデルフィア美術館が所...

ねぶたの家 ワ・ラッセの写真

写真提供:ねぶたの家 ワ・ラッセ

ねぶたの家 ワ・ラッセ ( 青森県 青森市 )

「ねぶたの家 ワ・ラッセ」は2011(平成23)年1月にJR青森駅前の海側にオープンした施設である。ねぶた祭の歴史や魅力を紹介し、ねぶたのすべてを、1年を通じて体感することができる空間である。  入り口から、2階に上がると展示施設の「ねぶたミュージアム」が始まる。ねぶたの由来、歴史、制作工程がトンネル内に紹介され歩きながら学べ...

白神山地のブナ原生林の写真

白神山地のブナ原生林 ( 青森県 西目屋村 / 青森県 鰺ヶ沢町 / 青森県 深浦町 / 秋田県 藤里町 / 秋田県 八峰町 )

白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部の標高約800m~1,250mの山岳地帯、1,300㎢に及ぶ広大な山地の総称で、この地域は人為の影響をほとんど受けていないブナ林が分布している。多種多様な動植物が生息・自生するなど貴重な生態系が保たれており、1,300㎢の山地のうち約170㎢が1993(平成5)年12月に世界遺産(自然遺産)に登録*された。 ...

暗門の滝の写真

写真提供:西目屋村役場

暗門の滝 ( 青森県 西目屋村 )

弘前駅から西へ約35km、車で約1時間の位置にあるアクアグリーンビレッジANMON*が滝の散策拠点施設である。ここから遊歩道で片道約1時間。津軽の母なる川「岩木川」の支流である暗門川にかかる3段の滝が暗門の滝である。  3段の滝は上流から第一の滝、高さ42m、第二の滝37m、第三の滝は26mある。世界遺産緩衝地域内にあり、ブナの原生林も...

十二湖の写真

写真提供:深浦町役場観光課

十二湖 ( 青森県 深浦町 )

JR五能線十二湖駅の東3~4km、白神山地西部の標高150~250mの起伏の多い台地に約4km2にわたって散在する湖沼群。十二湖と呼ばれてはいるが、実際には大小33の湖沼がある。十二湖の東方にある崩山の大崩展望台から見ると十二の湖がその姿を見せるので十二湖の名前がついたという。  湖沼の成因については地すべり地震によって谷...

日本キャニオンの写真

写真提供:深浦町役場観光課

日本キャニオン ( 青森県 深浦町 )

JR五能線十二湖駅の東約2.5km、十二湖の入口にあたる一帯に位置する。濁川上流の渓谷にそびえる大断崖で、山崩れで露出した白い凝灰岩が特異な景勝をつくっている。規模こそはるかに及ばないが、アメリカのグランドキャニオンに似ているので1953(昭和28)年探検家の岸衛の発言*によって日本キャニオンと命名されたという。  日本キャニオ...

黄金崎不老ふ死温泉の写真

黄金崎不老ふ死温泉 ( 青森県 深浦町 )

JR五能線ウエスパ椿山駅*の北約2.5km、黄金崎の海岸にある露天風呂で有名な温泉。眼前に日本海がひろがり、海水浴や海釣りを楽しむことができる。一軒宿で、海辺に混浴の露天風呂があり夕日がみごとである。日帰り利用も可能であるが、時間制限などあるので夕日を楽しむのであれば宿泊したい。露天風呂に出る本館と宿泊専用の宿泊棟があり、...

蔦七沼の写真

蔦七沼 ( 青森県 十和田市 )

南八甲田山麓にある蔦温泉の周辺の樹林の中に点在する湖沼群。蔦沼、鏡沼、月沼、長沼、菅沼、瓢箪沼の順に連なり、少し離れた赤沼と合わせ蔦七沼と総称される。いずれもブナ林に包まれて緑豊かである。最も大きな蔦沼は周囲約1km、コイ・イワナなどが生息する。赤沼だけは温泉から約3km北西へ離れているが、透明度の高いことで知られる。赤...

奥入瀬渓流の写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

奥入瀬渓流 ( 青森県 十和田市 )

奥入瀬川は十和田湖から流出する唯一の河川で八戸市の北で太平洋に注いでおり、全長は約71kmである。その上流部の、「十和田湖畔子ノ口」(とわだこはんねのくち)から「焼山」(やけやま)までの約14kmの区間が奥入瀬渓流である。この区間は、森の中を千変万化して流れ下る渓流美をつくりだし、十和田湖とともに東北の代表的な景勝地となっ...

蔦温泉の写真

蔦温泉 ( 青森県 十和田市 )

八甲田の南東約8km、蔦川の谷と多くの沼に近接した自然美の中にある。発見は約800年前ともいわれ、八甲田の温泉群では酸ヶ湯とともに歴史の古い温泉である。明治の文人大町桂月*が愛したことでも知られ、旅館の近くには墓碑が立ち、ブロンズの胸像もある。  温泉は湯船の足元から湧き出る源泉湧き流しの湯で男女入れ替え制の「久安の湯」...

松見の滝の写真

松見の滝 ( 青森県 十和田市 )

十和田市の西、十和田湖の北部にあり、奥入瀬川支流である黄瀬川の上流の国有林内標高500mに位置する落差90mの滝である。 国道102号 から徒歩で片道約3時間ほど要し、かなり急勾配な箇所もあるのである程度の登山用装備や熊対策などそれなりの覚悟が必要。  松見の滝という名前は滝の両側に自生する松からと言われており、滝は上下二段に分...

仏ヶ浦の写真

仏ヶ浦 ( 青森県 佐井村 )

斧の形をした下北半島の刃の部分、津軽海峡に面した福浦(ふくうら)と牛滝(うしたき)の間約2kmの白い岩の奇岩からなる海岸線である。  名前の由来は、アイヌ語の「ホトケウタ-仏のいる浜」が転訛した結果「仏ヶ浦」と呼ばれるに至ったという説や、「如来の首、十三仏、五百羅漢等の姿が仏像仏具を思わせ、ほとんどが仏の名にちなんでい...

青荷温泉の写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

青荷温泉 ( 青森県 黒石市 )

黒石駅から国道102号で約14km東方の道の駅虹ノ湖、さらにその先を左折して4km、山間の青荷渓流沿いに湧く一軒宿の温泉で、ランプの宿として知られている。国道から左折した後は山道でカーブが続くので注意が必要。駐車場からは徒歩で下り道を進み玄関前広場につく。冬期は積雪で一般車は通行止めで、道の駅虹ノ湖から宿の送迎シャトルバスを...

温湯温泉の写真

温湯温泉 ( 青森県 黒石市 )

弘南鉄道黒石駅の東南約8km、黒石温泉郷*の玄関口にあたり、浅瀬石川沿いにある。昔は湯治主体の温泉で、浴場の廻りには客舎と呼ばれる宿があり自炊しながら2週間ぐらい滞在する湯治客で溢れ、集落内には商店、魚屋、下駄屋、こけし屋、あけびづる細工の籠屋、製材所、映画館まであった。今は湯治客も客舎も減り客舎の跡地に車で訪れる入浴...

岩木山の写真

岩木山 ( 青森県 弘前市 / 青森県 鰺ヶ沢町 )

津軽平野の南西方にあり鳥海火山帯に属する二重式火山。津軽富士と呼ばれる円錐形の独立峰、標高1,625mの青森県最高峰である。山頂部は中央に岩木山、北に巌鬼山、南に鳥海山の3峰に分かれている。  岩木山は火山でありその活動の大部分は第四紀洪積世*に行われたと言われているが、最後の爆発は1863(文久3)年であり新しい火山といえる。...

弘前城の写真

写真提供:弘前市

弘前城 ( 青森県 弘前市 )

弘前城は弘前市の中心部にあり、本丸・北の郭・二の丸・三の丸・四の丸・西の郭の6つの郭*で構成された平山城である。規模は 東西約500m、南北約1,000m、総面積約50万㎡に及ぶ。濠は三方・三重に巡らされ、西側は蓮池と元は岩木川の流路であった西濠に守られている。  弘前藩代々の居城で、1611(慶長16)年に2代藩主津軽信枚(のぶひら...

弘前城のサクラの写真

写真提供:弘前市

弘前城のサクラ ( 青森県 弘前市 )

弘前城は、弘前藩2代藩主・津軽信枚(のぶひら)が1611(慶長16)年に築城したもの。400年を経た今も当時の城の形が残っており、天守、3つの櫓、5つの城門は国の重要文化財に指定されている。日本屈指のサクラの名所としても有名であり、開花時期にはテレビなどでよく取り上げられている。4月下旬には、ソメイヨシノやヤエザクラなど約2,600...

岩木山神社の写真

岩木山神社 ( 青森県 弘前市 )

岩木山の東南麓、標高200mの百沢(ひゃくざわ)地区にある。県道3号線に面しており、そこからの参道は正面に岩木山を望んでまっすぐに延び、やがて楼門*、その奥に中門があり、さらに拝殿*・本殿*が立つ。  神社の創建については様々な言い伝えがあるが、奈良時代780年*に岩木山頂に祠を祭ったのが始まりといわれ、平安時代1091年に今...

金剛山 最勝院の写真

写真提供:金剛山最勝院

金剛山 最勝院 ( 青森県 弘前市 )

弘前城の南東約1㎞の台地の上に位置し、五重塔の美しさで有名なお寺。江戸時代の建立で現存する五重塔は全国で22塔あるが、最勝院五重塔は最北の五重塔。国指定重要文化財指定説明に特筆される「東北地方第一の美塔」にたがわず、その姿は美しい。高台にあるため、街中からでもひときわ目立つ存在感があり、弘前市のシンボルとして親しまれて...

弘前のりんご畑の写真

弘前のりんご畑 ( 青森県 弘前市 )

弘前市はリンゴの生産が盛んで年間18.2万トンと日本一、全国73.7万トン(2022(令和4)年)の約1/4を占めている。春夏秋冬の区分がはっきりし、昼夜の温度差が非常に大きい気象がりんごの栽培に適し、津軽地方の「じょっぱり」と呼ばれる真面目で負けず嫌いの頑固な気質がりんご生産に生かされていると言われている。  1877(明治10)年に...

お山参詣の写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

お山参詣 ( 青森県 弘前市 )

稲が実る旧暦8月1日、五穀豊穣の感謝と祈願をこめ、岩木山の山頂にある岩木山神社奥宮に集団で登山する行事。岩木山は津軽平野の南西方にあり鳥海火山帯に属する二重式火山。津軽富士と呼ばれる円錐形の独立峰、標高1,625mの青森県最高峰である。津軽平野の各地から美しい姿を望むことができるため、津軽地方の人々にとってかけがえのないシ...

十三湖の写真

十三湖 ( 青森県 五所川原市 )

津軽半島の中西部にあり、岩木川の河口部に東西7km、南北5km、周囲31.4kmの潟湖*で北西部の幅250mあまりの水路で日本海と通じている。南から岩木川と山田川など十三の河川が流れ込むので十三湖と言われている。西は七里長浜に続く砂丘帯で、砂州の先端に十三(じゅうさん)*の集落が細長く連なっている。  十三湖の中島へは長さ350mのヒ...

ストーブ列車の写真

ストーブ列車 ( 青森県 五所川原市 )

津軽鉄道は、津軽五所川原駅から津軽中里駅間20.7kmを45分で結ぶローカル線であり、1930(昭和5)年に開業。ストーブ列車もこの年の冬から運転を開始している。1944(昭和19)年から3年間物資欠乏のため中止したが、1947(昭和22)年から再びストーブ列車を運転し、現在に至っている。現在運行されているストーブ列車は4代目の客車、オハ46 ...

龍飛崎の写真

龍飛崎 ( 青森県 外ヶ浜町 )

津軽半島の突端、龍飛崎は北緯41度15分に位置し、津軽海峡をへだてて向かいあう北海道の白神崎とはわずか20kmの距離にある。岬付近は標高100m前後の高台になっており、北西寄りに龍飛崎灯台が立っている。  龍飛崎の周辺には、小説「津軽」の一文を刻んだ「太宰治*文学碑」があり、台地の上の碑の丘には川柳作家「川上三太郎*句碑」、幕...

横浜町の菜の花畑の写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

横浜町の菜の花畑 ( 青森県 横浜町 )

下北半島の付け根の西側にある横浜町。この町を南北に貫くはまなす街道(国道279号線)や町内の農道周辺が日本最大級である約100万m2の菜の花作付け面積*を誇る菜の花の名所となっている。菜の花の品種はセイヨウアブラナの一種キザキノナタネといい、美しい景観をもたらすだけでなく、菜種油*として利用されている。  昭和の...

縫道石山(縫道石)の写真

写真提供:佐井村役場

縫道石山(縫道石) ( 青森県 佐井村 / 青森県 むつ市 )

下北半島北西部のむつ市と佐井村にまたがり、標高626mの名峰のひとつで断崖絶壁の岩山。その特異な岩山の姿から江戸時代には地元で「入道石」と呼ばれていたことが、紀行作家、菅江真澄*の「遊覧記」や、古い「佐井村誌」に記録されている。  標高が高くなく、前衛の山に囲まれているため、周辺の平地から確認するのは難しい。  むつ市...

宇曽利山湖の写真

宇曽利山湖 ( 青森県 むつ市 )

恐山菩提寺の南に隣接しており、火山爆発によってできたカルデラ湖である。水面の標高は210m、周囲は7.1kmで、面積は2.65km2、最大水深は約20m、湖水の透明度は13.0m*でわが国第8位。火口湖特有の強酸性湖で、その形状はほぼ円形で肢節量(1.23)*はカルデラ湖において全国4位である。  平安時代の僧の円仁*が霊場をさがす途...

薬研渓流の写真

薬研渓流 ( 青森県 むつ市 )

下北半島の北側中央部、薬研温泉を中心とした大畑川の約2kmの間、滝、渕、岩などの美しい渓谷である。清流を原生林がおおい、遊歩道もあり、新緑、紅葉時にはすがすがしく自然散策、森林浴、バードウォッチングなど楽しめる。  渓流沿いには緑に包まれた薬研温泉、奥薬研温泉がある。薬研*の名は、温泉の湧出口の形が漢方薬をすりつぶす器...

霊場恐山の写真

霊場恐山 ( 青森県 むつ市 )

下北半島の中央部、JR大湊駅の北西むつ大畑公園線で約17kmの先、宇曽利山湖畔の北側に位置する。恐山菩提寺の入り口総門を入ると左側に本堂が見え、さらに山門をくぐると40余基の常夜燈が立ち並び、参道の奥には地蔵殿が立つ。参道の右手に宿坊、左手には古滝ノ湯・花染ノ湯など恐山温泉と呼ばれる質素な造りの浴舎も点在し現在も入浴できる...

田名部まつりの写真

写真提供:青森県及び公益社団法人青森県観光国際交流機構

田名部まつり ( 青森県 むつ市 )

下北半島のむつ市の中心田名部にある田名部神社*の例祭で 8月18日 ~ 20日 に行われる。北前船*によって伝えられた京都祇園祭の流れをくみ、約1640年頃(寛永年間)から続いている。  田名部神社の本殿は一間社流造、銅板葺き。拝殿は鉄筋コンクリート、神明造、銅板葺き。祭神は昧耜高彦根命(あじしきたかひこねのみこと)、誉田別命(...

根城の写真

根城 ( 青森県 八戸市 )

八戸市の中心部の西、国道104号沿いの城跡に堀・土塁などが残っている。南部師行(なんぶもろゆき)*が1334(建武元)年に築いた平城。南部氏が遠野へ国替えになる1627(寛永4)年までの約300年間、南部氏の居城となり北東北地方の中心であった。1941(昭和16)年に国史跡に指定され。その後1978(昭和53)年から発掘調査及び整備事業が進め...

高山稲荷神社の写真

高山稲荷神社 ( 青森県 つがる市 )

津軽半島の十三湖南の屏風山中、小高い丘陵の上に鎮座しており、御創建の年代は詳らかではない。入母屋造の現拝殿は1948(昭和23)年の再建で五穀豊穣、商売繫盛を願う参拝者が訪れる。  津軽半島西側を走るメロンロード*から西側に入り、1.5km先の大きな鳥居の先に駐車場と参集殿が建ち、左に折れて96段の石段を上がった所に拝殿がある。...

北上展勝地のサクラの写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

北上展勝地のサクラ ( 岩手県 北上市 )

JR東北新幹線北上駅より自動車で約10分、東北自動車道・北上江釣子ICより自動車で約15分の位置にある。北上川沿岸にある公園で、珊瑚橋から北上川左岸に約2km続く桜並木の名所として知られており、青森県の弘前、秋田県の角館と並ぶ桜の名所にも数えられている。  1920(大正9)年に、後(のち)の黒沢尻町長である沢藤幸治を発起人として...

北上・みちのく芸能まつり(鬼剣舞)の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

北上・みちのく芸能まつり(鬼剣舞) ( 岩手県 北上市 )

メイン会場は、東北自動車道北上江釣子ICから約10分、JR北上駅から徒歩約3分のJR東日本北上駅前のまつり広場。  「鬼剣舞」*「鹿踊(ししおどり)」*をはじめ「神楽」*「田植踊」*など、県内外から100余りの団体が参加し、約500mの道路を8つの会場に分けて芸能公演が行われ、町がまつり一色となる民俗芸能の祭典。  8月の第1金曜から...

夏油温泉の写真

夏油温泉 ( 岩手県 北上市 )

JR東北本線・東北新幹線北上駅から西北西へ約22km。夏油川上流、栗駒国定公園の北部に位置し、焼石連山の山ふところ標高700mの高地にある。夏油川沿いには、いたるところ温泉が湧出しており、真湯・大湯・滝ノ湯・疝気(せんき)ノ湯・女(め)ノ湯・新太郎の湯など7つの露天風呂が両岸に点在する。「夏油温泉」を含んだ「入畑温泉」、「瀬美...

無量光院跡の写真

写真提供:平泉町教育委員会

無量光院跡 ( 岩手県 平泉町 )

JR平泉駅の北800mにある。鎌倉幕府の事跡を記した史書『吾妻鏡』によれば、無量光院跡は新御堂(しんみどう)と号し、奥州藤原氏三代秀衡が宇治平等院を模して建立したといわれ、現在土壇・礎石・池跡などが残されている。毛越寺・観自在王院と並ぶ臨池伽藍(りんちがらん)*で、堂内の四壁の扉に観経(かんぎょう)*の大意を図絵し、本尊...

中尊寺の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

中尊寺 ( 岩手県 平泉町 )

中尊寺は天台宗の東北大本山で関山と号し、山内の寺塔僧房(17支院)からなる一山寺院をいう。JR東北本線平泉駅から北北西へ約2km、北上川と衣川の合流点の西、こんもりとした小山の中にある。蝦夷と称せられた藤原三代*が100年築き上げた仏国土建設の跡である。  寺伝によれば850(嘉祥3)年、慈覚大師*が弘台寿院(こうだいじゅいん)...

毛越寺の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

毛越寺 ( 岩手県 平泉町 )

毛越寺は天台宗の別格本山で医王山金剛王院と号し、17院からなる一山寺院をいう。JR東北本線平泉駅の西にある。  寺伝では850(嘉祥3)年、中尊寺と同じく慈覚大師*が嘉祥寺を開き、毛越寺の基としたといわれる。その後、堀河天皇より藤原清衡*が勅命を受け、基衡*、秀衡*の時代に多くの伽藍が造営された。金堂円隆寺をはじめ、嘉祥寺...

観自在王院跡の写真

写真提供:平泉町教育委員会

観自在王院跡 ( 岩手県 平泉町 )

毛越寺の東隣にあり、JR平泉駅より徒歩8分。近年、発掘調査に基づいて庭園が復元された。安倍宗任(あべのむねとう)*の娘である奥州藤原氏二代基衡の妻が建立したもので、調査によれば境域は東西約120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残り、大阿弥陀堂*跡と小阿弥陀堂跡を中心とし前面に復元された舞鶴が池*東岸には鐘楼、普賢堂と伝え...

黒崎の写真

写真提供:普代村

黒崎 ( 岩手県 普代村 )

岩手県沿岸北部、北山崎の北方5kmにある岬で、弁天崎まで連なる断崖の北端にあたり、150~200mの高さから黒っぽい絶壁が海に落ち込んでいる。隆起した海岸が荒波に削りとられて、ほぼ垂直に切り立った崖が形作られた隆起海岸である。夏に吹くやませ*による濃霧や航路を妨げる冬の荒海のなかの指標となっている。  赤松の自然林におおわれ...

八幡平の写真

写真提供:八幡平市

八幡平 ( 岩手県 八幡平市 / 岩手県 鹿角市 )

県都盛岡市から北西方向に直線で約38km、岩手県と秋田県にまたがる高原で、奥羽山脈北部に位置する。東の茶臼岳(1,578m)、南の畚岳(1,578m)、西の焼山(1,366m)などを含めた地域を八幡平と呼ぶが、狭義にはこの高原のほぼ中央、1,614mの頂が八幡平山頂である。  山域は、「十和田八幡平国立公園」に指定され、中でも山頂付近は「...

岩手山の写真

写真提供:八幡平市

岩手山 ( 岩手県 滝沢市 / 岩手県 八幡平市 / 岩手県 雫石町 )

盛岡市の北西約22km、十和田八幡平国立公園の南西部に大きくすそ野を広げる成層火山*。那須火山帯*に属し、第四紀に噴出したものといわれる。少なくとも7回の大規模山体崩壊が発生し、その崩壊堆積物が山麓を広く覆っている。山体崩壊の回数は国内の活火山の中で最多である。東西2つの火山群のうち、西岩手の方が古く、その火口原には八ツ...

岩手山焼走り熔岩流の写真

写真提供:八幡平市

岩手山焼走り熔岩流 ( 岩手県 八幡平市 )

東北自動車道西根ICから県道233号を経由して約15分ほど走ると散策路入口に到着する。岩手山の北東山腹、標高1,200m付近にあり、末端における幅は1.5km、長さ4kmに及ぶ溶岩流である。1719(享保4)年の噴火によって流れ出た溶岩が扇状に広がり、表面の波絞の如き凸凹には樹木がほとんど育たず、わずかに苔などが生えているだけという荒涼とし...

藤七温泉の写真

写真提供:藤七温泉 彩雲荘

藤七温泉 ( 岩手県 八幡平市 )

東北自動車道・松尾八幡平ICより八幡平アスピーテラインまたは樹海ライン経由で約60分。JR盛岡駅より岩手県北バス八幡平頂上行で1時間50分、松尾鉱山資料館で八幡平蓬莱境行に乗換5分、藤七温泉下車すぐ。  八幡平頂上の南方3.5km、畚(もつこ)岳の麓の標高1,400mの高所にあり、東北にある最高峰に位置する温泉で、一軒宿である。  温泉...

北山崎の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

北山崎 ( 岩手県 田野畑村 )

岩手県沿岸北部、田野畑村の北東端にあり、陸中海岸の代表的な景観で、隆起した海岸が荒波に削りとられて、ほぼ垂直に切り立った崖が形作られた隆起海岸である。高さ約200mの大断崖が連なる「北山崎」は、日本の海岸風景の中で最も迫力のある海岸美を誇り、弁天崎~北山崎~黒崎の間は断崖が連続していることから海のアルプスともよばれてい...

鵜の巣断崖の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

鵜の巣断崖 ( 岩手県 田野畑村 )

岩手県沿岸北部、田野畑村島越の南にある。鵜の巣断崖の形成の歴史は北山崎よりも古く、海洋プレート上のさまざまな堆積物などが約1億4,000万年前に大陸プレートに押し付けられ、強い圧力によって極めて複雑に変形した岩石(付加体)からできている。その後隆起し海成段丘が形成された。隆起した海岸が荒波に削りとられて、ほぼ垂直に切り立...

北上川の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

北上川 ( 岩手県 滝沢市 / 岩手県 盛岡市 )

北上川は源を岩手県岩手郡岩手町御堂に発し、岩手県の中央をほぼ北から南に流れ、一関市下流の狭窄部を経て宮城県に入り、登米市津山町付近で北上川と旧北上川に分流する。流域には東に北上山地、西に奥羽山脈の高峰が連なり、これらの山地から流入する数多い支川を合わせて北から南に流下する。幹川流路延長約249km(全国第5位)、流域面積...

チャグチャグ馬コの写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

チャグチャグ馬コ ( 岩手県 滝沢市 / 岩手県 盛岡市 )

農作業で農民と苦労を共にする農用馬を慰安する行事で、馬を沢山の鈴が付いた装束で飾り、神社詣をするもの。6月第2土曜日、滝沢市内にある馬の神様を祀る鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)へ詣でた数十頭の馬が、「チャグチャグ」と鈴を鳴らしながら盛岡市の盛岡八幡宮まで約14kmの道のりを約4時間30分かけて行進する。  岩手県内...

岩洞湖の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

岩洞湖 ( 岩手県 盛岡市 )

東北自動車道盛岡I.Cから自動車で約1時間、盛岡市藪川にある。標高約700mの北上山地に位置し、流域面積*48.6km2、湛水面積*6.23km2と広大な規模を誇る。  岩手山東麓の水田灌漑を主目的に水力発電の目的もあり、1960(昭和35)年に完成した人造湖(ダム湖)である。湖畔にはシラカバやナラなどの広葉樹が群生し、...

姫神山の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

姫神山 ( 岩手県 盛岡市 )

いわて銀河鉄道(IGR)渋民駅の東8km、登山口まで自動車で約25分、北上川をはさんで岩手山と相対して位置する。岩手山、早池峰山と並び、霊山として知られている。外山早坂高原県立自然公園内にあり、姫神自然観察教育林になっている。  標高は1,123.8m、なだらかな裾野を引く円錐形の山容で、登山が容易で日帰りのハイキング地として人気...

盛岡さんさ踊りの写真

写真提供:盛岡さんさ踊り実行委員会

盛岡さんさ踊り ( 岩手県 盛岡市 )

発祥は近世初期の城下盛岡の都市形成期の頃と言われている。さんさ踊りの発祥として多く語られているのは、盛岡市名須川町の三ツ石神社にまつわる「三ツ石伝説」に由来する。その昔、南部盛岡城下に羅刹(らせつ)という鬼が現れ、悪さをして暴れており、困り果てた里人たちは、三ツ石神社の神様に悪鬼の退治を祈願した。その願いを聞き入れ...

日高火防祭の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

日高火防祭 ( 岩手県 奥州市 )

JR東北本線水沢駅から徒歩約10分、岩手県奥州市水沢の市街地で実施される火防祈願の祭。本祭は、4月最終土曜日、前夜祭は本祭の前日に行われる。(令和5年度は本祭のみ実施)  少年時代、江戸にいた伊達宗景は、1657(明暦3)年の大火をはじめとした火事の多さ、恐ろしさに驚き、帰水後、火防の対策に万全の策を講じた。人智の不測不慮の罹...

種山ヶ原の写真

写真提供:住田町観光協会

種山ヶ原 ( 岩手県 住田町 / 岩手県 遠野市 )

種山ヶ原は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とした標高600~870mに位置した高原地帯である。北上高地の南西部の東西11km、南北20kmに及ぶ平原状の山で、物見山・大森山・立石などを総称して別名「種山高原」とも呼ぶ。緩やかな稜線の準平原地形と冷涼な気候から、藩政時代から馬の放牧地として利用され、...

小岩井農場の写真

写真提供:小岩井農牧

小岩井農場 ( 岩手県 雫石町 )

JR東北本線・東北新幹線盛岡駅から北西約12kmに位置し、岩手山を望む岩手山南麓に約30km2の敷地面積を有する民営の農場。日本最初の鉄道敷設を始めとした数々の鉄道工事で陣頭指揮し、「日本の鉄道の父」よばれた井上勝*が、鉄道事業により美しい田園風景を損なってきたことへの埋め合わせとして、国家公共のためになすべき事業...

国見温泉の写真

写真提供:一般社団法人しずくいし観光協会

国見温泉 ( 岩手県 雫石町 )

東北自動車道盛岡ICから国道46号線経由で約36km・約55分、八幡平国立公園の自然の真っただ中に位置する。岩手県と秋田県の県境、秋田駒ヶ岳南麓の国見峠の標高約880mの山腹にある素朴な山の湯。  温泉は、含重曹土類硫化水素泉で、52~62℃。澄んだエメラルドグリーンの色合いが特徴で、コールタールのような独特のにおいがある。駒ヶ岳や千...

千沼ケ原の写真

千沼ケ原 ( 岩手県 雫石町 )

秋田駒ヶ岳と岩手山の間に位置し、乳頭山(烏帽子岳東)の東南方、標高1,400mにある高層湿原*。ニッコウキスゲ・ヒナザクラなどの高山植物に彩られ、大小の池塘が配された大湿原で、周囲はオオシラビソに囲まれている。1954(昭和29)年に初めて人が入り、山上の仙境として話題をまいた。湿原までのルートが長く、経験を積んだ登山客以外の...

山田湾の写真

写真提供:山田町

山田湾 ( 岩手県 山田町 )

盛岡から車で2時間、岩手県三陸沿岸のほぼ中央に位置する山田町。山田湾は、重茂(おもえ)半島と船越半島に囲まれた、周囲30km、ほぼ円形に近い湖水のように波静かな湾であり、「海の十和田湖」とよばれている。  湾内には無人島の大島、小島が浮かぶ。周囲約900m、面積26,960㎡の大島は、1643(寛永20)年、オランダ船「ブレスケンス...

栗駒山の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

栗駒山 ( 岩手県 一関市 / 宮城県 栗原市 / 秋田県 東成瀬村 )

奥羽山脈のほぼ中央に位置し、岩手・宮城・秋田の3県にまたがる1,626mの山で、岩手県側では須川(すかわ)岳、秋田県側では大日(だいにち)岳とも呼んでいる*。那須火山帯*に属し、複雑な山容の休火山で、かつては八万地獄、毒気地獄などと呼ばれ、この山に入った者は生きて帰ることがないといわれた。現在でも北斜面中腹にはたくさんの硫...

金ケ崎町城内諏訪小路の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

金ケ崎町城内諏訪小路 ( 岩手県 金ケ崎町 )

JR東北本線金ケ崎駅から徒歩5分に位置する。旧金ケ崎要害の城と武家町のほぼ全域にあたる地域。江戸時代は大町氏3000石の城下町。仙台藩伊達領の最北端にあたり、対盛岡藩の拠点として「金ケ崎要害」と称された。今も表小路・達小路などに武家屋敷のたたずまいが見られる。  金ケ崎要害とは、伊達氏が大身家臣に治世に当たらせた藩の重要拠点...

早池峰山の写真

写真提供:花巻市

早池峰山 ( 岩手県 花巻市 / 岩手県 宮古市 / 岩手県 遠野市 )

早池峰山は標高1,917mの山で、山頂は花巻市、宮古市、遠野市の3つの市の境界となっている。北上山地の最高峰で、東に剣ヶ峰、西に中岳・鶏頭山・毛無森へと1,500m前後の山稜が続き、全長は東西16kmにわたっている。  北上山地は、早池峰山を境に北部と南部に分かれ、その成り立ちは異なる。北部北上山地は、古生代石炭紀と中生代ジュラ紀の...

浄土ヶ浜の写真

写真提供:宮古市

浄土ヶ浜 ( 岩手県 宮古市 )

浄土ヶ浜*は、宮古市の北東、宮古湾にこぶのように突き出た半島の北側にある。東北自動車道盛岡南ICから車で90分、第一駐車場から徒歩10分から15分、JR宮古駅からバス(浄土ヶ浜行)に約20分乗り、浄土ヶ浜バス亭下車してすぐの場所にある。  約4400万年前の古第三紀(白亜紀の次の時代)に形成されたといわれ、火山岩からできた白い岩と...

三陸鉄道の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

三陸鉄道 ( 岩手県 宮古市 / 岩手県 久慈市 / 岩手県 大船渡市 )

岩手県の三陸海岸を縦貫する鉄道路線(リアス線)。第三セクター方式の鉄道会社。通称は三鉄(さんてつ)。  1896(明治29)年の三陸地震の際に急峻な地形が支援物資の輸送を阻んだことを踏まえ三陸沿岸を結ぶ鉄道が構想され、復興策として建設された。1928(昭和3)年11月22日に仙台 - 石巻間(宮城電気鉄道、現在の仙石線)が開通し、197...

平庭高原の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

平庭高原 ( 岩手県 久慈市 / 岩手県 葛巻町 )

JR八戸線、三陸鉄道リアス線の八戸駅から西南西へ約26km、久慈渓流の上流、久慈市と葛巻町の境界にある平庭岳の中腹に広がる高原で、久慈・平庭県立自然公園の一環をなしている。標高800m。  国道281号の両側に4.5kmにわたって白樺林が続き、全体では369haに約31万本も林立しており、日本一の白樺美林といわれる。  レンゲツツジの群落や...

久慈渓流の写真

写真提供:久慈市

久慈渓流 ( 岩手県 久慈市 )

久慈市南西部に位置する明神岳に源を発する久慈川の上流に展開する渓流。中でも板状の石灰岩が垂直に切り立ち鏡のように平らな「鏡岩」の付近約5kmには、浸食された石灰岩の絶壁、不老泉、白糸ノ滝などの景勝が続く。  鏡岩を臨む鏡岩園地には、名水「不老泉」があり、飲用すると持病が治り不老長寿になるという言い伝えがある。また周辺に...

内間木洞の氷筍の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

内間木洞の氷筍 ( 岩手県 久慈市 )

内間木洞は、市域内南端部、内間木川上流の山間にある鍾乳洞で、JR久慈駅、三陸鉄道久慈駅より車で約45分の場所にある。冬場は、洞内の天井から落ちる水滴が地面で凍りつき、筍(たけのこ)状に成長する氷筍(ひょうじゅん)が群生し、大きなものは2m以上にもなる。  内間木洞の総延長は6,350m以上で国内有数の鍾乳洞である。洞内の大空間...

早坂高原の写真

写真提供:岩泉町役場

早坂高原 ( 岩手県 岩泉町 / 岩手県 盛岡市 )

JR東北本線・東北新幹線の盛岡駅から東北東へ約37km。岩泉町と盛岡市の境、標高916mの早坂峠を中心に広がる穏やかな大平原で、ゆるやかに起伏する草原に白樺林や赤松の林が点在する自然公園。  北上山地のなだらかな高原に、ブナ、ダケカンバ、シラカンバ、ミズナラ、ドイツトウヒ、アカマツが生育する景勝地。4月下旬~5月中旬のカタクリ...

龍泉洞の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

龍泉洞 ( 岩手県 岩泉町 )

岩泉町の北西2km、標高625mの宇霊羅山の東麓に洞口をもつ。山口県の秋芳洞、高知県の龍河洞とともに日本有数の鍾乳洞に数えられ、国の天然記念物にも指定されている。  約2~3億年前は、北上山地一帯は海の底であった。そのころ有孔虫やサンゴなどの遺骸が海底に沈積し、これが龍泉洞を形成する安家(あつか)石灰岩層のもとになったといわ...

安家洞の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

安家洞 ( 岩手県 岩泉町 )

安家洞は、三陸鉄道リアス線の岩泉小本駅から北西へ約25kmの距離にあり、安家石灰岩層*のほぼ中央にあたる。総延長は日本最長の23,700m。  約2億数千万年前(中生代三畳紀)の火山島の上に有孔虫やサンゴなどの生物の殻が堆積してできた石灰岩(安家層)が、大陸縁に付加した後隆起して地上に押し上げられ、長い時間をかけて雨水に侵食さ...

鉛温泉の写真

写真提供:鉛温泉 藤三旅館

鉛温泉 ( 岩手県 花巻市 )

大沢温泉の上流4km、豊沢川に臨む静かな山間の温泉。JR花巻駅より岩手県交通バス利用、「湯口線・新鉛温泉」行で約30分、「鉛温泉」下車。東北自動車道花巻南ICより約20分。  宝暦年間(1751~1764年)の発見と伝えられる歴史ある温泉。南部藩主も来浴したといわれる。加熱、加水、循環させない完全源泉100%の掛け流しであり、白猿の湯、桂の湯...

花巻まつりの写真

写真提供:花巻市

花巻まつり ( 岩手県 花巻市 )

花巻市で毎年9月第2土曜日を中日とした金・土・日に開催される、430年を超える歴史を持つ祭り。  炎ゆらめく美しい風流山車*、100基を超える勇壮な神輿*、古来より踊り継がれてきた鹿踊(ししおどり)・神楽権現舞、そして優雅な花巻ばやし踊りなど、花巻の伝統文化がそこかしこで披露される。  花巻開町の祖といわれる花巻城主の北松...

花巻温泉の写真

写真提供:花巻温泉株式会社

花巻温泉 ( 岩手県 花巻市 )

JR東北本線・釜石線の花巻駅から北西約7km、背後に山を負い東南に平野を見晴らす台地にある。1923(大正12)年、盛岡の実業家金田一国士(きんだいちくにお)*による台川上流にある台温泉*からの引き湯に始まる。現在は桜や松の並木が整備され、花巻温泉株式会社が経営する4軒の大型ホテル(佳松園、ホテル千秋閣、ホテル花巻、ホテル紅葉...

焼石岳の写真

焼石岳 ( 岩手県 奥州市 / 西和賀町 西和賀町 )

JR東北本線水沢駅から西に約28km。岩手県南西部に位置し、奥州市と和賀郡西和賀町の境にある火山。標高1,547m。奥羽山脈中部に属し、栗駒国定公園の一部である。焼石連峰の主峰で南に横岳、獅子ヶ鼻岳、西に三界山、北に牛形山、東に経塚山などがある。  山名は薬師岳から転化したという説と、山頂周辺に焼けたような黒い岩の積み重なった...

宮守川橋梁(めがね橋)の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

宮守川橋梁(めがね橋) ( 岩手県 遠野市 )

遠野市内、JR釜石線の宮守駅から徒歩約10分、JR釜石線の宮守駅と柏木平駅の間にある。アーチ状のコンクリート製の橋で、特徴的な形状から通称「めがね橋」とよばれている。岩手軽便鉄道が花巻から仙人峠間を走る狭軌鉄道として、1915(大正4)年に開通、1943(昭和18)年に改修されて現在の橋となった。旧橋の橋柱の一部が遺構として残ってい...

遠野ふるさと村の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

遠野ふるさと村 ( 岩手県 遠野市 )

JR釜石線遠野駅から北へ約7km。遠野ふるさと村には、江戸中期から明治中期にかけて造られた茅葺屋根の曲り家(南部曲り家)がそのままの形で移築され、小川が流れ水車がまわり、田畑があり、炭焼き小屋がありと、遠野の昔ながらの集落が再現されている。  南部曲り家は、母屋と厩(馬屋)がL字形に一体化した建造物で、18世紀前半・中期に...

猊鼻渓の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

猊鼻渓 ( 岩手県 一関市 )

JR東北線・東北新幹線一関駅から北東へ約13kmにあり、最寄り駅はJR大船渡線猊鼻渓駅。北上川の支流、砂鉄川が北上山地の石灰岩層を節理面に沿って、浸食してできた渓谷である。両岸には約2kmにわたって高さ30~100mに及ぶ絶壁や奇岩が屹立し、壮夫岩(そうふがん)・馬りょう岩など16カ所の奇岩のみどころが展開する。散策道の最奥には名の由...

須川温泉の写真

写真提供:須川高原温泉

須川温泉 ( 岩手県 一関市 / 秋田県 東成瀬村 )

JR東北線・東北新幹線一ノ関駅から西北西へ約33km、バスで山間部を約90分かけて上っていく*。宮城県、秋田県、岩手県の3県にまがたる栗駒山、その山頂の北方、中央火口丘である剣岳の北麓にある。  岩手県側の標高1,126mに位置する須川高原温泉は、潅木や溶岩に囲まれ野趣に富んだ宿である。高地に位置するため紫外線が強く、気候療養の適...

骨寺村荘園遺跡の写真

写真提供:一般社団法人東北観光推進機構

骨寺村荘園遺跡 ( 岩手県 一関市 )

JR東北線・東北新幹線一ノ関駅から西北西へ約16km、バスで山間部を約40分かけて上っていく。  骨寺村荘園遺跡は、『陸奥国骨寺村絵図』(以下、「荘園絵図」。)とよばれる中世荘園絵図の景観が今なお残る貴重な遺跡である。骨寺村荘園遺跡がある一関市厳美町本寺地区は、その昔「骨寺村」と呼ばれた荘園で、中尊寺経蔵別当領であった。荘...

もち膳の写真

写真提供:一関市

もち膳 ( 岩手県 一関市 )

岩手県一関市・平泉町は、江戸時代、現在の岩手県南部から宮城県及び福島県北部を治めた仙台藩の領内であり、仙台藩(伊達藩)の命により毎月1日と15日はもちをつき、神様に供え、平安無事を祈り休息日とする習慣があった。「もち暦」には季節の節目など年間60日以上ももちを食べる日が記されていた。以来、400年にわたり独特のもち食文化が受...

旧南部領のナニャドヤラの写真

写真提供:ひろのイベント事業実行委員会

旧南部領のナニャドヤラ ( 岩手県 洋野町 )

ナニャドヤラは旧南部領の青森県八戸、野辺地、戸来、五戸、三戸、岩手県二戸郡、九戸郡、岩手郡など、県北の南部領一帯に伝わる盆踊りの唄である。また平時の野山や畑での作業の場でも唄われてきた。   この唄の歌詞は地域によって「ニャニャトヤラ」あるいは「ナギャトヤラ」とも発音される。旧大野村(現在の洋野町)では「ナニャドヤ...

鎌先温泉の写真

写真提供:白石市

鎌先温泉 ( 宮城県 白石市 )

東北新幹線白石蔵王駅から約8kmにある、むかしながらの湯治場の雰囲気を残す山あいの温泉である。歴史は古く1428(正長元)年、白石の農夫がきこりの作業中に渇を覚え、鎌の先で岩角をうかがったところ湯が湧き出したので、これを鎌先温泉と名づけたと伝えられている。昔からずっと「キズに鎌先」と言われ、奥羽の薬湯として知られていた。最...

登米町の歴史的建造物群の写真

登米町の歴史的建造物群 ( 宮城県 登米市 )

登米市(とめし)登米町(とよままち)*は県北部に位置し、北上川がまちの東端を流れる。北上川の舟運で発達しただけに、鉄道からの便は悪く、仙台駅から高速バスを利用して約90分、三陸自動車道登米ICから約4分である。  藩政時代、伊達一門の登米伊達2万1千石の城下町として栄え、明治維新後は北上川の舟運による米などの集散地として繁...

鳴子峡の写真

鳴子峡 ( 宮城県 大崎市 )

JR陸羽東線鳴子温泉駅の西2kmにある。江合川の支流、大谷川の清流に沿った鳴子峡入口の大谷橋から中山平入口までのおよそ2.5kmにわたる渓谷。大谷川が浸食してつくったV字谷、曲りくねった遊歩道の両側は高さ100mほどの断崖絶壁で、猿の手掛岩・屏風岩・虫喰岩などの奇岩が次々と展開する。特に新緑、10月下旬から11月上旬の紅葉のころは絶景...

旧有備館および庭園の写真

写真提供:大崎市教育委員会

旧有備館および庭園 ( 宮城県 大崎市 )

JR陸羽東線有備館駅より徒歩1分、静かな住宅街の中にある。江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した郷学(学問所)である。開校は岩出山伊達家十代邦直が当主の1850(嘉永3)年ころと考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設された。現存する有備館の「御改所(主屋)」は、岩出山伊達家二代宗敏が1677(延宝5)年に...

鳴子温泉の写真

鳴子温泉 ( 宮城県 大崎市 )

東北新幹線古川駅で陸羽東線に乗り換え、約45分の鳴子温泉郷の中心である鳴子温泉*は、荒雄川の川岸に鳴子温泉駅を中心に半円を描くように広がっている。駅前に温泉街が開け、近代的な旅館や古風な旅館、みやげ物店、こけし工人の店が立ち並んでいる。  鳴子温泉は、837(承和4)年、鳴子火山の爆発によって生まれる。寿永・文治年間(118...

多賀城跡附寺跡の写真

写真提供:多賀城市

多賀城跡附寺跡 ( 宮城県 多賀城市 )

JR東北本線国府多賀城駅の北西約800m、仙台平野を一望できる松島丘陵の先端一帯が多賀城跡である。江戸時代初め、外郭南門跡の北約30mにある多賀城碑の発見*により、遺跡が多賀城跡であることが判明して以来、多くの学者によって研究されその重要性が知られてきた。地元住民による保護や保存状態が良好であったことから、1922(大正11)年多...

青根温泉の写真

写真提供:宮城県柴田郡川崎町

青根温泉 ( 宮城県 川崎町 )

JR白石蔵王駅からバスで約50分、遠刈田温泉から車で約10分の花房山の中腹、標高500mにある。1528(大永8・享禄元)年開湯という古くからの温泉で、心静かにすごす温泉地である。旅館は8軒。そのうちの1軒の湯元不忘閣は、歴代の伊達家仙台藩主や文人たちが足を運んだ名湯である。 2006(平成18)年に共同浴場の「じゃっぽの湯」がオープン...

峩々温泉の写真

写真提供:峩々温泉

峩々温泉 ( 宮城県 川崎町 )

青根温泉から西へ3km、標高850mの蔵王山麓の濁川の谷にある一軒宿で、登山者や湯治客が多かったが、近年は秘湯の湯でゆっくりと保養を求める人が増えている。山ザクラ、紅葉、雪景色と四季折々の自然を楽しめる。  嘉永年間(1648~1653年)に自噴する温泉を発見。古くから胃腸病の名湯として知られる。1875(明治8)年に旅館業の認可を受...

秋保大滝の写真

写真提供:公益財団法人仙台観光国際協会

秋保大滝 ( 宮城県 仙台市 )

秋保温泉から西へ14km、山形県立石寺(りっしゃくじ)の奥の院といわれる大滝不動堂*の裏手に滝見台がある。深い木立の中、落差約55m、幅6mの滝は水量が多く、滝の白いしぶきと周囲の新緑あるいは紅葉となる時期にはいっそう映える。滝の展望には、大滝不動尊の裏手の滝見台のほかに、大滝不動尊より手前、右手の道をたどると名取川に架かる...

磐司岩の写真

写真提供:秋保・里センター

磐司岩 ( 宮城県 仙台市 )

秋保温泉から西へ22km、太白区秋保町馬場岳山国有林内の二口峡谷の最奥にある磐司岩は、凝灰岩・集塊岩からなる岩壁である。その表面を落ちる多数の滝の浸食で現われた柱状節理が高さ80~150m、長さ3kmにわたって屏風を立てめぐらしたように連立する姿は豪壮そのもの。名取川の南側には、日陰磐司(ひかげばんじ)や日陽磐司(ひなたばんじ)...

大崎八幡宮の写真

写真提供:大崎八幡宮

大崎八幡宮 ( 宮城県 仙台市 )

仙台城跡の北、青葉山の緑が望まれる丘陵地に鎮座する。歴史ある石鳥居*をくぐり急な石段を一直線に登り、老杉が茂る昼なお暗い境内広場に出ると、門のような長床*が構え、その奥に社殿*が立つ。  神社は坂上田村麻呂が武運長久を祈念すべく守護神である宇佐八幡宮を胆沢城(奥州市水沢)に勧請、鎮守府八幡宮を創建。その後、室町時代...

仙台城跡 の写真

仙台城跡  ( 宮城県 仙台市 )

仙台駅から青葉通りを西へ進み、広瀬川に架かる大橋を渡ると仙台城跡に至る。観光地である本丸跡の標高は115m、本丸跡の最高所(天守台)は標高143mである。仙台市街を一望に見下ろし、遠く太平洋も望める景勝地の青葉山丘陵に城跡を残す。本丸の南は深さ80mを超える竜の口(たつのくち)渓谷、東は断崖絶壁で崖下を広瀬川が流れ、本丸跡との...

輪王寺の写真

写真提供:輪王寺

輪王寺 ( 宮城県 仙台市 )

北仙台駅から西へ約1km、寺屋敷の続く通りの一角にある。輪王寺は1441(嘉吉元)年、伊達氏当主十一代持宗が、福島県梁川に創建した。輪王寺の草創期は伊達氏の躍進の時期と重なり、伊達氏の居城は梁川以降、西山、米沢、会津、米沢、岩出山から仙台に変わったが、輪王寺もそれに合わせて転々とし、現在の地に移ったのは、1602(慶長7)年で...

瑞鳳殿の写真

写真提供:瑞鳳殿

瑞鳳殿 ( 宮城県 仙台市 )

仙台駅の西南、広瀬川が大きく屈曲する右岸の経ヶ峯(きょうがみね)にある。廟所に至る石組の美しい石段と、両側に樹齢380余年にもなる杉の巨木がそそり立つ参道が伊達家栄華の一端を伝える。石段登り口に瑞鳳寺*の本堂があり、向かい側に伊達家公子公女廟、通称「お子様御廟」がある。  1636(寛永13)年生涯を閉じた伊達氏17世・仙台藩初...

仙台うみの杜水族館の写真

写真提供:仙台うみの水族館

仙台うみの杜水族館 ( 宮城県 仙台市 )

2015年7月宮城野区に開館。JR仙石線中野栄駅から徒歩約15分。車を使用すると仙台港ICから約5分。同年5月に閉館したマリンピア松島水族館から生き物や飼育員の多くを引き継ぎ、運営は横浜八景島が担う。約100基の水槽、総水量約3,000t、延床面積は約9,900m2、300種5万点は東北最大級の水族館。日本の海や世界の海を再現する。 1...

仙台市の牛たんの写真

写真提供:仙台牛たん振興会

仙台市の牛たん ( 宮城県 仙台市 )

牛たん発祥の店は「味太助」といわれる。「味太助」の初代佐野啓四郎が、1948(昭和23)年、仙台市中心部に牛たん焼きの専門店を開き、全国にその味を広めた。佐野は山形県河北町出身。東京で料理の修行をしていたころ、フランス人シェフからシチューなどに使う牛たんの味を教わり、日本人好みの味付けに工夫を重ねた。戦時中は焼き鳥の屋台...

金華山黄金山神社の写真

金華山黄金山神社 ( 宮城県 石巻市 )

鮎川から毎日曜日に船が運行され、金華山まで20分。それ以外の曜日でも、予約をすれば海上タクシーで、人数によっては定期船とそれほど違わない料金で行くことができる。女川港からも金華山へ毎日曜日・祝日1便運行し、約40分で到着する。  牡鹿半島の南突端に、幅800mの金華山瀬戸をはさんで浮かぶ東西約4km、南北約5kmの角錐状の島。中央...

日和山公園の写真

写真提供:石巻市

日和山公園 ( 宮城県 石巻市 )

日和山*は、市内中心地の旧北上川河口に位置する高さ54mの洪積段丘の孤立丘。頂上には、武神を祭る牡鹿十座の一つ鹿嶋御児神社が建立されており、社伝によれば、780(宝亀11)年が鎮座の起源である。中世には、奥州総奉行葛西氏の城があったと伝えられる。城域は東西約400m、南北約500mに及んでいたことが、発掘調査で確認されている。  1...

松島の写真

松島 ( 宮城県 松島町 / 宮城県 利府町 / 宮城県 塩竈市 / 宮城県 東松島市 / 宮城県 七ヶ浜町 )

湖のように波静かな松島湾に浮かぶ八百八島と呼ばれる大小、約260の島々。その景観を松尾芭蕉が『おくのほそ道』で「扶桑第一の好風にして」と絶賛した、江戸時代に選定された日本三景*の一つである。現在、広い意味で松島と呼ばれるのは、七ヶ浜町の御殿崎から松島湾をへだてて東松島市波島の南端とを結ぶ線と、鳴瀬川河口右岸から波島東端...

瑞巌寺の写真

写真提供:瑞巌寺

瑞巌寺 ( 宮城県 松島町 )

JR仙石線松島海岸駅より北北東方向に向かって徒歩で10分ほど、松島海岸から国道45号線を挟んだ北側に位置する。正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院である。  平安時代の初め、比叡山延暦寺第3代座主・慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺がその前身であると伝わっており、鎌倉時代...

白石川堤の桜(一目千本桜)の写真

白石川堤の桜(一目千本桜) ( 宮城県 柴田町 / 宮城県 大河原町 )

JR東北本線船岡駅から徒歩わずか3分、白石川堤に一目千本桜と呼ばれるみごとな桜並木が大河原町金ケ瀬地区から柴田町船岡地区まで8kmにわたって続く。  白石川堤の桜は、堤防竣工のしらせを聞いた東京で成功した髙山開治郎が、何十年後に桜の名所とすることを夢見て、1923(大正12)年と1927(昭和2)年に東京から植木職人を同伴し、町の職...

芝草平の写真

芝草平 ( 宮城県 七ヶ宿町 )

南蔵王縦走コースの中間に位置する。標高1620m、面積約100万m2の蔵王連峰唯一の湿原である。登山口は、蔵王エコーラインの刈田岳駐車場から往復で約7時間(休憩・昼食含む)の日帰りのできるコースからの登山が多い。もう一つのコースは、白石スキー場駐車場から、不忘山と水引入道の二つのルートから屏風岳を経て、芝草平に達す...

リアス・アーク美術館の写真

リアス・アーク美術館 ( 宮城県 気仙沼市 )

JR気仙沼駅の南、車で約20分。1994(平成6)年に開館したリアス・アーク美術館は、主に東北・北海道の現代美術を紹介する公立美術館であるが、同時に地域の歴史・民俗資料を常設する博物館でもある。気仙沼市と南三陸町で構成する気仙沼・本吉地域広域行政事務組合が管理運営している。  施設内容は圏域に内在する文化資源を見つめなおし、“...

徳仙丈山のツツジの写真

写真提供:一般社団法人気仙沼市観光協会

徳仙丈山のツツジ ( 宮城県 気仙沼市 )

徳仙丈山は岩手県境に近い、気仙沼市にある標高711mの山。駐車場からは190m程の標高差である。この山が5月中旬になると、全山がヤマツツジとレンゲツツジにおおわれるツツジの山となる。50万m2に50 万本のツツジがあるともいわれる。北側と南側の駐車場、どちらから登っても40分ほどで山頂に立てる。  山頂からはツツジをすぐ下...

志波彦神社・鹽竈神社の写真

志波彦神社・鹽竈神社 ( 宮城県 塩竈市 )

JR仙石線本塩釜駅から西、東参道を通り徒歩15分、JR東北本線塩釜駅から表参道経由徒歩25分にある。奥州一ノ宮として名高い「しおがまさま」は、杉木立におおわれる一森(いちもり)山の頂きにあり、松島の島々や遠く金華山を眺望できる地に鎮座する。表参道から石鳥居をくぐると、一直線で急勾配の202段の石段が待ち構え、随神門を経て四脚門を...

浦戸諸島のノリひび・カキ棚の風景の写真

写真提供:塩竈市

浦戸諸島のノリひび・カキ棚の風景 ( 宮城県 塩竈市 )

浦戸諸島は、松島湾の南に桂島、野々島、寒風沢(さぶさわ)島、朴(ほう)島の4島*の有人島と多数の無人島で構成される。これらの島々が湾の入り口に横たわるので、松島湾はいつも波が静かである。  浦戸諸島周辺は、時期になるとノリとカキ養殖の風景になる。ノリ養殖は9月~1月ころまでで、宮城県のノリは松島湾、石巻湾、仙台湾で養殖...

仙台東照宮の写真

仙台東照宮 ( 宮城県 仙台市 )

JR仙山線東照宮駅の北約200mのところにある。大きな石鳥居は仙台藩2代藩主忠宗の夫人振姫の郷里である備前国犬島の花崗岩を運んでつくったもの。国指定重要文化財。塗御橋を渡り緩やかな階段をのぼると、両側に仙台伊達家の重臣たちによって寄進された石灯篭37基*が並ぶ。参道石段をのぼりきったところに、重厚な随身門*が立つ。拝殿は、ケ...

大徳寺(横山不動尊)の写真

大徳寺(横山不動尊) ( 宮城県 登米市 )

JR気仙沼線陸前横山駅の西方約500mにある。寺伝では、保元年間(1156~1159)年、南三陸町の水戸辺浜に百済から流れついた仏像を安置したのが始まりといわれ、3mほどもあるカツラ材の寄木造りの不動明王の胎内に純金で5cmほどの本尊、不動明王を安置する。尊像の制作時期が平安までに遡ることができ、1997(平成9)年、国の重要文化財になっ...

材木岩の写真

材木岩 ( 宮城県 白石市 )

小原温泉から白石川を溯る上流、約4.5kmのところにあり、かつては行くのがなかなか困難であったが、材木岩のすぐ上流に、1983(昭和58)年に七ヶ宿ダムが本体工事に入り、1989(平成元)年に本体工事が完了、1992(平成4)から運用を開始した。その下流にある材木岩を観賞する公園と自動車道路が整備されて、材木岩へのアプローチが容易にな...

円通院の写真

円通院 ( 宮城県 松島町 )

瑞巌寺の西隣にある伊達光宗*の廟所。別名バラの寺*ともいう。小堀遠州作ともいわれる庭の一番奥まったところに、三慧殿という御霊屋が立つ。廟は1646(正保3)年の建立。素朴造りで3間四方、宝形造り本瓦葺きで、内部に家形厨子が安置され、馬上に束帯姿の光宗像が納まる。

田沢湖の写真

田沢湖 ( 秋田県 仙北市 )

秋田県の中央部岩手県寄り、東に奥羽山脈、西に出羽山地が連なる山間にある。JR秋田新幹線・田沢湖線田沢湖駅から田沢湖畔の白浜まで北へ約6km。周囲約20kmの湖岸線は、六角形に近い円形をしており、ゆるやかな山稜に囲まれ、水面標高は250mである。最水深423.4mは日本一の深さを誇る。成因としては那須火山帯中に生じた火山陥没によって生じ...

法体の滝の写真

法体の滝 ( 秋田県 由利本荘市 )

JR羽越本線羽後本荘駅から南東に約48km、由利高原鉄道矢島駅から約25km、鳥海山の東麓、子吉川の起点から2kmほどの渓流沿いに流れ落ちる末広がりの瀑布。約10万年前の鳥海山の噴火で東に向かって流れ出た法体溶岩流によって形成された末端崖と側方崖が下玉田川や赤沢川などによって侵食され、末端中央部には上玉田川により溶岩原を横断するよ...

男鹿西海岸の写真

男鹿西海岸 ( 秋田県 男鹿市 )

秋田県の中央部、日本海に突き出している男鹿半島は、かつては、本土から切り離されていた島であったが、北側の米代川と南側の雄物川などが運んだ土砂により成長した砂州、砂丘がつながり、八郎潟を抱える形で陸繋島となり半島となった。  半島は海岸段丘が発達しており、さらに西部には標高715mの本山(ほんざん)火山群、東部には標高355...

川原毛地獄の写真

川原毛地獄 ( 秋田県 湯沢市 )

JR奥羽本線湯沢駅から南へ約30km、泥湯温泉の西2km、灰白色の荒々しい岩肌を見せ、硫化水素ガスを噴出させている標高約800mの硫黄山で、川原毛地獄*1と呼ばれている。辺りには鼻をつく強い硫黄臭が漂う。807(大同2)年に修験場*2として僧月窓によって開かれたという。この地は、川原毛硫黄山と呼ばれた鉱山でもあり、1623(元和9)年に採掘...

真人公園のサクラの写真

写真提供:横手市役所増田地域局 まちづくり推進部 増田地域課

真人公園のサクラ ( 秋田県 横手市 )

JR奥羽本線十文字駅から東に約5km、増田の内蔵地区からは約3km。標高391mの真人山(まとやま)*1を東側に背負って広がる公園。1917(大正6)年に大正天皇即位の記念事業として造園された。公園の総面積は5万4,600m2で前面に池と中島を配し、ソメイヨシノ・ヤマザクラ、ウメ、アヤメ、ツツジが植栽されている。とくにソメイヨシノ...

後生掛の泥火山と大湯沼の写真

後生掛の泥火山と大湯沼 ( 秋田県 鹿角市 )

後生掛温泉の宿泊施設の脇の駐車場から沢筋に沿って自然観察研究路が整備されている。研究路は湯が沸き立つ2つの噴出孔オナメ・モトメ*1からスタートして、紺屋地獄、マッドポット泥熱泉)が点在する沢、大泥火山、大湯沼など様々な火山活動の様子を約2km、徒歩40分で観察することができる。  紺屋地獄の泥湯の泥は硫黄や硫化鉄が沈殿した...

大湯環状列石の写真

大湯環状列石 ( 秋田県 鹿角市 )

JR花輪線十和田南駅から北東へ約4.5km、大湯温泉*1からは西南3kmの台地上にある。県道をはさんで東に野中堂環状列石、西に万座環状列石の2つの環状列石を有する縄文時代後期(約4000年前)の大規模な遺跡である。遺跡近くにはガイダンス施設、大湯ストーンサークル館*2もある。野中堂環状列石は最大径44m、万座環状列石の最大径は52mあり、と...

旧小坂鉱山事務所の写真

旧小坂鉱山事務所 ( 秋田県 小坂町 )

JR花輪線十和田南駅から北へ約9km、明治から大正期にかけて日本でも有数の鉱産額を誇った鉱山の町、小坂町のシンボルとして建つ。  小坂の鉱山は、1861(万延2・文久元)年小坂村の農民により銀山として発見された。その後、南部藩が経営に乗り出したが、明治維新後に官営化され、1884(明治17)年に藤田組に払い下げられ、銅を主力に金・...

竿燈まつりの写真

写真提供:国立国会図書館デジタルコレクション

竿燈まつり ( 秋田県 秋田市 )

8月3日から6日までの4日間、秋田市の中心部、竿燈大通りなどで繰り広げられる祭り。この祭りの主役となる竿燈*1の最大である「大若」は、12mの竹竿に46個の提燈*2を米俵を重ねたように九段にわけて吊するすため重量が50kgに及ぶ。これを印半纏、白足袋姿の若者の差し手が囃子に合わせ額、肩、腰へと倒れないようバランスをとりながら移動させ...

大曲の花火の写真

写真提供:一般社団法人秋田県観光連盟

大曲の花火 ( 秋田県 大仙市 )

JR秋田新幹線・奥羽本線大曲駅から南西に2kmほどの雄物川河畔「大曲の花火」公園で毎年8月最終土曜日に全国から約30社の花火業者が参加し、花火師たちが腕を競い合い、厳正な審査が行われる競技大会。17時10分から始まる「昼花火の部」と18時50分から始まる「夜花火の部」と合わせて約1万8千発の花火が打ち上げられる。  「大曲の花火」は...

横手のかまくらの写真

写真提供:一般社団法人秋田県観光連盟

横手のかまくら ( 秋田県 横手市 )

ドイツの建築家ブルーノ・タウト*1が「雪中の静かな祝祭」*2と称した、横手の「かまくら」は毎年2月15日、16日に催され、16日、17日の「梵天(ぼんでん)」*3や市内各所に雪像が展示される「雪の芸術」と合わせ、「横手の雪まつり」として開催される。  かまくらは、高さ3mあまりの雪室で、内部正面に祭壇を穿ち、御幣をたてて水神様を祭って...

男鹿のナマハゲの写真

男鹿のナマハゲ ( 秋田県 男鹿市 )

大晦日の夜、ナマハゲとなった地区の青年たちが藁蓑をまとい包丁を手にウォーウォーと叫んで民家を回る男鹿半島の民俗行事である。  「ナマハゲ」に扮する未婚の青年が男鹿一帯のそれぞれの集落の神社に集まったのち数人ずつ集落に下りて一軒一軒回って歩く。「なまけものはいねガァ」、「親の言うこときかね子はいねガァ」などと子供たち...

大日堂舞楽の写真

写真提供:鹿角市

大日堂舞楽 ( 秋田県 鹿角市 )

例年1月2日にJR花輪線八幡平駅近くの鹿角市八幡平の小豆沢地区にある大日霊貴神社(おおひるめむちじんじゃ:通称大日堂)1*の拝殿中央に設けられた10尺(約3m)四方の特設舞台で、古くからこの地方に伝承される舞楽が、鹿角市八幡平の大里、谷内、小豆沢、長嶺4つの集落の能衆と呼ばれる氏子によって交替で多彩な舞楽を奉納する。  舞楽奉納*2...

玉川温泉の写真

玉川温泉 ( 秋田県 仙北市 )

JR花輪線鹿角花輪駅から南へ約35km、焼山(標高1,366m)の西麓、八幡平(1613m)と田沢湖を結ぶ道の途中、標高800mほどの所にある。温泉の周辺は、焼山の火山活動が活発で、いたるところから噴気があがっており、江戸時代からすでに硫黄が掘り出されていた。その際に温泉の湧出については、毒水*1源として確認されていた。1882(明治15)年に...

乳頭温泉郷の写真

乳頭温泉郷 ( 秋田県 仙北市 )

JR秋田新幹線・田沢湖線田沢湖駅から乳頭温泉郷の入口にあたる「鶴の湯温泉入口」まで北東へ約15km。標高1,478mの乳頭山*1の西麓、標高600mから900mほどの先達(せんだつ)川上流の渓谷沿いに7つの一軒宿の温泉が点在している。下流から妙乃湯*2・大釜温泉*3・蟹場(がにば)温泉*4、さらに、黒湯温泉*5・孫六温泉*6があり、先達川に流れ込む...

後生掛温泉の写真

後生掛温泉 ( 秋田県 鹿角市 )

八幡平の西、焼山(標高1,336m)東麓の谷間に佇む、標高約1,000mの一軒宿の温泉で、蒸ノ湯の西方2.5km下ったアスピーテライン沿いにある。後生掛*1温泉は火山活動が盛んな温泉地獄や泥火山を沢の奥に抱え、周辺は硫黄の臭いと噴煙が充満している。  開湯は江戸中期とされ、古くから湯治場として「馬で来て足駄で帰る後生掛」と謳われていた...

泥湯温泉の写真

泥湯温泉 ( 秋田県 湯沢市 )

JR奥羽本線湯沢駅から南へ約30km。高松岳(標高1,348m)の北東麓、標高630mの山あい、高松川沿いにある。温泉施設*1は2軒。温泉の発見については、不詳だが、1814(文化11)年に訪れた紀行家菅江真澄は「泥湯山(高松岳、山伏岳、小安岳)の麓になりぬ。湯のもとに、天狗岩とていといと高き岩嶺に松生ひ、紅葉したるなど、いとおもしろし。此...

蒸ノ湯温泉の写真

蒸ノ湯温泉 ( 秋田県 鹿角市 )

JR花輪線八幡平駅から南へ約28km、八幡平の北西麓、標高1,100mの地にある。江戸時代*1からの湯治宿として知られ、オンドル式の湯治*2宿舎が数多く立っていたが、1973(昭和48)年の地すべりによって宿舎が流され、現在は少し離れた場所に木造2階建ての旅館部(客室26室)で営業を行っている。浴場は宿泊棟にある総ヒバ造りの男女別内湯と男女...

秋田県北部地方のきりたんぽ鍋の写真

写真提供:発祥の地 鹿角きりたんぽ協議会事務局

秋田県北部地方のきりたんぽ鍋 ( 秋田県 鹿角市 / 秋田県 大館市 )

新米を炊いて突きつぶし、秋田杉の串に握り付け、炭火で焼目をつけたものが「たんぽ」。これを切って用いるところから「きりたんぽ」という。この「きりたんぽ」を鶏肉・ネギ・セリ・ゴボウ・キノコ類・蒟蒻などとともに薄く味つけして煮込む鍋物料理である。「たんぽ」の名は、蒲の立ち穂を鹿角地方の方言では「たんぽ」といい、その形状が...

稲庭うどんの写真

稲庭うどん ( 秋田県 湯沢市 )

稲庭うどんは奥羽本線湯沢駅から南東へ約15kmの皆瀬川沿いの稲庭町(湯沢市)で生まれた手延べの平たい乾麺である。なめらかな舌ざわりと、つるつるとしたのどごしが特徴の麺。  稲庭うどんの始まりについては諸説あるが、1814(文化11)年にこの地を訪れた紀行家菅江真澄の「雪の出羽路」では「稲庭郷中町驛」の項で「名産御用乾饂飩とし...

康楽館の写真

康楽館 ( 秋田県 小坂町 )

JR花輪線十和田南駅から北へ約9kmにあり、旧小坂鉱山事務所の南にある。1910(明治43)年に鉱山労働者の慰安施設*1として建築され、歌舞伎、新劇、映画など芝居小屋、劇場として利用されていた。外観は木造ゴシック風の白い洋館で、正面はイギリス下見板張の外壁、棟飾や妻飾,破風板を縁取る装飾あるいは客席部の洋風の格縁天井などは洋風の...

能代ねぶながし(能代役七夕)の写真

能代ねぶながし(能代役七夕) ( 秋田県 能代市 )

例年8月上旬に行われる能代市の夏まつりで別名「役七夕(やくたなばた)」と言われ、市街地と米代川河畔で行われる。 祭り当日は、シャチを載せた城郭型の灯籠(山車)複数基がそれぞれ担当する各町内を80人ほどの若者たちによって曳き回される(自丁廻丁)。そのあと、子供たちが持った田楽灯籠を先頭に、笛と太鼓に続き、灯籠(山車)がそ...

角館武家屋敷のシダレザクラの写真

角館武家屋敷のシダレザクラ ( 秋田県 仙北市 )

角館の現在の町割りは、蘆名義勝*1により元和年間(1615~1624年)にこの地に開かれ、1656(明暦2)年、秋田(久保田)藩から佐竹(北家)義隣(よしちか)*2が所預(ところあずかり・所司代)として任ぜられ入部した。以降約200年間、明治の廃藩置県まで支配し武家屋敷*3の内町や町人の外町などの整備が進められた。シダレザクラは、佐竹北家...

角館祭りのやま行事の写真

写真提供:一般社団法人 田沢湖・角館観光協会

角館祭りのやま行事 ( 秋田県 仙北市 )

角館祭りのやま行事は、角館総鎮守神明社と勝楽山成就院薬師堂の例祭に合わせ、毎年9月7日~9日の3日間催される。18丁内から武者人形や歌舞伎人形を乗せた18台の「やま(山車)」が、7日の夕方には神明社へ参拝し、8日には江戸期にこの地を治めた佐竹北家当主の上覧を仰ぎ、8日、9日には薬師堂を参拝するため市街地で曳き回される。「やま」の...

天然秋田杉の古里「仁別国民の森」の写真

天然秋田杉の古里「仁別国民の森」 ( 秋田県 秋田市 )

JR秋田新幹線・奥羽本線秋田駅から北東へ23km、秋田市の東端にそびえる太平山の西麓一帯に「仁別国民の森(仁別自然休養林)」は広がる。「仁別国民の森」は秋田藩の藩有林*1として保護されていた歴史があり、現在は国有林で2795万m2の広大な面積を有し、標高700~800mまでは、秋田スギを主体とする針葉樹とブナ等の広葉樹の混交...

雄物川の写真

雄物川 ( 秋田県 横手市 / 秋田県 大仙市 )

雄物川は、秋田・山形県境の奥羽山脈の大仙山(標高920m)を源として、西側に出羽丘陵を見ながら上流域の山間部を抜け横手盆地の西縁を北流しながら皆瀬川、横手川などの支流を合わせ、大曲付近で玉川が合流し屈曲を繰り返す中流域を経て、秋田空港近くで北西に流れを変える。そこで下流域となる秋田平野に出て秋田市新屋では旧雄物川を分派...

十和田ホテル本館の写真

十和田ホテル本館 ( 秋田県 小坂町 )

十和田湖の西畔、湖を見渡す高台に建つホテル。本館と新館の2棟が並ぶが、本館は1938(昭和13)年に竣工し、翌年6月に県営ホテルとして開業した。本来は1940(昭和15)年に開催予定であった「東京オリンピック」を前に、政府の要請で全国に建てられた訪日外国人観光客向けの宿*1としての、ホテルのひとつだった。しかし、オリンピックが中止...

毛馬内の盆踊の写真

写真提供:一般社団法人秋田県観光連盟

毛馬内の盆踊 ( 秋田県 鹿角市 )

秋田県鹿角市毛馬内地区に伝承されている盆踊。毎年8月21日から23日の3日間、地区の「こもせ通り」の真ん中に数ヵ所かがり火を並べ、盆踊の会場としている。  由来は定かではないが、すでに文化・文政年間(1804~1830年)に書かれた、紀行家菅江真澄の「鄙廼一曲(ひなのひとふし)」に盆踊唄「大(だい)の阪(坂)ぶし」の記事があること...

土崎港曳山まつりの写真

写真提供:一般社団法人秋田県観光連盟

土崎港曳山まつり ( 秋田県 秋田市 )

JR男鹿駅から西へ200mほどのところにある土崎神明社*1の祭礼で、神輿の渡御に合わせて、町内を曳山が巡行する。例年7月20日、21日の両日に行われる。祭礼は町を挙げて行われ、旧47町内が9つの組に分かれて当番を務め、祭礼の3か月ほど前から様々な神事や曳山の蔵出し、製作、飾り付けなどの準備が進められる。曳山*2の台数は年により異なるが...

花輪ばやし(花輪祭の屋台行事)の写真

花輪ばやし(花輪祭の屋台行事) ( 秋田県 鹿角市 )

花輪祭の屋台行事(通称:花輪ばやし)はJR花輪線鹿角花輪駅から東約3kmにあるこの地方で古くから産土神として信仰を集めていた幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)*1の例大祭の祭礼囃子として伝承されてきた。祭、囃子*2の起源については、定かではないが、明確な記録*3としては、1765(明和2)年の尾去沢銅山の「御銅山御定目帳」のなか...

旧料亭金勇の写真

旧料亭金勇 ( 秋田県 能代市 )

JR五能線能代駅から西へ900mのところにある。1937(昭和12)年に秋田スギなどの良材をふんだんに使って施工された大規模和風建築物。1階には庇、2階のガラス窓に手摺りがつけられ、正面及び側面の両端は入母屋造の屋根となっている。室内は、110畳ほどの2階大広間をはじめとして各部屋とも手が込んだ造作がなされており、秋田スギほか、マツ...

森吉山の写真

森吉山 ( 秋田県 北秋田市 )

秋田県の中央部の東、米代川に合流する阿仁川の上流にそびえる形の整った成層型楯状火山*1といわれ、那須火山帯*2に属している。森吉山はカルデラ*3内の中央火口丘である最高峰向岳(標高1,454m)を中心に、一ノ腰(標高1,264m)、前岳(標高1,308m)、カンバ森(標高1,187m)、ヒバクラ岳(標高1,326m)小池ヶ原(標高1,280m)の外輪山から...

増田町の内蔵と町並みの写真

増田町の内蔵と町並み ( 秋田県 横手市 )

JR奥羽本線十文字駅から南東に約3km、増田町の中心街の中町、七日町商店街通り(中七日通り)には、「内蔵」と呼ばれる土蔵を擁する明治から昭和期の商家などが建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区(約10.6万m2)に選定されている。増田町は雄物川の支流、成瀬・皆瀬両河川の合流点にある市場町*1として江戸時代から発展してき...

小安峡大噴湯の写真

小安峡大噴湯 ( 秋田県 湯沢市 )

JR奥羽本線湯沢駅から南東へ約30km、栗駒山(標高1,626m)西麓を流れる皆瀬川の上流に、約8kmの険しいV字谷の小安峡がある。その谷底の川岸には、轟音とともに98℃の熱湯を噴き出す大噴湯があり、高低差60mほどを降りると、その先に渓流沿いの遊歩道が続く。この遊歩道は上流、下流2個所の駐車場から降りることができ、徒歩片道30分ほど。岩壁...

風の松原の写真

風の松原 ( 秋田県 能代市 )

能代市街の西側、米代川河口をはさむ能代海岸に広がるクロマツ700万本の防砂林。東西幅1km、南北総延長14km、 面積約760万m2の規模を誇り、現在は砂防の役割のみならず、市民のレクリエーションの場ともなっている。かつては「能代海岸防砂林」とされていたが、1987(昭和62)年に愛称を公募し、「風の松原」と命名された。  風...

大潟村の「桜と菜の花ロード」と農業景観の写真

写真提供:大潟村役場

大潟村の「桜と菜の花ロード」と農業景観 ( 秋田県 大潟村 )

わが国第2の大きさの湖であった八郎潟*1の約5分の4が干拓されて172km2にも及ぶ大水田地帯に変貌した。残り5分の1は船越水道の防潮水門により日本海と遮断された淡水の調整池となっており、干拓地に用水を提供している。  「桜と菜の花ロード」は干拓地の中央部を東西に走る県道で、総延長11kmにわたり、菜の花が帯のように植えられ、さら...

強首温泉 樅峰苑の写真

強首温泉 樅峰苑 ( 秋田県 大仙市 )

JR奥羽本線峰吉川駅の西へ約4km、雄物川を渡った強首*1集落のなかに建つ。宿の建物は、江戸時代からの豪農であった小山田家*2が1917(大正6)年に建築した本邸で、1966(昭和41)年から旅館を営んでいる。屋根の千鳥破風、軒唐破風付き入母屋とムクリ破風の玄関など豪壮な正面構えとなっており、また、1914(大正3)年の秋田仙北地震*3後の建...

秋田駒ヶ岳の写真

秋田駒ヶ岳 ( 秋田県 仙北市 / 岩手県 雫石町 )

秋田駒と呼ばれる、田沢湖の北東にある火山である。頂上部は楕円形の大きな火口があり火口内にある火口丘を女岳(めだけ)と呼び、外輪山に男岳(おだけ)と標高1,637mの最高峰男女(おなめ:女目とも)岳がそびえている。那須火山帯*1に属し、近年では1970(昭和45)年9月に女岳でマグマ噴火があり、約4カ月で噴火は停止したものの、その後...

十和田湖の写真

十和田湖 ( 青森県 十和田市 / 秋田県 小坂町 )

青森・秋田の県境にまたがる二重カルデラ*1湖。湖は東西約10km、南北約10km、面積は約61km2で、南側から中山・御倉(おぐら)の両半島が突き出し、全体としてはクルミを割ったような形をしている。水面標高は400m、最大水深は327mと秋田県の田沢湖、北海道の支笏湖に次いで第3位である。貧栄養湖*2で、透明度*3は約12m、水色はフ...

赤神神社五社堂の写真

赤神神社五社堂 ( 秋田県 男鹿市 )

JR男鹿線男鹿駅から男鹿半島の西海岸を西へ約13km、本山(標高715m)の中腹、標高約180mの高台に五社堂は建つ。参道*1は船川港門前にある赤神神社遥拝殿の横にあり、長楽寺の脇を通り、999段とされる石段が参道となっている。   五社堂は、向かって右から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂*2の5棟が並列しており、い...

払田柵跡の写真

払田柵跡 ( 秋田県 大仙市 )

JR秋田新幹線・奥羽本線大曲駅から東へ約6km、横手盆地の北部、仙北地方の平野部にある真山・長森の2つの小丘陵*1を取り込むように展開する遺跡。遺跡周辺は「あきたこまち」で知られる稲作地帯で水田が広がる。  払田柵跡の発見は、明治30年代に行われた耕地整理の際、土中から角材が並んで発見されたことが端緒である。規則的・連続的に...

旧池田氏庭園の写真

写真提供:一般社団法人大仙市観光物産協会

旧池田氏庭園 ( 秋田県 大仙市 )

JR秋田新幹線・奥羽本線大曲駅から南東へ約4kmのところにある庭園。この庭園は旧池田家*1の邸宅に属していたもので、横手盆地北部、仙北地方の平野部のほぼ中央部に位置している。邸宅の敷地面積は約4.2万m2に及ぶ。周囲は「あきたこまち」の米作地帯で耕地整理が良くなされた水田が広がり、東に奥羽山脈、南西に鳥海山を遠望する...

蔵王山の写真

蔵王山 ( 山形県 上山市 / 宮城県 川崎町 )

奥羽山脈の南部に位置し、山形・宮城両県にまたがる南北約30kmの火山群の総称である。蔵王山という固有の山はなく、最高峰の熊野岳*をはじめとする多くの峰の連なりであり、蔵王連峰ともいう。那須火山帯に属し、旧火山群の南蔵王と新火山群の中央・北蔵王*に分けることができる。古来、刈田嶺(かつたみね)と呼ばれていたが、天武天皇の...

朝日連峰の写真

写真提供:朝日町役場

朝日連峰 ( 山形県 朝日町 )

朝日連峰は、山形・新潟の県境に大朝日岳(1,871m)を主峰として、南北60km、東西30kmにわたって標高1,500m以上の山並み*が連なり、地質的には花崗岩と中古生層から成る褶曲山塊だ。周氷河地形や雪食地形*が見られ、大朝日岳の主稜線の東西で地形が大きく異なる非対称山稜を形成している。多雪地帯で植生は森林帯と高山帯の中間となる亜高...

鳥海山の写真

写真提供:遊佐町役場

鳥海山 ( 山形県 遊佐町 / 秋田県 )

秋田と山形との県境にそびえる鳥海山は標高2,236mで、東北地方では福島県の燧ヶ岳(標高2,356m)についで2番目に高い山。鳥海山の山域は、地形的には、東部の出羽丘陵山地、中部から西部の独立峰をなす鳥海火山で形成されており、西は日本海に直接落ち込み、南西部は庄内平野が広がる。鳥海火山は成層火山で日本有数の規模を誇り、おおまかに...

最上川の写真

写真提供:戸沢村観光物産協会

最上川 ( 山形県 長井市 / 山形県 戸沢村 )

最上川は、山形と福島との県境、西吾妻を発し、山形県内の置賜*・村山・最上・庄内の各地方を貫き、約400の支流を集め、酒田市で日本海に注ぐ。最上川の全長は229kmで全国7位、流域面積7,040km2、流域人口約100万人を誇る。  現在は河川改修により流れは穏やかになっているが、かつては球磨川・富士川とともに日本三大急流の一...

蔵王の樹氷の写真

写真提供:一般社団法人 山形市観光協会

蔵王の樹氷 ( 山形県 山形市 / 山形県 上山市 )

蔵王の冬のシンボル。シベリアから吹いてくる季節風が、日本海の水分を含み朝日連峰を越える時急激に冷却されて水滴となり、これと雪雲のなかの雪片がアオモリトドマツに繰り返し付着して凍りつき樹氷となる。風上に向かって成長し、さらにその上に雪が積もって人の形に似てくることから、スノーモンスターの愛称もある。  樹氷ができる時...

善寳寺の写真

善寳寺 ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線鶴岡駅の北西約10km、湯野浜温泉から約4km。鶴岡市の西部にあり、市街地と日本海を隔てるように立つ高館山の北東麓に、庄内平野と向かい合うようにある。天慶・天暦年間(938~957)の創建と伝えられ、その開基に関する伝承は、平安末期の説話集「今昔物語集」*にも載っている。境内にある貝喰の池には龍神伝説*があり、そのため...

本山慈恩寺の写真

本山慈恩寺 ( 山形県 寒河江市 )

JR左沢線羽前高松駅から北へ約2kmにある。746(天平18)年に聖武天皇の勅命により、東大寺の毘盧遮那仏(大仏)の開眼を行った導師婆羅門僧正が開山したとも伝えられる古寺で、聖武・鳥羽・後白河3帝の勅願所であった。宗派としては当初、興福寺系の法相宗であったが、その後、天台、真言、時宗の影響もうけ、同時に葉山権現など修験道との関...

山居倉庫の写真

山居倉庫 ( 山形県 酒田市 )

JR羽越本線酒田駅から南へ約2km、市街の南部、新井田川の河口近くにある庄内米の貯蔵庫。酒田は古くから庄内のみならず、奥羽地方の米の集散地*であった。現在の倉庫は酒田米穀取引所*の設立に尽力した旧庄内藩の藩主酒井家が、取引所の付属施設として1893(明治26)年に建設したものである。米の収容能力は、最大時の昭和初期には15棟で約...

銀山温泉の写真

銀山温泉 ( 山形県 尾花沢市 )

JR奥羽本線大石田駅から東へ約17km、尾花沢盆地の平野部の農村地帯を抜け銀山川を登りつめ少し緩やかに下ると、大正末期から昭和初期に建てられた3層・4層の木造旅館をまじえ14軒の湯宿が川を挟んで建ち並ぶ、こじんまりとした温泉街にたどり着く。  銀山温泉の名は1456(康正2)年儀賀市郎左衛門がこの地で延沢銀山を発見し江戸初期には銀...

蔵王温泉の写真

蔵王温泉 ( 山形県 山形市 )

蔵王連峰の西麓、標高約880mに位置し、背後に広がる蔵王スキー場の基地としても賑わう温泉で、奥羽三高湯*の一つである。街の中央、高湯通りを中心に数十軒の旅館が軒を連ね、硫黄の臭気が鼻をつく。伝承では、西暦110年、東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の家臣吉備多賀由(キビノタガユ)が戦いで傷ついた折、この湯を見つけ、完...

飯豊山(飯豊連峰)の写真

飯豊山(飯豊連峰) ( 山形県 小国町 / 福島県 / 新潟県 阿賀町 )

山形、福島、新潟の3県にまたがる飯豊連峰の総称。標高2,128mの大日岳を最高峰に、飯豊本山とも呼ばれる飯豊山(標高2,105m)など、2,000m級の山々*が約20kmにわたって連なる。花崗岩と中古生層から成る褶曲山地で、氷河地形、周氷河地形及び雪食地形*が見られ、稜線の東西で地形が大きく異なる非対称山稜を形成している。植生も雪田群落な...

本間家旧本邸の写真

写真提供:本間家旧本邸

本間家旧本邸 ( 山形県 酒田市 )

JR羽越本線酒田駅の西南約1km、山居倉庫から北東に500mほどのところにある。酒田の豪商、本間家*3代光丘が1768(明和5)年に幕府の巡見使一行の宿として建築し、庄内藩主酒井家に献上した武家屋敷。その後、本間家が拝領し、代々、本邸として使用した。一つ屋根の下に武家屋敷と商家造り*が一体となった全国的にも珍しい建物である。  敷...

山形市郷土館(旧済生館本館)の写真

山形市郷土館(旧済生館本館) ( 山形県 山形市 )

JR奥羽本線山形駅からすぐ北に広がる霞城公園*内に建つ。現在、山形市郷土館として使用されている旧済生館本館は、1878(明治11)年に創建された。1階は八角形、2階は十六角形をした3層4階建ての擬洋風建築物*である。初代山形県令の三島通庸*は政府の威信を高め、近代化を推し進めるために、街の中心部に県庁、郡役所、師範学校など多く...

山形花笠まつりの写真

写真提供:山形県花笠協議会

山形花笠まつり ( 山形県 山形市 )

毎年8月5日~7日の三日間にわたり、山形市内で繰り広げられる祭り。祭りの見どころは夕方からはじまる花笠パレードである。市の中心街である十日町角から市役所前までの約1.2kmを「花笠音頭」に合わせて、3日間延べ約1万数千人の踊り手が集団ごとに、山車に先導されて踊る。踊り手は、特産の紅花をあしらった花笠を手に、団体ごとに揃いの浴...

新庄まつりの写真

写真提供:新庄市

新庄まつり ( 山形県 新庄市 )

毎年8月24日~26日の3日間、新庄市内で開催される。1756(宝暦6)年、新庄藩主5代戸沢正諶(まさのぶ)が、前年の大凶作に疲弊した領民たちを鼓舞し、五穀豊穣を祈るために、氏神である城内天満宮の新祭を始めたのが起源とされる。このため、当初は藩主が在城する隔年で行われていたと伝えられている。  24日は、戸沢家*の始祖などを祀る...

黒川能の写真

黒川能 ( 山形県 鶴岡市 )

鶴岡市の中心街から南へ約10kmの黒川集落にある春日神社*の神事能で、氏子(農民)によって継承されてきた。起源は諸説あり、9世紀後半に清和天皇が黒川を訪れた際に伝えられたとするものや、15世紀初めに後小松天皇の第三王子小川の宮が黒川に入り、その従者が伝えたとするものがあるが、いずれも口伝の域をでない。史料記録などはないもの...

黒森歌舞伎の写真

写真提供:酒田市教育委員会

黒森歌舞伎 ( 山形県 酒田市 )

JR羽越本線酒田駅から南に10kmほどの酒田市黒森に伝わる農村歌舞伎。起源は不詳だが、江戸時代中期の享保年間(1716~1736年)ころからはじめられ、黒森日枝神社*の祭礼(旧暦の小正月)に合わせ、境内の常設の舞台で、毎年2月15日と17日に奉納上演される。演じるのはすべて「妻堂連中」*という地元住民。伝承演目は、現在、高田馬場十八番...

天童桜まつりの写真

写真提供:一般社団法人 天童市観光物産協会

天童桜まつり ( 山形県 天童市 )

天童桜まつりは、毎年4月上旬から5月上旬にかけて開かれる祭りで、会期中は「人間将棋」「子ども将棋大会」「天童百面指し」「しだれ桜まつり」*「天童花駒踊りフェスティバル」などが市内各所で開催される。  メインイベントは、1956(昭和31)年から催されている「人間将棋」(4月第3土、日曜日)だ。当初は「将棋野試合」と呼ばれ、天...

酒田まつり(酒田山王祭)の写真

写真提供:酒田市

酒田まつり(酒田山王祭) ( 山形県 酒田市 )

1609(慶長14)年に創始したとされる上・下日枝神社の例大祭「山王祭」*は、1976(昭和51)年の酒田大火からの復興と防災の願いを込め、1979(昭和54)年以降は「酒田まつり」として毎年5月19日~21日に開催している。  19日の宵祭りでは、2008(平成20)年から復活した高さ22.36mの立て山鉾に日没とともに明かりを灯し、中心街を巡行する...

米沢上杉まつりの写真

米沢上杉まつり ( 山形県 米沢市 )

米沢上杉家*の家祖である上杉謙信を祀る上杉神社と、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続などを祀る松岬神社の春の例大祭に合わせ、米沢市を挙げての春の祭り。毎年4月29日~5月3日に開催される。第2次世界大戦前は「県社のまつり」あるいは「城下のまつり」といわれ、神輿渡御や武者行列などを行っていた。戦後、復興が進むなか、両神社の例大祭...

鶴岡市立加茂水族館(クラゲドリーム館)の写真

鶴岡市立加茂水族館(クラゲドリーム館) ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線鶴岡駅から西へ13km、湯野浜温泉の南約4km、日本海に面した海岸に立つ。前身となる水族館は昭和初期よりあったが、1964(昭和39)年から移転・新築し開館。経営的には厳しい時期もあったが、クラゲに特化した水族館を目指すこととし、2005(平成17)年にはクラゲの展示種類数が世界一の水族館となり、2012(平成24)年には世界記録...

本間美術館の写真

本間美術館 ( 山形県 酒田市 )

JR羽越本線酒田駅の北西約500mにある。美術館は、2万m2の敷地内に、本館の京風建築の清遠閣と池泉回遊式庭園の鶴舞園、および美術展覧会場の新館からなる。清遠閣と鶴舞園は、酒田の豪商、大地主として知られた本間家*の4代光道が藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として別荘を造ったのがはじまり。  清遠閣は、茶室「六明廬」を備...

土門拳記念館の写真

写真提供:公益財団法人 土門拳記念館

土門拳記念館 ( 山形県 酒田市 )

酒田市の中心街から南へ2km、飯森山公園内にある。酒田市出身の昭和を代表する写真家土門拳*の全作品7万点を収蔵している。代表作の『古寺巡礼』をはじめ『室生寺』『文楽』『ヒロシマ』『風貌』などが展示されている。谷口吉生の設計による記念館は、公園の緑を背景に遠く鳥海山を望み、人口池に突き出した短形状のシンプルなものだが、周...

肘折温泉の写真

肘折温泉 ( 山形県 大蔵村 )

JR山形新幹線の終着駅である新庄駅から南西へ約28km、カルデラ地形*の底を流れる銅山川のほとりに肘折温泉がある。そこから約1km離れた西の黄金(こがね)温泉、南の石抱(いしだき)温泉*と合わせ、肘折温泉郷と総称している。  肘折温泉の開湯には諸説があり、もっとも古い説では807(大同2)年ともいわれるが、1390(明徳元)年に月山...

滑川温泉の写真

滑川温泉 ( 山形県 米沢市 )

国道13号線の山形県と福島県の県境近くから県道、林道で約10km。東大巓(標高1,927m)の東北麓、標高850mほどのところにあり、前川の渓谷右岸にすっぽりとはまるように建つ一軒宿の温泉。開湯は1763(宝暦13)年。温泉に至る道は旧米沢街道の一部で、途中、旧道の小径に石畳も残されている。  静養、湯治向きの温泉で、家形山(いえがたや...

姥湯温泉の写真

姥湯温泉 ( 山形県 米沢市 )

国道13号線の山形県と福島県の県境近くから県道、市道*で約14km。滑川温泉からは山道を4kmほどの一軒宿の温泉。吾妻山系の稜線に近い標高1,230mの深い渓谷の中にある。  温泉の周囲は切り立った黄褐色の断崖絶壁で、渓谷はガレ場を呈しており、その中を渓流が駆け下っている。断崖の上や渓谷の下流は、コメツガ・ブナ・ダケカンバなどの原...

神室山の写真

写真提供:新庄市

神室山 ( 山形県 新庄市 / 山形県 金山町 / 秋田県 湯沢市 )

山形・秋田の県境にあり、栗駒国定公園の一角を占める。神室山(1,365m)を主峰に、黒森(1,057m)、水晶森(1,097m)、前神室山(1,342m)、天狗森(1,302m)、最高峰の小又山(1,367m)、火打岳(1,237m)などの山々が連なる。壮年期の隆起山塊で、多雪地帯で気候が厳しいことから、稜線は非対称に削ぎ落とされ、急峻な山容をみせる...

葉山(村山)の写真

写真提供:寒河江市

葉山(村山) ( 山形県 村山市 / 山形県 寒河江市 )

村山市西端に位置し、北は大蔵村、南は寒河江市との境にあたる。麓の村山平野側からみると、連なる稜線と山容は馬蹄型になっており、火山であった面影を残す。山麓から山頂近くまでブナの原生林が見られ、県の天然記念物に指定されているトガクシショウマをはじめ、ドウダン、チングルマ、ハクサンシャクナゲ等の高山植物の群生地もある。山...

熊野大社の写真

熊野大社 ( 山形県 南陽市 )

赤湯駅から北へ約5km、町並みを見下ろす丘の上にある。創建*の由緒は不明だが、8世紀にはすでに山岳信仰などの下地があった東北地方に熊野信仰*が浸透しつつあることを背景に、806(大同元)年に平城天皇の勅命により紀伊の熊野三山の神々が勧請され再建されたという。そののち、慈覚大師の天台系などの仏教宗派の影響を受けた古社である。...

上杉家廟所の写真

上杉家廟所 ( 山形県 米沢市 )

JR米坂線西米沢駅から約1km、JR山形新幹線米沢駅からは約4kmの米沢市街の西部にある。上杉家*の初代謙信から12代斉定(なりさだ)までの歴代藩主の廟所。杉木立に囲まれた約2万m2の敷地に謙信の廟が中央に建ち、右側に奇数代の藩主、左側に偶数代の藩主の霊屋形式の廟が並んでいる。霊屋の前には家臣が寄進した燈籠群が整然と立...

ベニバナの写真

写真提供:山形県

ベニバナ ( 山形県 山形市 / 山形県 天童市 / 山形県 寒河江市 / 山形県 上山市 )

キク科でアザミによく似た花をもち、古くから染料や口紅の原料として使用されていた。原産地は未詳だが、中近東だとされている。日本にはすでに3世紀には伝来していたといわれ、万葉集*にも「久礼奈為」、「呉藍」などとして詠み込まれており、10世紀後半に編纂された「和名類聚抄」には「紅藍」*の記載がある。  山形での栽培が始まった...

烏帽子山公園のサクラの写真

写真提供:南陽市観光協会

烏帽子山公園のサクラ ( 山形県 南陽市 )

JR山形新幹線赤湯温泉駅から東へ約1.4km、赤湯温泉の裏手にあり、烏帽子山八幡宮*の社域が公園になっている。桜の名所で、米沢(置賜)盆地をはじめ吾妻、飯豊、朝日連峰の好展望地である。  この公園は1875(明治11)年に温泉客向けにサクラなどの花木を植えたのが始まりである。その後、町が2度の大火に遭うなどして公園の拡張事業は困...

山形板そばの写真

写真提供:村山市

山形板そば ( 山形県 村山市 )

そば自体は、日本においても他の雑穀として混ぜ粥状にしたり、餅状にしたそばがきにしたりして、古代から食されてきた。現在の細長い麺の形になったのは、江戸初期の頃に「そば切り」が考案されたからだといわれている。その後、各地でその風土や文化に合わせ、そばの打ち方、つなぎ、出汁、付け合わせ、食べ方、そして、それに応じた器など...

芋煮会の写真

芋煮会 ( 山形県 全県 )

芋煮会は、河原で天高く晴れわたった秋の空のもと、サトイモ*、牛肉、コンニャク、ネギなどをしょうゆベースの出汁で煮て食べる行事。日本海岸側の庄内地方では牛肉のかわりに豚肉を使用し、うまみを出すために酒粕をいれ味噌仕立てで煮るなど、山形県内においても材料や出汁の違いは見られる。  起源は諸説あるが、 もっとも代表的なもの...

致道博物館の写真

写真提供:公益財団法人 致道博物館

致道博物館 ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線鶴岡駅から南西に約2km、鶴岡公園の西にある。致道博物館は1950(昭和25)年、旧庄内藩主*酒井家が土地建物および伝来の文化財などを寄付し、開設された。現在は、庄内藩第11代藩主酒井忠発の隠居所であった御隠殿(ごいんでん)を中心に、明治前期に建設された旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎、田麦俣の多層民家旧渋谷家住宅が...

山五十川の玉スギの写真

山五十川の玉スギ ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線五十川駅から五十川沿いに6kmほど山間に入り、支流の温俣川がつくる沢の斜面にある熊野神社の境内に立つ。樹高36.8m、根元幹囲が22.2m、目通幹囲11.4mの杉の巨木で半球状の樹冠を有し、姿が良いことから、この名がついたという。樹齢は1,500年くらいといわれているが、樹勢は旺盛で太い根幹は斜面をしっかりつかみ、一部は地表に露...

旧有路家住宅(封人の家)の写真

写真提供:最上町教育委員会

旧有路家住宅(封人の家) ( 山形県 最上町 )

JR陸羽東線堺田駅の北東400m、国道47号に面している。雪の多い東北地方によくみられる広間型*と呼ばれる造りの約81坪の民家。築300年以上といわれ、松尾芭蕉*が「おくのほそ道」*の旅で宿泊したとされる唯一の現存する家である。  芭蕉は雨に降り込まれ、この家に1689(元禄2)年5月15日から17日(新暦では7月1日から3日)まで滞在した...

旧致道館の写真

旧致道館 ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線鶴岡駅から南へ約2km、鶴岡公園の東南、鶴岡市役所前に位置する。致道館は庄内藩*酒井家第9代藩主酒井忠徳が藩制の緩みから武士の風紀の退廃を案じ、学問により正すことを目指し、1805(文化2)年に創設した庄内藩の藩校。致道館の名称は、論語の「君子學以致其道(君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス)」による。当初は鶴ケ岡城の城外に...

国指定史跡 松ヶ岡開墾場の写真

写真提供:鶴岡市役所

国指定史跡 松ヶ岡開墾場 ( 山形県 鶴岡市 )

JR羽越本線鶴岡駅から南東約8kmにある。譜代大名・酒井氏を藩主とする庄内藩は、江戸時代末期、江戸市中取締まり役を担い治安を守っていた。1867(慶應3)年、幕命により江戸の薩摩藩焼き討ちを決行したことをきっかけに、翌年、鳥羽・伏見の戦いが起こり、戊辰戦争が始まる。庄内藩は会津藩らとともに新政府軍と戦ったが、会津藩が破れ、最...

燧ヶ岳の写真

写真提供:尾瀬檜枝岐温泉観光協会 

燧ヶ岳 ( 福島県 檜枝岐村 )

尾瀬沼の北にそびえる山で、尾瀬ヶ原・尾瀬沼の原型をつくり出した火山である。花崗岩を基盤として北は成層火山、南は小さい火口湖を抱く鐘状火山の様相を示しており、山頂は三角点のある爼嵓(まないたぐら)、最高峰(標高2,356m)の柴安嵓(しばやすぐら)、ミノブチ岳、赤ナグレ岳、御池岳の5峰からなっている。  登山道はブナ・オオシ...

会津駒ケ岳の写真

写真提供:尾瀬檜枝岐温泉観光協会 

会津駒ケ岳 ( 福島県 檜枝岐村 )

檜枝岐村の北西にある会津駒ケ岳*は標高2,133m。隆起平原が浸食されて生成された山なので、麓から尾根に向かい急坂が続くが、山頂部や尾根筋は平たん部も多く残されている。雪解け後には山頂付近に駒ノ大池が現れ、中門岳に伸びる稜線には池塘が点在し、7月上~中旬にかけハクサンコザクラなどの高山植物が咲く。頂上付近には北方的なオオシ...

三条ノ滝の写真

写真提供:尾瀬檜枝岐温泉観光協会 

三条ノ滝 ( 福島県 檜枝岐村 )

平滑ノ滝の約1km下流にある。檜枝岐側の御池からは上田代、兎田代分岐を経て展望台まで7kmあまり。尾瀬ケ原を流れるヨッピ川、沼尻川などを集めた只見川の上流にある。豊富な水を、高さ100m、幅30mで一気に落とし込む豪壮な滝である。水量が減少する時期には三筋に分かれて落下するのでこの名がある。滝は登山道から少し下ったところにある展...

桧原湖の写真

桧原湖 ( 福島県 北塩原村 )

猪苗代湖の北、会津若松の市街の北東に聳える磐梯山の北麓には、磐梯高原あるいは裏磐梯と呼ばれる高原地帯におよそ300の湖沼群が点在する。そのなかで最大の湖が、周囲約37.5kmの桧原湖で、水面標高は819m、最大深度は約31m。湖岸線は複雑に入り組み、南北約18km、東西約1kmの細長い形をしている。1888(明治21)年の噴火*によって磐梯山の...

小野川湖の写真

小野川湖 ( 福島県 北塩原村 )

猪苗代湖の北、会津若松の市街の北東に聳える磐梯山の北麓には、磐梯高原あるいは裏磐梯と呼ばれる高原地帯におよそ300の湖沼群が点在する。そのなかで3番目の大きさの湖が小野川湖である。東側に桧原湖、西側に秋元湖があり、水面標高794m、周囲約9.8km、最大深度約22m、北東から南西に約4kmと細長い形をしている。  小野川湖は、1888(明...

秋元湖の写真

秋元湖 ( 福島県 北塩原村 )

猪苗代湖の北、会津若松の市街の北東に聳える磐梯山の北麓には、磐梯高原あるいは裏磐梯と呼ばれる高原地帯におよそ300の湖沼群が点在する。そのなかで秋元湖は周囲約19.8kmと2番目の大きさの湖。水面標高736m、最大深度約34mで東西に細長い形をしている。秋元湖は、1888(明治21)年の噴火*で小磐梯という磐梯山の北側の山が山体崩壊し、吾...

吾妻連峰の写真

写真提供:福島市商工観光部観光交流推進室

吾妻連峰 ( 福島県 北塩原村 / 山形県 米沢市 )

福島市の西部から山形県境に広がる山塊で、最高峰2,035mの西吾妻山(にしあづまやま)をもつ西吾妻と、東大巓などの中吾妻、いまだに噴煙をあげる一切経山(いつさいきようざん)を含む東吾妻に大別され、火山群としても東吾妻火山、中吾妻火山、西吾妻火山の3つにくくることができ、東西20km、南北12kmの200km2を超える広大な面...

雄国沼湿原の写真

雄国沼湿原 ( 福島県 北塩原村 )

磐梯山の西にそびえる猫魔ガ岳(標高1,404m)・厩岳山(同1,261m)・古城ガ峰(同1,288m)・雄国山(同1,271m)など、猫魔火山の外輪山に囲まれて雄国沼*があり、沼の西岸から南岸にかけては、周囲の山からの流水、湧水によって、排水の悪い緩傾斜に谷湿原が発達している。これが雄国沼湿原である。とくに南岸は水辺から500~600mの幅で広が...

五色沼の写真

五色沼 ( 福島県 北塩原村 )

桧原湖南端のバス停磐梯高原駅から秋元湖寄りの裏磐梯ビジターセンター*(バス停五色沼入口)までの3.6kmの探勝路周辺に散在する大小30余りの沼を総称して五色沼湖沼群という。探勝路からは10数個の湖沼が観察できる。  この湖沼群は1888(明治21)年の噴火*で磐梯山北側の山、小磐梯の山体崩壊により、岩屑雪崩が生じ、長瀬川とその支流...

花見山公園の写真

写真提供:一般社団法人 福島市観光コンベンション協会

花見山公園 ( 福島県 福島市 )

JR東北本線・東北新幹線福島駅から東南へ直線距離で約3.4km、標高180mほどの山を花木で埋め尽くした個人所有の公園。  この公園は、1935(昭和10)年ごろから山の所有者である阿部家が開墾し、出荷用の花卉(かき)生産のためにウメやサクラなどの花木を植えたことに始まる。その後も家族で営々と花木を植え育て続け、山全体が花の山となっ...

高湯温泉の写真

写真提供:高湯温泉観光協会

高湯温泉 ( 福島県 福島市 )

JR東北本線・東北新幹線福島駅から西へ約16km、吾妻山の北東山腹、標高750mにあり、磐梯吾妻スカイライン北入口にあたる。9つの源泉を引き湯した6軒ほどの旅館が、道路沿いに緑に埋もれるように点在する。  開湯は江戸時代初期慶長年間(1596~1615年)*といわれ、古くから湯治場として知られてきた。現在も自然湧出している源泉をアカマ...

史跡慧日寺跡の写真

史跡慧日寺跡 ( 福島県 磐梯町 )

JR磐越西線磐梯町駅北約1.5km、磐梯山へ連なる山並みの山裾にある。平安時代初期に徳一*が開いた慧日寺は、江戸後期の『新編会津風土記』によると、「徳一當寺ニスミセシヨリ以來相續テ寺門益繁榮シ子院モ三千八百坊ニ及ヒ數里ノ間ハ堂塔軒ヲ比シ」たという。徳一は南都仏教の法相宗の出身だが、同寺は山岳信仰と密接な関係があり、磐梯山を...

白河関跡の写真

写真提供:白河市役所

白河関跡 ( 福島県 白河市 )

白河関跡は、JR東北本線白河駅から南へ約12kmの山間に位置している。栃木県境からは約3km北の地点に、南北約300m、東西250mほどの小高い丘があり、丘の上にはこんもりとした木立の中に白河神社が鎮座し、周囲には中世に城館として使われた際のものと考えられる空堀や土塁がみられる。  古代の白河は、陸奥国の南端に位置し、南側は下野国・...

小峰城跡の写真

写真提供:白河市役所

小峰城跡 ( 福島県 白河市 )

JR東北本線白河駅の北側約500mに位置する。小峰ヶ岡と呼ばれる標高約370m、東西約450m、南北約80mの丘陵を利用した悌郭式平山城(ていかくしきひらやまじろ)である。丘陵の西端に本丸を設け、本丸の東側と南側に二之丸や三之丸などの曲輪を階段状に配置する。曲輪の周囲には石垣や堀が設けられ、全体としては五角形のような形状をした城郭...

南湖公園の写真

写真提供:白河市役所

南湖公園 ( 福島県 白河市 )

南湖公園は、JR東北本線白河駅の南2.5kmにある。南湖は、天明の飢饉ののち、白河藩主松平定信*が1801(享和元)年に完成させた周囲約2kmの湖で、湖畔にサクラ・カエデ・マツなどを植え、「士民共楽」という理念のもと身分を問わず親しめる場所とした。文化年間(1804~1818年)には、「関の湖」、「共楽亭」、「千代松原」など南湖十七景*...

二本松城跡(福島県立霞ヶ城公園)の写真

二本松城跡(福島県立霞ヶ城公園) ( 福島県 二本松市 )

JR東北本線二本松駅の北約2km、安達太良山系の裾野に位置する白旗ケ峰(標高345m)の頂上から麓にかけて城跡が残っている。霞ヶ城とも呼ばれる。南・西・北は丘陵に囲まれ、東に向け少し開けた地形となっている。  1414(応永21)年に奥州管領畠山国氏の孫満泰が、この地を本拠地としたのが始まりとされ、1586(天正14)年まで畠山氏の居城...

田代山湿原の写真

写真提供:南会津町

田代山湿原 ( 福島県 南会津町 )

田代山は福島県南部、栃木県境にある標高1,926mの山で、台地状の頂上部に湿原が広がる。田代山は数百万年前に生成された火砕流台地*といわれている。台地面は南西から北東に向け長い楕円形をしており、その直径は長い方が約800m、短い方が約350mである。  湿原の標高は約1,920~1,970mであり、北東方向に緩く傾いた傾斜湿原となっている。...

田島衹園祭の写真

写真提供:南会津町

田島衹園祭 ( 福島県 南会津町 )

会津鉄道会津田島駅から北へ約500mにある田出宇賀(たでうが)*、熊野両神社の例大祭で、毎年7月22日、23日、24日の3日間開催される。  田島衹園祭の淵源については、この地方が文治年間(1185~1190年)頃から下野に本拠地を置く長沼氏の支配下に入り、その長沼氏の守護神が牛頭天王(衹園信仰)だったため居城の鴫山城の守護神として祀...

前沢の町並みの写真

前沢の町並み ( 福島県 南会津町 )

会津鉄道会津高原尾瀬口駅から国道352号線を西に向かって約22kmのところにある。前沢集落は、現在の金山町横田(JR只見線会津横田駅付近)に本拠地があった山内氏勝が1590(天正18)年に伊達政宗勢との戦い敗れ越後に去ったのに伴い、その家臣であった小勝入道沢西が文禄年間(1592~1595年)にこの地に移り住んだのが始まりという。このため...

檜枝岐歌舞伎の写真

写真提供:尾瀬檜枝岐温泉観光協会 

檜枝岐歌舞伎 ( 福島県 檜枝岐村 )

 檜枝岐での歌舞伎興行は、1743(寛保3)年に購入された浄瑠璃本が残されており、1810(文化7)年の絵図に舞台が描き込まれ、1846(弘化3)年に歌舞伎衣装の借用の記録があるため、江戸後期から盛んになったとされる。現在も、地元民が伝統を継承するため「千葉之家花駒座」*の名で伝承、上演活動を行っている。  檜枝岐の舞台での歌舞伎...

木賊温泉の写真

写真提供:南会津町

木賊温泉 ( 福島県 南会津町 )

会津鉄道会津高原尾瀬口駅から桧枝岐方面に向かい約30km、西根川の渓谷に数軒の宿泊施設*と共同浴場がある。標高は900mほどあり、湯治のほか渓流釣り、登山基地として利用されている。  共同浴場の露天「岩風呂」*は、道路面から急坂の小道を西根川の渓流に下った河原にへばりつくようにある。湯船は2つあり、大きな岩盤をくり抜いて造っ...

駒止湿原の写真

写真提供:南会津町

駒止湿原 ( 福島県 昭和村 / 福島県 南会津町 )

会津鉄道会津田島駅から国道289号線で西へ約10kmの針生地区から町道に入り、さらに北西に7kmほど進むと、福島県大沼郡と南会津郡の郡境が接する分水嶺地域に広がっている。標高1,135mの駒止峠の北側一帯の沢には寒地性の低層・中間・高層の3段階の湿原群*が発達し、学術的に貴重なものとされている。国の天然記念物指定保護区域で面積はおよ...

磐梯山の写真

磐梯山 ( 福島県 猪苗代町 / 福島県 磐梯町 / 福島県 北塩原村 )

福島県の中央部、猪苗代湖の北に位置する磐梯山*は、主峰の大磐梯(標高1,816m)、櫛ガ峰(標高1,636m)、赤埴山(標高1,430m)の3つの山体から成る成層火山。山頂部では櫛ヶ峰、赤埴山そして大磐梯に囲まれた標高約1,400mのところに、長径500mほどの低地沼ノ平を抱える。  磐梯山の火山活動の歴史は、約70万年前から開始されたと思われ、...

安達太良連峰の写真

写真提供:二本松市観光連盟

安達太良連峰 ( 福島県 二本松市 / 福島県 猪苗代町 )

二本松市街の西約15kmに位置する安達太良連峰は、吾妻山と土湯峠で分かれて南へ9kmにわたって延びる火山連峰である。乳首山と呼ばれる標高1,700mの安達太良山*を主峰に、南端の和尚山(標高1,601m)、主峰から北に向かって鉄山(標高1,709m)、箕輪山(標高1,728m)、鬼面山(標高1,482m)など200~500mの円錐形をした火山が連なり、主峰の...

天鏡閣の写真

写真提供:国指定重要文化財 天鏡閣 

天鏡閣 ( 福島県 猪苗代町 )

猪苗代湖の北西岸、長浜を見下ろす丘陵に立つ故有栖川宮威仁親王の旧別邸で、八角塔屋(展望室)付ルネッサンス様式風の和洋折衷の2階建洋館。1908(明治41)年の建築。建物の規模は建築面積492m2 、延床面積927m2 、総高17.9mである。皇太子であった嘉仁親王(のちの大正天皇)が「天鏡閣」と命名*した。  各部屋...

只見川の写真

只見川 ( 福島県 只見町 / 福島県 檜枝岐村 / 福島県 三島町 / 福島県 柳津町 / 福島県 会津坂下町 )

福島・群馬県境の尾瀬沼、尾瀬ヶ原に源を発し、山間部を一旦北に流れ、福島県西部では北東に向かい、途中伊南川、野尻川などを合わせ、喜多方市で猪苗代湖から来る日橋川と合流して阿賀川となる全長137kmの川。阿賀川は新潟県に入ると阿賀野川と名を変え日本海に注ぐ。  只見川の上・中流部は深い山間部で上流部の只見町までの 50kmは会津...

相馬野馬追の写真

写真提供:相馬野馬追執行委員会

相馬野馬追 ( 福島県 相馬市 / 福島県 南相馬市 )

「相馬流れ山、習いたかござれ。五月中申(なかのさる)、アノサお野馬追」と民謡「相馬流れ山」にうたわれる相馬地方最大の相馬野馬追は、現在は7月の最終土、日、月曜日に行われる。  起源は平将門*が野馬を狩って妙見宮に献じていたという故事によるといわれ、将門の末裔と伝えられる相馬氏が、1323(元亨3)年に、すでに源頼朝から所領と...

相馬民謡全国大会の写真

写真提供:相馬市ホームページ

相馬民謡全国大会 ( 福島県 相馬市 )

毎年秋に、相馬民謡振興会、相馬市の主催のもと開催されている。  相馬地方の民謡は、藩主相馬氏の影響を受けた勇壮なものと、民謡本来の農民の生活に根ざしたものに分けられる。野馬追の騎馬武者が唄う『相馬流れ山』が前者の代表なら、後者には明るい『相馬盆唄』、哀調を帯びた『新相馬節』がある。関東・東北両方の影響を受け、それを...

須賀川松明あかしの写真

須賀川松明あかし ( 福島県 須賀川市 )

JR東北本線須賀川駅から南へ約1.2kmの中心街松明通りと隣接する翠ケ丘公園*を中心に、毎年11月第2土曜日に開催される火祭り。  由来について現在は、この地を文安年間(1444~1449年)から統治していた須賀川二階堂氏(行光の系統)の居城須賀川城が、1589(天正17)年、伊達政宗に攻め落とされた際の故事による。江戸後期の『白河風土記...

猪苗代湖の写真

猪苗代湖 ( 福島県 郡山市 / 福島県 猪苗代町 / 福島県 会津若松市 )

福島県のほぼ中央部にあり、日本第4位の面積(103.3km2)をもつ淡水湖*で「天鏡湖」とも呼ばれる。磐梯山の麓のおだやかな湖面には、小さな岬や湾入はあるが大きな屈曲はなく、形は卵形に近い。湖に長瀬川が流入する北東部から北岸一帯がやや開けるほかは、山が湖岸に迫っている。北西部から流れ出る日橋川(にっぱしがわ)の水...

うねめまつりの写真

うねめまつり ( 福島県 郡山市 )

毎年8月第1木・金・土の3日間開催される。初日は、市内片平町のうねめ神社で開催される「采女供養祭」や市内西部プラザでは「ちびっこうねめまつり」が実施される。2日目・3日目は郡山駅前で「ミスうねめパレード」や学校や市民団体による「パフォーマンスステージ」、「商店街イベント」などが開催され、多くの市民が訪れる。祭のメインイ...

喜多方蔵のまち並みの写真

写真提供:(一社)喜多方観光物産協会

喜多方蔵のまち並み ( 福島県 喜多方市 )

喜多方市は会津盆地の北部に位置し、豊かな地下水に恵まれ良質な米の産地で、近世以降、酒・味噌・醤油などの醸造業が盛んであった。さらに、漆器などの産地でもあり、定期市が開かれ物産の集散地として栄えた。このため市の中心部を南北に流れる田付川両岸の中心街から山間に至るまで粗(あら)壁・白壁・黒漆喰(しつくい)・煉瓦造などの...

山都そばの写真

写真提供:喜多方市山都総合支所

山都そば ( 福島県 喜多方市 )

JR磐越西線山都駅から北西へ約10km、喜多方市山都町の山懐に入った宮古地区*は古くから良質なソバの産地として知られていた。この良質なソバを活用し、1984(昭和59)年から当時の山都町商工会の主導により「むらおこし」としてブランド化に取り組んだのが「山都そば」である。*  「山都そば」の特色は、製粉の歩溜まりを約70%とし甘皮...

喜多方ラーメンの写真

写真提供:(一社)喜多方観光物産協会

喜多方ラーメン ( 福島県 喜多方市 )

喜多方には良質な水*があり、優良な米作りの地域であることから、古くから酒・味噌・醤油などの醸造業が栄えてきた。喜多方ラーメンは、その良質な水によって麺が作られ、茹でられ、伝統の醤油・味噌などによってラーメンスープの味のベースが作られている。麺の特徴はコシが強い「熟成多加水麺」*の平打ち麺を多くの店が使用している。ス...

若松城(鶴ヶ城)の写真

写真提供:一般財団法人会津若松観光ビューロー

若松城(鶴ヶ城) ( 福島県 会津若松市 )

会津若松駅の南2km、市街地の南にある。芦名直盛*が1384(至徳元)年に築城し、1593(文禄2)年蒲生氏郷*が東日本で初めて水堀や天守閣を備えた本格的な近代城郭を築き「鶴ヶ城」と命名した。東西約2km、南北約1.5kmの外郭と7層の天守閣*をもち、鶴ケ城の名にふさわしい広壮かつ優美な城郭であったという。  藩政時代は会津松平氏*二十...

御薬園(会津松平氏庭園)の写真

写真提供:一般財団法人会津若松観光ビューロー

御薬園(会津松平氏庭園) ( 福島県 会津若松市 )

鶴ケ城の北東1.3kmにある。中世に会津地方を支配していた芦名氏がこの地を霊地として別荘としたが、その後の戦乱で放置された。  会津に入部した会津松平家*初代藩主の保科正之が改めて庭園の整備を行ったといわれている。さらに2代藩主保科正経が貧民救済のため、1670(寛文10)年に園内に薬草園を設け、3代藩主松平正容が引き継ぎ、庭園...

日新館の写真

写真提供:會津藩校日新館

日新館 ( 福島県 会津若松市 )

JR磐越西線広田駅から東北に約1.4km、江戸期の会津藩の藩校であった日新館を1987(昭和62)年に復元したもので、会津若松市街を見下す高塚山にある。かつての藩校*があった場所は鶴ヶ城の西出丸(馬場郭)濠端の米代(よねだい)であるが、現在、その場所には日新館天文台跡を残すのみである。日新館は白虎隊の出身校としても知られる。  ...

大内宿の写真

大内宿 ( 福島県 下郷町 )

会津鉄道湯野上温泉駅から北西3.5km、山間にある会津西街道*の旧宿場。会津西街道は会津藩の廻米*を江戸に送るルートであり、会津盆地との間に標高900mの大内峠があるため、大内宿は荷駄の中継・宿泊地として重用された。1884(明治17)年に大川沿いの国道121号線が開通するまで繁栄した。  現在でも、水路が両端を走る街道沿いに約30戸...

白水阿弥陀堂の写真

白水阿弥陀堂 ( 福島県 いわき市 )

JR常磐線内郷駅の西へ約2km、経塚山に三方を囲まれ、南に白水川を望んで建つ。阿弥陀堂の前と左右には大きな池が囲い、浄土庭園が広がる。浄土庭園の中島には北岸の阿弥陀堂に渡るため、南北二本の橋が架けられている。  藤原清衡の養娘徳姫(のちに徳尼)が、夫で「海道平氏」と称した岩城則道を弔うため1160(永暦元)年に建てたものと伝...

環境水族館アクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)の写真

写真提供:環境水族館アクアマリンふくしま

環境水族館アクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館) ( 福島県 いわき市 )

JR常磐線泉駅から東へ約5kmの所にある。2000(平成12)年に開館し、2011(平成23)年には東日本大震災での被災もあったが、復旧、再オープンした。建物はガラスで覆われ、光や風を取り込む構造になっているのが特徴的で、小名浜港の人工的な風景と対比しつつ海の雄大さと自然を感じさせるような設計になっている。  水族館としてのテーマは...

南会津のそば畑の写真

写真提供:南会津町

南会津のそば畑 ( 福島県 南会津町 / 福島県 下郷町 )

南会津地方は、昼夜の寒暖の差が大きく水はけの良い土壌など、ソバ栽培の適地が多く、福島県のなかでも、猪苗代、喜多方に並んでソバの栽培が盛んである。なかでも下郷町の猿楽台地と南会津町の会津高原たかつえのソバ畑は、会津の山々に四方を囲まれながら大規模な栽培地が広がる。  下郷町南西部、会津鉄道養鱒公園駅から南東へ約3kmにあ...

勝常寺の写真

写真提供:湯川村教育委員会

勝常寺 ( 福島県 湯川村 )

JR磐越西線会津若松駅から国道121号線経由で北西に約10km、田園風景が広がる湯川村のこんもりとした木立の中に勝常寺はある。  寺伝によれば、810(弘仁元)年に慧日寺の開祖でもある徳一*が開創したといわれている。中世には一時衰退したが、仁和寺の僧玄海が再興し、会津を支配していた芦名氏の庇護をうけ、七堂伽藍が備わり100ヶ寺ほど...

恵隆寺(立木千手観音)の写真

恵隆寺(立木千手観音) ( 福島県 会津坂下町 )

恵隆寺は、JR只見線塔寺駅から東へ1.5km、会津坂下駅からは北西に約3kmの微高地に建つ。「立木千手観音」は恵隆寺の本尊で、観音堂*に納めれている。恵隆寺の起源は、欽明天皇のころ(540年ごろ)、2.5kmほど西北にある高寺山遺跡の場所に梁国の僧青岩によって開かれ一時は隆盛を誇ったが、慧日寺(磐梯町)との戦いに敗れ荒廃し、1190(建...

沼沢湖の写真

写真提供:金山町観光物産協会

沼沢湖 ( 福島県 金山町 )

JR只見線早戸駅から只見川を渡り、つづら折りを登って約5kmのところにある。湖面標高474m、周囲7.5km、最大水深96mの透明度の高いカルデラ(火口)湖である。沼沢火山は11万年前から活動が始まったといわれているが、このカルデラ湖が生成されたのは約5600万年前の噴火活動によるものとされている。  周囲の外輪山は林野庁の自然観察教育林...

願成寺(会津大仏)の写真

願成寺(会津大仏) ( 福島県 喜多方市 )

JR磐越西線喜多方駅の北6kmほどのところにある。願成寺の始まりは法然の高弟で浄土宗多念義派の祖隆寛が法難に遭い、奥州に配流となったが、途中相模国で遷化したため、1227(嘉禄3)年に意を受けた法弟の實成が遺骨を配所があった加納松原(現在地の南方)に葬り、一宇を建立したことによる。このため、同寺では隆寛を開山、實成を創立とし...

筑波山神社の写真

筑波山神社 ( 茨城県 つくば市 )

筑波山の中腹、老杉に包まれた境内に大きな鈴が印象的な拝殿をはじめ境内社が並ぶ。本殿は男体山と女体山の山頂付近にある祠で古代の山岳信仰を今も伝えており、2峰寄り添う姿は男女陰陽・夫婦和合の神にふさわしい。  延喜式内名神大社に数えられた格式ある社だが、平安時代に僧徳一*によって知足院中禅寺が開かれ、筑波の神は筑波両大権...

ミュージアムパーク茨城県自然博物館の写真

写真提供:ミュージアムパーク茨城県自然博物館

ミュージアムパーク茨城県自然博物館 ( 茨城県 坂東市 )

1994(平成6)年に「茨城の風土に根ざした自然に関する総合的な社会教育機関」として「過去に学び、現在を識り、未来を測る」ことを基本理念に、茨城県最大の自然環境保全地域である菅生沼*の西岸に開設された。16.4万m2という広い敷地ではあるが、隣接する菅生沼との一体的な景観を意図して博物館の建物・施設は設計されている...

袋田の滝の写真

写真提供:大子町観光協会

袋田の滝 ( 茨城県 大子町 )

福島県から茨城県へと流れる久慈川*の支流滝川にかかる滝。滝は4段から成り、高さ120m、幅73m。成因は、1,500万年前に形成された火山角礫岩層の硬い岩石に対し、滝の上下が浸食されやすい凝灰質の砂岩や頁岩だったため、硬質の火山岩が残り、節理と断層面が浸食され段差が生まれたと、考えられている。滝の途中に四本の大きな節理があり、4...

古河公方公園(古河総合公園)の写真

古河公方公園(古河総合公園) ( 茨城県 古河市 )

JR東北本線古河駅より南へ約2km、渡良瀬川の東岸にある。  1972(昭和47)年に「古河公方館跡*を中心に残されている美しい自然を保存し市民のレクリエーションの場所」とするという構想案がまとまり、1975(昭和50)年、古河総合公園として、一部開園。その後、桃林*、大賀ハスの移植、御所沼の復元*や管理棟・カフェテラスなどの整備を...

古河堤灯竿もみまつりの写真

写真提供:古河市役所

古河堤灯竿もみまつり ( 茨城県 古河市 )

毎年12月の第一土曜日、JR宇都宮線古河駅前に高さ約10mの矢来を組んだ会場を設け、市内の自治会などのグループがそれぞれ20m近い竹竿の先に提灯をつけ集まり、激しく揉み合い相手の提灯の火を消し合う祭り。  この祭りの起源は、江戸時代は古河藩領であった野木神社(現在は栃木県野木町)*の神官が、神鉾を奉じ11月27日から神領である八...

楽法寺(雨引観音)の写真

楽法寺(雨引観音) ( 茨城県 桜川市 )

坂東三十三ケ所第24番札所。加波山の尾根続きになる雨引山の中腹斜面に真壁城の薬医門を移築した黒門をはじめ、仁王門*、本堂、鐘楼堂、多宝塔、本坊、客殿など多数の堂宇が甍を並べ、仁王門の脇には城郭を思わせる大石垣がそびえる荘厳な寺である。  587(用明天皇2)年中国の帰化僧法輪独守の創建と伝え、その後、勅願寺として朝廷や真...

真壁の町並みの写真

真壁の町並み ( 茨城県 桜川市 )

つくば市の北にあり、町並みの東側に足尾山と加波山(かばさん)、南側には筑波山が見られる。真壁*は、律令期(7世紀後半~10世紀)から国府(現・石岡市)と東山道をつなぐ要衝の地にあり、中世には真壁氏の支配のもと城下町が形成され、近世には、笠間藩の陣屋を中心に木綿などの物産の集散地として栄えた。このため、真壁の町並みの特徴...

鹿島神宮祭頭祭の写真

写真提供:鹿島神宮

鹿島神宮祭頭祭 ( 茨城県 鹿嶋市 )

祭頭祭は毎年、3月9日に執り行われる*。起源は、奈良時代あるいは平安時代ともいわれているが、近世までは、その囃し言葉*から窺えるように「五穀豊穣」を主に祈る祭りであったり、神仏習合の影響を受け、釈迦入滅の「常楽会」(涅槃会)ともされ、幕末までは鹿島神宮と神宮寺*が習合して執り行っていた。昭和初期には、軍国化の時流の中...

弘道館の写真

弘道館 ( 茨城県 水戸市 )

1841(天保12)年、徳川斉昭*が当時、内憂外患だった時勢に対応するために水戸城三の丸に創設*した藩校。ここで尊王攘夷運動に活躍した人材が育成された。『弘道館記』に示されたごとく神儒合一・文武不岐・学問事業の一致を目的に水戸学*の振興・尊王攘夷論が展開された。儒学・武道のほかにも医・薬・天文・地理などの実学も重んじられ...

偕楽園の写真

写真提供:茨城県土木部都市整備課

偕楽園 ( 茨城県 水戸市 )

水戸駅の西方に広がる都市公園で、梅の公園としても知られ、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一つに数えられる。本園と拡張部と合わせ、面積58万m2におよぶ広大な公園*である。本園は1842(天保13)年、徳川斉昭*が造園し、藩主1人が楽しむものではなく、領民と偕(とも)に楽しむという意味から「偕楽園」と名付...

霞ヶ浦の写真

霞ヶ浦 ( 茨城県 行方市 / 茨城県 土浦市 / 茨城県 他 )

茨城県南部の淡水湖で、琵琶湖に次いで日本第2の面積をもつ。桜川・恋瀬川(こいせがわ)の下流部が沈降したところへ、海水が流れ込んで入江となり、そののち鬼怒川によって運ばれた沖積物が出口をせき止めたためにできた湖だ。香澄ケ浦(かすみがうら)とも書き、北浦に対して西浦とも呼ばれ、広い意味では北浦を含めて霞ケ浦という。北西部...

あんこう鍋の写真

あんこう鍋 ( 茨城県 北茨城市 / 茨城県 日立市 / 茨城県 ひたちなか市 / 茨城県 大洗町 / 茨城県 水戸市/他 )

深海魚でグロテスクな姿をしたアンコウ*は日本の近海の各地で獲れ、現在、水揚げが圧倒的に多いのは山口県の下関港で、茨城県の平潟、大津、久慈、那珂湊などの各港を合わせても及ばない。しかし、栄養たっぷりの黒潮で育ち、冬に南下する冷たい親潮で脂がのった肝が肥大化する常磐沖のアンコウは、絶品だとされる。  日本においてはアン...

磯節全国大会の写真

写真提供:一般社団法人水戸観光コンベンション協会

磯節全国大会 ( 茨城県 水戸市 )

「磯で名所は大洗様よ・松が見えますほのぼのと」の名文句と尻あがりの口調で知られる磯節は、その起因は明らかでないが、大洗や那珂湊の漁師たちが舟端をたたきながら、荒海と岩礁と波涛が作りだす景色のおもしろさを唄ったとも伝えられる。明治になって芸者置屋の主人矢吹万作や俳諧宗匠の渡辺竹楽坊が大洗の祝町の芸妓に三味線にのせ唄わせ...

那珂川の写真

那珂川 ( 茨城県 水戸市 / 茨城県 ひたちなか市 / 茨城県 大洗町 / 茨城県 他 )

那須火山の那須岳(標高1,917m)に源を発し、栃木・茨城両県を流れ、ひたちなか市と大洗町の間で太平洋に注ぐ。余笹川、箒川、桜川や河口近くで最後に合流する涸沼川なども含め、196の支流を有する。全長は150km、流域面積は3,270km2。  支流を含め那珂川は、古代から鉄道開通する近代まで舟運が盛んだった。そのため、古くから...

かみね公園・平和通りのサクラの写真

かみね公園・平和通りのサクラ ( 茨城県 日立市 )

平和通りは日立駅中央口から国道6号まで約1km、幅員36mの日立市のメインストリート。1951(昭和26)年から沿道にサクラが植えられはじめ、現在では約120本のサクラが満開時には道路を覆うように咲き誇る。日立さくらまつりの中心会場となり、ユネスコ無形文化遺産である日立風流物(山車)なども披露される。  かねみ公園は日立駅の北方約2...

日立風流物の写真

日立風流物 ( 茨城県 日立市 )

高さ15m、重さ5tにも及ぶ巨大な山車。正面は唐破風造、5層からなる城を模し、その背面は大きな山に見立てた裏山と呼ばれる造りである。屋形は中央から割れるように開いて舞台となり、『源平盛衰記』『忠臣蔵』といった人形芝居が催される。それが終わると山車は半回転し、裏山の舞台では『花咲爺』『自雷也』といった伝説・神話などが演じら...

牛久大仏の写真

牛久大仏 ( 茨城県 牛久市 )

JR常磐線牛久駅から東へ約9km、圏央道阿見東インターチェンジの近くにある。牛久大仏(阿弥陀如来像)は、浅草にある浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の関連施設の一部として1992(平成5)年に建立、開園された。  牛久大仏は高さ120m(像高100m、台座20m)あり、青銅(ブロンズ)製仏像の高さとしては世界一ということから、ギネス世界記録...

茨城県天心記念五浦美術館の写真

茨城県天心記念五浦美術館 ( 茨城県 北茨城市 )

日本の芸術・文化に対する評価が国内外で定まらなかった明治期に日本の伝統美術の維持・発展に尽力していた岡倉天心*は日本美術の向上・開発を目指した美術団体、日本美術院を東京に興した。しかし、運営上の行き詰まりから、天心の新しい拠点となった五浦の地に日本画部門を移転することにした。日本美術院に参画していた横山大観、下村観...

日立駅の写真

写真提供:日立市

日立駅 ( 茨城県 日立市 )

日立駅は、1897(明治30)年に開業(当時は助川駅)した。当初は日立鉱山の積み出し駅として、その後は日立製作所に関連する貨物取扱などで重要な役割を果たしてきた。現在は貨物駅も含め縮小されているが、1日の乗降客が1万人を超えるJR常磐線の主要駅のひとつである。  駅は市街地を背に太平洋を前面にして、30mほどの高さの海岸段丘の...

宇都宮美術館の写真

写真提供:宇都宮美術館

宇都宮美術館 ( 栃木県 宇都宮市 )

「宇都宮美術館」及びその周辺の公園施設「うつのみや文化の森」は、宇都宮市制100周年を記念して1997(平成9)年3月にオープン。この施設は、宇都宮市中心部より北に約5kmに位置し、里山の姿を残す緑豊かな自然環境の中で、憩いの場、芸術文化活動の拠点施設としての活用を目的としている。

万葉自然公園かたくりの里の写真

写真提供:(一社)佐野市観光協会

万葉自然公園かたくりの里 ( 栃木県 佐野市 )

三毳山(みかもやま)は、万葉集にも詠まれた佐野市の東部に位置する美しい山。北斜面の中腹1.5ヘクタールに150万株のカタクリが群生している。カタクリの見頃は、3月中旬から3月下旬頃。  また、春のイチリンソウ、チゴユリ、夏のヤマユリ、キツネノカミソリ、秋のキバナアキギリ、ヤマトリカブトなど、数多くの野草や樹木が花を咲かせる。

足利学校跡の写真

写真提供:足利市教育委員会事務局

足利学校跡 ( 栃木県 足利市 )

JR足利駅の北西500mにある。創建については、平安初期の小野篁説や、鎌倉時代初期の足利義兼説がある。歴史が明らかになるのは室町中期以降で、1439(永享11)年に関東管領上杉憲実が鎌倉の禅宗五山のうち円覚寺の僧快元を初代庠主(しょうしゅ)*として学校を整備し、学則を定め学生を養成した。憲実以後もその子憲忠などが学校の基礎を固...

鑁阿寺の写真

鑁阿寺 ( 栃木県 足利市 )

鑁阿寺は足利學校跡の北側に隣接する。本尊が大日如来であるところから、市民の間では「大日様」とも呼ばれて親しまれている。  1196(建久7)年、足利義兼が鑁阿と号し、その邸内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。それ以後、足利家累代の氏寺として栄え、鎌倉時代には堀の外縁部に12の支院を配し、一山十二坊へと発展した。江戸時代に...

太平山神社の写真

太平山神社 ( 栃木県 栃木市 )

栃木駅の西方約4km、太平山(343m)の山頂の東側には太平山神社が鎮座する。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。創建は827(天長4)年に円仁が当山に参拝した際とも、神護景雲年間(767~770年)ともいわれるが、明らかではない。  境内には、太平山神社(太平権現)、連祥院般若寺などがあり、平安時代以来神仏習合の霊場であった。約1,00...

栃木市の町並みの写真

栃木市の町並み ( 栃木県 栃木市 )

まちの北から南へ渡良瀬川の支流巴波川が流れ、西に太平山がそびえている。江戸時代には巴波川の河川交通により、卸問屋が集まる町として発達し、また例幣使街道の宿場町としても栄えた。  1871(明治4)年には栃木県庁が置かれ、栃木県の県庁所在地として急速に繁栄したが、1884(明治17)年に宇都宮に県庁が移り、県名だけが残った。  ...

満願寺の写真

満願寺 ( 栃木県 栃木市 )

栃木市内の北西、出流山(いずるさん)の中腹、老杉におおわれた静寂境にある坂東三十三ケ所霊場第17番札所。765(天平神護元)年、勝道上人が開いたといわれ、820(弘仁11)年、弘法大師の巡錫の折、本尊の千手観音像を刻んで安置したと伝えられる。勝道上人が日光を開いたことから徳川氏の尊信が厚く、日光の修験僧は必ず一度はここで修行...

渡良瀬遊水地の写真

写真提供:国土交通省関東地方整備局利根川上流河川事務所

渡良瀬遊水地 ( 栃木県 栃木市・小山市・野木町 / 茨城県 古河市 / 群馬県 邑楽郡板倉町 / 埼玉県 加須市 )

栃木、群馬、埼玉、茨城4県の県境にまたがる日本で最大の遊水地であり、渡良瀬川、巴波川、思川に沿って広がり、その洪水流を受け入れることで遊水地周辺の河川水位を下げるとともに、下流へ流す流量を減らし、利根川の氾濫を防止するという治水上の重要な役割を果たしている。  当地は、関東平野で一番の低地で、水がたまりやすい地形であ...

那珂川町馬頭広重美術館の写真

写真提供:那珂川町馬頭広重美術館

那珂川町馬頭広重美術館 ( 栃木県 那珂川町 )

歌川広重の肉筆画や歌川派の浮世絵版画、小林清親を中心とした明治の版画、川村清雄の油絵等、「青木コレクション」*を中心に展示している。  来客は、浮世絵目的の他に、美術館の建物見学に訪れる人も多い。建物の設計は隈研吾。彼の出世作とも位置づけられている建物である。地元産の八溝杉の格子で覆われ、平屋建で切妻の大屋根が流れ...

山あげ祭の写真

写真提供:那須烏山市

山あげ祭 ( 栃木県 那須烏山市 )

1560(永禄3)年時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除、五穀豊穣、天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請した。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子舞等が行われていた。やがて、江戸で常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになり、今日のような絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊となった。この「...

板室温泉の写真

写真提供:那須塩原市

板室温泉 ( 栃木県 那須塩原市 )

黒磯駅から北西に約20km、那須岳の山裾の、那珂川の支流湯川に沿う山間の温泉街である。約900年前に発見され、「下野の薬湯」として知られてきた。現在もむかしの静寂さと素朴さをとどめたたたずまいである。 付近は春の新緑、秋の紅葉で知られている。

三斗小屋温泉の写真

三斗小屋温泉 ( 栃木県 那須塩原市 )

朝日岳の西に派生した稜線を下ったところ、標高約1,460mの高所にある歴史の古い温泉。山奥のため自家発電で夜9時ごろまで電気がつくが、それ以後はランプをともす素朴さである。旅館の東側高みに温泉神社がある。  登山者の利用が多く、朝日岳や大峠・三本槍岳方面への基地となっている。  温泉へは、車でいくことはできず、峠の茶屋県営...

塩原温泉郷の写真

写真提供:特定非営利活動法人塩原温泉観光協会

塩原温泉郷 ( 栃木県 那須塩原市 )

塩原温泉郷のエリアは、面積の80%以上が森林地帯。太平洋側と日本海側、また関東地方と東北地方の気候の交差点で、昆虫や両生類、木々や草花などの種類が豊富。北には標高1849mの日留賀岳(ひるがたけ)、南には標高1789mの釈迦ヶ岳(しゃかがたけ)などがあり、山からは無数の沢が流れ、東西に流れる箒川(ほうきがわ)に注ぐ。長い年月を...

那須湯本温泉 鹿の湯の写真

那須湯本温泉 鹿の湯 ( 栃木県 那須町 )

県道17号線が貫通する那須湯本温泉と湯川で分かつ向かいが元湯で、なだらかな斜面を登り詰めたところに鹿の湯がある。  元湯はむかしながらのひなびた雰囲気の湯治場で、小規模の旅館や民宿が石畳の元湯通りに建ち並ぶ。民宿では自炊もできる。  鹿の湯の発見は古く、1390年前といわれている。738(天平10)年、正倉院の文書のなかに那須...

那須岳(茶臼岳)の写真

那須岳(茶臼岳) ( 栃木県 那須町 / 栃木県 那須町 / 福島県 西郷村 )

広大な関東平野の北端に関東と東北とを分けるように連なるのが、那須火山帯に属しその名の起こりとなった那須火山群である。那須岳は、その火山群の主峰茶臼岳をさす場合と、茶臼岳とその左右に連なる三本槍岳・朝日岳・南月山・黒尾谷山など、いわゆる那須五岳をさす場合とがある。  那須火山群は新生代第三紀から第四紀にかけてできたも...

那須岳温泉群(大丸温泉、弁天温泉、北温泉)の写真

那須岳温泉群(大丸温泉、弁天温泉、北温泉) ( 栃木県 那須町 )

那須岳南東麓の標高1,000m前後の高原にわく温泉群。那須七湯、八湯とも呼ばれるほど温泉が豊富な地域であるが、この中でも大丸温泉、弁天温泉、北温泉は湯量が豊富であることで知られている。

霧降ノ滝の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

霧降ノ滝 ( 栃木県 日光市 )

華厳ノ滝、裏見ノ滝とともに「日光三名瀑」の一つで、駐車場からは徒歩10分程度で観瀑台へ行くことができる。観瀑台からは遠く正面に霧降ノ滝を望むことができる。  霧降ノ滝は霧降川の岩壁にかかる二段の滝で、上段が25m、下段が26m、高さは75m 、幅20m。下段の滝が霧が降るように落下するのでその名が付けられた。

日光二荒山神社の写真

日光二荒山神社 ( 栃木県 日光市 )

恒例山の西麓にあり、東照宮造営以前は二荒山(日光山)信仰によって山内の中心を成していた。主神大己貴命(おおなむちのみこと)は秀峰二荒山(男体山)の神、妃神の田心姫命(たごりひめのみこと)は女峰山の神、御子神の味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)は太郎山の神である。別宮の滝尾神社・本宮神社とともに、もとは日光三...

日光二荒山神社中宮祠の写真

日光二荒山神社中宮祠 ( 栃木県 日光市 )

中禅寺湖の北岸、男体山を背後にする。湖畔に銅鳥居が立ち、中門・拝殿・本殿など、総朱塗、銅板葺の華麗な社殿が湖に面して立ち並んでいる。  784(延暦3)年、勝道上人が二荒山(男体山)の冬季遥拝所として、この地に二荒山権現を祭ったことに始まると伝え、以後、山岳崇拝の道場として栄えた古社である。江戸時代までは神仏習合の信仰...

大猷院霊廟の写真

大猷院霊廟 ( 栃木県 日光市 )

東照宮の西方約500m、大黒山にある徳川3代将軍家光公の霊廟である。家光公は1651(慶安4)年4月、48歳で没し、その遺命によって同年5月、遺骸をここに葬った。霊廟建築は1652(承応元)年2月に工を起こし、翌年4月に完成。建築総指揮は幕府の作事方大棟梁であった平内大隅守応勝。  境内は東照宮に準じた伽藍配置であるが、東照宮の絢爛豪...

日光山輪王寺の写真

日光山輪王寺 ( 栃木県 日光市 )

長坂を登りつめると、日光開山勝道上人像の前へ出る。太い眉、大きな鼻、右手に錫杖を持つ上人像の後ろに、山内最大の建物である三仏堂がどっしりと静まっている。このあたりが輪王寺の中心部で、三仏堂を本堂に、勝道上人像をとり囲むように一山15院の甍が連なる。神仏習合の地であるため、このほか四本竜寺・開山堂・大猷院廟・慈眼堂など...

滝尾神社の写真

滝尾神社 ( 栃木県 日光市 )

輪王寺行者堂から滝尾神社へ向かっていくと、「大小便禁制の碑」*がある。ここから滝尾神社の神域に入り、筋違橋から白糸の滝が見える。さらに老杉の木立を縫って続き、苔むした石段の上に、石鳥居、楼門、拝殿、唐門、本殿などの華麗な社殿が立ち並ぶ。  東照宮遷座以前は、二荒山神社、本宮神社とともに三社権現の一つとして庶民の信仰...

常行堂・法華堂(二つ堂)の写真

常行堂・法華堂(二つ堂) ( 栃木県 日光市 )

二荒山神社の近く、大猷院廟への参道沿いに北面して立つ2棟の建物。848(嘉祥元)年、慈覚大師が創建したと伝える天台宗の修行道場である。  もとは東照宮三神庫のあたりにあったが、東照宮造営のため移転した。向かって左が常行堂、右が法華堂で、ともに宝形造、総朱塗、2棟は歩廊でつながり、常行堂が和様、法華堂は唐様の建築であるが、...

慈眼堂の写真

慈眼堂 ( 栃木県 日光市 )

常行堂・法華堂をつなぐ歩廊を抜け、坂道を200mほど登りつめた山の上にある。慈眼大師の号を贈られた天海大僧正の墓所で、廟塔・拝殿のほか、阿弥陀堂・経蔵・鐘楼などが立ち、参道の賑わいとはうって変わって、ものさびしい雰囲気に包まれている。  慈眼堂拝殿は八棟造、総朱塗の豪壮な建築、その背後に廟塔がある。石柵で囲まれた高さ約3...

華厳ノ滝の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

華厳ノ滝 ( 栃木県 日光市 )

高さ97m。中禅寺湖から流れ出る大尻川が大岩壁から一気に落下し、「日本三名瀑」の一つに数えられる豪壮な瀑布を形成している。  華厳ノ滝は日光山開山の祖 勝道上人の発見と伝えられており、鏡のような中禅寺湖を仏の大円鏡智にたとえ、仏の教えが滝のように響きわたるように、経典の名から名付けられたという。下流の阿含滝・般若滝・方...

中禅寺湖の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

中禅寺湖 ( 栃木県 日光市 )

男体山の南麓にあり、日光国立公園の湖沼の中で最も大きく、日本の代表的な高山湖に数えられている。  面積11.9km2、水色は深緑色から藍色まで季節によって変化する。新緑・紅葉のころはひときわ神秘的である。  湖水は東西に細長く、北岸の汀線はほぼ直線に近いが、南岸は出入りに富む沈降型汀線となり、八丁出島をはじめ岬...

男体山の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

男体山 ( 栃木県 日光市 )

中禅寺湖の北岸に円錐形の雄大な山容を見せてそびえ立つ、日光火山群中の雄峰。高さ2,486m。中禅寺湖の水面上からの高さは約1,200mほどで、裾野は長く、大きく、日光市街近くにまで達する。頂上北側に直径約800mの爆裂火口跡があり、山頂からは放射状に薙(なぎ)と呼ばれる涸れ谷が発達しているほか、北側には固まった溶岩が尾根状になり戦...

竜頭ノ滝の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

竜頭ノ滝 ( 栃木県 日光市 )

菖蒲ヶ浜の湖畔から戦場ヶ原へ向かう道の中間点にある。国道120号はこの滝下から大きくカーブしており、バスを降りればすぐ滝壷前へ出る。  華厳ノ滝のように直下型の瀑布ではなく、戦場ヶ原を流れてきた湯川が男体山の軽石流溶岩の上を210m、幅10mで奔流する渓流瀑である。下流部の観瀑台では、急流状に激しい水音をたてて白いしぶきを上...

戦場ヶ原・小田代原の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

戦場ヶ原・小田代原 ( 栃木県 日光市 )

戦場ヶ原は中禅寺湖の北、男体山の西に広がる平均標高1,400mの湿原状の東京ドーム85個分、4km2の規模を誇る高原で、日光国立公園に位置する。また、湯ノ湖、湯川、戦場ヶ原、小田代原のうちの約2.6km2が「奥日光の湿原」としてラムサール条約の登録湿地に登録されている。  大昔の男体山噴火の折り、その噴出物が竜...

奥日光湯元温泉の写真

奥日光湯元温泉 ( 栃木県 日光市 )

戦場ヶ原の北西、湯ノ湖北岸にある奥日光のうちでも最奥の温泉で、西に白根山、北西に温泉ガ岳、東に三岳の山々を巡らしている。  温泉の発見は1200年もむかし勝道上人によると伝え、湯治温泉として長い間親しまれてきた。今でも一角に残る石畳や、しっとり落ち着いた雰囲気の中に歴史が感じられる。  旅館は近代化しながらも風格を備え...

湯ノ湖の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

湯ノ湖 ( 栃木県 日光市 )

湯元温泉の目前に広がる、三方を山に囲まれた静寂な湖であり、三岳の溶岩流により湯川がせき止められて形成された標高1,478mにある堰止湖である。水の色はフォーレル9号から10号(1948(昭和23)年)、全般に水深は浅く、温泉が湧き出ている北岸の一部を除いて冬季は結氷する。  周囲3km、湖岸には1時間ほどで一周できる散策道が整備されて...

龍王峡の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

龍王峡 ( 栃木県 日光市 )

今から2200万年程前に海底火山によって噴出された火山岩が、鬼怒川の流れによって浸食されて現在のような景観になったといわれる。  まず初めに安山岩が流出し、その後流紋岩の活動を経て、火山爆発による火山灰が堆積して緑色凝灰岩ができたとされる。さらには、その上に流紋岩が流出したと言われる。その後もマグマの活動により、岩脈が...

鬼怒沼湿原の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

鬼怒沼湿原 ( 栃木県 日光市 )

鬼怒沼山・物見山の鞍部南側、鬼怒川の源流あたりに広がる標高2,030mの高層湿原「鬼怒沼」には、大小48個の池塘が散在している。  6月中旬頃にはミズバショウが咲き始め、7月から8月にかけては、ヒメシャクナゲ、イワカガミ、タテヤマリンドウ、キンコウカなど数々の花が見られる。8月下旬には草紅葉がはじまり、9月中旬にもなると湿原全体...

霧降高原のニッコウキスゲの写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

霧降高原のニッコウキスゲ ( 栃木県 日光市 )

赤薙山の南側に広がる標高1,200m前後の斜面一帯が霧降高原である。キスゲ平は赤薙山の中腹、標高1,300~1,600mにかけて広がる。  キスゲ平では、100種類を超す花々が春から秋まで楽しめるが、その中でも6月中旬から7月にかけて咲くニッコウキスゲの群生は見事。霧降高原一帯に数々の滝や沢があり、ヤマツツジやニッコウキスゲなどの群生地...

女峰山の写真

写真提供:栃木県

女峰山 ( 栃木県 日光市 )

霧降高原から赤薙山、女峰山と回る登山が多く、両山は一つの火山体を成している。  女峰山は2,010mの赤薙山よりも2,483mと高いうえに、尖った頂きと雄大な裾野を引く成層火山である。女体山ともいわれ男体山・太郎山とともに古くから崇拝され、信仰登山が盛んであった。展望がすばらしく、峰修行の遺跡も多い。

日光杉並木街道の写真

写真提供:(一社)日光市観光協会

日光杉並木街道 ( 栃木県 日光市 )

日光街道・例幣使街道・会津西街道の両側に延37kmにわたって続く杉並木で、松平正綱が日光東照宮鎮座の後に、紀州熊野から杉苗を取り寄せ、当初約5万本植樹して寄進した。正綱は家臣を植栽のために日光に派遣し、苗木は日光神領の農民に育てさせたと言われる。正綱はその後も、日光神領の拡大とともに、3里(約11.8km)、7里(約27.5km)と、...

雲竜渓谷の氷瀑の写真

写真提供:栃木県

雲竜渓谷の氷瀑 ( 栃木県 日光市 )

稲荷川の上流、女峰・赤薙山の谷間にあり、渓谷をはさんで多くの滝がかかる。  厳冬期には谷一面巨大な氷柱が出現する。高さは100mにもおよび、横にもさまざまな形に変化して、氷の殿堂などと呼ばれている。年により気温が変化し氷瀑の大きさも変化するが、2月第一週がふだんでも最大に成長する。  上級登山者には氷壁登攀地として有名で...

奥鬼怒温泉郷の写真

写真提供:日光市

奥鬼怒温泉郷 ( 栃木県 日光市 )

奥鬼怒温泉郷は、日光市川俣にある温泉の総称であり、鬼怒川の源流部付近にある温泉地である。加仁湯、八丁の湯、日光澤温泉、手白澤温泉の4つからなる。鬼怒沼、根名草山、尾瀬への登山客の利用も多い。  なお、女夫渕から先はマイカー通行が禁止されており、宿泊する宿の送迎バス、または徒歩で向かうことになる。

日光山中禅寺立木観音の写真

日光山中禅寺立木観音 ( 栃木県 日光市 )

坂東札所三十三観音第十八番札所。日光開山の祖、勝道上人が784年に建立した。  中禅寺はもと二荒山神社中宮祠の別所(別当寺)で、その境内にあったが、1902(明治35)年の山津波による倒壊後、日光修験の修行地の一つであった歌が浜の現在地に再建された。本堂には、高さ4.8mの木造千手観音立像(立木観音)、脇侍として源頼朝が戦勝祈願...

宇都宮二荒山神社の写真

写真提供:宇都宮二荒山神社

宇都宮二荒山神社 ( 栃木県 宇都宮市 )

二荒山神社は「下野国一の宮」であり、宇都宮はこの神社の門前町として発展した。神社の別称であった「宇都宮」が、市名の由来である。いまも神社は宇都宮一の繁華街にあり、市の中心部に建つ。大鳥居を通り抜け、石段をのぼり神門をくぐると、境内には拝殿・本殿・神楽殿などが立ち並ぶ。これらの社殿は1868(慶応4・明治元)年の戊辰戦争に...

高勝寺の写真

高勝寺 ( 栃木県 栃木市 )

JR両毛線岩舟駅の北方、約200mの岩船山*山頂にある。770(宝亀元)年、弘誓坊明を願という地蔵信仰に厚い僧が、夢のお告げにより、生身の地蔵菩薩を求めて岩船山に登ったところ、夢の通りに地蔵を拝したとして、堂宇を建てたのが始まりという。入口の山門は弁柄塗装の楼門で、1742(寛保2)年の再建、棟高12.95mは県内一の大きさ。山上には...

足利織姫神社の写真

写真提供:足利織姫神社奉賛会

足利織姫神社 ( 栃木県 足利市 )

足利織姫神社は織姫山の中腹にある。参拝するには229段の石段を直登する。足の不自由な方は車 で大きく裏手に回って山頂まで行ける。山名は古くは「機神山(は たがみやま)」・「魚住山(うおずみやま)」などと呼ばれていた。  1879(明治12)年、足利織物業の繁栄を祈って、市内の八雲神社境内から 遷宮された。織物の神八千々姫命と天...

栗田美術館の写真

栗田美術館 ( 栃木県 足利市 )

故栗田英男(1996(平成8)年没)が、伊万里・鍋島に限定して収集した2,000点あまりにのぼる作品を収蔵する、世界最大級の陶磁器美術館である。約8万m2の敷地内には、陳列館だけでも、本館、歴史館、資料館、陶磁会館など数々の展示館が立ち並ぶ。代表作品として、国の重要文化財の鍋島色絵岩牡丹植木鉢文大皿がある。常時、600点...

惣宗寺(佐野厄除大師)の写真

惣宗寺(佐野厄除大師) ( 栃木県 佐野市 )

開基は藤原秀郷と伝えられ、佐野城跡のある春日岡にあったが、1600(慶長5)年、佐野城築にあたり現在の地に移転した。  境内は広く、本堂、鐘楼など古い堂宇が建つ。境内の北西部に東照宮が祀られ、本殿・拝殿・唐門・透塀が県の文化財に指定されている。江戸時代後期の建築様式が随所にうかがえ、なかでも欄間、妻飾りの装飾彫刻は見事で...

とちぎ秋まつりの写真

写真提供:(一社)栃木市観光協会

とちぎ秋まつり ( 栃木県 栃木市 )

栃木に山車が誕生したのは、1874(明治7)年、県庁内で行われた神武祭典のとき。倭町3丁目が東京日本橋の町内から購入した静御前の山車と、泉町が宇都宮から買い求めた諫鼓鶏(かんこどり)の山車を参加させたのが始まり。1893(明治26)年に、新調した三国志の人形山車が3台、ほかに神武天皇の人形山車が加わり、6台となった。1906(明治39...

明治時代の別荘建築の写真

写真提供:那須塩原市

明治時代の別荘建築 ( 栃木県 那須塩原市、矢板市 )

那須野が原の開拓は、印南・矢板らの「那須疏水の開削」と結社農場、青木、松方、大山ら政府高官や旧藩主などによる大農場によって進められた。  旧青木家那須別邸:明治時代の外交官青木周蔵が、1881(明治14)年の青木開墾(青木農場)開設後、1888(明治21)年に建築した。その後、1909(明治42)年に大改築をして、現在の姿になる。白...

殺生石(賽の河原)の写真

殺生石(賽の河原) ( 栃木県 那須町 )

温泉神社に隣接する殺生石園地には亜硫酸ガスや硫化水素など有毒ガスが噴出し、硫黄の香りが立ち込め草木もない荒涼とした風景が広がる、賽の河原と呼ばれる場所がある。  その園地の奥には能や謡曲の題材になり、芭蕉が「おくのほそ道」でも訪れ、九尾狐伝説にまつわる史跡の「殺生石」がある。  九尾狐伝説とは、中国・インド・日本を...

アヤメ平の写真

写真提供:片品村観光協会

アヤメ平 ( 群馬県 片品村 )

鳩待峠の東約4km、標高1,900m近い高地に開けた高層湿原*。アヤメ平の名があるがアヤメはなく、葉がアヤメに似ているキンコウカが8月に黄色の花を咲かせる。大小無数の池塘が点在し、かつては地上の楽園と歌われたが、ハイカーに荒らされてしまった。近年、木道以外は立入禁止とし、東京電力*を中心に回復作業を進めてきて、もとの姿を取り...

丸沼・菅沼の写真

丸沼・菅沼 ( 群馬県 片品村 / 栃木県 日光市 )

沼田市からの国道120号線、金精峠トンネル手前約1kmの間に2つ並ぶ湖沼。金精峠側が菅沼で下流に丸沼がある。2つの湖沼は日光白根山の溶岩による堰止湖。  1931(昭和6)年、丸沼と下流の大尻沼との間に東京電力のダムが造られ、丸沼は水位が28m上昇したので、南北1.2km、東西500m、面積0.45km2と広くなった。満水時の標高1,428m...

至仏山の写真

至仏山 ( 群馬県 片品村 )

尾瀬の南西にそびえる山で、標高2,228m、燧ケ岳とともに尾瀬を代表するシンボリックで雄大な山。至仏山の名前は渋沢沿いにしか登る道がなく、その「しぶっさわ」から来たのではないかともいわれている。  尾瀬ヶ原から見ると南北の稜線がなだらかな線を描き、ほぼ左右対称の女性的なピラミッド型である。しかし西側は対照的に、岩壁の厳し...

日光白根山の写真

日光白根山 ( 群馬県 片品村 / 栃木県 日光市 )

金精峠の南西、栃木・群馬両県境にそびえる活火山で標高2,578m、那須火山帯に属する。第3紀に噴出した流紋岩の上に、小規模の火山活動をくり返して、橄欖(かんらん)石や輝石安山岩から成るドーム状の奥白根山ができたといわれる。また奥白根の溶岩が北西に流れて丸沼・菅沼、東に流れて五色沼などの堰止湖を造りだした。  この山の名前は...

尾瀬ヶ原の写真

尾瀬ヶ原 ( 群馬県 片品村 / 新潟県 魚沼市 / 福島県 檜枝岐村 )

尾瀬沼の西約4km、至仏山・燧ケ岳・景鶴山・アヤメ平など2,000m級の山々に囲まれた盆地状をなす標高1,400m内外の高地に、東西約6km、南北約2kmにわたって広がる本州最大の湿原で、尾瀬を象徴する存在である。牛首と沼尻川を境に、下田代・中田代・上田代に分かれている。尾瀬ヶ原ははじめ燧岳溶岩流が只見川をせき止めてつくった古尾瀬湖とい...

武尊山の写真

武尊山 ( 群馬県 川場村 / 群馬県 みなかみ町 / 群馬県 片品村 )

群馬県北部にそびえるコニーデ型火山*。みなかみ町と片品村、川場村の境界に位置し、標高2,158mの沖武尊が主峰である。  山の名は日本武尊(やまとたけるのみこと)*の故事にちなんでついたといわれ、沖武尊山頂と前武尊に日本武尊の銅像が立っている。北アルプスの穂高岳と「ほたか」の発音がおなじため、上州武尊(じょうしゅうほたか...

草津温泉の写真

写真提供:一般社団法人 草津温泉観光協会

草津温泉 ( 群馬県 草津町 )

白根火山の東麓、標高1,200m付近の小盆地とその周辺に温泉街・ホテル街が形成されている。古くから湯治温泉として全国的に有名で、西の有馬温泉に対し、東国一の名湯といわれてきた。恋の病を除いてはどんな病気でも治るといわれている。現在では、志賀・草津高原ルート(国道292号線)の開通、スキー場やゴルフ場、コンサートホールなどの整...

白根山(草津白根山・本白根山)の写真

白根山(草津白根山・本白根山) ( 群馬県 草津町 )

上信越国境部にそびえ、本白根山(2,171m)と北側にある逢ノ峰(2,110m)、草津白根山(2,160m)からなる成層活火山である。文献に初めて現われる1783(天明3)年から現在まで、しばしば噴火活動を繰り返し、爆発のたびに草津の湯温が激変、また火山弾が火口付近に降り注いだこともあった。  草津白根山山頂部は一木一草もないむき出しの岩...

西の河原の写真

西の河原 ( 群馬県 草津町 )

草津温泉街の西はずれ、広い河原の多くの場所から温泉が湧き出ている所で、温泉水が川をなして流れ、滝や池(瑠璃の池、琥珀の池など)となり、天然の露天風呂を作り出している。古くは、鬼の泉水と呼ばれ、「湧き出る湯口はわれも恐ろしや、鬼の茶釜の湯土産噺」と怖がられた事もある。  流れや湯の池は泉質によって白濁、または緑色をお...

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの写真

写真提供:(C)林喜代種

草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル ( 群馬県 草津町 )

1980(昭和55)年、ヴァイオリニスト豊田耕児氏を音楽監督、音楽評論家遠山一行氏を実行委員長として始められた音楽祭。群馬交響楽団のレベルアップを目的に企画されたという。毎年テーマを決めて開催されている。音楽家を目指す人たちの学びの場、人材育成の場として夏期2週間、テーマに合わせて世界的な芸術家を招き講習会を行う。  また...

荒船山の写真

荒船山 ( 群馬県 下仁田町 / 長野県 佐久市 )

下仁田町の南西端、長野県境に接し頂上周辺が平らな形状の山。山頂は南側にある経塚山で1,423m。  かつて溶岩が平らな地面に流れて固まり、その後の隆起と侵食によって一番固い溶岩台地が残ったため長い平らな稜線をもつ不思議な形をした山ができたという。  下仁田ジオパークの見どころのひとつにもなっており登山道中では、溶岩噴出前...

四万温泉の写真

写真提供:一般社団法人 四万温泉協会

四万温泉 ( 群馬県 中之条町 )

中之条町北東部、四万川上流の三方を山に囲まれた渓流沿いの標高700mの高地にある。四万温泉の名前は、四万の湯が『四万(よんまん)の病を癒す霊泉』であるとする伝説*がある。また古文書によると1600年代初期の江戸時代には温泉宿があり、 湯治客は江戸からも来遊があったと記されている。  源泉は全42ヶ所で、3ヶ所が堀さく源泉、39ヶ...

尻焼温泉の写真

尻焼温泉 ( 群馬県 中之条町 )

長野原草津口から白砂川沿いに上流に向かい約16km、長笹川渓流沿いの山峡にある尻焼温泉の「川の湯」は、川そのものが大きな露天風呂となっている。痔の治療に特効があるといわれ、かつては、河原に穴を掘って臀部だけ湯につかる入浴療法や、温まった石の上に腰かける治療が行われていたため、「尻焼」と名付けられたという。現在は川をせき...

野反湖の写真

野反湖 ( 群馬県 中之条町 )

群馬、新潟、長野の県境に位置し、周囲10km、標高1,513mにある山上の人造湖で、湖水は越後の魚野川、信濃川へそそいでいる。発電用に作られた人造湖。  外周には弁天山・八間山・高沢山などの山々がゆったりとそびえ、なだらかな草原状の裾野が乳緑色の湖面に落ち、明るく開けた高原地帯となっている。  6月にはレンゲツツジ、7月にはノ...

芳ケ平の写真

芳ケ平 ( 群馬県 中之条町 )

2015(平成27)年5月にラムサール条約*に登録された、中之条町と草津町にまたがる「芳ヶ平湿地群」の中でも中心となる湿原。草津白根山中腹の標高約1,800mに広がり、白根山の荒涼とした景観とは対照的に、高山植物が豊富に生育する緑豊かな湿地帯である。  江戸時代、草津から善光寺に抜ける街道の裏道を通り、わざわざ芳ヶ平、渋峠を経由...

チャツボミゴケ公園の写真

チャツボミゴケ公園 ( 群馬県 中之条町 )

中之条町の最奥部、入山地区の西端に位置している。穴地獄と呼ばれている泉から湧き出る暖かめの鉱泉が強酸性のため、こうした環境を好んで生育するチャツボミゴケ*が群生したものである。  入山地区はかって群馬鉄山と呼ばれ、国内第2位の生産量の鉱山として栄えた歴史がある。この地から鉄鉱石が索道と吾妻線経由で高崎へと運ばれていた...

湯の丸高原レンゲツツジ群落の写真

湯の丸高原レンゲツツジ群落 ( 群馬県 嬬恋村 / 長野県 東御市 )

湯ノ丸山の地蔵峠付近標高1,600~2,100m前後とその山麓の高原に、6月下旬約60万株のレンゲツツジが開花する。レンゲツツジは群馬県の県花である。  この群落は明治時代に始まった牛の放牧により、湯の丸地域が草原化してできたといわれる。牛はレンゲツツジを食べないため、草原一面がレンゲツツジの花畑になったという。1956(昭和31)年...

万座温泉の写真

万座温泉 ( 群馬県 嬬恋村 )

草津白根山と万座山との谷間にある標高1,800mの温泉。ツガ・ダケカンバの原生林に囲まれ、静かな高原保養地といった趣で、温泉街の雰囲気はない。志賀・草津・長野・軽井沢とは国道・有料道路で結ばれている。  土器をはじめとする出土品から、弥生時代にはこの地に人の住居があったと推測されている。温泉としての記録は古く*、1560年代...

鎌原観音堂の写真

鎌原観音堂 ( 群馬県 嬬恋村 )

1783(天明3)年の浅間山大噴火の時に、鎌原村(現在の嬬恋村の一部地域)を埋め尽くした浅間山噴火土石なだれから残った唯一の建物。大噴火の土石なだれは、時速100km以上のスピードで火口から12km離れた鎌原村を襲い、村は5~6mの深さに埋もれた。  災害前の観音堂は村から石段で50段上がった場所にあった。その階段を駆け上がって助かっ...

嬬恋村のキャベツ畑の写真

嬬恋村のキャベツ畑 ( 群馬県 嬬恋村 )

嬬恋村の広域農道「つまごいパノラマライン」の沿道に展開する約3,000haのキャベツ畑。標高700~1,400mの高冷地で栽培されており、夏の昼夜間の温度差が大きいため美味しいキャベツができる。キャベツの作付面積を夏の嬬恋村のキャベツ農家戸数で割ると、農家1軒でおよそ5haとなる。これは東京ドーム1個分の面積にあたる。  7~10月が出荷...

谷川岳の写真

谷川岳 ( 群馬県 みなかみ町 / 新潟県 湯沢町 )

群馬・新潟の県境にある谷川岳は標高1,977m、オキノ耳とトマノ耳*の2つのピークを持つ。  太平洋側と日本海側を分ける脊梁山脈にあたり、北西の季節風が吹きつける豪雪地域である。そのため、新潟県側は穏やかだが、群馬県側は雪崩による浸食作用のため荒々しい山相をなし、東側斜面にはマチガ沢・一ノ倉沢・幽ノ沢などの急峻な谷が湯桧曽...

宝川温泉の写真

宝川温泉 ( 群馬県 みなかみ町 )

藤原湖北端から、利根川の支流宝川を1kmさかのぼった所にある。湯は宿の庭の中を流れていく宝川の渓畔に湧き、毎分1,800リットルの湧出量を誇る。川の両岸の露天風呂は4つあり、1つは婦人専用、総面積470畳の広さ。旅館は山峡の一軒宿。  大正時代に湯治場として宿泊施設が作られ、1945(昭和20)年以降、周辺のダム開発で道路と電気が通っ...

矢木沢ダムの写真

矢木沢ダム ( 群馬県 みなかみ町 )

みなかみ町の利根川最上流部に位置するダムと湖。1967(昭和42)年完成の矢木沢ダムによりできたのが人造湖の奥利根湖で、洞元・藤原と続く奥利根三湖の一番上流にあり、三湖中最大の湖。  主ダム部はアーチ式コンクリートで、堤高131m、堤頂長352m。洪水吐き部は重力式コンクリート、透水層止水対策部はロックフィル式と、3タイプで構成さ...

照葉峡の写真

照葉峡 ( 群馬県 みなかみ町 )

利根川の上流部、湯ノ小屋沢川に大小11の滝がおよそ5kmにわたって点在する。滝の名前は俳人 水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)*が命名したもので、「山彦(やまひこ)の滝」、「翡翠(ひすい)の滝」、「木精(こだま)の滝」など。奥利根ゆけむり街道(県道63号線)の湯の小屋温泉から上流部にかけての道路沿いであるが、駐車場や散策道...

黒瀧山不動寺の写真

黒瀧山不動寺 ( 群馬県 南牧村 )

標高870mの黒瀧山に立つ山岳信仰の霊場。上州南牧谷の奥深い黒瀧山の岸壁から滝しぶきの舞う所にあり、山門から不動堂、本堂、黒瀧泉、そして開山堂とつづく。江戸時代前期の1675(延宝3)年、徳川綱吉が帰依した潮音禅師によって中興開山された。  行基作と伝わる不動明王を安置し、厄除けの不動の霊場として千余年の歴史を重ねる静寂幽玄...

碓氷峠鉄道施設の写真

碓氷峠鉄道施設 ( 群馬県 安中市 )

横川駅から鉄道文化むら、旧丸山変電所、峠の湯、めがね橋(碓氷第3橋梁)を経て熊ノ平まで、6kmの信越本線アプト式鉄道*時代の廃線跡「アプトの道」周辺の鉄道施設群。線路や枕木を取り除き、歩きやすい道として整備されており、第1号から第10号までのトンネル、めがね橋を含め3つの橋梁がある。  旧丸山変電所は碓氷線電化のため、1912...

つつじが岡公園のつつじの写真

写真提供:つつじが岡公園

つつじが岡公園のつつじ ( 群馬県 館林市 )

館林駅の東方約4kmにある。「館林のつつじ」とはここのつつじのことで、俗に花山と呼ばれる城沼南岸一帯の丘陵地である。12.93haの敷地は、ヤマツツジをはじめ、キリシマツツジ・クルメツツジなど100余品種、約1万株のつつじが咲き誇る。  この公園のつつじは1605(慶長10)年、初代館林藩主の榊原康政*が側室「お辻」の霊を弔うためつつじを...

茂林寺の写真

茂林寺 ( 群馬県 館林市 )

茂林寺前駅の南東約300m、杉の茂った平地にある。1426(応永33)年開山の末寺18カ寺を有する大寺で、むかし話で登場する「分福茶釜」*があるので有名。山門を入ると、ユーモラスな22の大きな陶製の狸が両側にずらりと並んで迎えてくれる。本堂内の宝物室には分福茶釜を初め狸のコレクションや寺宝が展示されている。  茂林寺沼とその周辺は...

上野三碑(金井沢碑・山上碑・多胡碑)の写真

写真提供:高崎市教育委員会

上野三碑(金井沢碑・山上碑・多胡碑) ( 群馬県 高崎市 )

群馬県下にある金井沢碑・山上碑・多胡碑という平安時代より古い3つの碑をいう。それぞれの碑には覆堂が立っているが、一定時間の照明でのぞき窓から見ることができ、またテープによる解説を聞くことができる。 <金井沢碑>  根小屋駅の南西、小高い丘の中腹に立つ。高さ1.1m、幅0.7m。碑面には726(神亀3)年、群馬県下賛郷の豪族三家の...

高崎白衣大観音の写真

高崎白衣大観音 ( 群馬県 高崎市 )

1936(昭和11)年、高崎市の実業家井上保三郎氏*によって、高崎歩兵第一五連隊戦没者慰霊供養、観光高崎の建設を目的に、白衣大観音像が建立され開眼法要された。  高さおよそ42m、9階に分かれた内部には20体の仏像が安置され、上部まで階段で胎内巡りができる。上部からは三国山脈、秩父・八ガ岳、赤城の山々が眺望できる。参道にはみや...

少林山達磨寺の写真

写真提供:少林山達磨寺

少林山達磨寺 ( 群馬県 高崎市 )

市の西、鼻高丘陵の北斜面にある。その昔、行基菩薩作とされる観音菩薩をお祀りする御堂があった。江戸時代に碓氷川の氾濫の折流れ着いた光り輝く香木で、一了居士が達磨大師坐像を彫刻し安置したのが達磨寺となる由縁である。  1697(元禄10)年に水戸光圀公の帰依された心越禅師を開山と仰ぎ、前橋城の裏鬼門を護る寺として、第5代前橋城...

榛名湖の写真

榛名湖 ( 群馬県 高崎市 )

榛名火山のカルデラに生じた火口原湖である。大きさは東西1km、南北1.3kmで、勾玉形をしている。伊香保の沼ともいわれ、湖面に榛名富士を映して静まる美しさは歌(湖畔の宿*)にも歌われてきた。湖の周りはいくつかのピークを持つ榛名山に囲まれており変化に富む。湖岸には一周道路がつけられ、湖畔には桜・ツツジ・キスゲなどが春から夏に...

榛名山の写真

榛名山 ( 群馬県 高崎市 / 群馬県 東吾妻町 / 群馬県 渋川市 )

妙義山・赤城山とともに上毛三山の一つ。那須火山帯に属する複式火山である。火口原は東西4km、南北2km。ほぼ中央に中央火口丘の榛名富士と火口原湖の榛名湖があり、これを取り巻いて相馬山(そうまさん)・烏帽子岳・鬢櫛山(びんぐしやま)・掃部ヶ岳(かもんがたけ)・天目山などの外輪山が並ぶ。最西端にある掃部ヶ岳が最高峰1,449mであ...

榛名神社の写真

榛名神社 ( 群馬県 高崎市 )

榛名湖南西約2kmの榛名山中腹にある。延喜式内社で創立は用明天皇(585~587年)のころと伝わる古社。修験者の霊地として古くから榛名山信仰の参詣者を集め栄え、中世以降は神仏習合し満行宮とも称して、上野寛永寺の管理下に繁栄を極めた。  境内は約15万m2、老杉・奇岩・渓流に囲まれて山気に満ち、社殿は屹立する巨岩の間に...

榛名梅林の写真

榛名梅林 ( 群馬県 高崎市 )

生産量、栽培面積は東日本一。明治の中期頃から栽培が始まり、桑園や水田からの転作作物として昭和50年代に入ってから急速に増え、東日本一の梅の産地となった。400haの広大な土地に、約12万本の梅が植えられている。中でも上里見にある榛名梅林には7万本の梅がある。3月の第3日曜日、榛名梅林に囲まれた町総合文化会館エコールでは、「はる...

保渡田古墳群の写真

写真提供:高崎市教育委員会

保渡田古墳群 ( 群馬県 高崎市 )

高崎市保渡田・井出にまたがる田園地帯の中に点在する3つの大きな丘が保渡田古墳群で、八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の総称。3つの古墳は、約1,500年前の豪族が葬られた墓で、いずれも墳丘長約100mの前方後円墳。広大な二重の堀を巡らし、多量の埴輪を立て並べていたという。  八幡塚古墳・井出二子山古墳を中心とする地域は「上毛野...

伊香保温泉の写真

写真提供:渋川伊香保温泉観光協会

伊香保温泉 ( 群馬県 渋川市 )

榛名山の北東中腹、標高約700mの高所にあり、古くから上州の名湯として知られる。温泉街は山間の急斜面に造られ、階段式の道路やヒナ段状に立ち並ぶ旅館や店舗、たちこめる湯の香りなどが独特の湯の町情緒をかもしだしている。春の新緑・ツツジ、夏の避暑、秋の紅葉など、どの季節も楽しめ、近くの榛名山・榛名湖、榛名神社、水沢観音など様...

赤城山の写真

赤城山 ( 群馬県 前橋市 / 群馬県 渋川市 / 群馬県 沼田市 / 群馬県 桐生市 )

関東平野の北西端にそびえ、榛名山・妙義山とともに上毛三山の一つとして知られる二重式火山。赤城山という単独の山はなく、最高峰1,828mの黒檜山をはじめとする外輪山と中央火口丘の地蔵岳を合わせた総称。赤城山は成属火山*で、1251(建長3)年の第4次爆発を後に火山活動を中止した。外輪山と地蔵岳の間には、大沼と小沼が静かに水をたた...

赤城南面千本桜の写真

写真提供:公益財団法人 前橋観光コンベンション協会

赤城南面千本桜 ( 群馬県 前橋市 )

三夜沢赤城神社の南東、標高430m~540mにある桜並木。近年一段と立派になり、県内有数の桜の名所となった。  樹齢60年近いソメイヨシノが市道に沿って約1,000本、延長約1.3kmにわたって咲く。満開時には桜のトンネルとなる。  桜まつり期間中(4月上中旬)は、郷土芸能・地元のグルメや特産品などのふれあい物産市や、ステージパフォーマ...

大沼・小沼の写真

大沼・小沼 ( 群馬県 前橋市 )

赤城山の山頂部、黒檜山、地蔵岳、駒ケ岳などの外輪山に囲まれた標高1,350m付近には、カルデラ湖の大沼と高層湿原*の覚満淵、その南東1,470mに長七郎山の火口湖*の小沼が並んで位置する。大沼と小沼間は1km程度であり、トレッキングや自転車で回ることができる。  大沼は周囲4km、南岸から東岸には旅館街や土産屋がならび、赤城山の観光...

ぐんまフラワーパークの写真

写真提供:ぐんまフラワーパーク

ぐんまフラワーパーク ( 群馬県 前橋市 )

赤城山の南麓、標高300~350mにある花と緑の公園。18.4haの敷地内に1年を通して手入れされた花々を見ることができる。  園内には様々な施設があり、特にゲートの正面にある「フラトピア大花壇」では季節ごとに花を植え替えている。その他バラ園、サザンカ園、ショウブ園、ツツジ園などの園地があり、またイングリッシュガーデン、熱帯植物...

三夜沢赤城神社の写真

三夜沢赤城神社 ( 群馬県 前橋市 )

県内外に散在する赤城神社約300社の総本社のひとつといわれる神社である。杉木立ちの中に、上野国二の宮*と称されるこの社がある。社伝によると、古代、豊城入彦の命の子孫である上毛野君という氏族の創祀といわれ、戦国時代には、上杉・北条・武田の3氏を始め各武将の崇敬を集め栄えた。  本殿・中門などは県の重要文化財。神社の北裏2km...

金山城の写真

金山城 ( 群馬県 太田市 )

太田駅の北2.5kmにあり、1469(文明元)年に新田一族の岩松家純(いわまついえずみ)*が築城した山城である。国指定史跡。石垣を多用し、山上に軍用貯水池の日ノ池・月ノ池をもつなど難攻不落といわれ、上杉謙信、武田勝頼などの10数回に及ぶ攻撃にも落城しなかった。関東では代表的な山城の一つとされる。岩松氏を下剋上で退けた、横瀬氏改...

大光院の写真

大光院 ( 群馬県 太田市 )

太田駅の北西約1.8kmにあり、「子育て呑龍さま」と広く呼び親しまれている。1611(慶長16)年、徳川家康が先祖とした新田義重の旧跡を訪ねて寺を建て、呑龍上人(どんりゅうしょうにん)*を招いたと伝えられる。呑龍上人は、当時農民の間で行われていた赤子の間引を悲しみ、農民を説得し子育てにつとめたので子育呑龍と慕われるようになった。...

桜山公園の冬桜の写真

桜山公園の冬桜 ( 群馬県 藤岡市 )

藤岡市南東部の鬼石の西方、標高591mの桜山*山頂にある47haの自然公園。山頂付近の急斜面をうめる約5,000本の冬桜*は、1908(明治41)年3月に植栽されたもので、国の名勝・天然記念物に指定されている。雪化粧した武甲山などの山容を望んでのお花見は11月上旬~12月中旬。  山頂の碑文によると、1906(明治39)年、国有林野を村有の公園...

妙義山の写真

写真提供:富岡市

妙義山 ( 群馬県 富岡市 / 群馬県 安中市 / 群馬県 下仁田町 )

群馬県の南西部にあり、赤城山・榛名山とともに上毛三山の一つに数えられている。那須火山帯浅間火山群の一つ。山全体が浸食を受けやすい輝石安山岩と凝灰角礫岩でできているので、石門群や大砲岩などの奇岩が多い。  山は3峰に分かれ、安中市側から白雲山・金洞山・金鶏山と三角形を描くようにそびえる。白雲山は妙義神社の背後にあり、山...

妙義神社の写真

妙義神社 ( 群馬県 富岡市 )

妙義山の主峰、白雲山(1,104m)の中腹にある。今からおよそ1500年前、宣化天皇の時代に創建されたと伝わる古社。春には参道や神社境内にある樹齢200年余りのしだれ桜が見事である。樹木がうっそうと茂る奥深い境内には、色鮮やかなお堂が立ち並ぶ。  黒漆塗り、権現造り*の本殿をはじめ各社殿とも江戸時代の建築様式の壮麗なもの。また関...

小幡の町並みの写真

小幡の町並み ( 群馬県 甘楽町 )

城下町小幡は、室町時代に小幡氏の拠城であった国峰城が築かれ、江戸時代に織田氏、松平二万石の陣屋町として栄えたところで、武家屋敷の町並みを今に残している。織田信長の次男信雄(のぶかつ)*が小幡に城下町を築く際に作られた庭園は楽山園として残されており、現在では当時の姿に復元された。  小幡地区を南北に流れる雄川堰は、古...

久喜提燈祭り「天王様」の写真

写真提供:久喜市

久喜提燈祭り「天王様」 ( 埼玉県 久喜市 )

久喜提燈祭り「天王様」は、旧久喜町の鎮守である八雲神社の祭礼である。1783(天明3)年の浅間山の大噴火で、桑をはじめ夏作物が全滅したことによる、生活苦、社会不安などを取り除くため、祭礼用の山車を曳き廻して豊作を祈願したのが始まりと伝えられ、230余年の歴史と伝統を誇る祭りである。  祭りは毎年7月12日と18日に行われ、町内か...

熊谷うちわ祭の写真

熊谷うちわ祭 ( 埼玉県 熊谷市 )

「熊谷うちわ祭」は、八坂神社の祭礼で、京都八坂神社の「祇園祭」の流れを受け、江戸中期(1750年頃)より始まったとされる。  7月20日から22日の3日間であるが、それぞれ違った催しになる。鉦と太鼓の音も勇ましい熊谷囃子を奏でながら豪華な 12 台の山車と屋台が中心市街地を巡行し、20日には神輿の渡御がある。22日の夜には、全町12台...

妻沼聖天山歓喜院の写真

写真提供:妻沼聖天山歓喜院

妻沼聖天山歓喜院 ( 埼玉県 熊谷市 )

熊谷市の真北、妻沼集落の北西にある。『源平盛衰記』や歌舞伎の『実盛』物語で知られる斎藤実盛が、 1179(治承3)年に聖天堂を創建したのに始まり、次いで実盛の次男実長(阿請房良応)が別に歓喜院を開山したという。明治初年、一山すべて歓喜院所属となったが、中心は聖天堂である。  聖天堂の本尊大聖歓喜天は弘法大師が唐より仏法の...

さきたま古墳公園の写真

さきたま古墳公園 ( 埼玉県 行田市 )

市の南東部、県名発祥の地に所在する古墳群。二子山*・鉄砲山・稲荷山古墳など8基の前方後円墳と1基の円墳、日本最大級の円墳である丸墓山古墳*、方墳の戸場口山古墳などの総称。もとは近辺に多数の小円墳があったことが確認されており、関東地方でも有数の古墳群といえる。これらは武蔵国造の一族の墳墓と考えられている。  稲荷山古墳...

喜多院の写真

写真提供:喜多院

喜多院 ( 埼玉県 川越市 )

川越大師として親しまれている天台宗の関東総本山で、市街北東部にある。830(天長7)年、慈覚大師の草創になり、1588(天正16)年、天海僧正が来住して寺運が開けた。しかし 1638(寛永15)年の川越大火では山門を残し、すべて灰と化した。  喜多院には江戸城内の建物の遺構である客殿・書院・庫裏などが残るが、これらは大火のあと徳川家...

川越まつりの写真

川越まつり ( 埼玉県 川越市 )

川越まつりは、川越の総鎮守氷川神社の祭礼行事に由来する。1648(慶安元)年当時の藩主松平信綱が神輿と獅子頭、太鼓など祭礼用具を奉納したのをきっかけに祭りが始められたという。1698(元禄11)年、現在の元町2丁目からはじめて踊屋台が出て以来、年々盛大になり、天保年間(1830~1844年)には当時の十カ町すべての山車に上に人形をのせ...

鉢形城跡の写真

鉢形城跡 ( 埼玉県 寄居町 )

鉢形城は、荒川の断崖と深沢川の渓谷に囲まれた自然の要害の地に建てられた。戦国時代を代表する平山城であり、関東屈指の名城であった。築城には諸説あるが、1476(文明8)年に長尾景春が築いたとする説が有力。北条氏邦のときに現在の規模まで拡大された。しかし豊臣秀吉の天下統一が進み、1590(天正18)年、前田利家、上杉景勝らの大軍の...

両神山の写真

両神山 ( 埼玉県 小鹿野町 )

標高1,724m。深田久弥選定の日本百名山の一つ。平らな山稜をつなぐ秩父の山々のなかで、ギザギザの特色ある岩稜を刻むこの山は遠くからでも一目でわかる。  古く日本武尊(やまとたけるのみこと)*が足跡をしるし、役行者も登山したと伝わり、修験の山としても信仰されおり、以前は白装束、手甲脚絆で登る信者も多かった。伊弉諾・伊弉再...

宝登山神社の写真

写真提供:宝登山神社

宝登山神社 ( 埼玉県 長瀞町 )

今から1900年ほど前、日本武尊(やまとたけるのみこと)*が東征の帰途、山容の美しさに惹かれ山頂を目指すと山火事に遭遇し、神犬(山の神の使い)の助けを得て、無事に宝登山山頂に神霊を祀った事が、宝登山神社創建の始めと伝えられる。ご神徳は火防盗賊除、諸難除として高く、多くの参拝者で賑わう。  現在の社殿は1874(明治7)年に建...

三峯神社の写真

写真提供:三峯神社

三峯神社 ( 埼玉県 秩父市 )

関東の山岳信仰の霊場として知られる。三峰の名称は、景行天皇が訪れた際、妙法ケ岳、白岩山、雲取山の美しく連なることから名づけられたという。  境内は広く、古木に囲まれて色鮮やかな1661(寛文元)年建立の本殿と、1800(寛政12)年建立の拝殿が並ぶ。拝殿前に続く石段の両脇に、樹齢約800年のご神木がそびえる。  創祀は日本武尊(...

秩父神社の写真

写真提供:秩父神社

秩父神社 ( 埼玉県 秩父市 )

秩父市の中心に鎮座する。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社に数えられるこの社は、崇神天皇のころの創始といわれる古社で、明治維新前は秩父妙見宮と称されていた。広い境内に権現造*の本殿・幣殿・拝殿が鎮まり、左甚五郎作と伝えられる龍虎の彫刻をはじめ、社殿には華麗な彫刻が施されている。  日本三大曳山祭のひとつに数えられ...

秩父夜祭の写真

写真提供:秩父観光協会

秩父夜祭 ( 埼玉県 秩父市 )

京都祇園祭、飛騨祇園祭(岐阜県)と並ぶ日本三大曳山祭の一つで、毎年12月3日を中心に行われている。国の重要有形民俗文化財に指定される高さ平均約6.5m2、重さ15tもある重厚な6台の山車(屋台4基、笠鉾2基)が秩父神社中心に曳き廻され、とりわけ本番の3日は秩父盆地の街並みをこだまする屋台ばやしの太鼓の音が祭りを一層盛り...

和銅採掘遺跡の写真

和銅採掘遺跡 ( 埼玉県 秩父市 )

「続日本書紀」によると、708(慶雲5)年に「武蔵国秩父郡、和銅を献る」とあり、自然銅(にぎあかがね)を朝廷に献上したとある。貨幣を鋳造した朝廷では宣命を発し、年号を和銅と改めた。和同開珎は長い間わが国最初の貨幣とされていたが、1999(平成11)年の富本銭(ふほんせん)の出土によりその座を譲ることになった。  しかし、富本...

高麗神社の写真

写真提供:高麗神社

高麗神社 ( 埼玉県 日高市 )

JR川越線・八高線の高麗川駅から徒歩約20分。西武線高麗駅からは徒歩約40分。  高麗神社は、奈良時代に創建され、高句麗からの渡来人高麗王若光を主祭神としている。若光は高句麗からの使節として渡来した。朝廷から「王姓(こきしのかばね)」を賜っていることから高句麗の王族出身者と考えられている。716(霊亀2)年に高麗郡が置かれ、...

子ノ権現天龍寺の写真

写真提供:子ノ権現天龍寺

子ノ権現天龍寺 ( 埼玉県 飯能市 )

子ノ権現といわれるのは、子の年子の月子の日子の刻に生まれ、911(延喜11)年にこの地に天龍寺を開山した「子ノ聖」を高弟の恵聖上人が祀って天龍寺の境内に権現社の社殿を建立したことに始まる。天龍寺を子ノ権現社の管理をする別当寺とした。  天龍寺の本尊は十一面観世音菩薩で、12年ごとの子の年には子ノ聖の尊像が開帳される。

慈光寺の写真

写真提供:慈光寺

慈光寺 ( 埼玉県 ときがわ町 )

県内最古の寺で坂東三十三ケ所第9番札所。673(天武天皇2)年飛鳥時代に鑑真の弟子釈道忠によって開かれ、鎌倉時代は畠山重忠や源頼朝が篤く帰依したという。  都幾山麓から参道を登る途中の道端に8基の大型青石塔婆がある。さらに登ると古い伽藍が見えてくる。覆堂に入った開山塔、鐘楼などであるが、蔵王堂と釈迦堂は 1985(昭和 60)年...

吉見百穴の写真

写真提供:吉見町役場

吉見百穴 ( 埼玉県 吉見町 )

東松山市との境界付近は凝灰岩質砂岩の丘陵で、白い岩肌にたくさんある横穴が、まるで蜂ノ巣のような奇観を呈する。江戸時代には十数個が開口し、不思議な存在であった。  吉見百穴には横穴住居説をめぐる激しい論争の歴史がある。オーストリア公使シーボルトの視察以来有名になり、1887(明治 20)年には当時の東京帝国大学生坪井正五郎ら...

日本スリーデーマーチの写真

写真提供:日本スリーデーマーチ実行委員会

日本スリーデーマーチ ( 埼玉県 東松山市 )

⽇本スリーデーマーチは、例年3⽇間で延べ8万⼈を超える参加者があり、その数は世界第2位、日本最大のウォーキングイベントである。1978(昭和53)年から第2回までは群⾺県新町で⾏なわれたが、3回⽬以降現在まで、ずっと東松⼭市で⾏なわれている。  開催地が東松⼭市に移ってからは、10kmや5kmの短いコースをつくったり、⼩中学校の⼦供...

吉高の大桜の写真

写真提供:印西市

吉高の大桜 ( 千葉県 印西市 )

吉高の大桜は、印西市吉高地区にある樹齢300年を超える孤高の一本桜(ヤマザクラ)である。樹高10.6m、根回り周囲6.85m、枝張最大幅25.8mで、開花の時期(4月上旬~中旬)にはピンク色の小山のような景観を見せる。  根元周囲は、所有者である須藤家の祭祀場(氏神)として周辺よりも1m程度小高く塚状に盛土されている。  通常、ソメイヨ...

誕生寺の写真

誕生寺 ( 千葉県 鴨川市 )

日蓮聖人*の生まれた地であることを記念して建立された寺で、日蓮宗の大本山である。1276(建治2)年、日蓮の弟子日家上人が上総興津(かずさおきつ)城主佐久間兵庫守重偵(さくまひょうごのかみしげさだ)の助けを受け建立した。ところが、1498(明応7)年の地震の際に津波で流失し、鯛の浦(妙の浦)を望む地に再建されたが、1703(元禄1...

清澄寺の写真

清澄寺 ( 千葉県 鴨川市 )

清澄寺は、清澄山(きよすみやま)の頂上近くに位置する。天津・小湊周辺には日蓮聖人*にゆかりの寺が多いが、その中でももっともゆかりの深い寺である。  771(宝亀2)年、不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれる。836(承和3)年、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁師がこの地を訪れ修行したことから、天台宗の寺...

鋸山・日本寺の写真

鋸山・日本寺 ( 千葉県 鋸南町 )

鋸山は、富津市と鋸南町の境にそびえ、清澄山地の西端にあたる。文字どおり鋸の歯のような険しい稜線で、昔から東京湾に入る船の目じるしとされていた。頂上から山裾は一気に海へ落ち込んでおり、かつて房州石を切り出した石切場跡が絶壁となって随所に残っている。頂上には、360度の展望が得られる「十州一覧台」(じゅっしゅういちらんだい...

佐原の町並みの写真

佐原の町並み ( 千葉県 香取市 )

古い家並みを残す佐原は、江戸時代から利根川水運の中継地として発展し、商人の町として栄えた。町中を流れる小野川沿いや香取街道沿いには、江戸時代から昭和期に至るまでの町屋や土蔵、レンガ造りなど情緒漂う建物が多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている。それらの建物の多くは、現在も活用されてい...

佐原の大祭(八坂神社、諏訪神社)の写真

写真提供:香取市

佐原の大祭(八坂神社、諏訪神社) ( 千葉県 香取市 )

「お江戸見たけりゃ佐原へござれ 佐原本町 江戸優り」と唄われた佐原では、商業都市としての財力を背景に、独自の文化を築いた。毎年夏と秋に行われる「佐原の大祭」もその1つである。  佐原にある24地区は、それぞれ山車を有しており、最上部の「大天井」と呼ばれる部分には、日本神話も含む歴史上の人物の人形や鯉・鷹といった動物の藁...

DIC川村記念美術館の写真

写真提供:DIC川村記念美術館

DIC川村記念美術館 ( 千葉県 佐倉市 )

DIC川村記念美術館は、1990(平成2)年5月にDIC株式会社総合研究所の敷地内にオープンした美術館である。創業家二代目の川村勝巳が発起人となりDIC株式会社およびその関連会社が集めた17世紀のレンブラントを筆頭にモネ、ルノワール、シャガール、ピカソらによるヨーロッパ近代絵画、20世紀アメリカ美術、日本の現代美術などを収蔵。ステラの...

市原ぞうの国の写真

市原ぞうの国 ( 千葉県 市原市 )

市原ぞうの国は、千葉県のほぼ中央に位置する。1989(平成元)年に開園し、敷地面積は3.5haに及ぶ。開園当初は「山小川ファーム動物クラブ」だったが、1996(平成8)年に現在の名称となった。  国内最多飼育数(13頭)を誇るぞうをはじめ、カピバラ、カバなど約100種類の動物が暮らしている。アトラクションも豊富で、サッカーやダンスなど...

成田山新勝寺の写真

写真提供:成田山新勝寺

成田山新勝寺 ( 千葉県 成田市 )

成田山新勝寺は、全国に8ケ所の別院のほか、60以上の分院・末寺・末教会・成田山教会を有する真言宗智山派の大本山である。境内、公園をあわせた面積は22万m2に及び、国指定重要文化財である仁王門、三重塔、光明堂、釈迦堂、額堂をはじめ、多くの堂宇や美術館、図書館などを有する。  大本堂の裏の丘陵地には、16万5,000m...

加曽利貝塚の写真

写真提供:加曽利貝塚博物館

加曽利貝塚 ( 千葉県 千葉市 )

加曽利貝塚は、直径140mの環状である縄文時代中・後期の北貝塚と、直径190mで馬蹄形をした縄文時代後・晩期の南貝塚が8字形に連結した、日本最大級の貝塚である。貝塚やその周辺からは多数の住居跡が発見されており、この地域の中核的な「ムラ」の跡が拡がっている。2017(平成29)年に、縄文時代の遺跡としてはわが国で4箇所目となる国指定特...

中山競馬場の有馬記念の写真

写真提供:日本中央競馬会 中山競馬場

中山競馬場の有馬記念 ( 千葉県 船橋市 )

中山競馬場は、日本中央競馬会(JRA)が管理・施行する競馬場である。敷地総面積は約68万m2で、芝コース、ダートコース、障害コースが設定されていて、リフレッシュ工事を実施しリニューアルしたスタンドや馬を間近にみることができるグランプリロード、大型ビジョンが設置されたメディアホール等を有する他、隣接するけやき公苑...

麻綿原高原のアジサイの写真

写真提供:一般社団法人 大多喜町観光協会

麻綿原高原のアジサイ ( 千葉県 大多喜町 )

麻綿原高原は、大多喜町の南西部、鴨川市と君津市との境付近にある高原である。勝浦付近の海岸から蜿々と続く九十九里浜を一望でき、また房総の山々を望むことができる。  アジサイの咲く高原として知られる。「天拝園(てんぱいえん)」と名付けられた妙法生寺(みょうほうしょうじ)境内を中心に、2万株ものアジサイが高原の斜面を埋めて...

犬吠埼の写真

犬吠埼 ( 千葉県 銚子市 )

犬吠埼は、銚子半島の最東端、太平洋に突き出た岬である。三方を海に囲まれた高さ約20mの海食台地で、複雑な地質構造を示す古生層・中生層からなっている。植物は、コウボウムギ、ハマエンドウ等の砂浜植物のほか、ハチジョウススキ、トベラ等の風衝面群落がみられる。動物は、ウミウ、ウミネコ、オオハム、アビ、カモメ等が生息している。 ...

笠森寺(笠森観音)の写真

笠森寺(笠森観音) ( 千葉県 長南町 )

町の北西端に位置する笠森寺は、坂東三十三観音霊場の第31番札所であり、「笠森観音」の名で親しまれている。開創は784(延暦3)年、最澄によると伝えられており、観音堂*は後一条天皇の勅願によって1028(長元元)年に建立されたといわれる。  山頂の巨岩の上に建てられた観音堂は、日本でただひとつの『四方懸造り』として、国の重要文...

マザー牧場の写真

写真提供:株式会社マザー牧場

マザー牧場 ( 千葉県 富津市 )

マザー牧場は、東京湾や富士山を望む鹿野山の南西、標高約300mの山頂に位置する観光牧場である。開業は1962(昭和37)年で、250haという広大な敷地内に、牛、馬、羊、アルパカ、ミニブタ、アヒルなど様々な動物が暮らしている。また、場内各所には花畑が広がり、350万本の菜の花、30万本のサルビア、10万株のスイセン、2万5,000株のペチュニ...

東京湾アクアライン(一般国道409号)の写真

写真提供:NEXCO東日本

東京湾アクアライン(一般国道409号) ( 千葉県 木更津市 / 神奈川県 川崎市 )

東京湾アクアラインは、川崎側から約10kmのシールドトンネル、木更津側から約5kmの橋梁、トンネルと橋梁の接続部に設置された人工島(海ほたるパーキングエリア)、および換気用の人工島(風の塔)で構成される、1997年(平成9年)12月18日に開通した自動車専用の有料道路。  東京湾アクアラインは、民間企業と地方自治体、日本道路公団が...

銚子の醤油づくり関連施設群の写真

銚子の醤油づくり関連施設群 ( 千葉県 銚子市 )

銚子の醤油づくりは、江戸時代に本格的に始まった。1616(元和2)年に、三代目田中玄蕃(たなかげんば)*が醤油造りを開始した。一方、紀州(和歌山県)出身の初代濱口儀兵衛(はまぐちぎへえ)は、1645(正保2)年に湯浅で行われていた醤油造りの技法を銚子に持ち込み、醤油造りを始めた。  黒潮(暖流)と親潮(寒流)が沖合でぶつかる...

大山千枚田の写真

写真提供:大山千枚田保存会

大山千枚田 ( 千葉県 鴨川市 )

大山千枚田は、鴨川市の西部、面積約3.2haの急傾斜地に階段のように連なる、大小375枚の田んぼの総称である。東京から一番近い棚田として知られており、耕地整理が遅れたことで美しい姿が残されている。  大山千枚田は日本で唯一、雨水のみで耕作を行っている天水田である。そのため、動植物も貴重なものが多く生息しており、生物多様性の...

成田祇園祭の写真

写真提供:(一社)成田市観光協会

成田祇園祭 ( 千葉県 成田市 )

成田祇園祭は、成田山新勝寺のご本尊不動明王の本地仏である奥之院に奉安された「大日如来」に五穀豊穣・万民豊楽・所願成就を祈願する「成田山祇園会」と、成田山周辺の町内が一体となり行われる夏祭りで、約300年の歴史がある。毎年7月初旬に開催される。見事な彫刻や装飾で彩られた10台の山車・屋台と御輿1台が繰り出し、3日間にわたって...

大山の写真

写真提供:伊勢原市観光協会

大山 ( 神奈川県 伊勢原市 )

丹沢山地南東端にあるピラミッド状の山で、高さは1,252m、相模平野や武蔵野台地からその姿を望むことができる。別名「雨降山」と呼ばれ、雨乞いに霊験があるとされる。古くから有名な山岳信仰の山で、今も先達を先頭に白い行衣の信者たちが「さんげ さんげ 六根清浄」と唱えながら山頂をめざす光景が見られる。  山頂に阿夫利神社本社、中腹...

大山阿夫利神社の写真

写真提供:大山阿夫利神社

大山阿夫利神社 ( 神奈川県 伊勢原市 )

大山阿夫利神社は、約2,200年前の崇神天皇のころの創建と伝えられている。祭神は大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)、大雷神(おおいかずちのかみ)で、延喜式内社に位置づけられている。755(天平勝宝7)年、東大寺別当良弁が堂塔・僧坊を建て、神仏混淆の時代が始まった。  源頼朝・足利氏・北条氏などの...

よこはま動物園ズーラシアの写真

よこはま動物園ズーラシア ( 神奈川県 横浜市 )

1999(平成11)年に開園した横浜市で一番新しい動物園。面積は45.3haで、国内の動物園としては最大級の広さを誇る。園内は世界の気候帯ごとに、「アジアの熱帯林」「亜寒帯の森」「オセアニアの草原」「中央アジアの高地」「日本の山里」「アマゾンの密林」「アフリカの熱帯雨林」「アフリカのサバンナ」の8つのゾーンで構成され、展示場には...

称名寺の写真

写真提供:(一社)横浜金沢観光協会

称名寺 ( 神奈川県 横浜市 )

北条実時(さねとき)*が金沢の別邸内に、称名念仏を行うための持仏堂を建てたのが寺の起こりと伝える。1267(文永4)年、下野薬師寺の審海(しんかい)を請じて開山とし、律院に改められた。寺は金沢北条氏の庇護のもと隆盛を極め、1323(元享3)年に描かれた『称名寺絵図並結界記』には、堂宇の建ち並ぶ姿が見られる。その後、鎌倉幕府が...

野毛山動物園の写真

写真提供:野毛山動物園

野毛山動物園 ( 神奈川県 横浜市 )

1951(昭和26)年に開業した横浜市で最も古い動物園。  関東大震災から3年後の1926(大正15)年、被災地復興事業の一環として、原善三郎や茂木惣兵衛といった豪商の邸宅跡地などを利用し、回遊式日本庭園、洋風庭園、和洋折衷庭園の3つの様式を持つ「野毛山公園」が開園した。  1949(昭和24)年、野毛山公園は神奈川県と横浜市が主催す...

山下公園の写真

写真提供:日本郵船株式会社

山下公園 ( 神奈川県 横浜市 )

横浜港に面して大桟橋入口から山下埠頭まで長さ約700mにわたって広がる、面積約7万4,000m2の臨海公園。関東大震災復興事業の一環として、被災地の瓦礫や焼土を埋め立てて長方形に整地したもので、1930(昭和5)年に開園した。臨海公園としては日本初ともいわれる。  公園の東側には氷川丸が係留されている。氷川丸は日本郵船が...

横浜山手西洋館の写真

写真提供:公益財団法人 横浜市緑の協会

横浜山手西洋館 ( 神奈川県 横浜市 )

1858(安政5)年に締結された日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約を機に、1859(安政6)年に横浜は開港場となり、1860(万延元)年には外国人居留地が開放された。当初の居留地は現在の山下町のエリアに設けられたが(「関内居留地」や「山下居留地」とよぶ)、埋立による低湿地帯であったために山手丘陵地の開放が求められ、現...

三溪園の写真

写真提供:公益財団法人 三溪園保勝会

三溪園 ( 神奈川県 横浜市 )

明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家 原三溪(本名 富太郎)氏の本邸であった日本庭園で、園内は1906(明治39)年から一般公開されている外苑と、原家が私庭として使用していた内苑とからなる。三之谷と呼ばれる谷あいに、自然の起伏を生かして造られ、その敷地面積は約17万m2。京都や鎌倉など...

円覚寺の写真

円覚寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

北鎌倉駅のすぐ東に接する臨済宗円覚寺派の大本山。鎌倉五山の第二位に列せられている。1282(弘安5)年8代執権北条時宗が元寇の戦いの双方の戦死者を弔うために宋の高僧無学祖元*を招いて開山とし、この地に禅院を開いたのが始まりで、寺名は寺の起工の際、地中から円覚経を収めた石櫃(せきひつ)が出現したことによるという。その後、数...

円覚寺舎利殿の写真

円覚寺舎利殿 ( 神奈川県 鎌倉市 )

円覚寺塔頭の正続院*の内にある。方3間、単層、入母屋造、裳階付き、柿葺。わが国に現存する唐様(禅宗様)建築*の最古のものといわれ、扇垂木・粽柱・花頭窓など、いたるところによくその特徴を伝えている。以前は創建当初の建築とみられていたが、現在では室町時代に太平寺*の仏殿を移したものと考えられている。内陣に源実朝が中国宋か...

明月院の写真

写真提供:明月院

明月院 ( 神奈川県 鎌倉市 )

北鎌倉駅南東700mの明月谷の奥。数千株のアジサイの花が参道に並び咲くことからアジサイ寺とも呼ばれている。寺は、北条時頼が建てた最明寺跡に再興された禅興寺の塔頭で(禅興寺が明治初期に廃寺となり塔頭でなくなる)、室町時代初期、関東管領上杉憲方*によって開創された。  境内には1973(昭和48)年に再建された本堂、北条時頼廟、...

建長寺の写真

写真提供:建長寺

建長寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山*の第一位に列する名刹。  1253(建長5)年5代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆*を開山として創建した寺で、わが国最初の臨済禅専門道場となった。かつては七堂伽藍、塔頭49院を備えていたが、たびたびの火災で堂宇のことごとくを焼失、江戸時代になって将軍家の寄進を受けて、ようやく寺運は復興した。  ...

鶴岡八幡宮の写真

鶴岡八幡宮 ( 神奈川県 鎌倉市 )

鎌倉駅の北東、若宮大路の突きあたりにある。1063(康平6)年源頼義が奥州の前九年の役平定の後、京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に現在の由比若宮を勧請し、その後1180(治承4)年鎌倉に本拠を置いた源頼朝は、大臣山のふもとに由比若宮を遷し、1191(建久2)年には大臣山の中腹に新たに御社殿を造営して源氏の守護神とした。これが現在の鶴...

瑞泉寺の写真

瑞泉寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

二階堂の東端、紅葉ガ谷にある。1327(嘉暦2)年、鎌倉幕府の重臣二階堂道薀が夢窓国師*を開山として一宇を創建、瑞泉院と称したのが始まりで、のちに初代鎌倉公方足利基氏が中興して瑞泉寺と号し、以来、鎌倉公方足利氏4代の菩提所として、おおいに栄えた。境内に大正時代以降に再建された総門・山門・本堂・地蔵堂・開山堂・鐘楼・客殿な...

長谷寺の写真

写真提供:長谷寺

長谷寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

由比ガ浜通りの西の突きあたりにある。参道を抜けて拝観口を通ると、回遊式庭園があり四季の花木が楽しめる。階段を登った観音山の山腹に観音堂・阿弥陀堂・観音ミュージアム・鐘楼などが並ぶ。  736(天平8)年、藤原房前が徳道上人を開山として創建した寺と伝え、本尊に長谷観音の名で有名な十一面観音立像を祭っている。ミュージアムに...

高徳院(鎌倉大仏殿)の写真

高徳院(鎌倉大仏殿) ( 神奈川県 鎌倉市 )

「美男におはす」(与謝野晶子の歌の一部)鎌倉の大仏として、あまりにも有名。  正式には大異山高徳院という寺の本尊である。寺の創建については明らかではなく、江戸中期の1712(正徳2)年、増上寺の祐天上人が中興して浄土宗とし、もと材木座光明寺の奥院であった。広々とした境内の奥、三方に回廊をめぐらした中央に露坐の大仏が鎮座し、...

杉本寺の写真

杉本寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

鶴岡八幡宮から金沢八景へと通じる金沢街道沿いの山腹にある。杉本観音とも呼ばれ、坂東三十三観音の第1番札所である。寺は、734(天平6)年、行基の開創と伝える鎌倉最古の仏地。1191(建久2)年源頼朝が参詣して寺領を寄進、再興した。その後も頼朝・政子・実朝らがたびたび参詣している。  茅葺の仁王門をくぐり、100段を超える急な石段...

海蔵寺の写真

海蔵寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

鎌倉駅の北西1.2km、扇ガ谷と呼ばれる静かな住宅街の奥にある。1394(応永元)年、上杉氏定が鎌倉公方足利氏満の命を奉じて建立した。  盛時は塔頭10院を擁したと伝わるが、今は、小ぢんまりとした境内に、1776(安永5)年浄智寺から移した仏殿のほか、本堂・鐘楼・山門・庫裏を数えるのみである。本堂は、関東大震災後、1925(大正14)年...

銭洗弁財天(宇賀福神社)の写真

銭洗弁財天(宇賀福神社) ( 神奈川県 鎌倉市 )

源氏山の西方、佐助ガ谷にある。三方を岩に囲まれた狭い境内に、社殿・社務所・茶店・奉納鳥居が並び、社殿脇の洞窟、奥宮に鎌倉五名水*の一つの銭洗水が湧き出ている。この清水で銭を洗うと倍になるという信仰で、広く人々に親しまれている。  社伝によれば、この霊水の発見は、1185(文治元)年、源頼朝の夢枕に現れた隠れ里の主、宇賀...

光明寺の写真

光明寺 ( 神奈川県 鎌倉市 )

材木座の海岸近くにある浄土宗の大本山。境内は広く、壮大な山門をくぐると、17間四面の大殿をはじめ、開山堂・大聖閣・書院・方丈・鐘楼などが軒をつらね、大寺の格式を誇っている。  寺の起源は、4代執権北条経時が佐助ガ谷に一宇を建て、蓮華寺と称したのが始まりとされており、1243(寛元元)年現在地に移して、寺号を改めた。その後も...

江ノ島電鉄の写真

写真提供:江ノ島電鉄

江ノ島電鉄 ( 神奈川県 鎌倉市 / 神奈川県 藤沢市 )

鎌倉駅~藤沢間を結ぶ私鉄。鎌倉の歴史と文化、湘南の海と江の島*を見渡す開放的なロケーションを有する鉄道は1902(明治35)年に日本で6番目の鉄道として藤沢~片瀬(現江ノ島)間で開業し、110年以上の歴史を持つ。

小田原城の写真

写真提供:小田原城総合管理事務所

小田原城 ( 神奈川県 小田原市 )

小田原城は、小田原駅の西南、相模湾に向かって延びた箱根外輪山麓の台地上にある。  1416(応永23)年、土肥氏に代わった大森氏の治世を経て、1500年頃に小田原北条氏の初代 早雲が小田原城へと進出した後、五代約100年に渡り関東一円を支配した。1590(天正18)年の豊臣秀吉の小田原攻めにより北条氏が五代で滅んだ後は、家康の家臣の大...

石垣山城の写真

写真提供:小田原城総合管理事務所

石垣山城 ( 神奈川県 小田原市 )

一夜城は伝説の話。実際は1590(天正18)年、豊臣秀吉が水陸15~16万の大軍を率いて小田原北条氏を包囲し、その本営としてこの地に、関東初の総石垣の城を築いた。建設には約4万人が動員され、82日間を費やした。石積みは近江の穴太衆(あのうしゅう)による野面積(のづらつみ)で、長期戦に備えた本格的な城構えであった。公園面積は約5.8h...

平間寺(川崎大師)の写真

写真提供:平間寺(川崎大師)

平間寺(川崎大師) ( 神奈川県 川崎市 )

平間寺は、正式には「金剛山金乗院平間寺」と称する真言宗智山派の大本山である。大治年間(1125~1130年)、平間兼乗という武士が、夢のお告げにより海中から弘法大師の木像を引き揚げた。ささやかな草庵をむすび、供養を怠らなかった兼乗が、高野山の尊賢上人と力を合わせ、一寺を建立したのが始まりと伝えられている。  川崎大師駅前か...

川崎市立日本民家園の写真

写真提供:©2019川崎市立日本民家園

川崎市立日本民家園 ( 神奈川県 川崎市 )

川崎市立日本民家園は、急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的として、生田緑地の丘陵に、1967(昭和42)年に開園した古民家の野外博物館である。東日本の代表的な民家をはじめ、水車小屋、船頭小屋、高倉、歌舞伎舞台など25件の建物が配置されている。これら25件の建物全てが国・県・市の文化財指定を受けている。園路には...

川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアムの写真

写真提供:©Fujiko-Pro

川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム ( 神奈川県 川崎市 )

「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」は、藤子・F・不二雄氏が富山県高岡市から上京後、トキワ荘時代を経て、晩年までを過ごした川崎市にある美術館である。2011(平成23)年9月に開館し、藤子・F・不二雄氏の作品世界やメッセージを、原画などの展示を通じて発信している。  同ミュージアムは、「まんが」「遊びゴコロ」「SF-すこしふ...

箱根火山後期中央火口の写真

箱根火山後期中央火口 ( 神奈川県 箱根町 )

富士火山帯に属する箱根火山は、伊豆半島の基部に噴出したカルデラ火山(外輪山、前期中央火口丘、後期中央火口丘)である。このうち、後期中央火口丘部分(最後の噴火により構成された火山群)については、最高峰である1,438mの神山を中心に、二子山、駒ヶ岳、冠ヶ岳、早雲山、台ヶ岳などが囲む。  歴史的にみると、箱根火山が活動を始め...

彫刻の森美術館の写真

写真提供:彫刻の森美術館

彫刻の森美術館 ( 神奈川県 箱根町 )

箱根二ノ平の明るく開けた丘陵に、1969(昭和44)年開設された野外美術館。7万m2の敷地には樹木に縁どられた広々とした芝生にロダン、ブールデル、ヘンリー・ムーアなどの巨匠の彫刻約120点が展示され、小道を歩きながら鑑賞できる。野外展示場の周りにはピカソ館などの室内展示場があり、多くの作品を展示している。また、こども...

仙石原高原(仙石原湿原・すすき草原)の写真

写真提供:箱根ジオパーク推進協議会

仙石原高原(仙石原湿原・すすき草原) ( 神奈川県 箱根町 )

仙石原高原は、金時山・丸岳などの外輪山と台ヶ岳などの後期同中央火口丘との間、標高約700mに広がる高原である。箱根内カルデラの平坦な地形が広がる場所で、現在は一面の草原となり、ゴルフ場やテニスコートが造られ、温泉や寮、別荘が点在する。9~10月の初秋の頃には黄金色のススキの原となり、秋の箱根の代表的景観をつくる。  面積約...

芦ノ湖の写真

芦ノ湖 ( 神奈川県 箱根町 )

芦ノ湖は、箱根外輪山内に北東から南西に横たわるカルデラ湖で、湖面の標高724m、周囲約19km、最大深度43.5mほどのひょうたん形となっている。中央部のやや北のところで東西の幅がもっとも狭くなり、わずか300mとなる。水温は年間4度以上で冬期も結氷することがない。湖水の水は北岸から流れ出る早川によって相模湾へ注ぎ、同時に北西岸に掘...

箱根神社の写真

写真提供:箱根神社

箱根神社 ( 神奈川県 箱根町 )

奈良時代の757(天平宝字元)年箱根山に入峰修行中の万巻上人が、箱根大神の御神託により芦ノ湖畔の現在地に鎮斎された古大社。  鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣の風儀を生み、以来、執権・北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤い社として、また修験の霊場として栄えた。  近世、箱根道の整備と共に庶民信仰の聖...

大涌谷の写真

大涌谷 ( 神奈川県 箱根町 )

大涌谷はおよそ3,000年前、箱根火山活動の最末期に神山北山腹の爆裂によってできた谷である。神山を形成した岩しょうが冷え固まるにつれて、揮発性物質がガスとなって蓄積され爆発したもので、この爆発は冠ガ丘を造り、押し出された土砂は芦ノ湖を造った。標高は約1,000m。  大涌谷はかつて「大地獄」と呼ばれていたが、1873(明治6)年8月...

箱根強羅公園の写真

写真提供:箱根登山鉄道株式会社

箱根強羅公園 ( 神奈川県 箱根町 )

強羅公園は、1914(大正3)年に早雲山の中腹に開園された、面積約2万4,500m2の公園である。噴水を中心に斜面を利用して造られたフランス式整形庭園で、園内には桜、ツツジが多い。公園内には、白雲洞茶苑、ローズガーデン、熱帯植物館、ブーゲンビレア館、箱根クラフトハウスなどの施設がある。  白雲洞茶苑は、明治・大正・昭...

箱根旧街道杉並木の写真

箱根旧街道杉並木 ( 神奈川県 箱根町 )

屏風山の西麓、芦ノ湖湖岸近くに延びる箱根旧街道に残る杉並木。現在は約500m、元箱根から恩賜箱根公園まで続く。高さは30m程度、中には幹回り4mを超える大木が約400本残されている。  徳川家康が江戸幕府を開いた翌年の1604(慶長9)年に諸国の街道の両側に松や杉を植えたのが始まりで、1618(元和4)年幕府の命を受け、川越藩主・松平正...

箱根登山電車の写真

箱根登山電車 ( 神奈川県 箱根町 )

箱根登山電車は日本の普通鉄道での最急勾配80‰(1,000mの区間で80m上下する勾配)、箱根の山を箱根湯本(標高96m)から強羅(541m)までの8.9kmを登る山岳鉄道で箱根登山鉄道株式会社が運行している。  箱根登山鉄道株式会社は、小田原市にある小田急グループの鉄道会社。東海道本線の経路から外れる小田原と箱根を結ぶことを目的として建...

ポーラ美術館の写真

写真提供:ポーラ美術館

ポーラ美術館 ( 神奈川県 箱根町 )

「箱根と自然と美術の共生」のコンセプトのもと、ポーラ創業家二代目・鈴木常司が1950年代後半から40数年にわたり収集したコレクションを有する美術館として、2002(平成14)年9月に開館した。コレクションは約1万点にのぼり、19世紀フランスの印象派を中心とした西洋絵画や日本の洋画、日本画、版画、彫刻、東洋陶磁、日本の近現代陶芸、ガ...

清浄光寺(遊行寺)の写真

清浄光寺(遊行寺) ( 神奈川県 藤沢市 )

藤沢駅の北東約1kmにある。1276(建治2)年一遍上人によって開宗された時宗の総本山。時宗は遊行念仏宗ともいわれ、歴代の宗主が信仰の歓喜を踊念仏に表わし、全国を遊行教化したので、同寺の住職を代々遊行上人と呼び、寺名も一般に遊行寺というようになった。  当寺の開基は1325(正中2)年、遊行4代の呑海によるもので、以来、足利・徳...

江島神社の写真

写真提供:江島神社

江島神社 ( 神奈川県 藤沢市 )

江の島の裸弁天で知られる。江の島弁天は安芸の宮島、近江の竹生島とともに三弁天の一つに数えられて信仰を集め、特に、江戸時代は江戸町民や東海道の旅人など庶民の参詣で賑わった。  創起は552(欽明天皇13)年、今の御岩屋に海の守護神である3女神を祭ったと伝えられるが、1182(寿永元)年、源頼朝が文覚上人に命じて社殿を建立し、弁...

小田原文学館の写真

小田原文学館 ( 神奈川県 小田原市 )

文学館の建物は、明治時代から昭和戦前期にかけての陸軍軍人、官僚、政治家であった田中光顕の元別邸で、1937(昭和12)年築のスパニッシュ様式の本館、1924(大正13)年築の和風建築の別館ともに国登録有形文化財である。  本館1階は尾崎一雄、川崎長太郎など小田原出身の文学者、2階は谷崎潤一郎、三好達治など小田原に居住した文学者の...

松永記念館の写真

写真提供:松永記念館

松永記念館 ( 神奈川県 小田原市 )

本館展示室は、「電力王」と言われた松永安左エ門(耳庵 じあん)が収集した古美術品を一般公開するために、「財団法人松永記念館」を設立し、建設したもの。財団の解散後は、市に寄付し、市が管理している。本館2階は松永の意向が反映された茶室が保存されている。広間の太い床柱は平等院山門に使用されたものといわれ、横浜の三溪園で知ら...

神奈川県立生命の星・地球博物館の写真

写真提供:神奈川県立生命の星・地球博物館

神奈川県立生命の星・地球博物館 ( 神奈川県 小田原市 )

神奈川県立生命の星・地球博物館は、地球の歴史と生命の多様性をテーマとする自然史系博物館である。竣工は1994(平成6)年、延べ床面積は19,020m2で、実物標本は巨大な恐竜や隕石から豆粒ほどの昆虫まで約1万点にのぼる。  1階の常設展示室では、地球誕生のなぞについて隕石やクレーター形成などをもとに解説を行う「地球を考...

岡田美術館の写真

写真提供:岡田美術館

岡田美術館 ( 神奈川県 箱根町 )

岡田美術館は、明治時代に建設された欧米人向けのホテル「開化亭」の跡地に2013(平成25)年、開館した私設美術館である。  延床面積は約7,700m2の全5階建て、1階は中国・韓国の陶磁器、2階は日本の陶磁器やガラス、3階は屏風を中心とした日本絵画、4階は絵画・書跡・漆芸、5階は仏教美術の展示とテーマ別に分類されている。展...

古我邸の写真

写真提供:古我邸

古我邸 ( 神奈川県 鎌倉市 )

幕末の横浜開港後、横浜の居留地に住む外国人たちは鎌倉をリゾート地として見出し、頻繁に訪れるようになった。その後、JR横須賀線の開通を契機に、洋風の別荘が相次いで建てられた。  古我邸は、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として15年を費やして建てられた。関東大震災後の対策会議もここで開かれた。  1937(昭和12)...

つがわ狐の嫁入り行列の写真

つがわ狐の嫁入り行列 ( 新潟県 阿賀町 )

1990(平成2)年に始まった祭りである。狐火で有名な津川に伝わる、江戸時代の嫁入りを再現した結婚の儀式。その年結婚予定のカップルが、白無垢姿の花嫁で狐の真似をしながら、住吉神社から夜の街道を練り歩き、108匹(人)のお供を連れて、披露宴会場となる麒麟山公園まで行列*する。まちでは灯りを消し松明や提灯で幻想的な雰囲気を演出...

五頭温泉郷(出湯温泉、今板温泉、村杉温泉)の写真

写真提供:五頭温泉郷旅館協同組合

五頭温泉郷(出湯温泉、今板温泉、村杉温泉) ( 新潟県 阿賀野市 )

五頭・菱ヶ岳西麓にあり、旧笹神村の出湯・今板・村杉の三温泉を称して五頭温泉郷という。ゆっくりと保養する人のほかに、周辺の瓢湖、五頭山、ゴルフ場などの基地として利用されている。  北にある出湯温泉*は、弘法大師が錫杖で地面を突いたところ湧出したと伝えられる。五頭山華報寺の門前町と発達した温泉で、華報寺が名実ともにこの...

信濃川(大河津分水)の写真

写真提供:国土交通省北陸地方整備局

信濃川(大河津分水) ( 新潟県 燕市 )

3年に1度の頻度で水害が発生していた越後平野。潟や沼が点在する低湿地帯であるため、水はけが悪く浸水が長期化したほか、腰まで水に浸かりながら稲刈りをする泥沼の深田が各地に広がっていた。その惨状は良寛も嘆くほどであった。  1896(明治29)年7月22日に発生した「横田切れ」では越後平野のほぼ全域が約1か月にわたって浸水し、食料...

渡邉邸の写真

渡邉邸 ( 新潟県 関川村 )

JR米坂線越後下関駅の東、旧米沢街道沿いにある。渡邉家初代は村上藩士で郡奉行を務めたが、1667(寛文7)年に隠居して現在地に転居した。二代目は廻船業や酒造業で財を成し、新田開発をするなど大地主に発展していった。三代目は、1726(享保11)年以降、財政難に苦しんでいた米沢藩への融資を幕末まで続け、その額は10万両を超えた。その功...

加茂湖の写真

加茂湖 ( 新潟県 佐渡市 )

両津湾が、北から南から発達してきた砂嘴によって仕切られ、加茂湖が誕生し、両津市街地で海と隔てられた海跡湖である。むかしは越ノ湖と風雅な名で呼ばれた淡水湖であったが、1904(明治37)年に水害予防と船溜まりのため湖口を開削、そのため、海水が流れこんで、鹹湖(かんこ)*となった。  面積4.85km2は県内最大であり、...

佐渡金銀山の写真

写真提供:新潟県観光文化スポーツ部文化課世界遺産登録推進室

佐渡金銀山 ( 新潟県 佐渡市 )

国史跡の佐渡金銀山遺跡は、「佐渡島(さど)の金山」の名称で、2022(令和4)年2月に世界遺産候補としてユネスコに推薦された。  佐渡島の金生産の最古の記録は、平安時代後期(12世紀)に編纂された『今昔物語集』で、佐渡島で金を採取したという説話が収録されている。15世紀半ばには佐渡へ流された世阿弥が『金島書』の中で、佐渡島を...

トキの森公園の写真

写真提供:新潟県佐渡市

トキの森公園 ( 新潟県 佐渡市 )

トキ*の森公園には、「トキふれあいプラザ」と「トキ資料展示館」とがある。前者では、飼育ケージ内を生息環境に近い状態にして、トキの採餌、飛翔のほか、抱卵や子育てなどトキの生態を間近で観察できる。後者では、展示テーマを「保護から共生そして未来へ」と題し、近年リニューアルした展示物や従来展示していた「キン」のはく製などを...

妙宣寺(阿仏房妙宣寺)の写真

妙宣寺(阿仏房妙宣寺) ( 新潟県 佐渡市 )

佐渡に配流された順徳上皇*の供をしてきた北面の武士遠藤為盛(えんどうためもり)は、上皇崩御ののち、出家して阿仏房日得(にっとく)となった。その後、流されて塚原に謫居中の日蓮に、妻千日尼と共に帰依し、いろいろと尽した。その子盛綱が父母の志を継いで、その住居を寺としたのが始まり。  寺地はアカマツの林の中にあり、江戸末...

佐渡の能・狂言の写真

佐渡の能・狂言 ( 新潟県 佐渡市 )

佐渡では、宝生流の能楽が盛んである。かつて観世三郎元清(世阿弥)*が流されて来た影響もあるが、慶長年間(1596~1615年)に金山奉行となった大久保長安が、猿楽師の出身で、能を奨励したことによるといわれる。今でも、島内の古い宮には能舞台が見られ、1924(大正13)年に訪れた大町桂月も「鴬や十戸の村に能舞台」と詠んだほどである...

小滝川ヒスイ峡の写真

写真提供:一般社団法人糸魚川市観光協会

小滝川ヒスイ峡 ( 新潟県 糸魚川市 )

大糸線小滝駅の西方、姫川の支流・小滝川の、明星山*の大岩壁が落ち込んだ河原が国の天然記念物「小滝川硬玉産地」である。硬玉とはヒスイのことで、一帯は小滝川ヒスイ峡とよばれる。日本随一のヒスイ産地と知られ、150mほどの河床には白色・緑色・紫色の硬玉が散在する。  1938(昭和13)年、日本で初めてヒスイの原石がここで発見され...

雪倉岳の写真

写真提供:一般社団法人糸魚川市観光協会

雪倉岳 ( 新潟県 糸魚川市 / 富山県 朝日町 )

新潟県と富山県との境界にある飛騨山脈後立山連峰にある標高2,611mの山。大きく根を張り、おおらかな山体を横たえる。山名は、積雪期に雪の間にところどころ岩が見え、その岩を地元猟師らは「倉」と呼んでいたことから、雪*と倉の山という意味で「雪倉岳」と呼ばれるようになったという。

焼山の写真

写真提供:一般社団法人糸魚川市観光協会

焼山 ( 新潟県 糸魚川市 / 新潟県 妙高市 )

糸魚川市と旧妙高村にまたがる、釣鐘状のトロイデ型、標高2,400m。約3000年前に活動が始まった若い火山で、新潟県唯一で活火山で、長い間、登山禁止であったが、2018(平成30)年11月15日付けで、立入り規制は解除された。山の大部分は火山体でなくフォッサマグナ由来の第三紀層である。山頂部は森林限界の高山帯で、日本におけるライチョウ...

信濃川(河口付近)の写真

信濃川(河口付近) ( 新潟県 小千谷市 / 新潟県 十日町市 / 新潟県 燕市 / 新潟県 新潟市 / 新潟県 他 )

山梨・埼玉・長野の三県にまたがる甲武信ガ岳(2,475m)に源流を発し、千曲川として善光寺平に入ると最大の支流である犀川をあわせ、飯山盆地を経て、信越国境を越えて初めて、信濃川に名を改める。信越国境から小千谷までの「中流域」は、幾段もの河岸段丘を形成し、小千谷からは自らの土砂で生成した越後平野を貫流、新潟市で日本海に注ぐ...

米山の写真

写真提供:柿崎観光協会

米山 ( 新潟県 上越市 )

標高993mの海岸線にある独立峰で、遠くからも目立つ山容は実に堂々としている。山頂には避難小屋や一等三角点があり、円錐型秀麗な山容を見せる。  712(和銅5)年泰澄大師によって開山と伝えられ、山頂には日本三薬師に数えられる米山薬師が祀られており、柿崎側の麓には別当寺密蔵院護摩堂がある。山毛欅に囲まれた登山道の随所にお地蔵...

林泉寺の写真

林泉寺 ( 新潟県 上越市 )

春日山城跡の北麓にある。1497(明応6)年に越後の守護代長尾能景*が、父重景の17回忌にあたり同家の菩提所として建立した名刹。現在の寺は春日山城主となった堀秀治が再興したもので、江戸時代になってからは、歴代高田藩主の保護を受けた。上杉謙信は能景の孫にあたり、幼少からこの寺で6代天室光育に学び、さらに7代益翁宗謙について禅の...

旧笹川家住宅の写真

旧笹川家住宅 ( 新潟県 新潟市 )

笹川家は、安土桃山時代の信濃国水内郡笹川村から、この味方の地に移住し、1970(昭和45)年にこの地を離れるまで、14代300年以上にわたって続いた名家である。1649(慶安2)年から明治維新までは、9代にわたり味方組8か村、約8千石を束ねる大庄屋をつづけた。年貢の取りまとめ、藩から与えられた警察権・裁判権を行使していた。その一方で、...

新潟まつりの写真

写真提供:新潟市役所 観光政策課

新潟まつり ( 新潟県 新潟市 )

新潟まつりは、住吉まつり、開港記念祭、川開き、商工祭の4つの行事*を総合して1955(昭和30)年から実施されている新潟の代表的な祭りである。2020(令和2)年は8月21日~23日の3日間開催。  約1万5,000人の踊り手が市街地の通りを埋め尽くす「大民謡流し」や古式ゆかしい住吉行列。港の安全と発展を願う水上おこし渡御、市民みこし、そ...

佐潟の写真

佐潟 ( 新潟県 新潟市 )

佐潟は、新潟砂丘列間の低地に位置し、上流側の小さな上潟(うわかた)と、下流側の下潟(したかた)の、大小2つの潟から成り立つ淡水湖。潟の面積は43万6千m2、水深は平均1mと浅く、湖底は船底形をしている。外部からの流入河川はなく、周辺地域からの湧水と雨水で涵養されている。  この地域は、国定公園第3種特別地域として...

北方文化博物館の写真

北方文化博物館 ( 新潟県 新潟市 )

阿賀野川西岸の小さな集落沢海に、江戸中期、農より身を起こし、代を重ね越後随一の大地主になったのが伊藤家である。明治に入り、農地の集約を計り、全盛期には、所有の田畑1,372町歩(約14ha)、山林1,000町歩(約10ha)を超え、差配人78名、米蔵58か所、小作人2,800名を数え、作徳米約3万俵といわれ、昭和期には県下一の地主となった。 ...

市島邸の写真

市島邸 ( 新潟県 新発田市 )

月岡駅の北西にある。阿賀野市水原の市島家*旧邸が戊辰戦争の兵火により焼失したあと、1876(明治9)年に建てられたもの。  現在、2万6,000m2の敷地に、茶室の水月庵、約150mの渡り廊下、93畳の広さがある南山亭など明治初期の建築作風を残した2,000m2の建物と、広い回遊式庭園の静月園、背後に竹林・梅林がある。...

阿賀野川の写真

阿賀野川 ( 新潟県 阿賀町 / 福島県 西会津町 / 新潟県 他 )

阿賀野川は、福島・栃木両県の県境にある荒海山(標高1,581m)に源があり、新潟市北区松浜地先において980mの川幅で日本海へ流れ出る。長さ210kmは日本で10番目であるが、年間の総流出量は142億tで信濃川に次いで多い。阿賀野川という名は新潟県内に限られ、福島県では阿賀川(大川)と呼ばれる。豊富な水を利用して多くの水力発電所が建設...

笹川流れの写真

写真提供:村上市山北支所

笹川流れ ( 新潟県 村上市 )

県北部、浜新保から寒川(かんがわ)まで11kmにわたり独特の奇岩景観を見せている海岸線をいう。笹川流れの名称は、岩の間を盛り上がるように流れる潮流を、中心地笹川集落の名にちなんで付けられた。  隆起花崗岩が日本海の荒波で浸食されたもので、青々と松が茂る奇岩礁と、白砂の浜が交互に続き、前方に粟島が横たわる。頼三樹三郎*は...

村上の鮭料理の写真

村上の鮭料理 ( 新潟県 村上市 )

川煮、がじ煮(雅味煮)、しょう油ハラコ(腹子)、子皮煮、酒びたし、氷頭(ひず)なます、飯(いい)ずし、すっぽん煮、ナワタ汁、塩引き……。いずれも、新潟県の村上ではぐくまれ、今も口にすることのできるサケ料理である。サケの本場の北海道にも見られないこれだけのサケ文化が生まれたのには次のような背景がある。  村上市を流れる...

村上大祭の写真

写真提供:一般社団法人村上市観光協会

村上大祭 ( 新潟県 村上市 )

江戸時代初期、1633(寛永10)年に藩主堀直竒(なおのり)が西奈弥(せなみ)羽黒神社社殿を城から見下ろすのは畏れ多いとして、臥牛山中腹から現地に遷座した際、その祝いとして町民が大八車に太鼓を積んで乗り回したのが始まりと言われる。祭りは3基の神輿に御神霊を奉って、荒馬14騎、稚児行列を先頭に町内を巡行する「お旅神事」だが、圧...

越後山古志 牛の角突きの写真

越後山古志 牛の角突き ( 新潟県 長岡市 )

奉納神事であり、山古志の人たちの娯楽であった「牛の角突き」の歴史は古く千年まえからと言われ、江戸時代から明治大正と盛んになる。昭和戦後一時途絶えていたが復活。1976(昭和51)年、越後闘牛会、山古志観光開発公社が発足し、闘牛場が整備された。5月から11月の毎月1~2回(日曜日)山古志闘牛場で行われる。

長岡まつり大花火大会の写真

写真提供:一般財団法人長岡花火財団

長岡まつり大花火大会 ( 新潟県 長岡市 )

長岡の花火大会の歴史は、1879(明治12)年、千手町八幡様の祭で350発の花火の打ち上げに始まると言われる。1926(大正15)年に正三尺玉が打ち上げられ、昭和初期には全国に知られるようになる。しかし、太平洋戦争を鑑みて花火大会は中止された。1945(昭和20)年8月1日、B29大型戦略爆撃機が長岡の旧市街地をほとんど焼き尽くし、1,480余名...

護摩堂山あじさい園の写真

写真提供:田上町役場 産業振興課 商工観光係

護摩堂山あじさい園 ( 新潟県 田上町 )

護摩堂山の山頂付近に広がる「あじさい園」には、約3万株のアジサイが植えられていて、初夏になると西洋アジサイやガクアジサイなどの品種もあり多彩で、青、赤、紫、白の色とりどりの花が、訪れる人々を楽しませる。見ごろは、例年6月下旬から7月上旬で、開花期に合わせて「あじさいまつり」が行われる。

苗場山頂周辺の湿原の写真

苗場山頂周辺の湿原 ( 新潟県 湯沢町 / 新潟県 津南町 / 長野県 栄村 )

標高2,145m。新潟・長野の県境に、南にゆるやかに傾く広大な山頂をもつ火山で、なだらかな山頂には高層湿原が発達し、オオシラビソノの樹林の間には、径数mから20mほどの池塘が何百も点在している。まさに天上の楽園の言葉にふさわしい。山名が表わすように、むかし池塘は苗田と考えられ、神が稲を植えた所と伝えられている。北面の中腹には...

巻機山の写真

写真提供:南魚沼市産業振興部商工観光課

巻機山 ( 新潟県 南魚沼市 )

標高1,967m。割引岳・巻機本山・牛ヶ岳を含め巻機山と総称され、新潟と群馬の県境に優雅な山容を見せる。山名は当地方の産物である機織りと関係があり、頂上一帯は御機屋と呼ばれ、機織りの伝説がある。山麓には機織りの女神の巻機権現が祀られている。五合目までは「井戸の壁」といわれる樹林帯の急登であるが、五合からのブナ林、六合目の...

八海山の写真

写真提供:南魚沼市産業振興部商工観光課

八海山 ( 新潟県 南魚沼市 )

標高1,778m。JR上越線の六日町駅と浦佐駅の途中の車窓から、岩塊を積み上げたように鋸の目状のゴツゴツした山容を見せる。八海山は薬師岳・大日岳・入道岳(最高峰)の総称。岩場が多く、山頂付近は八ツ峰とも呼ばれる。古くから信仰を集めてきた山で、山麓三地区にはそれぞれ八海山神社里宮がある。六合目女人堂は、女人禁制の時代、女性は...

奥只見湖の写真

奥只見湖 ( 新潟県 魚沼市 / 福島県 桧枝岐村 )

奥只見ダム*によって只見川本流をせき止め、銀の採掘で知られる銀山平*のほとんどを沈めてできた人造湖。新潟県と福島県の県境にあたり、越後の荒沢連峰や会津駒ガ岳をはじめとする会津の山並みにはさまれて、紺碧の湖水が南北、東西に細長くのびる。静かな湖面に残雪や新緑、紅葉を映し、秘境の趣を感じさせる。ことに紅葉時はみごと。 ...

貞観園の写真

写真提供:貞観園保存会

貞観園 ( 新潟県 柏崎市 )

当地方の大庄屋村山家の五代当主が貞観堂を建てた頃より庭園*を本格的に造り始める。代々手を加え、九代・十代の江戸末期から明治の始めに基礎が出来上がった。八代・九代当主は京都まで出掛けて学び、幕府の庭師の指導も受け、庭園を造った。越後の豪雪地帯に都の文化を取り込んだ苔の庭園である。1937(昭和12)年に名勝としての指定を受...

綾子舞の写真

写真提供:柏崎市教育委員会博物館

綾子舞 ( 新潟県 柏崎市 )

綾子舞は柏崎市の中心から南へ16km離れた黒姫山の麓、旧鵜川村(現柏崎市)女谷の下野と高原田(たかんだ)で伝承されている古雅な民俗芸能である。  綾子舞は女性による小歌踊(こうたおどり)と男性による囃子舞(はやしまい)・狂言の3種類から成り立っている。  綾子舞の由来にはいくつかの説があり、小歌踊は今から約500年前、越後...

火打山の写真

写真提供:一般社団法人糸魚川市観光協会

火打山 ( 新潟県 糸魚川市 / 新潟県 妙高市 )

妙高山の北西に連なり、標高2,462mは妙高火山群では最高峰で、長い稜線を引く不整三角形のやさしい感じの山容を見せる。しかし、高田平野以外、山容を山麓から望むところがないので、あまり知られていない山である。  一般的な笹ヶ峰から山頂へのルートは変化があり、楽しい。ブナ林、岩塊が露出する十二曲がり、オオシラビソの樹林帯を過...

彌彦神社の写真

写真提供:彌彦神社

彌彦神社 ( 新潟県 弥彦村 )

弥彦山の東麓に鎮座している越後一ノ宮である。神武天皇の命を受けて野積浜に上陸し、人々に製塩や漁労・農業技術を教えたと言われる、「産業の神様」である天照大神の曽孫天香山命が祭神である。  弥彦山頂には、天香山命と妃神熟穂屋姫命(ひめがみうましほやひめのみこと)を祀った御神廟(奥宮)がある。彌彦神社は古くから「おやひこ...

西福寺の写真

西福寺 ( 新潟県 魚沼市 )

室町時代後期1534(天文3)年に開山芳室祖春大和尚によって開かれた。  本堂は唐様で、江戸時代の建立。江戸末期1857(安政4)年に当山の23世によって建てられた開山堂は本堂の左手にあり、雪を防ぐため覆い屋根がかけられているが、ケヤキづくり・茅葺きの堂々とした大屋根である。内部の三間四方の天井と欄間には、道元禅師が宗で猛虎に...

小山田ヒガンザクラ樹林の写真

写真提供:五泉市教育委員会

小山田ヒガンザクラ樹林 ( 新潟県 五泉市 )

江戸時代から知られている桜の名所で、その美しさに良寛の弟橘由之をはじめ、多くの文人が花見に来訪した記録が残る。サクラ並木は、寛永年間(1850年)ころ、旧川東村(現、五泉市)の斎藤源左衛門が衰えの見えた桜を補植、整備したと伝えられ、当時、サクラ並木は1,000本を数えたと言われる。このころ訪れた頼三樹三郎*は「花の吉野にまさ...

アース・セレブレーションの写真

写真提供:アース・セレブレーション実行委員会

アース・セレブレーション ( 新潟県 佐渡市 )

佐渡市小木を拠点に活動する太鼓芸能集団「鼓童」は1981(昭和56)年に設立。1988(昭和63)年から国際芸術祭「アース・セレブレーション(地球の祝祭)」を佐渡で開始する。毎年、8月下旬の金曜日から日曜日の3日間開催。期間中、国内外のアーティストが佐渡に集い、佐渡島内外から大勢の人が訪れ楽しむ。  鼓童は佐渡南西部に位置する...

佐渡おけさの写真

写真提供:一般社団法人佐渡観光交流機構

佐渡おけさ ( 新潟県 佐渡市 )

佐渡おけさの由来については諸説あるが、その前身は九州のハンヤ節といわれ、それが江戸時代、北前船の西廻り航路によって、関西から北陸・越後を経て佐渡に入り、今日の哀調を帯びたおけさになった。  「おけさ」は、新潟県内では、佐渡のほかにも、出雲崎、寺泊、小千谷、蒲原、魚沼地方にも伝わる。鉱山の作業歌であったおけさが、佐渡...

根本寺の写真

根本寺 ( 新潟県 佐渡市 )

国仲平野の中部、緑の森の中にある。1271(文永8)年佐渡に流された日蓮が配所した塚原*の三昧堂(さんまいどう)跡に建てられた寺で、日蓮宗十大聖跡の一つ。  参道は一周できるようになっていて、左手が行きで、戒壇塚、再建された三昧堂、二王門、二天門をくぐり鐘堂・経蔵・宝蔵・千仏堂がつづき、正面に祖師堂。右手に本堂がある。こ...

蓮華峰寺の写真

蓮華峰寺 ( 新潟県 佐渡市 )

蓮華峰寺の中心は金堂*であり、その西方に守り神である小比叡神社*があるという、寺院と神社が一体の区域の中に建てられており、神仏習合の面影を残している。  806(延暦25・大同元)年頃、空海が開いたと伝えられ、嵯峨天皇の勅願寺となったという由緒ある古寺。ここが京都の鬼門にあたるところから、比叡山にならって皇城鎮護のために...

フォッサマグナパークの写真

写真提供:糸魚川市教育委員会文化振興課 フォッサマグナミュージアム

フォッサマグナパーク ( 新潟県 糸魚川市 )

フォッサマグナパークは、日本列島がアジア大陸から離れる時にできた「フォッサマグナ」*の西端にあたる「糸魚川―静岡構造線」を見ることができる公園。  屋外施設(無人)のため見学できる期間は、4月下旬から11月下旬までと限られる。

大地の芸術祭の写真

写真提供:Photo by Nakamura Osamu

大地の芸術祭 ( 新潟県 十日町市 / 新潟県 津南町 )

「大地の芸術祭」は、越後妻有地域の里山で開催される国際芸術祭である。2000(平成12)年に開始し、2018(平成30)年で第7回目を迎えた。基本理念は「人間は自然に内包される」。  越後妻有とは、十日町市と津南町にまたがる760km2、人口約5万人の地域である。十日町、川西、津南、中里、松代、松之山の各エリアに分かれ、それ...

鈴木牧之記念館の写真

写真提供:鈴木牧之記念館

鈴木牧之記念館 ( 新潟県 南魚沼市 )

越後の冬の風物や雪の中で暮らす様子をまとめた雪の本『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』を世に出した鈴木牧之*(1770~1842年)の記念館。  牧之は、縮の仲買と質屋をする家業に生まれ、19歳ではじめて江戸に行ったことがきっかけで雪国の暮らしを伝えようと出版に生涯をかける。  雪の本の執筆活動には紆余曲折あったが、40年という歳月...

雲洞庵の写真

雲洞庵 ( 新潟県 南魚沼市 )

717(霊亀3・養老元)年に藤原房前(ふささき)公により、母の菩薩を弔うため律宗に属する尼寺を建立、雲洞寺と称した。1429(正長2・永享元)年、関東菅領上杉憲実公により曹洞宗寺院、金城山雲洞護国禅庵として開創され、日本一の庵寺、越後一の寺といわれた。  金城山を背にし、境内はスギの巨木に囲まれた幽すいさの漂う中に、本堂*・...

八海神社の写真

写真提供:八海神社

八海神社 ( 新潟県 南魚沼市 )

当時の国司であった中臣鎌足が八海山に不思議な雲がかかっている様を見て、従者数十人を引き連れて登山し、御祭神を奉祭したと伝えられる。  水分神・農耕神を崇める思想から始まり、山麓にて自然石を祀り、御神木を神の依り処として御山そのものを遥拝する形から信仰が始まった。1794(寛政6)年、木曽御嶽山を開いた普寛行者が来越し、屏...

普光寺(浦佐毘沙門堂)の写真

普光寺(浦佐毘沙門堂) ( 新潟県 南魚沼市 )

JR浦佐駅を出て、浦佐のまちなかを通る旧三国街道から、堂々たる山門が目につく。山門は日光の陽明門をかたどり、江戸時代、1820(文政3)年から12年の歳月と10万余の信者の奉仕によって建立された。天井には、江戸時代に谷文晁が描いた双竜がある。2階天井には、天女の舞姿絵が見られる。  寺伝によると、807(大同2)年、坂上田村麻呂が...

妙成寺の写真

妙成寺 ( 石川県 羽咋市 )

北陸における日蓮宗の本山で、能登一の大伽藍を誇る名刹である。羽咋市北部の丘の上にあり、シンボルとして五重塔*が聳える。1294(永仁2)年、日蓮の孫弟子日像を開祖*により建立されたと伝えられている。現在の建物は加賀前田家初代から五代にわたって造営されたもので、天災・火災にあわず、10棟*が国重要文化財に指定されている。  ...

氣多大社の写真

氣多大社 ( 石川県 羽咋市 )

能登一ノ宮として知られ、かつては国幣大社に列せられていた。羽咋駅の北方約4km、海に臨む高台にあり社叢を背に神門・拝殿・本殿・摂社などが並ぶ。創建年代は明らかでないが、古くは崇神天皇が社頭を造営したといわれ、大己貴命を祀っており、奈良時代にはこの地で祭祀が始まったとされている。大伴家持が参詣した際の和歌が「万葉集」に載...

片野鴨池の坂網猟の写真

片野鴨池の坂網猟 ( 石川県 加賀市 )

加賀市街の北西部にある「片野鴨池」は、日本海に面した約10万m2の自然の池で、周囲は水田と山林が混在する丘陵に囲まれている。シベリアから飛来する渡り鳥の越冬地として知られる。とくにカモ類は、マガモを始め、全国的に個体数の少ないトモエガモは全国で越冬する中の約半数が鴨池に飛来する。この池の鴨を捕える古式猟法が「...

山中温泉の写真

写真提供:(一社)山中温泉観光協会

山中温泉 ( 石川県 加賀市 )

山中温泉は、大聖寺川の渓流に臨み、東からは東山が、西からは水無山・薬師山が迫り、四方がほとんど山に囲まれた文字どおり山中の湯の町である。温泉の歴史は古く、医王寺に伝わる「山中温泉縁起絵巻」には、天平年間(729~718年)1300年前に僧行基*によって温泉が発見されたと記されている。平安末期に湯宿が設けられたと言われている。...

山代温泉の写真

写真提供:山代温泉観光協会

山代温泉 ( 石川県 加賀市 )

山代温泉は、加賀平野の南のはずれ、薬師山をはさんで山中温泉と背中あわせの地にある。725(神亀2)年に行基が開湯したという伝承があり、その後、10世紀後半(985~988年)に花山法皇が明覚上人を従えて北陸巡歴*のおり、この温泉に入浴、その効が優れているとして温泉寺を中興、七堂伽藍を建立したとされている。再興したと伝えられてい...

加賀東谷の町並みの写真

加賀東谷の町並み ( 石川県 加賀市 )

加賀市南部の山間部は、近世には大聖寺藩の奥山方に属し、藩の御用炭を生産しており、近代から昭和前期にかけても大半の集落が炭焼きを主産業としていた。昭和30年代以降、ダム建設や、災害、離村などにより失われた集落があるなかで、大日山を源とする動橋(いぶりはし)川と杉ノ水川の上流域に点在する荒谷(あらたに)、今立(いまだち)...

橋立町の船板住宅群の写真

橋立町の船板住宅群 ( 石川県 加賀市 )

石川県南西部に位置し、JR北陸本線加賀温泉駅から北西へ約5km。橋立は、かつて北前船の船主や船頭、船乗りなどが多く住んでいたまちで、日本でも1、2を競う富豪村と呼ばれていた。北前船とは、大坂と蝦夷地(北海道)を結び、瀬戸内海と日本海の各港に寄港して積荷を売買する商売をしてまわった買積船で、近世後半から明治期にかけて盛んに活...

尾山神社の写真

尾山神社 ( 石川県 金沢市 )

尾山神社は、金沢市の中心市街地香林坊の北にある。主祭神は加賀藩祖前田利家公とお松の方。  1599(慶長4)年、卯辰八幡宮として創建されたものが、1873(明治6)年に現在地へ遷座し、尾山神社となった。神門は重要文化財に指定されている。

金沢城の写真

金沢城 ( 石川県 金沢市 )

浅野川と犀川にはさまれた小立野台地の北西端に位置する。面積は堀を含めて約30万m2、最高所は本丸跡の海抜約60mで、南東へ延びる小立野台地とは百間堀によって分かれている。城内の建物は1881(明治14)年の大火で大部分を焼失し、今ではわずかに石川門などに往時の威容をとどめている。  〔歴史〕1583(天正11)年、佐久間盛...

卯辰山山麓寺院群の写真

卯辰山山麓寺院群 ( 石川県 金沢市 )

金沢駅の東方、卯辰山の西麓から山腹にかけて約50の寺院が散在している。1599(慶長4)年に前田利家を祀る宇多須神社、1601(慶長6)年には豊臣秀吉を祀る豊国神社(卯辰山王社)を建立、歴代藩主が崇敬した。一方、前田家の祈願所である観音院が広大な境内を中腹に占め、卯辰山は加賀藩の宗教空間として特別なエリアとして形成される。山麓...

兼六園の写真

兼六園 ( 石川県 金沢市 )

金沢市内小立野(こだつの)台地の西北端近くにあり、金沢城跡とは百間堀をへだてて相対している。江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園で日本三名園*の一つ。1676(延宝4)年より5代藩主綱紀(つなのり)の時代に最初の庭(蓮池庭)が造られ、1822(文政5)年12代藩主斉広(なりなが)が竹沢御殿を建てるに際し、御殿に付属した庭の整備を行い...

石川県立能楽堂の写真

石川県立能楽堂 ( 石川県 金沢市 )

「石川県立能楽堂」は、百万石の城下町金沢に伝わる加賀宝生流の能楽をはじめ、邦楽など伝統芸能の継承と振興を目的として建設された。兼六園の南東にあり、舞台および白洲(しらす)を旧金沢能楽堂より移したもので、約400名の収容力と近代的設備をもつ。能楽文化の拠点として、1972(昭和47)年に、全国で初めて、独立した公立能楽堂として...

前田家墓所の写真

写真提供:金沢市

前田家墓所 ( 石川県 金沢市 )

金沢市街の南、野田山丘陵の傾斜地にある、加賀藩前田家歴代の藩主・正室および一族の墓地。藩祖前田利家(としいえ)を頂点とした歴代藩主の墓をとりまく正室・子女等の墓約80基からなる。6万m2を超える広い墓所に並ぶ墓のほとんどは、土を盛った古墳式で、石の墓標が立てられている。なお、墓所の中で6代吉徳の左にある富子(ふ...

にし茶屋街の写真

写真提供:金沢市

にし茶屋街 ( 石川県 金沢市 )

ひがし茶屋街、主計町茶屋街と並ぶ金沢三茶屋街のひとつ。茶屋街のエリアはそれほど広くないものの、約100mのメインストリートには出格子の茶屋建築が連なり、江戸時代の面影を色濃く残している。にし茶屋街では現役の茶屋も多く、芸妓さんも活躍している。茶屋の跡地に建つ「金沢市西茶屋資料館」は見どころのひとつ。隣接する木造の洋風建...

青柏祭の写真

写真提供:七尾市産業部交流推進課

青柏祭 ( 石川県 七尾市 )

5月3~5日に行う大地主(おおとこぬし)神社の例祭。祭りの起源については、981年(天元4)年、能登国国守の源順が能登国の祭と定めたのが始まりとか、室町時代後期に能登国守護の畠山義統の治世において山車が現在のようになったという説、都の祗園山鉾にならって1473(文明5)年国祭りの青柏祭に曳山(山車)を奉納したのがはじまりという...

石崎奉燈祭の写真

写真提供:七尾市産業部交流推進課

石崎奉燈祭 ( 石川県 七尾市 )

能登国守護畠山氏から能登・越中一円の漁業権を免許されていたという伝承をもち、漁業の盛んな町・石崎町(いしざきまち)にある八幡神社の例祭。もともと祇園祭の流れを汲む納涼祭として行われていたが、何度も火事に見舞われて山車が焼け、明治中頃に、宇出津から奉燈と呼ばれる大きな奉燈が移入され、大漁や五穀豊穣の祈願とともに火を鎮...

和倉温泉の写真

和倉温泉 ( 石川県 七尾市 )

北陸随一の規模を誇る”海の温泉”として、高温で豊富な湯量が魅力の温泉である。七尾湾に突き出た弁天崎の先端にあり、湾前に能登島や机島を望む。温泉の湧出は1200年前と伝え、その後の地殻変動で湧き口が海中に移動していたのを、傷ついた足を癒すシラサギを見つけた漁師夫婦によって湯脈が発見されたという伝説がある。当時は涌浦(わくう...

見附島の写真

見附島 ( 石川県 珠洲市 )

能登半島の珠洲市の南部、鵜飼川河口一帯は、松林越しに内浦の海を望む穏やかな海岸である。その中央部に周囲約300m、高さ28mの大きな岩がそびえ立つ。市内にある式内社三社の一つである加志波良比古(かしはらひこ)神社の神(加志波良比古)が、当地に着いた際に海上よりはじめて見つけた島、また弘法大師が佐渡から能登へ渡った際に最初に...

奥能登の黒瓦の集落群の写真

写真提供:石川県観光連盟

奥能登の黒瓦の集落群 ( 石川県 珠洲市 / 石川県 輪島市 / 石川県 能登町 / 石川県 穴水町 )

「能登には、黒瓦の屋根と下見板張りの伝統的な住居が多く、統一感のある景観と独特の風情を生み出している。黒瓦は、「能登瓦」とも呼ばれ、材料に能登の水田の土を使い、山の薪を燃料にして、七尾市や珠洲市などの農村地帯で生産されてきた。黒あるいは銀黒の美しい釉薬で覆われた能登瓦は、耐寒性に優れるといわれている 。輪島市の黒島(...

那谷寺の写真

那谷寺 ( 石川県 小松市 )

粟津温泉から山代温泉へ向かう県道が加賀市に抜ける1kmほど手前に立つ。717(養老元)年、伝泰澄大師の開基による自然智の道場とされる。その後、寛和年間(985~987年)に、花山法皇がこの寺に御幸した折り、観音三十三身の姿を見、西国三十三ケ所を巡る必要はないとして、第1番札所の紀伊那智山と第33番札所の美濃谷汲山の山号をとって那谷...

こまつの杜の写真

こまつの杜 ( 石川県 小松市 )

建設・鉱山機械メーカーのコマツ(登記社名:株式会社 小松製作所)が、会社創立90周年の記念事業の一環として、会社発祥の地である小松工場跡地に整備した施設で、2011(平成23)年5月13日に誕生した。  コマツグループ社員のグローバルな人材育成の機能を担う「コマツウェイ総合研修センタ」、「テクノトレーニングセンタ」等の社員研修...

九十九湾の写真

九十九湾 ( 石川県 能登町 )

深い入り江が大小九十九もあるとされこの名がついたといわれている典型的なリアス式海岸*の小湾である。江戸時代中期に著わされた「能登名跡誌」には、「風景日本の三景にもひとしき處也。誠に風景仙境共云つべし。」とあり、古くから景勝地とされていた。東西1km、南北1.5kmの小さな湾の中に入り組んだ延長13kmにもおよぶ海岸線には赤松が...

伴旗まつりの写真

伴旗まつり ( 石川県 能登町 )

5月2~3日に開催される、港町・小木の氏神御船神社の勇壮で華やかな春祭り。地元の人びとは「トンバタ祭り」と呼んでいる。神輿を載せた御座船が、高さ30m、幅2mの大きな旗と5色の吹き流しで飾られた9隻の伝馬船を率いて小木港、九十九湾を連なって巡航する。祭りの起源については、「明治中期、子供等が大漁と安全を祈願し、紙で継いだ小さ...

あばれ祭の写真

あばれ祭 ( 石川県 能登町 )

7月第1金曜日・土曜日に、能登各地のキリコ祭りの中で最初に開催される。宇出津八坂神社の夏祭りで「いやさか祭り」ともいう。祭りの起源は、江戸時代初期に疫病が大流行した際に、京都の祇園社(八坂神社)から牛頭天王を勧請して神事を行ったところ、神の化身とされる大きな青蜂が現れ、刺された人々が快癒したことに感謝し、お礼としてキ...

白山の写真

白山 ( 石川県 白山市 )

富士山・立山と並ぶ三名山の一つ。火山としては比較的小規模だが、白山火山帯の主峰として、山域は石川・富山・岐阜・福井の4県にまたがっている。万年雪を頂いた優美な姿は、古くから信仰の対象として仰がれ、越のしらね、しらやまと古歌*に詠まれてきた。最高峰は御前峰*(2,702m)で、北西の大汝(おおなんじ)峰*(2,684m)、北東の剣...

手取峡谷の写真

手取峡谷 ( 石川県 白山市 )

鶴来地域から山間部に入ると、手取川は狭い河岸段丘下に深い谷をなし、中流域の黄門橋~対山橋間約8kmにわたって高さ20~30mの絶壁が続く峡谷美をつくっている。清冽な流れは淵となり、瀬となり、幾条もの滝が白い飛沫を上げて岩壁を滑り落ち風情を添える。おもな景観に、黄門(こうもん)橋・御仏供杉(おぼけすぎ)・不老橋・綿ヶ滝、対山...

白山比咩神社の写真

白山比咩神社 ( 石川県 白山市 )

「白き神々の座」と言われる白山をご神体とする加賀一ノ宮、延喜式内の名社で、古くから「下白山」あるいは「白山本宮」と呼ばれ、地元では「白山(しらやま)さん」として広く親しまれている。白山頂上の御前峰に奥宮を祀り、全国約3,000社以上に及ぶ白山神社の総本宮として、白山信仰*の中心となっている。祭神は白山比咩大神・伊弉諾尊・伊...

岩間の噴泉塔群の写真

写真提供:白山手取川ジオパーク推進協議会

岩間の噴泉塔群 ( 石川県 白山市 )

白山国立公園の地獄谷に源を発する中ノ川の上流域に点在しており、一帯は国の特別天然記念物に指定されている。温泉が噴出し、そのお湯に含まれる石灰質分が沈殿してできる石灰華が釣鐘状の塔を成してできるもので、高さ4mに達するものもある。先端の噴気孔から100度近くの熱湯が勢いよく吹き出し、2~3mの高さに湯煙を挙げているものも見ら...

總持寺祖院の写真

總持寺祖院 ( 石川県 輪島市 )

輪島市門前町の中央、八ガ川の南にあり、山内約2万坪とされる風光幽玄な寺院。正式名称を諸嶽山總持寺といい、越前の永平寺とともに「曹洞出世之道場」として栄えた曹洞宗の大本山である。1321(元亨元)年、瑩山紹瑾(けいざんじようきん)*によって開かれ、2世峨山韶碩(がざんしょうせき)に定められた五院輪住制*により発展、前田氏の外...

白米千枚田の写真

白米千枚田 ( 石川県 輪島市 )

輪島の東、曽々木への国道沿いにある。山裾が落ちこむ海に面した斜面3.8haに1,004枚の小さな小さな田が段々に並び、あぜが美しい模様をつくっている。平野の少ない輪島は急傾斜地が多く、昔から地滑りに悩まされてきた。それでも、この土地は用水源が確保されれば、地味が良く適当な日当たりがあり、良質のコメが採れたため、田んぼを作るた...

輪島の朝市の写真

輪島の朝市 ( 石川県 輪島市 )

輪島の市の起源については明確ではないが、平安時代もしくは室町時代期には輪島で市が開催されていたのではないかといわれ、1000年以上の歴史があるとされる。現在のように毎日、市が立つようになったのは明治時代からで、午前8時を過ぎると、通称「朝市通り」と呼ばれる河井町本町通り商店街の道路両側に、約350mにわたって約160の露店が並ぶ...

時國家の写真

時國家 ( 石川県 輪島市 )

1185(文治元)年に能登へ配流された平大納言時忠(ときただ)*の子孫である時国氏の屋敷。源氏による迫害を恐れた時忠の子時国が、名前を姓とし、さらに転居して、農業・製塩業・金融業・海運業などの多角経営で富をなし、時国村を成した。1581(天正9)年、能登は加賀前田藩領となったが、1606(慶長11)年に時国村の一部が越中から移って...

名舟大祭(御陣乗太鼓)の写真

名舟大祭(御陣乗太鼓) ( 石川県 輪島市 )

7月31日~8月1日に行われる。名舟の産土神は、舳倉島の奥津比咩神社だといわれており、名舟大祭は、急陵な崖に張りつくように鎮座している奥津比咩神社の遥拝所である白山神社に各地区のキリコが参集し、舳倉島に向いて海中に立っている鳥居まで白山神社から下った神輿を乗せた舟を漕ぎ出し、奥津比咩の神を迎える神事から始まる。護岸堤に仮...

七尾城跡の写真

七尾城跡 ( 石川県 七尾市 )

七尾市街地南東約4kmにあり、戦国時代に能登国の守護・畠山氏が築いた山城である。標高約300mの本丸を中心に、石動山系の尾根上に築かれた城域は南北約2.5km、東西約0.8km、面積は約200haにおよび、一帯は「城山」と呼ばれている。山が急で谷が深く、難攻不落の名城として知られていた。山上から山麓までの自然地形を巧みに利用し、七尾の地...

雨の宮古墳群の写真

雨の宮古墳群 ( 石川県 中能登町 )

眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた古墳群で、現在、36基が発見されており、大部分が円墳である。最高所の通称雷ヶ峰に位置する1号墳は、墳丘長64mの前方後方墳としては県内最大規模とされる。2号墳は、1号墳の北東に、向き合って立地する墳丘長約65mの前方後円墳である。これら2つの古墳の墳丘...

永平寺の写真

永平寺 ( 福井県 永平寺町 )

全国に1万5,000の末寺、檀信徒800万人をもつ曹洞宗の大本山で、開祖道元(どうげん)*が坐禅修行の場として志比谷最奥部のこの地を選んで以来、約770年にわたって法燈を伝えてきた古刹である。  1244(寛元2)年、京都深草に開庵していた道元が、志比庄地頭波多野義重の請に応じて越前に下り、開山したと伝える。当初は傘松峰大仏寺(さん...

紙祖神岡太神社・大瀧神社の写真

紙祖神岡太神社・大瀧神社 ( 福井県 越前市 )

紙祖神岡太神社・大瀧神社は権現山の頂にある上宮(奥の院)とその麓に建つ下宮からなる。上宮は簡素ながら大瀧神社*と岡太神社、八照宮の三殿が並び建ち、下宮は両社の里宮となっている。  歴史の上では岡太神社が古く、今より1500年ほど前、この里に紙漉きの業を伝えた女神・川上御前を紙祖として祀り、「延喜式神名帳」(926(延長4年...

越前和紙の里の写真

越前和紙の里 ( 福井県 越前市 )

越前和紙の歴史は古く、およそ1500年前の継体(けいたい)天皇の時代に、岡太(おかもと)川のほとりで女神から製造技術を教えられたという伝説*が残っている。  奈良時代に宮中御用の教書紙となり、中世以後、「越前奉書紙」と呼ばれて広く世に知られるようになった。戦国時代は「紙座」により、江戸時代には福井藩によって保護された。...

瀧谷寺の写真

瀧谷寺 ( 福井県 坂井市 )

真言宗智山派の寺。えちぜん鉄道三国芦原線三国駅の北500mの丘陵上にあり、昼でもほの暗い杉木立ややぶツバキに囲れたゆるやかな笏谷石(しゃくだにいし)の石畳の参道を登りきると、山門(鐘楼)に至る。山門をくぐると、正面右手から観音堂、本堂、庫裏が並ぶ。観音堂正面には、前庭園石庭がある。国指定名勝の庭園*は本堂より書院ににわ...

東尋坊の写真

東尋坊 ( 福井県 坂井市 )

国の天然記念物・名勝に指定されている東尋坊。巨大な柱状の岩(柱状節理*)が約1kmにわたり広がる豪快な景観が特徴。 長い年月をかけて日本海の波や風に浸食された荒々しい風景に悠久の大自然を感じることができる。

三国祭の写真

写真提供:三国祭保存振興会

三国祭 ( 福井県 坂井市 )

山車に5~6mの人形をのせ、そのできばえを競い合うというもので、各町内からの6台の山車が町中を練り歩く。湊町三国の栄華と町民の気概が受け継がれている祭りである。三國神社で5月15日の宮開式から21日の後日祭まで執り行われる神事で、祭りは、5月19日から21日まで開催され、中日の20日が山車巡行日となる。  三国祭りを特徴づける山車...

水晶浜の写真

写真提供:一般社団法人若狭美浜観光協会

水晶浜 ( 福井県 美浜町 )

JR小浜線美浜駅の北東、敦賀半島の西側中央に位置する。ビーチから常神半島が一望できる。白砂の粒がたいへんきめ細かく、水晶のように輝く砂浜ということで、この名前がついた。透明度も高く、日本の水浴場88選の一つでもある。  両サイドは、山が海に落ち込み、その先端は岩礁となり、浜は弧を描く。浜の西側(海に向かい右手)は鳴き砂...

平泉寺白山神社(白山平泉寺)の写真

平泉寺白山神社(白山平泉寺) ( 福井県 勝山市 )

勝山の東南約4kmの山腹、白山神社の境内の一帯はかつて中世に隆盛を誇った天台宗平泉寺のあったところである。寺跡周辺は源平時代に城として利用されたこともあり、「白山平泉寺城跡」として史跡に指定されている。  白山神社は養老年間(717~724年)、泰澄*の草創と伝えられ、平泉寺はその別当寺として修験僧多数を擁して繁栄し、室町前...

勝山左義長まつりの写真

写真提供:勝山市

勝山左義長まつり ( 福井県 勝山市 )

地元では「さぎっちょ」と呼ぶ。左義長*は古く平安朝の頃から正月に行われた行事のひとつで、全国で行われる小正月(1月15日)火祭りである。  勝山左義長は、1691(元禄4)年、小笠原公入封以来300年余の歴史を誇り、2月の最終土日、各町内に数基の櫓を立て、赤い長襦袢を着用し太鼓をたたきながら、三味線、笛、鉦の囃子に乗って「蝶よ...

明通寺の写真

明通寺 ( 福井県 小浜市 )

北川の支流、松永川を8kmさかのぼった上流にある。橋を渡って参道を行くと山門があり、一直線に行ったところに本堂*、三重塔*が、杉木立に囲まれた境内に美しい姿を見せている。  この寺は、蝦夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征代による多くの犠牲者を弔い平和を願い、806(大同元)年に建立したと伝えられる。中世以前の沿革は判然としてい...

蘇洞門の写真

写真提供:公益社団法人福井県観光連盟

蘇洞門 ( 福井県 小浜市 )

大断崖として有名な蘇洞門は、日本海に突き出した内外海(うちとみ)半島の先端、久須夜ガ岳(くすやがたけ)の北の山裾が外海に洗われてできた豪壮な景勝地である。荒波は花崗岩を柱状節理に沿って浸食し、松ヶ崎の小山付近から白石黒石(しろいしくろいし)まで約6kmの間を奇岩、洞門、洞窟、断崖などに造りあげたのである。  遊覧船*は...

若狭彦神社・若狭姫神社の写真

若狭彦神社・若狭姫神社 ( 福井県 小浜市 )

JR東小浜駅からまっすぐ南、若狭姫神社(若狭国鎮守二宮、下社、下宮)が、さらに遠敷川沿い1.5kmほど上流に行ったところに若狭彦神社(若狭国鎮守一宮、上社、上宮)が鎮座する。創建は彦神社が715(霊亀元)年、姫神社が721(養老5)年と伝え、若狭最古の神社である。  祭神は彦神社が天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと、山...

越前大野城の写真

写真提供:大野市

越前大野城 ( 福井県 大野市 )

市街の西部、標高249mの亀山山頂に建つ2層3階の天守は、大野のシンボルとなっている。  1575(天正3)年、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近*によって、1576(天正4)年から約4年の歳月をかけて築城された平山城で、以後明治まで19代の領主の居城となった。本丸には2層3階の大天守、2層2階の小天守、山の麓には二の丸、三の...

荒島岳の写真

写真提供:大野市

荒島岳 ( 福井県 大野市 )

隣の石川県出身の深田久弥*が『日本百名山』に選んだ福井県唯一の山であり、四季を通じて全国からの登山者が訪れる。  1,523m。山の歴史は古く、泰澄大師の開山と伝えられ、風土記には「蕨生(わらびょう)山」、延喜式には「阿羅志摩我多気」と書かれていて、古くから信仰の山として崇められ、山頂には祠が祀られている。  白山火山帯...

越前陶芸村の写真

越前陶芸村 ( 福井県 越前町 )

越前焼*の歴史は、約850年前の平安時代にさかのぼる。室町時代後期に、日本海沿岸を流通圏に収め、生産は最盛期を迎えた。しかし、明治末から大正時代にかけて窯元の廃業が相次ぎ、絶滅に瀕した。  再び注目されるようになったのは戦後で、越前焼は「日本六古窯*」の一つになり、越前焼産地の拠点として、1971(昭和46)年に越前陶芸村が...

敦賀まつりの写真

写真提供:敦賀市

敦賀まつり ( 福井県 敦賀市 )

毎年、9月初めに行われる敦賀まつりは、氣比神宮例祭に合わせて開催される。氣比神社例祭は氣比の長祭といわれ、9月2日に始まり4日までが祭りの山であるが、5日から10日に後日祭があり、15日の月次祭で終了する。祭りのハイライトは山車(やま)6基が勢ぞろいする4日目の山車巡行である。  山車の起源は定かではないが、室町末期には成立し...

西福寺の写真

西福寺 ( 福井県 敦賀市 )

敦賀市内の西部、大原山(おおはらさん)西麓にある。浄土宗鎮西派。1368(応安元)年、後光厳天皇の勅願所として、良如上人*が開山した。浄土宗の中本山で、時の朝廷や室町幕府、戦国大名や領主の崇敬も篤く、禁制には松平家と関係深く、北国浄土宗の中心寺院として、「越の秀嶺」の別称の格式をもっていた。  樹木に囲まれた広い境内に...

福井県年縞博物館の写真

福井県年縞博物館 ( 福井県 若狭町 )

特徴的な縞模様の地層「年縞(ねんこう)」をテーマにした世界初の博物館。三方五湖の一つ、水月湖の湖底には世界最長となる7万年分もの連続した年縞が形成されている。水月湖では直接流れ込む大きな河川がない、水深が深く生物が湖底に生息できないなど、年縞が形成されるための奇跡的な条件がそろっている。水月湖の年縞は考古学などにおけ...

羽賀寺の写真

羽賀寺 ( 福井県 小浜市 )

小高い山と北川に囲まれて広がるのが、中世荘園の一つであった国富荘である。羽賀寺はこの国富荘の裾に閑静にたたずんでいる。鳳凰が飛来し、羽をこの地に落としたことから鳳聚山羽賀寺と名付けられた。  716(霊亀2)年、奈良朝の女帝元正天皇が僧行基に命じて、羽賀寺を創建したと伝えられ、元正天皇の勅願所となった。947(天慶10・天暦...

戸隠そば(信州そば)の写真

写真提供:一般社団法人 戸隠観光協会

戸隠そば(信州そば) ( 長野県 長野市 )

「信濃では月と仏とおらがそば」と一茶の句にもあるように、そばは信州の代表的な名産である。  そばは白い清楚な花を夏と秋に咲かせる。いわゆる夏そばと秋そばで一年に二回収穫される。白い花が咲いたのち黒い皮におおわれた種実ができる。この種実をひいて、胚乳部を出し、これを粉にしたのがそば粉で、つなぎに小麦粉を入れて作る。 ...

恵那山の写真

恵那山 ( 長野県 阿智村 / 岐阜県 中津川市 )

長野県阿智村と岐阜県中津川市にまたがる、中央アルプス最南端の標高2,191mの山。  恵那山の名前は天照大神の胞衣(えな)を山頂に納めたからという。古くからの信仰の山で頂上には恵那神社奥宮本社が祀られている。また、恵那山の姿が船を伏せた形に見えるので舟覆山(ふなふせやま)とも呼ばれていた。  山頂にもトウヒやコメツガなど...

碌山美術館の写真

写真提供:公益財団法人 碌山美術館

碌山美術館 ( 長野県 安曇野市 )

安曇野に生まれた彫刻家荻原守衛(おぎはらもりえ 号:碌山(ろくざん))の作品を展示した美術館で、1958(昭和33)年に開館したもの。赤レンガ造の小さな教会風の建物で、代表作『女』『北條虎吉像』など14点の彫刻や彼の蔵書・資料が並べられている。  第一展示棟、第二展示棟には彼の影響をうけた芸術家や友人の高村光太郎、戸張孤雁...

湯治と岳人の宿 中房温泉の写真

湯治と岳人の宿 中房温泉 ( 長野県 安曇野市 )

北アルプス燕岳の山麓で標高1,462m、中房川上流の渓間にある一軒宿の温泉。中房温泉招仙閣と中房温泉ロッヂの2つの建物があり、旅館には浴室が14ケ所、露天風呂・蒸し風呂・湯滝などがある。中房川下流では、木の葉脈を転写した珪華が見られる。  現在、中房温泉で湧出する源泉は多数あり、その殆どの温度が90度以上の高温で、その全ての温...

甲斐駒ヶ岳の写真

甲斐駒ヶ岳 ( 長野県 伊那市 / 山梨県 北杜市 / 山梨県 南アルプス市 )

南アルプスの北端に位置し長野県と山梨県の県境にある。一般的には日本の数ある駒ヶ岳*の中で甲斐駒と呼ばれ、JR中央本線から巨大なピラミッド型の雄姿が見られる。標高2,967mと駒ヶ岳の中では最高峰である。  岩登りで知られる鋸岳や坊主山・摩利支天・駒津峰などを四方に従えたこの山は堂々たる姿をしている。特に摩利支天は山梨県側か...

仙丈ヶ岳の写真

仙丈ヶ岳 ( 長野県 伊那市 / 山梨県 南アルプス市 )

長野県と山梨県の県境にあり、北沢峠の南西に甲斐駒ヶ岳と対峙し3,033mとそびえ立つ。隣の花崗岩のピラミッドの甲斐駒ヶ岳とは対照的に女性的な山で、南アルプスでも特にスケ-ルが大きく南アルプスの女王といわれている。仙丈の名前は高さが千丈もあるからではないかと言われている。  山頂近くには薮沢(やぶさわ)・大仙丈沢カール・小...

高遠城の写真

高遠城 ( 長野県 伊那市 )

長野県伊那市の内東部、中央・南アルプスを遠望する高台の上にある。1547(天文16)年、武田信玄*の命によって家臣の秋山信友・山本勘助*らが築城したという。1582(天正10)年に高遠城主であった仁科盛信(武田信玄の五男)は、敵方の総大将であった信長の嫡男、信忠からの降参の要請に応じず城に籠り、数千の兵で数万の軍勢を相手に一戦...

高遠のサクラの写真

写真提供:(一社)伊那市観光協会

高遠のサクラ ( 長野県 伊那市 )

高遠は伊那市の東部。四方を山に囲まれたわずかな平地に民家が密集している。高遠城は明治維新までは内藤氏3万3,000石の城下町で、南信地方の中心であった。  高遠城は築城技術に武田流兵法を取り入れた堅固な城であったが、明治維新時に藩校進徳館を残して本丸御殿や門、橋など城内の建物はすべて取り壊され、民間に払い下げとなり、1875...

塩見岳の写真

塩見岳 ( 長野県 伊那市 / 静岡県 静岡市 )

南アルプスのほぼ中央、長野県伊那市と静岡県静岡市の県境にあり標高は3,052m、漆黒の山体にずんぐりした頂をのせている。東側には大井川源流の谷が深く切れ込み、北は絶壁、西には天狗岩と呼ぶジャンダルムがあり、近づくとかなりきびしい表情である。  塩見の名前は、山頂から太平洋が見えるからという説もある。しかし塩見岳の山麓に塩...

鳥甲山の写真

写真提供:(C)阿部 宣彦

鳥甲山 ( 長野県 栄村 )

長野県北端の栄村の山深い秘境の秋山郷、この地の西に位置する標高2,037mの岩山。南北に尾根を伸ばし東側は切れ落ちた絶壁であり、登山にはワイヤーロープや梯子が連続するので注意が必要。  第2の谷川岳と呼ばれる男性的な山で、鷲が翼を広げたような山姿が特徴。

白砂山の写真

白砂山 ( 長野県 栄村 / 群馬県 中之条町 / 新潟県 湯沢町 )

白砂山は、長野県・新潟県・群馬県の3県の境にそびえる奥深い山で、標高2,140m。かつては秘境の名峰として知られていたが、野反湖周辺が開発され、登山道*が整備されてからは登りやすくなった。距離が長く、アップダウンを繰り返すため体力に自信のある人向け。山頂までは片道4時間を要する。

奈良井宿の写真

奈良井宿 ( 長野県 塩尻市 )

中山道六十九次のうち、江戸から数えて34番目の宿場で、江戸時代には奈良井千軒といわれたほど賑やかな宿場町であった。現在もJR奈良井駅の南西、旧街道沿いに庇(ひさし)の深い2階建、猿頭*、黒い千本格子の民家がつづいている。創業230年という旅籠越後屋など、町並みは往時の街道・宿場情緒を偲ばせる。西に難所といわれた鳥居峠をひか...

漆工町 木曽平沢の写真

漆工町 木曽平沢 ( 長野県 塩尻市 )

漆工町「木曾平沢」は、木曽谷の入口に位置する贄川と奈良井の中間にある集落で、輪島や会津若松とともに日本有数な漆器産地の一つ。  木曽の豊かな大森林で育った、木曽ヒノキ、サワラなどの良材や、海抜およそ900mに位置し、夏は涼しく冬は寒く、年間湿度が高いという気候が漆を塗る環境に適し、中山道の街道文化とともに産業として発展...

蓼科山の写真

蓼科山 ( 長野県 茅野市 / 長野県 立科町 )

八ケ岳連峰の北八ヶ岳の北端に位置し、標高は2,531m。地形的には北八ヶ岳の中の1つとしてとらえられているが、北横岳からの縦走の対象となりにくいこと、独立峰的な山容で評価が高いことなどから単独の山として取り上げている。  円錐形の山、コニーデ型*の上にトロイデ型*火山が噴出したもので、中腹の深い森林帯に対し、露岩の多い山頂...

光前寺の写真

写真提供:光前寺

光前寺 ( 長野県 駒ヶ根市 )

駒ケ根高原にある天台宗寺院。860(貞観2)年本聖上人の創建と伝えられ、武田、羽柴家などの信仰が厚く、信濃国有数の大寺であった。  境内には本堂・三重塔・三門などが杉林の中に建っており、樹齢数百年の巨木も多い。蘭渓道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園があり、ヒカリゴケも自生している。また三重塔近くに...

白糸の滝の写真

白糸の滝 ( 長野県 軽井沢町 )

軽井沢の北部、湯川の源流にかかる。高さ3m、幅70m、黒い岩壁から数百条と思われるほどの水流が、白糸のように落下している滝。この滝の水源は浅間山の伏流水のため、滝の上には川がなく黒い岩肌から水が噴き出している。  軽井沢三笠から峰の茶屋までの有料道路「白糸ハイランドウェイ」*の途中にあり、駐車場から5分程度で到達できる。...

重要文化財・旧三笠ホテルの写真

重要文化財・旧三笠ホテル ( 長野県 軽井沢町 )

洋式の2階建の建築物で、1905(明治38)年に日本郵船・明治製菓役員の実業家山本直良(やまもとなおよし)が建造、明治期の純西洋式木造ホテルとして、わが国で2番目に古いとされている。  かつては政財界人が集い「軽井沢の鹿鳴館(ろくめいかん)」として賑わい、太平洋戦争中は外務省出張所となった。戦後はアメリカ軍に接収されたが、195...

セゾン現代美術館の写真

写真提供:セゾン現代美術館

セゾン現代美術館 ( 長野県 軽井沢町 )

軽井沢千ヶ滝温泉の北西部の緑に囲まれた別荘地区の一角にある。敷地面積27,732m2の広い庭の中に、延べ床面積2,078m2、鉄筋2階建の美術館。東京(高輪)にあった高輪美術館が1981(昭和56)年に新築移転したもの。  全国でも数少ない現代美術が主体で、マン・レイのオブジェや、パウル・クレー、マックス・エルンス...

軽井沢教会群の写真

軽井沢教会群 ( 長野県 軽井沢町 )

英国聖公会の宣教師として派遣されたアレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢に訪れ、夏を過ごしたのがリゾート軽井沢の始まり。その後外国人の避暑地として人気が高まり、多くの外国人が訪れるようになった。そのため様々な教会が作られ、2018(平成30)年度の軽井沢のパンフレットでは20ほどの教会が紹介されている。そのうち軽井沢の主...

軽井沢保養地の写真

軽井沢保養地 ( 長野県 軽井沢町 )

碓氷峠(うすいとうげ)を越えると、冷気が一瞬のうちに身を包む。夏でも平均最高気温*が26℃程度という軽井沢は浅間山南東斜面のゆるやかな裾野、標高900~1,000mの部分を占め、国際的に名高い高原避暑地である。  英国聖公会の宣教師として派遣されたアレキサンダー・クロフト・ショーが、その高原や気候風土などが避暑地として好適であ...

八ヶ岳の写真

八ヶ岳 ( 長野県 原村 / 長野県 富士見町 / 長野県 茅野市 / 長野県 南牧村 / 山梨県 北杜市 )

八ケ岳連峰*の中で、夏沢峠を境に北八ケ岳と南八ケ岳に分かれる。南八ケ岳は標高2,899mの主峰赤岳をはじめ横岳、硫黄岳、権現岳、編笠山と荒々しい男性的な岩山が連なる。北八ケ岳は白樺、カラマツの森林や草原が広がり、女性的なやさしさと豊かさを秘めている。  成因は約300万年前、本州を南北に縦断する大地溝帯(フォッサマグナ)のほ...

金峰山の写真

金峰山 ( 長野県 川上村 / 山梨県 甲府市 )

奥秩父主脈の西端、長野県と山梨県の県境に位置し、標高2,599mと標高でこそ北奥仙丈岳(2,601m)におよばないものの、奥秩父の主峰ともいうべき堂々たる山である。山頂には五丈岩(ごじょういわ)*がどっかと腰をすえている。  奈良県吉野の金峰山から始まるとされる金峰山信仰。この山も古くから修験道の盛んな山で、古文書類にも「金峰」...

乗鞍岳の写真

乗鞍岳 ( 長野県 松本市 / 岐阜県 高山市 )

長野県松本市と岐阜県高山市の県境、北アルプスの南端にあるコニーデ型の山。馬の鞍に似て複数の峰とその峰間のなだらかな尾根の姿から、その名がついたといわれている。  乗鞍スカイライン(岐阜側)*や乗鞍エコーライン(長野側)*で2,702mの畳平までバスが入り、容易に頂上をきわめられる。剣ケ峰を盟主として3,000m級の恵比須岳・大...

五龍岳の写真

五龍岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 黒部市 )

長野県大町市と富山県黒部市の県境にあり、鹿島槍ケ岳の北に岩峰を連ねてそびえる男性的な姿の岩山。標高は2,814m。遠見尾根をのばしているため山麓からは望みにくいが、唐松岳からの五龍岳は堂々として立派である。  越中からは餓鬼岳、信州からは割菱ノ頭などと呼ばれていた。五龍の名は戦国時代の武田氏の菱型の紋章「御菱」からという...

白駒の池の写真

写真提供:佐久穂町

白駒の池 ( 長野県 佐久穂町 / 長野県 小海町 )

北八ケ岳の中心、麦草峠の南東1.5kmにある八ケ岳火山湖沼の中で最大の池。標高は2,155m、面積114ha、水深8.6m。その名は白馬とともに池へ消えた乙女の伝説*に由来する。  国道299号線沿いの駐車場から歩いて約15分程度で白駒の池まで行け、急俊な高山を登らなくても、気軽に季節の移り変わりを見ることができる。   また、北八ヶ岳の登...

渋温泉の写真

渋温泉 ( 長野県 山ノ内町 )

湯田中温泉、安代温泉などの湯田中渋温泉郷のひとつ。その中の渋温泉は温泉寺の開山虎関師錬(こかんしれん)が浴場としたという。2層、3層の凝った木造の旅館が棟を接するように立ち並び、老舗も多い。  温泉は弱食塩泉や単純温泉など。51~98度と温度が高い源泉をそのまま利用した源泉かけ流し。共同浴場の外湯が9ケ所あり、宿泊客は湯巡...

岩菅山の写真

岩菅山 ( 長野県 山ノ内町 )

志賀高原の北方の最奥、岩菅火山群の主峰で標高2,295m。スキーコースの多い志賀高原の中では手つかずの自然が残る山として貴重である。原生林におおわれた雄大な山体で広大な展望が開ける。なお、山頂の北東稜線には志賀高原の最高峰の裏岩菅山(2,341m)がある。  山頂には岩菅神社があり、信仰登山のむかしを偲ばせる。登山口はリフトや...

志賀高原の写真

志賀高原 ( 長野県 山ノ内町 )

長野県北東部、群馬との県境にある横手山(2,307m)を頂点に西は異様な姿を見せる笠ケ岳*、北は岩菅山(いわすげやま)、西に折れて焼額山(やけびたいやま)・竜王山・五輪山と連なる山並みに囲まれた標高1,300~2,300mの高原。  高原内は志賀山(2,035m)*を中心に坊寺山・東館山・西館山の山々がそびえ湿原や湖沼が点在する。  成因...

甲武信ヶ岳の写真

甲武信ヶ岳 ( 長野県 川上村 / 山梨県 山梨市 / 埼玉県 秩父市 )

奥秩父主脈のほぼ中央に位置する標高2,475mの山で、甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)の境にあるのでこの名が付けられている。また、山容が拳に似ているため拳岳の字もあてられる。  この山を中心に尾根は3つに分かれ、また、千曲川、荒川、笛吹川が源流を発する重要な山でもある。山頂近くまで原生林が覆うが、山頂からの展望は開...

国師ヶ岳の写真

国師ヶ岳 ( 長野県 川上村 / 山梨県 山梨市 )

甲武信ヶ岳と金峰山の間にあるピーク。高さは2,592mと高いが、頂上直下まで森林帯に覆われている。国師の名は甲州の名刹恵林寺(えりんじ)を創立した夢窓国師の修行伝説からだといわれる。  一般的な縦走路からは外れるが、この山頂の南西方には奥秩父の最高峰北奥千丈岳*(2,601m)がある。  西方の大弛峠(おおだるみとうげ)*には...

小諸城址(懐古園)の写真

写真提供:一般社団法人こもろ観光局

小諸城址(懐古園) ( 長野県 小諸市 )

小諸駅の西方にあり城は千曲川の地形を利用して築城されている。1487(長享元)年大井光忠が現在の城跡の北方に鍋蓋城(なべぶたじょう)を築いたのがはじめである。のち信濃攻略の基地として、1532~1555年武田信玄*が山本勘助*に命じて城を築き、酔月城と称した。完成のとき、勘助は「遠近の深山隠れの秘事の縄幾千代を経む城の松風」と詠...

千曲川(小諸周辺)の写真

写真提供:(一社)こもろ観光局

千曲川(小諸周辺) ( 長野県 小諸市 / 長野県 東御市 / 長野県 上田市 / 長野県 坂城町 / 長野県 千曲市 )

千曲川は山梨・埼玉・長野の三県にまたがる甲武信岳(こぶしだけ)に源を発し、全長214kmにわたる。八ケ岳・蓼科山・浅間山などの山々を縫って流れ、越後に入って日本一の長流 信濃川となる。  千曲川は長野県を象徴する川の一つ。佐久鯉を育むのも、戸倉上山田の温泉街を流れるのも、また川中島の戦いの舞台となったのも、この千曲川である。

高峰温泉の写真

高峰温泉 ( 長野県 小諸市 )

高峰山の西側、標高2,000mの山あいの高原にある静かな一軒宿の温泉。1956(昭和31)年から山麓で温泉旅館を開いていたが、1978(昭和53)年火災で全焼。これを機に標高2,000mの移転を考え、1983(昭和58)年現在の地で開業したもの。   温泉は36度、含硫黄・カルシウム・ナトリウム・硫酸塩・炭酸水素塩泉で神経痛・高血圧によい。浴場は...

雨飾山の写真

写真提供:一般社団法人 小谷村観光連盟

雨飾山 ( 長野県 小谷村 / 新潟県 糸魚川市 )

長野・新潟の県境にあり、妙高火山群につづく頚城(くびき)山塊に属している。雨飾山は「猫の耳」と呼ばれる双耳峰が特徴である。  2,000m弱の高くはない山だが、好天の日には日本海が望まれ、布団菱(ふとんびし)とよばれる大岩壁が美しい姿を見せる。また山頂には石仏があり、羅漢上人(らかんしょうにん)*が石を刻みそれをコツコツ...

栂池高原の写真

写真提供:一般社団法人 小谷村観光連盟

栂池高原 ( 長野県 小谷村 )

白馬連峰の北東部にある乗鞍岳(2,437m)の山腹一帯、標高1,000~2,000mの広い地域をいう。スキー場のある山麓部の親ノ原一帯は、白馬三山を背景に湿原が広がり、明るい高原風景が展開する。上部はブナ・ツガ・シラビソの深い原生林の中に神の田圃*、栂池自然園などの高層湿原が点在している。  栂池自然園まではゴンドラリフトとロープウ...

小布施の町並みの写真

写真提供:小布施文化観光協会

小布施の町並み ( 長野県 小布施町 )

小布施町は長野県の北部に位置し、西部に千曲川、南部に松川、北部に篠井川と三方を川に囲まれている、半径2km以内にすべての集落が入る長野県で1番小さな町。北信五岳・北アルプスを望むことができ、果樹栽培が盛んで特にリンゴと栗が代表的産物。葛飾北斎がこの地に4回も訪れているゆかりの地でもある。1982(昭和57)年から始まった町並み...

北斎館の写真

写真提供:北斎館

北斎館 ( 長野県 小布施町 )

小布施町は須坂市に隣接し、千曲川右岸の松川扇状地に位置し、半径2km以内にすべての集落が入る長野県で1番小さな町。北信五岳・北アルプスを望むことができ、果樹栽培が盛んで特にリンゴと栗が代表的産物。葛飾北斎ゆかりの地で、切妻風白壁の江戸時代の町並みも復元されている。  北斎館は市街地のほぼ中央、小布施駅南東約800mにあり、1...

安曇野ちひろ美術館の写真

写真提供:安曇野ちひろ美術館

安曇野ちひろ美術館 ( 長野県 松川村 )

安曇野ちひろ美術館は安曇野市の北、松川村のほぼ中央にあり、周囲を広大な安曇野ちひろ公園(松川村営)に囲まれている。ちひろ美術館・東京の開館20周年を記念して開館した。館内には5つの展示室があり、絵本画家・いわさきちひろや世界の絵本画家の作品、絵本に関する歴史資料を展示している。  美術館のある松川村は、戦後、ちひろの両...

常念岳の写真

常念岳 ( 長野県 松本市 / 長野県 安曇野市 )

梓川の渓流を間にして穂高連峰・槍ケ岳と相対する常念山脈の主峰。標高は2,857m。花崗岩よりなる山頂は、ピラミッド型をしており、南北に長くバランスのとれた稜線をのばしている。山頂に立てば、穂高連峰・槍ケ岳の山並みをはじめJR大糸線沿いの町々まで360度の展望が開ける。  蝶が岳から大天井岳への縦走コースのほか東側安曇野の一の沢...

焼岳の写真

焼岳 ( 長野県 松本市 / 岐阜県 高山市 )

上高地大正池の西にそびえるトロイデ型活火山*。標高2,455m。北アルプスの活火山で、たえず水蒸気を上げ、山頂付近は山肌をあらわにし、木も草も生えていない。南峰と北峰からなり、最高峰は南峰である。  1915(大正4)年の噴火では、梓川をせき止め、大正池を出現させ、1962(昭和37)年の噴火では焼岳小屋を倒壊させた。以来、山頂1km...

乗鞍高原の写真

乗鞍高原 ( 長野県 松本市 )

乗鞍高原へは、松本から梓川沿いに島々、稲核(いねこき)、奈川渡(ながわと)経由で到達する。  乗鞍岳の東麓、標高1,200~1,700mに位置する広大な高原。番所と鈴蘭が高原の中心で、高天ヶ原火山の溶岩原である。かつては鈴蘭高原と呼ばれていたところで、白樺やカラマツの林の中に、ペンションや乗鞍高原国民休暇村などの宿泊施設や別荘...

白骨温泉の写真

白骨温泉 ( 長野県 松本市 )

梓川の支流湯川沿いに湧く。緑濃い山々に囲まれてむかしながらの木造旅館が並び、露天風呂が点在して、湯けむりが立ちのぼっている。江戸時代から知られた名湯だが、中里介山(なかざとかいざん)の小説『大菩薩峠』*の一場面を飾って一躍有名になり、バス停近くには『大菩薩峠』文学碑も立つ。  付近にはスキー場があり、特別天然記念物...

穂高岳の写真

穂高岳 ( 長野県 松本市 / 岐阜県 高山市 )

北アルプスの南部に連なり、東に梓川、西に蒲田川の清流が流れる。上高地から梓川の上流へ向かうと、つねに穂高連峰が左側にそびえている。わが国第3位の高峰、奥穂高岳(3,190m)を中心に北の涸沢岳3,103m・北穂高岳3,106m、吊尾根*で結ばれる南東の前穂高岳3,090m、南西の西穂高岳2,909mからなり、総称して単に穂高岳と呼ばれている。 ...

牛伏寺の写真

牛伏寺 ( 長野県 松本市 )

松本市の南東、鉢伏山(はちぶせやま)の中腹、標高1,000ⅿにある真言宗の名刹である。参道を登ると山門・庫裏・如意輪堂、さらに階段を登って楼門造の仁王門、観音堂・太子殿などが配置されている。厄除祈願の殿堂として広く知られ、1月の「厄除縁日大祭」では多くの参詣客が訪れる。  756(天平勝宝7)年に唐から信州善光寺に大般若経600...

アルプス公園のサクラの写真

アルプス公園のサクラ ( 長野県 松本市 )

アルプス公園は松本市街地の北西部の丘陵にあり、標高750~800m前後に位置し広大な敷地71.1haを持つ、1974(昭和49)年に開園した総合公園である。城山公園の北の尾根続きに位置している。 西に北アルプス連峰や安曇野が一望でき、東には美ヶ原と松本市街を望むことができる。 展望台のある「山と自然博物館」、小さな動物園「小鳥と小動物の...

梓川(上高地)の写真

梓川(上高地) ( 長野県 松本市 )

長野県中西部を流れる川。槍ヶ岳に源を発し、途中穂高岳の横尾谷や徳沢と合流し、上高地を経て松本盆地で奈良井川と合流して犀川(いがわ)となる。長さ77km。  梓川の上流域は景勝地も多く、流量の豊かな清流と山岳景観が美しい。この中でも標高約1,500mの細長い盆地が上高地である。  上高地は日本のアルピニズムの発祥の地とされると...

牛伏川フランス式階段工の写真

牛伏川フランス式階段工 ( 長野県 松本市 )

松本市の南東、鉢伏山(はちぶせやま)の中腹標高1,000mにある牛伏川フランス式階段工は、1918(大正7)年に完成した治山治水の土木施設。  新潟県下の信濃川で多くの災害が相次ぎ、明治時代には信濃川改修問題が起こった。この問題の主たる要因となる土砂の供給源が長野県の水源地帯、中でも牛伏川にあるとされていた。そのため1885(明治...

美ヶ原高原の写真

美ヶ原高原 ( 長野県 松本市 / 長野県 上田市 / 長野県 長和町 )

松本市、上田市、長和町にまたがり標高2,000m前後に位置する、広さ5km2の広大な高原台地である。信州のほぼ中央にあって中部山岳のほとんどの山を眺める360度の展望台として知られている。高原の最高峰は標高2,034mの王ケ頭で、東側は平坦な台地状でいくつかのピーク*がある。王ケ頭の真下には三城牧場がある。放牧場としては明...

寝覚の床の写真

寝覚の床 ( 長野県 上松町 )

木曽川の中流部の上松町の中央部、JR上松駅の南に位置する寝覚の床。木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長期にわたって水食した奇景である。約1.5kmの間、柱状・方状節理や甌穴(おうけつ)が見られ、様々な形をした岩がつづく。寝覚の床へは、無料駐車場から臨川寺経由で散策コースがつづいている。江戸時代の参勤交代では臨川寺を小憩所として、...

安楽寺の写真

安楽寺 ( 長野県 上田市 )

別所温泉の北西の山腹にある。温泉街から登りにはなるが歩いて10分程度のところにあり、静寂な中に建っている。  1288(弘安11・正応元)年執権北条貞時の援助を得て樵谷惟仙(しょうこくいせん)*が開山したという。鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済宗寺院の一つ。鎌倉時代中期すでに相当の規模をもった禅寺であり、学問・...

戦没画学生慰霊美術館 無言館の写真

戦没画学生慰霊美術館 無言館 ( 長野県 上田市 )

上田駅の南西部、上田電鉄別所線「塩田町駅」南の標高570mの静かな丘にある。窪島誠一郎*により、信濃デッサン館の分館として1997(平成9)年に開館した美術館。  「戦没画学生慰霊美術館 無言館」という名が示すように、第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示している...

信州上田の松茸料理の写真

写真提供:上田市

信州上田の松茸料理 ( 長野県 上田市 )

長野県の松茸収穫量*は日本一、中でも上田市は県内でも有数の松茸の産地である。市内の山にはアカマツが多く、かつて燃料として積極的に松葉利用が行われた結果、松茸が生育しやすい環境が広がっていった。収穫時期ともなると直売所では松茸の販売が盛んで、多くの人々が旬の味覚を求めてやってくる。山間には、松茸小屋*がオープンし、松...

黒姫山の写真

黒姫山 ( 長野県 信濃町 )

北信五岳*の1つ。信濃町の西部にそびえる姿から「信濃富士」とも呼ばれ、標高2,053mの二重式のコニーデ型火山。頂上は外輪山にあり、火口原を隔てて中央火口丘の小黒姫山と向かい合う。旧火口付近には小さい湖沼があり、中央に小さな火口丘がある。黒姫山の語源は中野市の高梨城主の娘「黒姫」にまつわる伝説*からと言われている。中腹には...

野尻湖の写真

野尻湖 ( 長野県 信濃町 )

黒姫駅の北東、斑尾山(まだらおやま)の溶岩による堰止湖で、信州では諏訪湖に次いで大きい湖。西部に黒姫山、東部に斑尾山、北西部に妙高山がそびえる。湖岸には、砂間ガ崎、琵琶ガ崎、竜宮崎など48の岬があるといわれるほど湖岸線の出入りに富み、芙蓉の葉に似ているため、芙蓉湖の別名もある。  野尻湖畔では、ナウマン象をはじめ古代...

霧ヶ峰高原の写真

霧ヶ峰高原 ( 長野県 諏訪市 / 長野県 茅野市 / 長野県 下諏訪町 / 長野県 長門町 )

諏訪市の北東部、大門峠から鷲ヶ峰(わしがみね)の間に、ゆるやかな起伏をもつ高原が3,000haにわたってつづいている。最高峰の車山は標高1,925mの火山でいくつかの断層が発達し、車山湿原、踊場湿原(池のくるみ)、八島ヶ原湿原と3つの湿原を生んだ。上昇気流が盛んで、この気流を利用してグライダーの基地ともなっている。  茅野市本町か...

霧ヶ峰のニッコウキスゲの写真

霧ヶ峰のニッコウキスゲ ( 長野県 諏訪市 / 長野県 茅野市 / 長野県 下諏訪町 / 長野県 長門町 )

諏訪市の北東部、大門峠から鷲ヶ峰(わしがみね)の間に、ゆるやかな起伏をもつ高原が3,000haにわたってつづいている。最高峰の車山は標高1925mの火山でいくつかの断層が発達し、車山湿原、踊場湿原(池のくるみ)、八島ヶ原湿原と3つの湿原を生んだ。  この草原に7月になるとニッコウキスゲが咲き誇る。ニッコウキスゲ(日光黄菅)は草丈40...

諏訪湖の写真

写真提供:©(一社)諏訪観光協会

諏訪湖 ( 長野県 諏訪市 / 長野県 下諏訪町 / 長野県 岡谷市 )

八ヶ岳や中央アルプスなどの美しい山々に囲まれて信州のほぼ中央に位置し、周囲約16kmの信州一大きな湖。諏訪盆地の地溝帯にできた断層湖で、岡谷市、下諏訪町、諏訪市にまたがる。  流出部は天竜川だけで釜口水門によって水量が調整されている。観光の中心は上諏訪温泉付近の東岸で湖畔公園・カリン並木があり、サイクリングロードを整備...

諏訪湖の御神渡の写真

写真提供:諏訪市

諏訪湖の御神渡 ( 長野県 岡谷市 / 長野県 諏訪市 / 長野県 下諏訪町 )

岡谷市、諏訪市、諏訪郡下諏訪町にまたがる諏訪湖独特の冬の自然現象で、氷点下10度前後の日が続くと湖が全面結氷し、さらなる冷え込みにより氷が裂け、昼と夜の温度差によってその裂け目が徐々にせり上がることで大音響とともに山脈のような筋になる現象。  最近は、気温の上昇とともに出現することが少なくなってきているが、1月から2月...

御柱祭の写真

御柱祭 ( 長野県 諏訪市 / 長野県 茅野市 / 長野県 下諏訪町 / 長野県 富士見町 / 長野県 原村 )

6年に1度(数え年で7年に1度)、寅と申の年に諏訪大社4社の社殿の四隅に立つ御柱の建て替えを行う祭事で、規模の大きさ、勇壮さで日本の大祭の一つに数えられている。祭りのいわれは清浄な神地の境界を示すものとも、式年造営の省略した形とも様々な説がある。  御柱祭の幕明けは4月初旬上社の山出しに始まる。山から伐採された長さ五丈五...

赤石岳の写真

赤石岳 ( 長野県 大鹿村 / 静岡県 静岡市 )

赤石山脈すなわち南アルプスの南部にあり、赤石山脈の盟主で巨体をすえる。浸食が著しく、険しい尾根を四方に張り重量感があり、その存在感から赤石山脈の名にふさわしい。山名はこの地域の岩石に含まれるラジオラリヤ板岩*が赤紫色からである。山頂は広く、カール状の地形が散見される。  昔の信仰登山のなごりをとどめる石や鉄製の剣が...

荒川三山の写真

荒川三山 ( 長野県 大鹿村 / 静岡県 静岡市 )

塩見岳と赤石岳の間、前岳・中岳・東岳を荒川岳、荒川三山と総称している。南アルプス南部の主要山岳の縦走路の大半は南北方向であるが、この荒川三山は東西方向にならんでいる。前岳(3,068m)・中岳(3,084m)は巨大な一つの山塊だが、標高3,141mの東岳は南アルプスの中でも北岳、間の岳につぐ3番目の高峰。  最高峰の東岳は独立して重厚...

姨捨の棚田の写真

姨捨の棚田 ( 長野県 千曲市 )

姨捨の棚田は千曲市、戸倉上山田温泉街の西にあり、篠ノ井線姨捨駅の東斜面に広がる棚田である。40ha、約1,500枚の棚田がある。国の「重要文化的景観」や「日本棚田百選」にも選定されている。また、田植えの頃にしか見られない姨捨(田毎の月)は国の名勝に指定されている。

あんず・科野の里の写真

写真提供:(C)信州千曲観光局

あんず・科野の里 ( 長野県 千曲市 )

千曲市の東部の「森」と「倉科(くらしな)」の両地区にある観光名所「あんずの里」。4月上旬から中旬にかけて、標高 380~450mの緩やかな山間の斜面に一面に咲くアンズの花は、満開になると更に美しさを増す。  「アンズ」の生産量は長野県が全国トップクラスで、県内の生産量の中でも千曲市が一番多いことから「日本一のあんずの里」とも...

光岳の写真

光岳 ( 長野県 飯田市 / 静岡県 川根本町 / 静岡市 静岡市 )

南アルプス最南端の山、標高2,592mで南西に露出する巨岩が日光を受けて光るのでこの名がある。長野県と静岡県の県境に位置し、長野県の飯田市遠山郷奥の易老渡が主な登山口。  北部のイザルガ岳にかけて平坦地が連なり、お花畑のセンジガ原がある。周囲に群生するハイマツはわが国の南限である。

空木岳の写真

空木岳 ( 長野県 大桑村 / 長野県 駒ヶ根市 )

中央アルプスの木曽駒ヶ岳、宝剣岳の南方にあり、標高2,864mの山。高さでは木曽駒ヶ岳に劣るが、スケールの大きい風貌は中央アルプスでも第一級で、山頂もどっしりとして広く、展望はすばらしい。  東側には空木平が広がり、中央部にお花畑がある。山の名は山麓にあるウツギの木からだという説と、カールに残る雪形がウツギの花に似ている...

南駒ヶ岳の写真

南駒ヶ岳 ( 長野県 大桑村 / 長野県 飯島町 / 長野県 駒ヶ根市 )

中央アルプスの主要山脈の南に位置し、空木岳に寄り添うように立ち、2つのピークを持つどっしりした山容で、2,841mの山。中央アルプスの縦走では木曽駒ヶ岳から空木岳までが一般的で、南駒ヶ岳まで足をのばす人は少ない。樹林帯の多い周辺の山々の中でも、頂上付近や尾根筋は白い花崗岩とハイマツによって明るく開放的な山で、岩場の山として...

大鹿歌舞伎の写真

写真提供:大鹿村教育委員会

大鹿歌舞伎 ( 長野県 大鹿村 )

赤石山脈と伊那山地にはさまれた中央構造線谷沿い、山深い所に位置する大鹿村。ここで行われる大鹿歌舞伎は重要無形民俗文化財に指定されている。大鹿村の大鹿歌舞伎は江戸歌舞伎に影響されて始まった村芝居で、300年以上の歴史を持ち、1767(明和4)年以来演じられている。  歌舞伎は江戸初期に発生し、日本全国に広がった。大鹿村でも、...

鹿島槍ヶ岳の写真

鹿島槍ヶ岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 富山県 黒部市 )

長野県大町市と富山県立山町・黒部市の県境にあり、標高2,889m、後立山連峰*の中央に位置している。北峰と南峰のピークが吊尾根で結ばれた双耳峰の優美な山容で、後立山連峰の盟主ともいわれている。かつてはこの山周辺一帯の山域を後立山と呼んだというが、山麓の鹿島集落から取って鹿島槍ヶ岳の名になったといわれる。  鹿島槍ヶ岳への...

烏帽子岳の写真

烏帽子岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市街の西方19km、大町市と富山県富山市との県境に位置する。北アルプス後立山連峰*の南につづく尾根の一峰で、標高2,628m。槍ケ岳への裏銀座コース*の起点である。  頂上部は烏帽子*状のとがった岩峰が立ち、その形から山の名が付けられたといわれる。烏帽子岳という名の山は日本全国でも数多く50座以上、烏帽子山を含めると9...

爺ケ岳の写真

爺ケ岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 立山町 )

長野県大町市と富山県立山町の県境にあり、鹿島槍ヶ岳の南に3つのピークを持つ山。春、種まき爺さんの雪形*が現れるところから爺ケ岳と呼ばれ、大町付近からその姿が望める。安曇野の人々はこの雪形が現れると種まきを行ったといわれる。  山頂部は北峰、三角点2,670mの中央峰と南峰が立ち、稜線はハイマツでおおわれている。  登山は大...

槍ヶ岳の写真

槍ヶ岳 ( 長野県 松本市 / 長野県 大町市 / 岐阜県 高山市 / 長野県 安曇野市 )

北アルプスの中央部、穂高連峰の北方にそびえ標高3,180m。高さでは奥穂高岳に及ばないが、天に向かって尖峰を突き上げ、キリリとひきしまった山容は、日本アルプスの王者と仰がれている。尾根も雄大で、北は険しい北鎌尾根がつづき、東は大天井岳、南は穂高連峰、西は三俣蓮華岳へと延びている。  山体の標高2,500m以上の部分は、洪積世氷...

高瀬渓谷の写真

写真提供:大町市観光協会

高瀬渓谷 ( 長野県 大町市 )

大町市の西部の山間部、高瀬川に沿って連なる大町ダム・七倉ダム・高瀬ダムの連続する3つのダムと、葛温泉周辺の渓谷である。  最大の高瀬ダムは七倉ダムと共に発電を目的として1979(昭和54)年に竣工。高さ176m、総貯水量7,620万m3の規模。七倉から高瀬ダムまでの東電管理道路は一般車通行止めとなっており、シーズン中はタク...

仁科三湖の写真

仁科三湖 ( 長野県 大町市 )

仁科三湖は木崎湖、中綱湖、青木湖からなり、糸魚川静岡構造線(フォツサマグナ)*の溝上にできた断層でできた湖群と考えられている。  湖畔には、古道塩の道「千国街道」が通り、北西部には街道沿いに三十三観音像がある。また周辺にはスキー場、キャンプ場などがある。

市立大町山岳博物館の写真

市立大町山岳博物館 ( 長野県 大町市 )

 立山黒部アルペンルートの信州側玄関口である長野県大町市。大町市内東山に位置する市立大町山岳博物館は、昭和26年に誕生し、「北アルプスの自然と人」をメインテーマに、後立山連峰を中心とした山岳の自然や歴史について紹介する、日本初の山岳をテーマとした博物館です。  ここでは3階にある展望ラウンジからの北アルプスの展望を...

戸隠山の写真

戸隠山 ( 長野県 長野市 )

「天岩戸神話」*を秘めた戸隠山は、凝灰質の集塊岩からなり、戸隠高原北西部に屏風のようにそそり立つ連峰のうちの一つである。  この地域の北信五岳*のうち戸隠連峰だけが岩稜の山であり、連峰は西岳と、八方睨から五地蔵山までの表山、それに高妻山・乙妻山の裏山の3つの山塊からなる。一般には戸隠山といえば表山を指す。表山は平安時代...

善光寺の写真

写真提供:(C)善光寺

善光寺 ( 長野県 長野市 )

長野市中心部、”善光寺”信号または二天門跡から約460mの石畳の参道が、仁王門*・山門*を経て本堂*へとつづく。境内は5万9,000m2と広く、参道に大勧進・大本願をはじめ39の宿坊が並ぶ大寺院である。「牛にひかれて善光寺参り」*で知られるように、一生に一度お参りすれば極楽往生が約束されると、全国から多くの老若男女を集める...

戸隠神社の写真

戸隠神社 ( 長野県 長野市 )

戸隠神社は霊山・戸隠山のふもとにある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社の総称で、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社といわれている。天の岩戸伝説*の神話に縁深い神々、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)・天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)などを祀る。  神社の創建は諸説あって明らかでな...

高妻山の写真

高妻山 ( 長野県 長野市 )

長野市の北部地域の北信五岳*のうち戸隠連峰だけが岩稜の山である。戸隠連峰は長野市善光寺の北西部、飯縄山の西に位置し、北から乙妻山・高妻山の山域、戸隠山を中心とした山域、西岳の山域からなる。  高妻山は戸隠連峰の最高峰2,353mで、戸隠山の岩峰と好対照のピラミッド型の山である。戸隠山の表山に対し裏山ともいわれている。  ...

松代城跡の写真

写真提供:真田宝物館 画像提供

松代城跡 ( 長野県 長野市 )

旧松代駅の西方にある。松代城は元々海津城と呼ばれていた城で、武田信玄*が山本勘助*に命じて築城したと伝えられている。甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされている。1561(永禄8)年川中島合戦*では武田軍の本陣とされた。  松代城と改名されたのは、江戸時代になってからのこと。その後明治維新まで...

浅間山の写真

浅間山 ( 長野県 軽井沢町 / 長野県 御代田町 / 長野県 小諸市 / 群馬県 嬬恋村 / 群馬県 長野原町 )

長野・群馬県境にある日本を代表する活火山で、標高2,568m。白い噴煙を上げる浅間山の雄姿は古来から名高い。成層火山でいくつかの噴火跡の山塊が集中し、その総称を浅間山という。全体はなだらかな女性的な山相で、南・北に広大な裾野が延びて草木や樹木が茂り、標高2,300m以上は裸地となっている。また中腹から山麓にかけてはわが国でも有...

四阿山の写真

四阿山 ( 長野県 上田市 / 長野県 須坂市 / 群馬県 嬬恋村 )

群馬県嬬恋村と長野県上田市、須坂市の東との境にある臼状火山で四阿火山の主峰、標高2,354m。北面に中央火口丘をともなうカルデラがあり、根子岳も外輪山をなす。南西の広大な裾野に菅平高原が広がる。草地の根子岳に比べて、頂上付近までモミやツガなどの樹林が多く、ツツジの群落も見られる。  四阿山の名は公園や庭園などに眺望、休憩...

海野宿の写真

海野宿 ( 長野県 東御市 )

東御市西部、田中駅の北西約1.5km。JR信越本線と千曲川にはさまれた河岸段丘にある町並み。徳川幕府によって開かれた脇往還「北国街道」*の宿場町で、現在でも東西約650mにわたり街道時代の町並みと遺構が残る。道路中央に設けられた堀割や、独特の格子戸や防火用の火返しを付けた民家が、当時とほぼ同じ姿で道路両側に軒を連ねる。

田立の滝の写真

写真提供:南木曽町役場

田立の滝 ( 長野県 南木曽町 )

南木曽町の北西端、JR田立駅の北にある。駅からは山道で約6km、20分程度で粒栗平の駐車場に着き、ここからは登山道で約3.5km、1時間余で主瀑の天河(てんが)滝(高さ40m、幅13m)に着く。  田立の滝は、うるう滝、らせん滝、洗心(せんしん)滝、霧ヶ滝、天河滝、不動滝、そうめん滝など、大滝川の峡谷にかかる大小十余りの瀑布を総称したも...

田立の花馬祭りの写真

写真提供:南木曽町役場

田立の花馬祭り ( 長野県 南木曽町 )

10月第1日曜日の五宮(いつみや)神社*の例祭。神馬3頭が田立駅前広場から五宮神社まで約800mを練り歩く。先頭馬には神が宿るヒモロギ(神を迎えるための依り代)を、中馬には豊作を表す菊を、後馬には南宮社社紋の日月の幟を立て、その周囲に五色の色紙によって稲穂をかたどった竹ひごを365本ほど差し回して、厄除けと豊作を祈願する。

妻籠宿の写真

写真提供:(一社)南木曽町観光協会

妻籠宿 ( 長野県 南木曽町 )

岐阜県側から木曽路に入ると1番目の宿。伊那谷への追分でもあり、賑やかな宿場町であった。明治末の中央本線開通後、荒れて寒村となっていたが、1968(昭和43)年から集落保存を実施して脚光を浴びるようになった。現在、周辺の自然景観も含めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。  出し梁に千本格子、卯建*のある古風な...

白馬三山の写真

白馬三山 ( 長野県 白馬村 / 富山県 朝日町 / 富山県 黒部市 / 新潟県 糸魚川市 )

北アルプス北東部、主峰白馬岳(しろうまだけ)(2,932m)とその南に杓子岳(しゃくしだけ)(2,812m)、白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)(2,903m)の3つのピークが並び、白馬三山と呼ばれている。白馬岳(しろうま岳)の名前の由来は、春になると雪解けで岩が露出し、黒い「代掻き馬」の雪形が現れることから「代掻き馬」→「代馬」→「しろう...

白馬連山高山植物帯の写真

白馬連山高山植物帯 ( 長野県 白馬村 / 富山県 朝日町 / 富山県 黒部市 / 新潟県 糸魚川市 )

北アルプス北東部、主峰白馬岳(しろうまだけ)(2932m)とその南に杓子岳(しゃくしだけ)(2812m)、白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)(2903m)の3つのピークが並び、白馬三山と呼ばれている。白馬の名は山頂北部の三国境の南東面に黒く馬の雪形が現れ、これをめやすに苗代を作るところから、苗代馬(なわしろうま)、代馬(しろうま)といわ...

唐松岳の写真

唐松岳 ( 長野県 白馬村 / 富山県 黒部市 )

唐松岳は標高2,696mで、北アルプスの連峰の中ではあまり目立つ山ではなが、山頂はやさしいピラミッド型のピークであり、後立山のなかでは女性的な山容をしている。   唐松岳の北には不帰(かえらず)のキレット*をはさんで白馬三山と対峙している。また南には五竜岳、鹿島槍ヶ岳と稜線が続いている。  唐松岳の中腹にはパウダースノー...

千曲川(千曲市~飯山市周辺)の写真

写真提供:(C)信州千曲観光局

千曲川(千曲市~飯山市周辺) ( 長野県 飯山市 / 長野県 千曲市 / 長野県 小布施町 / 長野県 他 )

千曲川は山梨・埼玉・長野の三県にまたがる甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に源を発し、全長214kmにわたる。八ヶ岳・蓼科山・浅間山などの山々を縫って流れ、越後に入って日本一の長流、信濃川となる。  千曲川は長野県を象徴する川の一つ。佐久鯉を育むのも、戸倉上山田の温泉街を流れるのも、また川中島の戦いの舞台となったのも、この千曲川...

聖岳の写真

聖岳 ( 長野県 飯田市 / 静岡県 静岡市 )

長野県と静岡県の県境にあり、日本アルプス中で最も南にある3,000m峰である。登山口は長野県側では飯田市の遠山郷奥の易老渡先、便ヶ島からと、静岡県大井川上流の椹島からとがあるが、いずれも山深く3泊は見ておきたい。  宗教的な山名だが、語源はヘズル、肘を曲げたようなうねうねした川のヒジリ沢からか、登山道がまがりくねって登るこ...

遠山郷・上村下栗の里の写真

遠山郷・上村下栗の里 ( 長野県 飯田市 )

遠山郷上村は飯田市の中心部から東に車で約1時間のところにある、秋葉街道*と共に栄えた土地。「下栗の里」はさらに7kmの曲がりくねった道を上がったところにある、標高800~1,100mの斜面に張り付いたような集落である。最大斜度30度以上の急傾斜地で、今も雑穀を作り続けている集落で、別名『日本のチロル』とも呼ばれている。  下栗の歴...

天竜川(上流部)の写真

天竜川(上流部) ( 長野県 飯田市 / 長野県 天龍村 / 長野県 他 )

JR天竜峡駅の東、故射橋(こやきょう)を中心とした100mを天竜峡と呼び、天竜川*舟下りの名所である。  天竜ライン下りが、天竜峡温泉港(姑射橋下)から唐笠港(唐笠駅そば)までの12km、天竜ライン遊舟有限会社によって運行されており、また、天竜峡から上流に当たる弁天港から時又港までの6km、天竜舟下りを運航している。(現在運休中...

鷲羽岳の写真

鷲羽岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市の県境にあり、黒部川源流付近、三俣蓮華岳の北東にピラミッド型の雄姿を見せている。標高2,924m。  1697(元禄10)年に鷲ノ羽ヶ岳という記述が残っている。ただしこれは隣の三俣蓮華岳だったらしく、山の取り違えで現在の山名になったという。鷲が翼を広げた姿に似ているのでこの名がついたという説もある。

三俣蓮華岳の写真

三俣蓮華岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 岐阜県 高山市 )

北アルプスの中央部にあり、長野・富山・岐阜3県の境になっている。標高は2,841m。北東部は烏帽子岳方面から後立山連峰*へ、西は黒部五郎岳方面から立山連峰へ、南は槍ケ岳へと稜線がのび、縦走路の重要な分岐点である。  山の名前は、信州・美濃・越中の三国の境であり(三俣)、大きく広がった姿が蓮の花のよう(蓮華)ということからと...

野口五郎岳の写真

写真提供:大町市観光協会

野口五郎岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市との県境にあり、北アルプスのほぼ中央に位置する。標高2,924mで本格的な登山を楽しむことができる山である。北方の白馬三山から続く尾根上にある。この稜線は南の三俣蓮華岳方面まで続き、そこで槍ヶ岳方面と薬師岳方面の稜線に分かれている。  高瀬ダムから烏帽子岳、野口五郎岳経由で槍ヶ岳までの登山ルート...

鋸岳の写真

鋸岳 ( 長野県 伊那市 / 山梨県 北杜市 )

長野県伊那市と山梨県北杜市の県境にあり、甲斐駒ヶ岳の北西に連なる鋸岳。標高は最高峰第一高点が2,685mであるが、小ギャップ・鹿窓・大ギャップ、第二高点、などなど鋸十峰が続き、名前のごとく鋸状のピークが形成されている。  甲斐駒ヶ岳の支脈としての認識が強いこと、また登山の難易度や崩壊の危険性が高いことから、この鋸歯状の山...

御嶽山の写真

御嶽山 ( 長野県 木曽町 / 長野県 王滝村 )

乗鞍火山帯の南端、長野・岐阜の県境にそびえる独立峰の活火山である。北アルプスに含まれてはいるが、独立峰として我が国最大級の山頂の広がり、裾野を持っている。最高峰の剣ヶ峰を中心に、継子(ままこ)岳・摩利支天(まりしてん)・継母(ままはは)岳が並び、一ノ池、二ノ池、火口原である賽の河原、さらに北へ三・四・五ノ池の噴火口...

カヤの平のブナ林の写真

写真提供:(一社)木島平村観光振興局

カヤの平のブナ林 ( 長野県 木島平村 )

上信越高原国立公園の中心志賀高原の北、高標山(たかびょうやま)東麓、標高約1,400~1,700mの広大で秘境的な高原にブナの原生林が広がる。山ノ内町の奥志賀から野沢温泉村に至る60km以上の奥志賀林道(北信州もみじわかばライン)が続いており、その途中にあるカヤノ平には、樹齢200年を超す大木のブナがうっそうと茂る。  カヤの平には...

野沢温泉の写真

野沢温泉 ( 長野県 野沢温泉村 )

奥信濃の名湯として知られる温泉。奈良時代、高僧の行基が発見したと伝えられており、江戸時代に飯山藩主が入湯して以来繁栄し、現在では湯治やスキーのできる温泉として親しまれている。毛無山(けなしやま)(1,650m)の山ふところに抱かれた標高600mの地にある。  あちこちから湯けむりを上げる共同浴場を中心に、民宿の看板をあげた民...

野沢温泉の道祖神祭りの写真

野沢温泉の道祖神祭り ( 長野県 野沢温泉村 )

野沢温泉村で古来行われてきた行事の道祖神*祭り。全国的には「どんど焼き」などの呼称で正月飾りや締め飾りなどを焼く行事として広く行われているが、ここ野沢温泉村の道祖神祭りは壮大な規模で行われる火祭り。  1月15日の夜に行われる祭りであるが、その準備は前年の9月から始まる。9月中旬には燃え草を集める作業、10月にはブナの木5...

針ノ木岳の写真

針ノ木岳 ( 長野県 大町市 / 富山県 立山町 )

後立山連峰*の南端にあり標高2,821m、重量感のある整ったピラミッド型の山容である。山頂の東にはかつて信州と越中を結んだ針ノ木道*が通る針ノ木峠があり、北面は大雪渓で東に蓮華岳がそびえている。  黒部湖を隔てて立山連峰や五色ケ原と対峙する。  登山ルートは扇沢から針ノ木雪渓を登り、針ノ木峠経由の東側ルートと、黒部湖から...

烏帽子岳の写真

烏帽子岳 ( 長野県 上田市 / 長野県 東御市 )

上田市、東御市の北東側にくっきりと見える、標高2,066mの双頭の山。浅間山から続く連峰の西側の最後部。緩やかな稜線の両端に二つの峰がとがっているので烏帽子*とよばれている。数万年前は湯ノ丸山とともに烏帽子火山群を成していた。そのためか、頂上北側は火口壁の名残でするどく切り立っている。  山頂からは北アルプスのパノラマ、...

黒斑山の写真

黒斑山 ( 長野県 小諸市 / 群馬県 嬬恋村 )

標高2,404mで浅間山第一外輪山の最高峰。山頂へは車坂峠から約2時間ほど。浅間山噴火警戒レベル2*以上の時は、この黒斑山に登頂することで浅間山に登頂したものとされる。しかし、近づいてみると浅間山の外輪山で、湯の平を間に挟み、まったくの別山の様相を見せる。  浅間山の絶好の展望台であり、西側の高峰山から湯の丸山方面の展望も...

前山寺の写真

前山寺 ( 長野県 上田市 )

上田市街の南西約8km、独鈷山麓にある。空海が開き、鎌倉時代に讃岐国善通寺からの長秀上人が発展させたと伝えられる。この地を治めていた塩田北条氏*の祈祷所でもあった。  境内には大イチョウを前景に、室町初期の三重塔が立っており国の重要文化財となっている。また、藤をはじめ数々の花の名所としても知られている。

北八ケ岳の写真

北八ケ岳 ( 長野県 佐久穂町 / 長野県 茅野市 / 長野県 小海町 / 群馬県 南牧村 )

八ヶ岳の硫黄岳の北にある夏沢峠から大河原峠までを北八ヶ岳とし、又は北八ヶ岳に蓼科山を加えて北八ヶ岳と呼ぶ場合もある。前者の範囲では南から根石岳、高峰の天狗岳をはじめ、中山・丸山・茶臼山(ちゃうすやま)・縞枯山(しまがれやま)・横岳*・大岳などであり、2,500m前後の山を連ねている。  南の八ケ岳が荒々しい男性的な岩山で...

屋根岩の写真

屋根岩 ( 長野県 川上村 )

川上村の南部に位置し、小川山(2,418m)の東側の標高1,906mの岩峰。小川山と尾根で続き「日本のヨセミテ」とも言われ、ロッククライミングの人気あるスポットのひとつ。周辺には金峰山(別掲)や国師ヶ岳(別掲)などの奥秩父の名峰がある。  山麓には金峰山の登山口があり、金峰山荘やキャンプ場までは自動車が入ることができる。

大王わさび農場の写真

大王わさび農場 ( 長野県 安曇野市 )

安曇野市には名水百選に選定されている「安曇野わさび田湧水群」があり、北アルプスからの雪解け水が伏流水となって豊富に湧き出しており、日量70万tもの湧水量で、真夏でも水温が15度を超えることはない。  こうした清らかで豊富な水は、ワサビ*栽培に用いられ、さらにワサビ田からの流出水を利用してニジマス養殖が行われている。  ...

華厳寺の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

華厳寺 ( 岐阜県 揖斐川町 )

岐阜市の中心街から北西20kmほどの山中にある。西国三十三所*第33番、結願の霊場で、「谷汲(たにぐみ)山」と呼ばれ親しまれている。798(延暦17)年に創建された古刹。  寺伝によると、奥州(福島県)会津の大口大領が京都から故郷に観音像を持ち帰る途中、観音像が自ら歩き出し谷汲の地で動かなくなったことから、この地を結縁の地として...

横蔵寺の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

横蔵寺 ( 岐阜県 揖斐川町 )

華厳寺の西方、西台山麓にある。最澄は、1本の霊木から2体の薬師如来を自ら刻み、1体を比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)に祀り、もう1体の安置場所を求めて諸国を巡った。平安時代801(延暦20)年にその薬師如来*を本尊として横蔵寺を創建したと伝えられる。鎌倉時代には38坊、300余の末寺となり栄えた。室町時代には兵火や災害によって衰...

谷汲踊の写真

写真提供:揖斐川町

谷汲踊 ( 岐阜県 揖斐川町 )

長さ4mの竹製で鳳凰の羽根を形取った「シナイ」を背負い、胸先に直径70cmの大太鼓を抱えた12人が1組となって踊る。揖斐川上流の各地に伝わる「太鼓踊り」の一つである。  シナイは4m程の竹を細く割り裂いて広げ、扇状に束ねて作り、竹の1本1本に金銀五色の紙を飾り、華やかな模様になっている。鉦鼓(しょうこ)、ホラ貝、横笛、拍子木、唄・...

根尾谷淡墨ザクラの写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

根尾谷淡墨ザクラ ( 岐阜県 本巣市 )

樽見鉄道樽見駅から徒歩約15分の淡墨公園にある。地元では、継体(けいたい)天皇お手植え*と伝わり、樹齢1500余年といわれるエドヒガンザクラで、高さ17.3m、幹囲9.4m、枝張り東西22.4m、南北24.2m。幹からは東・北・西南にそれぞれ大枝が出ており、幹基部には各所に大きなこぶがある。  淡いピンクのつぼみが、満開になれば白に、そして...

伊吹山の写真

写真提供:日本自動車道株式会社(伊吹山ドライブウェイ)

伊吹山 ( 岐阜県 関ケ原町 / 滋賀県 米原市 )

標高は1,377m、岐阜・滋賀の県境にそびえる山で、伊吹山地の南端を占める。古事記や日本書記に記され、日本武尊(やまとたけるのみこと)*の伝説がある。平安時代から修験者が集まる山岳修行の山でもあった。深田久弥選定の日本百名山の一つ。  全山石灰岩*からなり、大部分が小潅木を交えた草原、さらに伊吹百草の名があるほどの薬草の...

美濃町の町並みの写真

写真提供:(一社)美濃市観光協会

美濃町の町並み ( 岐阜県 美濃市 )

岐阜市から長良川を20kmほど上流の県南部中央に位置し、美濃紙*の本場として知られる。市域中央で長良川と支流板取川が合流し、その合流点の南に中心市街が開ける。古くは上有知(こうずち)と呼ばれた地で、江戸時代初期に高山の町並みを作り上げた金森氏*が築き、小倉山城*の城下町として発達した。往時は長良川の水運を利用した、紙や...

飛騨古川の瀬戸川と白壁土蔵街の写真

飛騨古川の瀬戸川と白壁土蔵街 ( 岐阜県 飛騨市 )

飛騨市古川町は、高山市の北西(JR高山線で3駅北)に位置し、町中心地で宮川と荒城川(あらきがわ)が合流している。  天正年間(1573~1592年)に飛騨を平定した金森氏により、増島城の城下町として、碁盤目に区割りされ整えられた。その際、新田開発の用水として整備された瀬戸川は、武家屋敷と商人町を分けることにもなり、武家屋敷があ...

古川祭の写真

写真提供:(一社)飛騨市観光協会

古川祭 ( 岐阜県 飛騨市 )

毎年4月19・20日に催される気多若宮(けたわかみや)神社の例祭で江戸時代から続く。  祭の由来は、年に一度、この地の氏神(うじがみ)様が高い所にある山の神社から古川町内へ降臨され、氏子(うじこ)である町人がそれを迎える行祭事である。最初は神事のみだったが、「神輿(氏神様)行列」が加わり、更に、まつりの始まりを知らせる目...

久田見まつりの写真

写真提供:八百津町

久田見まつり ( 岐阜県 八百津町 )

岐阜県の中南部に位置する八百津町久田見地区の神明(しんめい)神社と白髭(しらひげ)神社の祭礼として、4月第3日曜日に行われる。1590(天正18)年、稲葉右近方通がこの地を領地とするようになって、振獅子・神馬廻とともに、山車を曳く祭礼が始められたと伝わる。  彫刻を漆や金箔で飾った高さ4~5mの6両の山車が行列を組んで進む。両...

白川郷合掌造り集落の写真

白川郷合掌造り集落 ( 岐阜県 白川村 )

白川郷の中心である荻町(おぎまち)地区は、山あいを縫うように流れる庄川によって形成された三日月形の河岸段丘の平地にある。急勾配の茅葺き屋根の家屋や小屋が約1kmにわたり点在し、家屋周辺には水田や畑、水路が広がっている。  江戸時代末期(1830~1867年)の建築と伝わる「和田家(わだけ)」や、5階建ての庫裡(くり)がある「明...

どぶろく祭の写真

どぶろく祭 ( 岐阜県 白川村 )

稲刈りを終えて紅葉に彩られた頃、10月14日から19日にかけて、五穀豊穰・家内安全を願い、山の神様にどぶろくが奉納される祭礼。和銅(わどう)年間(708~715年)に始まったと伝わり、長い年月の間に変遷しながら受け継がれてきた。  神社では、もろみを漉さない濁り酒である「どぶろく」の製造免許を取得している。どぶろくは、真冬の1月...

白水滝の写真

写真提供:白川村

白水滝 ( 岐阜県 白川村 )

白山国立公園内で白山平瀬登山口の近くにあり、庄川の支流大白川に注ぐ滝。大白川の水は硫黄分を含み、時には白く濁って流れる。落ちる瀑布が乳白色に見えることから「白水滝」と呼ばれる。原生林に囲まれた絶壁から水が落差約70m、幅8mで流れ落ち、水煙あげて爆音をとどろかせている。  その成り立ちは、約2200年前、西側に聳える白山の噴...

馬籠宿の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

馬籠宿 ( 岐阜県 中津川市 )

江戸日本橋と京都三条大橋を結んだ中山道(なかせんどう)六十九次の43番目の宿場町。その中で木曽川に沿い、険しい峠を越え深い谷を抜け、山あいをめぐる区間を中山道・木曽路十一宿と称し、北は長野県塩尻市の贄川(にえかわ)宿から、妻籠(つまご)宿を経ていちばん南が馬籠宿である。  馬籠峠からつづく斜面にのったところで、ひと筋...

苗木城跡の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

苗木城跡 ( 岐阜県 中津川市 )

中津川市のほぼ中央、中津川ICから約10分に位置し、恵那峡の東端で木曽川の北岸、通称城山と呼ばれる標高432mの高森山に築かれた山城。  戦国時代大永年間(1521~1528年)に苗木の領主遠山氏によって築城された。その後、戦国の動乱の中で遠山氏は苗木城を追われたが、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いに先立ち遠山友政が城を取り戻した。...

大垣祭の軕行事の写真

写真提供:大垣市

大垣祭の軕行事 ( 岐阜県 大垣市 )

JR東海道本線、樽見鉄道樽見線、養老鉄道養老線の大垣駅から徒歩10分にある大垣八幡神社の例祭で、5月15日直前の土曜日と日曜日に行われる山車(だし)行事である。  江戸時代1648(慶安元)年、八幡神社が大垣藩主戸田氏鉄(とだうじかね)により再建整備された折、大垣10か町が10両の軕(出しもの)を造り、曳き出したのが始まりとされる...

永保寺の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

永保寺 ( 岐阜県 多治見市 )

JR中央本線・太多線多治見駅の北東、土岐川に面した虎渓山(こけいざん)*北麓の緑に囲まれた古刹。鎌倉時代1313(正和2)年、夢窓疎石(むそうそせき)*が元翁本元(げんおうほうげん)*を伴い諸国行脚の途中、中国江西省の廬山(ろざん)の渓谷・虎渓*に似ていると、この地の自然風景を愛でて庵を建てた。翌年に本元を開基として寺を開...

南宮大社の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟(南宮大社寄贈)

南宮大社 ( 岐阜県 垂井町 )

JR東海道本線垂井駅から南へ約1.5km。南宮山の北東麓にあり、美濃国一の宮として、古くから広く崇敬されてきた。  社伝によれば、神武(じんむ)天皇が「東征」した折、八咫烏(やたがらす)を輔(たす)けて力を顕した金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)が祭神として祀られ、後に崇神(すじん)天皇(紀元前97年~30年)の代に現在地に...

笠ヶ岳の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

笠ヶ岳 ( 岐阜県 高山市 )

新穂高温泉の北西にそびえる独立峰。標高は2,898mで、県境を接しない山としては岐阜県内の最高峰である。どこから見ても笠を伏せたような姿をしている。古くから信仰の対象とされた山で、江戸時代に円空(えんくう)上人(1632~1695年)が開山し、文政年間(1818~1829年)には播隆(ばんりゅう)上人が、山頂に阿弥陀(あみだ)仏を奉納し...

飛騨大鍾乳洞の写真

写真提供:飛騨大鍾乳洞観光

飛騨大鍾乳洞 ( 岐阜県 高山市 )

国道158号線で高山市街から奥飛騨温泉郷へのおよそ中間のところにあり、標高約900mに位置する。洞内の温度は、年間を通じて8度から12度である。  鍾乳洞のある飛騨地方は、2億5千万年前には海だった。海中でサンゴやフズリナ(紡錘虫)などの死骸が固まって、石灰石ができた。 その後、石灰岩のできた場所が地殻変動により隆起した。隆起...

高山陣屋の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

高山陣屋 ( 岐阜県 高山市 )

高山駅から700m程にある。江戸時代1692(元禄5)年に飛騨が幕府直轄領となり、その出先機関として高山城主だった金森氏の下屋敷を陣屋としたもの。明治維新まで25代の代官・郡代が江戸から派遣され、飛騨の行政・財政・警察などの政務を行った。御役所・郡代役宅・御蔵等を併せて「高山陣屋」と称する。  陣屋設置以来、江戸時代1725(享保...

安国寺の写真

写真提供:安国寺

安国寺 ( 岐阜県 高山市 )

飛騨国府駅の北東3kmにある。足利尊氏・直義兄弟が、南北朝内乱における戦没者や後醍醐天皇の冥福を祈るため、国ごとに安国寺と利生塔を設置した。飛騨では南北朝時代の1347(貞和3)年に、この地に以前よりあった少林寺の寺号を安国寺と改め創建された。開山は瑞巌(ずいがん)和尚である。  創建当時の本堂は永禄年間(1558~1570年)に...

飛騨国分寺の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

飛騨国分寺 ( 岐阜県 高山市 )

JR高山駅の北東300mに位置する。飛騨国の国府が高山に移った奈良時代(710~794年)に、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺のひとつで、746(天平18)年に創建された古刹である。本堂に、本尊の薬師如来坐像、旧国分尼寺の本尊であった聖観世音菩薩像*を安置する。  室町時代(1333~1573年)中期に再建された本堂は、正面5間、側...

高山三町の町並みの写真

高山三町の町並み ( 岐阜県 高山市 )

市の中心部を流れる宮川(みやがわ)の東、南北に連なる三本の通りを総称して「三町(さんまち)」という。三町は、さらに安川通りを境に上町と下町に分かれていて、南側が上一之町(かみいちのまち)から上三之町(かみさんのまち)、北側が下一之町(しもいちのまち)から下三之町(しもさんのまち)である。江戸時代末期から明治時代*に...

高山の朝市の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

高山の朝市 ( 岐阜県 高山市 )

米市や塩市は、金森氏による統治(1586~1692年)の頃や、天領になった江戸時代1692(元禄5)年以降も開かれていた。 養蚕(ようさん)用に桑の葉を売る桑市が、1820(文政3)年頃には高山別院前で行われ、その後も弥生橋詰、中橋と場所を変えながら開かれた。1894(明治27)年頃からは、養蚕業の不振もあり「桑市」から、農家の奥さん達に...

高山祭の写真

高山祭 ( 岐阜県 高山市 )

春の「山王祭(さんのうまつり)」と秋の「八幡祭(はちまんまつり)」、二つの祭りをさす総称。  高山祭が始まったのは、金森長近が飛騨を平定し統治していた1586(天正14)年から1692(元禄5)年の間といわれる。以後、江戸幕府直轄地(天領)になり、1718(享保3)年頃に祭用の山車(だし)である「屋台(やたい)」が登場。更に、形や...

飛騨民俗村 飛騨の里の写真

写真提供:飛騨民俗村 飛騨の里

飛騨民俗村 飛騨の里 ( 岐阜県 高山市 )

高山市街の南西、松倉山麓にあり、有料施設の飛騨の里と、山岳資料館*がある無料施設の民俗村を合わせた施設である。飛騨地方各地に点在していた古い民家を移築・復元し、農山村の生産・生活用具などと共に紹介した野外集落博物館。  飛騨民俗村(旧民俗館)は、御母衣(みぼろ)ダム建設により水没してしまう若山家住宅を移築・公開した1...

奥飛騨温泉郷の写真

写真提供:(一社)奥飛騨温泉郷観光協会

奥飛騨温泉郷 ( 岐阜県 高山市 )

日本列島の中央部で3000m級の飛騨山脈(北アルプス)の麓に、こんこんと湧き出る湯量豊富な温泉が点在する。乗鞍岳(のりくらだけ)から流れ出す高原(たかはら)川に、上流から平湯(ひらゆ)温泉・福地(ふくじ)温泉・新(しん)平湯温泉が、穂高(ほたか)連峰から流れ出す蒲田(がまだ)川に沿って、新穂高(しんほたか)温泉・栃尾(と...

飛騨の朴葉みそ料理の写真

飛騨の朴葉みそ料理 ( 岐阜県 高山市 )

乾燥させた朴(ほお)の葉の上に味噌をのせ、ネギ、シイタケ、漬物など好みの具と一緒に、ゆっくり焼きながら食べる飛騨地方の郷土料理。朴葉の風味が味噌などにしみこんだ素朴な味わいである。ご飯のおかずに合うほか、酒の肴にも良い。  元々は寒さの厳しい飛騨で、囲炉裏(いろり)の炭火に金網をのせ、朴葉を敷き、凍った漬物や土に埋...

岩村城の写真

写真提供:岩村町観光協会

岩村城 ( 岐阜県 恵那市 )

恵那市の南、標高717mの城山頂上に築かれた山城で、麓の岩村藩藩主邸跡からの高低差が180mもある。  1185(文治元)年に源頼朝の家臣、加藤景廉(かとうかげかど)により建てられたと伝わる。以後、景廉を祖とする美濃の遠山氏が代々居城とした。美濃・信濃・三河国境に位置していたので、戦国時代は武田信玄・勝頼と織田信長との攻防によ...

恵那市岩村町本通りの町並みの写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

恵那市岩村町本通りの町並み ( 岐阜県 恵那市 )

岩村町は恵那市の南部に位置し、岩村城の城下町として発展してきた。周囲が山々で囲まれて標高は500~600mと比較的高い。全長約1.3kmにおよぶ本通りが、緑や川の周辺環境と一体となった歴史の町並みとして、1998(平成10)年に「重要伝統的建造物群保存地区」として選定された。  岩村城方面から、江戸時代の切妻造・平入り二階建ての町家...

いとしろ大杉の写真

いとしろ大杉 ( 岐阜県 郡上市 )

東海北陸自動車道の白鳥ICから約60分。郡上市白鳥(しろとり)町石徹白地区の白山中居(はくさんちゅうきょ)神社の北、福井県・石川県との県境近くの白山登山道登り口にあり、推定樹齢1800年以上、高さ25m、幹周14mを誇る巨木である。大人12人が手をつないでやっと囲めることから、別名を「12抱えの大杉」とも呼ばれている。大杉は標高1,00...

郡上八幡城の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

郡上八幡城 ( 岐阜県 郡上市 )

郡上市八幡町の市街の北、標高354mの八幡山上にある。南に吉田川、西に小駄良(こだら)川を擁した要害の地。城は1559(永禄2)年遠藤盛数(えんどうもりかず)*によって砦として築かれ、1588(天正16)年に二ノ丸・三ノ丸などを備えた平山城に改修された。城主はその後、稲葉・井上・金森・青山の各氏と代わり、明治維新に至った。  古色...

水とおどりの城下町郡上八幡の写真

水とおどりの城下町郡上八幡 ( 岐阜県 郡上市 )

郡上市は岐阜県のほぼ中部で長良川上流に位置する。その中心市街地の八幡町は、古くから飛騨・美濃・越前を結ぶ交通の要衝であり、郡上八幡城の城下町である。三方を山に囲まれた盆地で、町の中央には吉田川と小駄良(こだら)川が流れる。雨は周辺の山々や南東部の石灰岩層の割れ目から地下浸透し、伏流水として湧き水や井戸の水源となる。...

郡上おどりの写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

郡上おどり ( 岐阜県 郡上市 )

「郡上の八幡出てゆくときは、雨も降らぬに袖しぼる」(踊り曲「かわさき」の一節)哀調を帯びた盆踊り歌が街を流れる。郡上八幡の夏は踊りで始まり、踊りで終わるといえる。7月中旬の発祥祭(はっしょうさい)から9月上旬の踊り納めまで、日替わりで広場や神社境内、町内の道路を会場にして約30夜にわたって踊り続けられる。なかでも盂蘭盆会...

大滝鍾乳洞の写真

写真提供:大滝鍾乳洞

大滝鍾乳洞 ( 岐阜県 郡上市 )

郡上市南東部は、古生代の石灰岩層に生じた断層が地下水によって溶解、拡大され生成された鍾乳洞が点在している。  大滝鍾乳洞は、郡上八幡から山ひとつへだてた安久田(あくた)にあり、東西270m、南北40m、高度差100m、総全長約2km(公開通路700m)の鍾乳洞である。  鍾乳洞は、空気中の二酸化炭素を溶かしこんだ雨水が、石灰岩の主成...

長滝白山神社の写真

長滝白山神社 ( 岐阜県 郡上市 )

東海北陸自動車道の白鳥ICから約10分、長良川鉄道越美南線白山長滝駅から徒歩約1分の郡上市白鳥町長滝にある。  奈良時代717(養老元)年、越前の高僧泰澄(たいちょう)*の創建と伝わり、のち神仏習合によって白山中宮長滝寺と称された。平安時代832(天長9)年、白山に登拝する美濃禅定道(ぜんじょうどう)*の美濃馬場(みのばんば)...

岐阜城の写真

写真提供:岐阜市

岐阜城 ( 岐阜県 岐阜市 )

清流長良川をのぞむ金華山頂(標高329m)にあり、急峻な崖にまもられた山城。鎌倉時代に二階堂行政(にかいどうゆきまさ)*が砦を築いたのが始まりとされる。  古くは稲葉山城とよばれ、1539(天文8)年頃斎藤道三*によって近世的城郭に改修された。1567(永禄10)年*織田信長が攻略して岐阜城と改め完成させ、天下布武の足掛りとした...

ぎふ長良川の鵜飼の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

ぎふ長良川の鵜飼 ( 岐阜県 岐阜市 )

長良川が夕闇に閉ざされるころ、かがり火を赤々と水面に映して、鵜舟が川を下ってくる。鵜舟は長さ約16mの大型のもので、鵜匠一人、中乗りと艫(とも)乗りの船頭二人が乗り込む。鵜匠は舳先で手縄を付けた10~12羽の鵜を巧みに操り、鵜を引き上げて呑んだ魚を吐かせる。中乗りは捕獲した魚や器具を扱い、艫乗りは船尾で棹をとる。舳先ではか...

関の刃物の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

関の刃物 ( 岐阜県 関市 )

岐阜県の中央部(中濃地方)に位置し、岐阜市に隣接する関市では、13世紀前半の鎌倉時代に、現在の九州地方もしくは鳥取県から関に移り住んできて刀を打ち始めた鍛冶(かじ)の「元重(もとしげ)*」を元祖として、刀作りが始まったと伝わる。京都と鎌倉を結ぶ東西交通の要所として栄えていたこの地は、刀作りに必要な良質の土と松炭、長良...

関ケ原古戦場の写真

写真提供:(一社)関ケ原観光協会

関ケ原古戦場 ( 岐阜県 関ケ原町 )

現在、古戦場一帯はのどかな田園風景が広がり、山上や林の陰・田の中に石碑が立ち、武将の陣旗がはためき、合戦を偲ばせる。関ケ原の戦い*は、天下分け目の合戦とも言われるほど、歴史上でも重要な戦いである。  JR関ケ原駅の北約900mに古戦場を一望できる「丸山」(岡山烽火場、黒田長政・竹中重門陣跡)があり、山頂から南を見ると細長...

千本松原の写真

千本松原 ( 岐阜県 海津市 )

木曽川・長良川・揖斐川の3河川は、濃尾平野を貫流した後、下流の河口部ではほとんど同一地点に集まって海に注いでいる。これらの3つの川を総称して「木曽三川(きそさんせん)」という。  古くから木曽三川は、下流部で合流・分流を繰り返し、大雨が降ると川から水があふれ出し大きな水害を起こしていた。これを防ぐため、木曽・長良川と...

濁河温泉の写真

写真提供:飛騨小坂観光協会

濁河温泉 ( 岐阜県 下呂市 )

標高3,067mの御嶽山(おんたけさん)西腹6合目(標高1,800m)に位置し、濁河川上流の「湯の谷」渓谷を臨み、野鳥がさえずる原生林に囲まれた温泉地。標高1,800mと日本でも有数の高地に沸いている温泉で、湯温50度以上で源泉かけ流し、泉質は炭酸水素塩泉(ナトリウム・マグネシウム・カルシウム一硫酸塩)。  かつては徒歩で1日がかりで登...

美濃焼の写真

写真提供:(一社)岐阜県観光連盟

美濃焼 ( 岐阜県 多治見市 / 岐阜県 土岐市 / 岐阜県 瑞浪市 / 岐阜県 可児市 )

美濃の南東部(主に多治見市・土岐市・瑞浪市・可児市)で焼かれたやきものを「美濃焼」という。この地域は窯業に適した地形と、原料の陶土や燃料の薪に恵まれていた。日本六古窯(ろっこよう)*の愛知県瀬戸市とは隣接した地域で、地中の粘土層は同質である。  奈良時代には、「須恵器(すえき)」という釉薬(うわぐすり)を施さない灰...

牧之原の茶畑の写真

写真提供:島田市

牧之原の茶畑 ( 静岡県 島田市 / 静岡県 牧之原市 / 静岡県 菊川市 )

牧之原は静岡県の中南部、標高100~200mの広大な台地で、延々と茶畑がつづく日本一の茶どころである。島田市金谷地区を軸としてヤツデの葉のような地形が遠州灘に向かって広がり、最南の御前崎までは28kmほどある。年間平均気温14.3℃、雨量も比較的多いという気象条件は茶の栽培に適し、現在、台地全体での茶畑は5千万m2にも及び...

白糸の滝の写真

写真提供:富士宮市観光課

白糸の滝 ( 静岡県 富士宮市 )

JR身延線富士宮駅の北約11km、芝川の上流で、国道139号沿いにある。高さ20m、幅150mの湾曲した絶壁の全面に大小数百の滝が幾筋もの絹糸をたらしたように落ちる優美な滝で、古くからの景勝の地*1であった。水を通さない古富士火山層の上に、水をよく通す新富士火山層の段層があり、その間を富士山の雪どけ水が通り、この地で噴き出したもの。 ...

狩宿の下馬ザクラの写真

狩宿の下馬ザクラ ( 静岡県 富士宮市 )

JR身延線富士宮駅の北9km、国道139号から西に入った、井出館*1の門前にある。富士山の南面の裾野に自生する樹齢800年余りの赤芽白花山桜(アカメシロハナヤマザクラ)*2で、シロハナヤマザクラの変種の巨木。若葉は赤色、花は初め淡紅色、後に白色となる。  源頼朝が富士巻狩*3のとき馬を繋いだと伝えられ、頼朝下馬桜、駒止桜、駒繋桜等の...

富士山本宮浅間大社の写真

富士山本宮浅間大社 ( 静岡県 富士宮市 )

JR身延線富士宮駅の北西500m、市街中心にある。古くから駿河一ノ宮として名高く、全国の浅間神社の総本宮である。富士の山霊を鎮めるために祀られたもので、社記によれば806(大同元)年に社殿*1が造営されたといわれている。富士山表口登山道の入口にあって、富士山信仰の隆盛とともに勢力を誇った。富士山山頂に奥宮*2が祀られている。  ...

大石寺の写真

大石寺 ( 静岡県 富士宮市 )

JR身延線富士宮駅の北約7km、国道139号から西に入ったところにある。富士五山*1の一つで、日蓮正宗の総本山である。日蓮の直弟子である日興*2が身延山を離れ、1290(正応3)年に創建した寺。富士門流の大石寺は、1900(明治33)年日蓮宗富士派として独立し、その後、改名して日蓮正宗となった。  古くからの信徒組織は法華講と呼ばれている...

浜名湖の写真

写真提供:公益財団法人 浜松・浜名湖ツーリズムビューロー

浜名湖 ( 静岡県 浜松市 / 静岡県 湖西市 )

静岡県南西端に位置し、湖面面積約65km2、周囲114kmで全国10番目の大きさの湖である。古くから「遠淡海(とおつおうみ)」と呼ばれる景勝地*1として知られていた。陸地内部の浸食谷が沈降し海水が浸入したのち、湾口を天竜川の漂砂による砂州でふさがれて湖となった海跡湖である。遠州灘とつなぐ現在の今切の水道は、1498(明応7...

奥山方広寺の写真

奥山方広寺 ( 静岡県 浜松市 )

天竜浜名湖鉄道気賀駅より北へ約8km、臨済宗方広寺*1派の大本山。1371(応安4)年、当地を支配していた奥山六郎次郎朝藤が後醍醐天皇の皇子無文(むもん)禅師を招き、土地、建物を寄進し創建*2した。このため、同寺の開基は奥山六郎次郎朝藤とし、開山を無文禅師としている。本尊は木造釈迦如来及両脇侍坐像*3。同寺の鎮守である半僧坊大権...

秋葉山本宮秋葉神社の写真

秋葉山本宮秋葉神社 ( 静岡県 浜松市 )

浜松市の中心街から北へ約30km、南アルプスの南端、標高866mの秋葉山山頂に鎮座し、秋葉山を御神体として火之迦具土大神(ひのかぐづちのおおかみ 別称:火産霊神)を祀る。社伝によれば、秋葉の火の神の社として709(和銅2)年の創建*1と伝えられる。中世両部神道*2の影響を受け、秋葉大権現と称し、火防の神の総本宮として名高い。とくに...

龍潭寺の写真

龍潭寺 ( 静岡県 浜松市 )

天竜浜名湖鉄道金指駅から北西へ約2.5kmにある井伊家*1のゆかりの古刹。臨済宗妙心寺派。  寺伝には行基の開山と伝えられており、古くから地蔵寺と称し信仰の場となっていた。中世には井伊家の祖、井伊共保(1010~1093年)の法名にちなみ自浄院と号し井伊家の菩提寺になったという。また、江戸中期の「遠江国風土記伝」では、宗良親王*2の...

浜松凧あげの写真

写真提供:公益財団法人 浜松・浜名湖ツーリズムビューロー

浜松凧あげ ( 静岡県 浜松市 )

例年5月3~5日の3日間、浜松まつりの中心行事として中田島凧揚げ会場で行われる。大凧揚げの起源*1は定かではないが、遠州地方は季節風の「遠州の空っ風」や遠州灘からの風もあり古くから凧あげが盛んで、各家の長男が誕生すると、最初の端午の節句に縁戚者から祝い凧が贈られ、村の若衆によって揚げられる風習があったという。明治中期に至...

はままつフラワーパークの写真

写真提供:はままつフラワーパーク

はままつフラワーパーク ( 静岡県 浜松市 )

浜松市制60周年を記念して1970(昭和45)年に開園された植物公園。JR東海道本線・東海道新幹線浜松駅から北西に約13km、浜名湖東岸、庄内半島の付け根にあり、舘山寺温泉にも近い。浜名湖畔の自然の地形や樹木を生かした造園で、面積は31.9万m2に及ぶ。  園内には「桜とチューリップの庭園」をはじめ、噴水池を囲む幾何学模様の...

MOA美術館の写真

写真提供:MOA美術館

MOA美術館 ( 静岡県 熱海市 )

JR東海道本線・東海道新幹線熱海駅の北約2kmの丘陵地に建つ。1957(昭和32)年に開館した熱海美術館を前身としている。  1982(昭和57)年、創立者岡田茂吉*1の生誕100年を記念して、日本美術を中心とした美術品の展示、能や茶の湯などの推進、日本文化の情報発信などを目的とし、地上3階、地下1階、延べ床面積1万7,000m2の近代...

熱海温泉の写真

熱海温泉 ( 静岡県 熱海市 )

丘陵の中腹にあるJR東海道本線・東海道新幹線熱海駅から、相模湾に向いた傾斜地や海岸沿いの平坦地に、旅館やホテル、土産物店や飲食店などが所狭しと建ち並ぶ。熱海駅から海岸沿いの左手には、熱海温泉に隣接して「走り湯」で知られる伊豆山温泉*1もある。                                       ...

伊豆山神社の写真

伊豆山神社 ( 静岡県 熱海市 )

JR東海道本線・東海道新幹線熱海駅の東北約1.5㎞、小高い山の中腹にあり、境内は歌枕にもなった伊豆の御山「こごい(古々比)の森」*¹の一部で約13万2千㎡の広さがある。本殿は、「伊豆山神社前」バス停近く逢初橋の北側から石段の参道を登った鬱蒼とした巨木のなか標高170mのところに建ち、前面には相模湾が広がる。本殿は度重なる火災など...

熱海梅園の写真

写真提供:熱海市

熱海梅園 ( 静岡県 熱海市 )

JR東海道本線・東海道新幹線熱海駅から西へ約2km、丹那トンネル熱海口近くのゆるやかな山間に位置し、広さは44,000m2。1886(明治19)年、横浜の豪商茂木惣兵衛の出資により造られた歴史ある梅園で、現在は熱海市が管理している。  初川の渓流をはさんで、樹齢100年を越える古木を含め、60品種・469本の梅が咲き誇り、そのなか...

南伊豆の海岸(石廊崎~波勝崎)の写真

南伊豆の海岸(石廊崎~波勝崎) ( 静岡県 南伊豆町 )

伊豆急行線伊豆急下田駅から国道136号線、県道16号を経て南西へ18kmほどのところに石廊崎がある。その石廊崎から波勝崎までの海岸線は、多数の岩脈の上に海底火山から噴出した溶岩や火山灰などの火山性堆積物が地層を形成し、さらには陸上側の火山が載る形となっているため、複雑多様な地質・地形となっている。それを太平洋の波浪が浸食した...

天城山の写真

天城山 ( 静岡県 東伊豆町 / 静岡県 伊豆市 / 静岡県 伊東市 / 静岡県 河津町 )

伊豆半島の中央部に位置する富士火山帯の連山で、伊豆半島を北の口伊豆(北伊豆)と南の奥伊豆(南伊豆)に分ける。噴出した溶岩流や火山灰が堆積してできたいわゆる成層火山で、火口は東南側が欠けた直径6.5kmの爆発カルデラをなし、外輪山は最高峰の万三郎岳(1,406m)、その東の万二郎岳(1,300m)、箒木山(1,024m)、南の三筋山(822m)...

稲取温泉の写真

稲取温泉 ( 静岡県 東伊豆町 )

伊豆急行線伊豆稲取駅の南、相模湾にせり出す稲取岬に1956(昭和31)年に湧出した温泉。伊東と下田のほぼ中間にあたり、伊豆最大の漁港である稲取港*1を中心に、古くから伊豆東海岸の交通・経済の要地として栄えた。  1961(昭和36)年に伊豆急行線が開通し、首都圏などからの交通の便が改善されると、一挙に温泉地としても知られるように...

智満寺の写真

智満寺 ( 静岡県 島田市 )

JR東海道本線島田駅の北約10km、標高478mの千葉山中腹にあり、奈良時代末の創建*1といわれる古刹。宗派は天台宗。  鬱蒼とした杉木立に埋もれて、天正年間(1573~1593年)に徳川家康が再建造営した仁王門・中門・本堂・薬師堂などが点在している。なかでも1589(天正17)年に建立された本堂は、間口・奥行き5間、木割(原木から切り出した...

大井川鐵道のSL列車の写真

写真提供:大井川鐵道

大井川鐵道のSL列車 ( 静岡県 島田市 )

大井川鐵道*1は、JR東海道本線と接続する金谷駅から井川線への接続駅となる千頭駅までの本線39.5kmと、千頭駅から井川駅までの井川線*2(南アルプスあぷとライン)25.5kmの2路線を運行している。  SLは、始発の金谷駅から一つ先の新金谷駅と本線の終点千頭駅間で、年間を通して多くの日に運行されている。同社が運行しているSLは、C11形が2...

蓬莱橋の写真

蓬莱橋 ( 静岡県 島田市 )

JR東海道本線島田駅から南東に約1.5km、大井川にかかる蓬莱橋は、全長897.4m、通行幅2.4mの木造歩道橋。  江戸幕府最後の将軍徳川慶喜が1869年(明治2)年に静岡へ移住した際、付き従ってきた旧幕臣たちが大井川右岸の牧之原に茶畑を開拓するために入植した。この橋は、その旧幕臣たちが島田の市街との往来を確保するために、1879(明治12...

可睡斎の写真

可睡斎 ( 静岡県 袋井市 )

JR東海道本線袋井駅の北約4kmにある曹洞宗の巨刹。輪蔵や山門が建つ本堂前広場を本堂、禅堂、書院などがコの字状に囲み、その東側に萬松閣、瑞龍閣などが並ぶ。広い境内には古松・老杉が茂る。ただ、江戸期から明治初期にかけ、たびたび火災などに遭い、現在の堂宇は明治以降に再建されたものである。  同寺は、1401(応永8)年に道元禅師7...

法多山尊永寺の写真

写真提供:法多山尊永寺

法多山尊永寺 ( 静岡県 袋井市 )

JR東海道本線袋井駅から東南に約5km。寺号の尊永寺というより山号の「法多山」*1の名で古くから知られている。本尊は厄除観音として広く信仰されている。境内は広く、1640(寛永17)年建立の仁王門*2をくぐると右側に杉並木がつづく長い参道があり、その参道を抜けた先にある約250段の階段を上がった場所に1983(昭和58)年落慶の本堂が建ち、...

油山寺の写真

油山寺 ( 静岡県 袋井市 )

JR東海道本線袋井駅から北へ約6km入った山あいにある。山門を入ると正面の石段の上に書院、方丈があり、参道を左にとると三重塔*1・薬師堂*2がある山腹に至る。山腹に向かう途中は切通しや渓流、「るりの滝」があり、苔むした石段と鬱蒼とした杉の林がつづく。油山寺の名は、かつて「るりの滝」で油が湧出し「油の滝」とも称され、同山が「あ...

寸又峡の写真

寸又峡 ( 静岡県 川根本町 )

大井川の支流、寸又川の中流域に位置します。標高は約550m。寸又峡は寸又川が曲流しながら下方浸食作用を進め穿入蛇行(せんにゅうだこう)*1した峡谷。上流域では、深く刻まれ谷の両岸の絶壁から大小無数の滝が落ち込み、清流が奔流している。  電源開発も古くから行われ、寸又川に沿いダムが点在する。渓谷の奥には寸又峡温泉*2があり、...

日本平の写真

日本平 ( 静岡県 静岡市 )

静岡市の中南部、駿河湾に面する丘陵が標高 307mの有度山、その山頂付近が日本平公園となっている。公園は、富士山や清水港、三保松原の眺望で知られる。公園内の山頂付近にレストランやお土産ショップと展望施設の「日本平夢テラス」*1が建ち、山頂直下の平原ゾーンには大芝生広場、富士見の散策ガーデン、茶畑*2などが広がり、平原ゾーンの...

大井川の写真

大井川 ( 静岡県 静岡市 / 静岡県 島田市 / 静岡県 藤枝市 / 静岡県 大井川町 / 静岡県 吉田町 )

静岡・山梨・長野3県の県境にある南アルプス間ノ岳(3,189m)に源を発し、静岡県中部を縦断し駿河湾に注ぐ全長約168kmの川。 上流では切り立った深い峡谷を利用して、畑薙・井川など多くのダムが造られ電源開発がなされてきた。山岳景観に優れるとともに、接阻峡*1や寸又峡などの渓谷の景勝地も多い。  中流の川根地方は、大井川が「鵜山...

三保松原の写真

写真提供:公益財団法人するが企画観光局

三保松原 ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線清水駅から南へ約6kmの駒越を基点に、東北方向へ約5kmに及ぶ砂嘴*1が駿河湾に突出している。この砂嘴の内側には清水港を抱え、駿河湾に面した外側に白砂と松の緑が連なる浜があり、これが三保松原である。  松原の東北端の鎌ガ崎付近は海越しの富士山の眺望がよく、『万葉集』以来の歌枕*2として親しまれ、江戸時代には浮世絵*...

久能山東照宮の写真

久能山東照宮 ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から南東へ約7.5km、有度山の南に位置する久能山の山頂(標高216m)に鎮座する。東照宮へは、久能山山麓からは16折、1,159段の急な石段*1を登るか、あるいは日本平からのロープウェイを利用する。社殿をはじめ楼門・鼓楼・神楽殿・神庫・玉垣・渡廊などの建築物は、山頂付近の傾斜を利用して巧みに配置され...

静岡浅間神社の写真

静岡浅間神社 ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅の北西に約2km、静岡の名のもとになった賎機山(しずはたやま 標高171m)を背にして鎮座する。約4.5万m2の境内に、神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社・大歳御祖(おおとしみおや)神社の3本社*1と、麓山(はやま)神社・八千戈(やちほこ)神社・少彦名(すくなひこな)神社・玉鉾(たま...

駿府城跡(駿府城公園)の写真

駿府城跡(駿府城公園) ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅の北700mにある平城の城跡で、明治以降は石垣と堀を残すのみだったが、1989(平成元)年に静岡市市制100周年を記念して巽櫓*1が復元され、現在は駿府城公園として市民に親しまれている。  駿府城は今川氏*2・武田氏のあと駿府を治めた徳川家康*3が1585~1590(天正13~18)年に築いた城で、三河・駿河・遠...

丸子のとろろ汁の写真

写真提供:丁子屋

丸子のとろろ汁 ( 静岡県 静岡市 )

丸子の宿はJR東海道本線・東海道新幹線静岡駅の西南7km、国道1号に沿った地域で東海道五十三次の宿駅があったところ。鞠子とも書いた。とろろ汁の丸子として古くから*1知られ、『東海道中膝栗毛』*2の中では弥次さん、喜多さんが立ち寄り、歌川広重は『東海道五十三次』の画題として取り上げ、芭蕉の句*3にも詠み込まれている。  これらの...

臨済寺の写真

写真提供:臨済寺

臨済寺 ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から北へ約3km、静岡浅間神社からは約1kmの賎機山(しずはたやま)東麓にある。臨済宗妙心寺派。山門につづく境内は築地塀・石段・踏み石が直線的に整然と配され、禅寺にふさわしい厳粛な雰囲気が漂う。1536(天文5)年に今川義元*1が兄氏輝の菩提寺として、妙心寺の住持などを歴任した大休宗休に請い、開闢...

堂ヶ島海岸の写真

堂ヶ島海岸 ( 静岡県 西伊豆町 )

伊豆西海岸のほぼ中央、堂ヶ島の瀬浜から安城岬(あじょうみさき)にかけての2kmほどの海岸線。海上に白色の安山岩質凝灰岩からなる大小の波食群島を浮かべ、島には松が茂り、松島に似た風景を造っている。これらは海底に堆積した火山物質が、いったん隆起したのち沈降して多島海となったもので、島の表面に風波の浸食によって斜交層理と呼ば...

柿田川の湧水の写真

柿田川の湧水 ( 静岡県 清水町 )

JR東海道本線・東海道新幹線三島駅から南西に約2.5kmの場所に柿田川の湧水群がある。周囲は柿田川公園*1として整備されている。狩野川の支流柿田川は全長1.2kmで、富士山周辺に降った雨や雪が11000~8000年前の富士山噴火により流出した三島溶岩流の中を通り、この地で湧出した水源によって形成されている清流である。地質鉱物が学術上貴重で...

富士サファリパークの写真

写真提供:富士サファリパーク

富士サファリパーク ( 静岡県 裾野市 )

JR御殿場線御殿場駅から西へ約14km、富士山の南東麓、十里木高原の雄大な自然を生かした敷地面積74万m2にも及ぶ動物公園である。  一周4.5kmのサファリゾーンには、クマ・ライオン・トラ・チーター・ゾウ・一般草食動物・山岳草食動物の7つのゾーンが設けられており、マイカーまたはジャングルバス、ナビゲーションカーなどの車...

藤守の田遊びの写真

写真提供:焼津市

藤守の田遊び ( 静岡県 焼津市 )

JR東海道本線藤枝駅から南東に約7kmのところにある、大井八幡宮で例年3月17日に行われる民俗芸能。大井八幡宮*1は、延暦年間(782~806年)の創祀当初は川除と平安豊饒の祈願所だったといわれ、985(寛和元)年には山王権現の大井川宮として社殿も建立された。その後、大井川の川筋の変化もあり、1205(元久2)年に社殿が再建され、同時に大...

千本松原の写真

千本松原 ( 静岡県 沼津市 )

狩野川河口の西、千本浜公園から駿河湾に面し、緩やかな弧を描くように田子の浦港近くまで延長約15km、幅100~200mほど続くマツ林。クロマツを中心とした造林地で、本数は10数万本に及ぶともいわれている。千本浜公園へは東海道本線沼津駅から南約1.6km。また、同線片浜駅や東田子の浦駅からもマツ林や浜に近い。             ...

小國神社の写真

写真提供:小國神社

小國神社 ( 静岡県 森町 )

天竜浜名湖鉄道遠江一宮駅から北へ4km、森町の西南部、宮川を遡った比較的開けた谷あいにある。『延喜式』にその名はあり、遠江国一宮である。創祀*1は不詳だが、1680(延宝8)年の社記によれば、555(欽明天皇16)年に、現在の本殿より6kmほど北にある本宮峯(本宮山)*2に神霊を奉斎し、後に勅命により現在地に社殿が造営されたとしている...

三嶋大社の写真

三嶋大社 ( 静岡県 三島市 )

JR東海道本線・新幹線三島駅の南東約1km、木立に囲まれた広い神域をもつ。延喜式にもその名があるものの詳しい縁起は不詳*1であるが、古くから伊豆一宮として広く崇敬を集めた。源頼朝も源氏再興を祈願したといい、頼朝腰掛け石がある。鎌倉期以後、「三嶋大明神」として崇敬された。  本殿・幣殿・拝殿は、1854(嘉永7)年の東海地震で被...

三島のウナギの写真

写真提供:三島市

三島のウナギ ( 静岡県 三島市 )

三島は、富士山の伏流水、湧水や狩野川支流など豊富な良水に恵まれ、古くからウナギの棲息が確認されてきた。三嶋大社の境内の神池に大量のウナギが棲んでいたともいわれる。  江戸期の俳人上島鬼貫の『鬼貫句選』では、「眞砂はその白玉にうるほひ、御池は水の面青み立て、底おぼつかなくすごし。雜『 ちはやぶる苔のはへたる神鱣(ウナギ...

駒門風穴の写真

駒門風穴 ( 静岡県 御殿場市 )

JR御殿場線富士岡駅の西南約1kmにある。富士山東南麓にある、約1万年前に富士山頂の火口から噴出した三島溶岩流の中に形づくられた溶岩洞穴*1の一つ。富士山周辺で発見されている溶岩洞窟としては、もっとも古く規模が大きい。  内部は横穴で途中から2道に分かれ、本穴は243m、枝穴は105mで入口部分の天井高は20mほど、洞穴内でも3m以上の...

掛川城の写真

掛川城 ( 静岡県 掛川市 )

JR東海道本線・東海道新幹線掛川駅の北700mにある。もともとの城は、15世紀の終わりごろに今川家の重臣朝比奈泰熈によって、現在の掛川*1城跡から北東500mほどにある掛川古城に築かれたが、16世紀の初め頃*2、現在地に移り、築城した。   1569(永禄12)年に武田信玄に追われた今川氏真が朝比奈氏を頼り掛川城に立てこもったものの、包囲...

掛川大祭の写真

写真提供:掛川市

掛川大祭 ( 静岡県 掛川市 )

3年に1度*1、干支の丑、辰、未、戌にあたる年の10月上旬に4日間にわたり行われる。掛川市内にある7神社(龍尾神社、神明宮、利神社、池辺神社、白山神社、津島神社、貴船神社)の氏子41町が参加する合同祭礼大祭で、約40の山車と龍尾神社の神輿渡御の露払いを務める瓦町の獅子舞「かんからまち」*2、仁藤町の「大獅子」*3、掛川宿当時を偲ぶ...

三熊野神社大祭の写真

写真提供:掛川市

三熊野神社大祭 ( 静岡県 掛川市 )

JR東海道本線・東海道新幹線掛川駅から南へ約10km、江戸時代は横須賀藩の城下町だった横須賀に三熊野神社*1がある。三熊野神社の創建は701(大宝元)年といわれ、神事祭礼は熊野信仰にしたがって行われてきた。  江戸時代に入り、踊りを中心とした祭礼も始まったといわれるが、現在の形式の原型が生まれたのは享保年間(1716~1735年)頃だ...

加茂荘花鳥園の写真

写真提供:加茂荘花鳥園

加茂荘花鳥園 ( 静岡県 掛川市 )

掛川市街の西郊、天竜浜名湖鉄道原田駅から東へ1.5kmにある。江戸時代からの古い庄屋屋敷*1が里山を背に白い土塀に囲まれて立ち、この屋敷の前庭の約1万m2の敷地には、ハナショウブ他、ハスやサイレンなどが栽培されている。  同屋敷では、花菖蒲は古くから厄除けとして作られていたと伝えられ、明治初期には門前に拡張して花菖...

松崎町のなまこ壁と鏝絵の写真

松崎町のなまこ壁と鏝絵 ( 静岡県 松崎町 )

伊豆西海岸の南部に位置し、駿河湾に面している松崎町*1は、古くから松崎港を中心に栄えていたといわれる。明治期に入ると、繭が早い時期からとれる温暖な土地柄であることから養蚕業が盛んになり、富裕層も増え、瓦葺きの堅牢な建物が求められるようになった。  冬の松崎は駿河湾からの西風が強く防火が欠かせなかったため、壁面に四角い...

河津ザクラの写真

写真提供:河津町

河津ザクラ ( 静岡県 河津町 )

伊豆急行河津駅から南西に約250m、河津川沿いの約3kmの両岸に850本ほどの河津ザクラの並木が続く。河津町全体では約8,000本の河津ザクラが植えられている。  河津ザクラは早咲きサクラで、花は直径約3cm、淡紅色で、葉が展開する前に咲く。果実は径1cmほどの黒紫色の球形。河津ザクラは早咲きオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種...

爪木崎のスイセンの写真

爪木崎のスイセン ( 静岡県 下田市 )

伊豆急行下田駅から東南へ約6km、須崎半島の東南端に爪木崎がある。須崎半島は長い歴史の中で隆起と海食を繰り返し、4段の隆起海岸段丘となっている。爪木崎付近では、1段目は浜に続く段丘が池の段と呼ばれ、2段目は白い灯台のある台地、3段目が須崎半島自体、4段目は下田市街の東にある寝姿山へと続く。  その爪木崎の先端、2段目の燈台下...

下田公園のアジサイの写真

下田公園のアジサイ ( 静岡県 下田市 )

下田公園は伊豆急下田駅から南へ約1km、小田原北条氏が築城した下田城址*1にある。下田港に臨む小高い丘が自然公園となっており、マツ・サクラ・アジサイ・ツバキ・ツツジの中を散策路が通じている。  とくに6月には園内の斜面に300万輪のアジサイが咲き、「クロジクセイヨウアジサイ」「ウズアジサイ」など100種以上を見ることができる。...

了仙寺の写真

写真提供:了仙寺

了仙寺 ( 静岡県 下田市 )

伊豆急行線伊豆急下田駅から南へ約800mのところにある。開国を求め来航したアメリカのペリー提督との交渉により、1854(嘉永7)年3月に日米和親条約が横浜で締結された。  その後、下田の了仙寺で細則につき折衝がつづき、1854年6月、日米和親条約付録協定として下田条約13カ条が結ばれた。同寺はその後も同条約に基づいて玉泉寺とともに米...

伊豆下田河内温泉の写真

伊豆下田河内温泉 ( 静岡県 下田市 )

伊豆急行線蓮台寺駅から稲生沢川を渡って250mほど、金谷山の麓にある一軒宿の温泉。稲生沢川とすぐ下流で合流する蓮台寺川沿いにある蓮台寺温泉にもほど近い。  一軒宿の「金谷旅館」は1867(慶応3)年の開業*1で、本館は1929(昭和4)年建築の数寄屋造り。天城山の木材を使用した柱など素朴で昔ながらの宿屋建築。大浴場は1915(大正4)年...

修禅寺の写真

修禅寺 ( 静岡県 伊豆市 )

伊豆箱根鉄道修善寺駅から西へ約2.7km、虎渓橋前の石段を上った奥に境内がある。平安時代初期の807(大同2)年に、弘法大師が修行した霊跡と伝わり、江戸中期に編纂された日本の高僧の伝記集「本朝高僧伝」では、弘法大師の弟子、杲隣*1が開山したとの記述もある。  鎌倉期の1275(建治元)年には、鎌倉から中国の高僧蘭渓道隆*2が入山し臨...

修善寺温泉の写真

修善寺温泉 ( 静岡県 伊豆市 )

伊豆箱根鉄道の終点、修善寺駅から西へ約2km、左右から山が迫った桂川の両岸に、大小の旅館がぎっしりと軒を連ねて温泉街を形成している。  修善寺温泉は、約50万年前まで噴火をしていた達磨火山の麓の谷あいを流れる桂川が、達磨火山の下にあった海底火山噴出物の地層に達するまで浸食し、この地層から湧出したものである。このため、温泉...

浄蓮の滝の写真

浄蓮の滝 ( 静岡県 伊豆市 )

伊豆急行線河津駅から国道414号線経由で北西に約21km、湯ケ島温泉*1からは南へ2.3km。狩野川の最上流、伊豆東部火山群に属する鉢窪山と丸山が約1万7000年前の噴火でスコリア丘*2として生成され、その際の溶岩流で形成された茅野台地の溶岩末端崖にできたのが浄蓮の滝である。このため、滝脇の溶岩末端崖には溶岩が冷える際に形成された柱状節...

韮山反射炉の写真

写真提供:伊豆の国市

韮山反射炉 ( 静岡県 伊豆の国市 )

伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から東へ約1.5kmにある。反射炉*1は韮山の代官・江川太郎左衛門英龍*2が、国防上の必要から幕府に建議進言して、1855(安政2)年に築いた金属溶解炉。当初、建設地は下田港近くに予定されていたが、1854(安政元)年、ペリー艦隊の下田入港により当地で混乱が起き、韮山代官所に近い現在地で着工することになった。蘭...

願成就院の写真

願成就院 ( 静岡県 伊豆の国市 )

伊豆箱根鉄道韮山駅から南に約1.5km、国道136号線沿いにある。1189(文治5)年、源頼朝の奥州進攻にあたり戦勝祈願のため北条時政*1が建立したと、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも記載*2がある古刹。鎌倉時代初期の運慶*3作の阿弥陀如来坐像をはじめ、不動明王、毘沙門天などの仏像群*4が開創とともに奉納されたことが『吾妻鏡』に記されてお...

城ヶ崎海岸の写真

城ヶ崎海岸 ( 静岡県 伊東市 )

伊豆半島の東海岸、半島の付け根にあたる熱海から国道135号線で南へ約35km、北は富戸(ふと)集落の払(はらい)から南は八幡野集落まで、全長約9kmの海岸をいう。約4000年前に大室山が噴火した際、東南及び南に流出した溶岩流によって溶岩台地が生成され、相模灘に向けて舌状に突き出した小半島が形成された。その先端部の溶岩崖は、波の浸...

大室山の写真

大室山 ( 静岡県 伊東市 )

JR伊東線伊東駅の南約8kmにある標高580mの火山。天城火山群の北に位置する伊豆東部火山群の中でも最大のスコリア丘*1である。一木もない草山で、頂上には、約4000年前の噴火でできた直径約300m、深さ70mの火口があり、1周約1kmの遊歩道が整備されている。  遊歩道からの展望は広く、南に大島をはじめとする伊豆七島、北に富士山、さらに箱...

桜えびの料理の写真

写真提供:由比港漁協

桜えびの料理 ( 静岡県 静岡市 )

由比港は、東海道本線、国道1号線、東名高速道路などの大動脈が、北側から迫る山と南側の駿河湾に挟まれた狭隘な海岸線に集まるところに、ひっそりとある。駿河湾でしかとれない桜えび*1の存在は、江戸時代*2から知られていたものの、桜えび漁*3が広まったのは、1894(明治27)年に2艘一組でアジの網引き漁をしていた際に、偶然、網が深く入...

摩訶耶寺の写真

摩訶耶寺 ( 静岡県 浜松市 )

天竜浜名湖鉄道三ケ日駅の北約2kmにある。摩訶耶寺の前身*1は、古くは山岳信仰に結びついた真言密教の道場として、愛知県との県境近くの富幕山に開創された新達寺といわれ、平安時代に、現在地近くの千頭ヶ峯の観音岩と呼ばれる場所に移り、寺号を真萱寺と称していた。  平安時代末期に一条天皇の勅願により現在地へと移り、摩訶耶寺の号を...

久留女木の棚田の写真

写真提供:写真集「井の国 棚田と伝承の里」鈴木一記著より

久留女木の棚田 ( 静岡県 浜松市 )

浜松市の中心街から北へ約30km、三遠南信自動車道浜松いなさ北インターチェンジから北東へ約6km、観音山の南西斜面(標高210~290m)に広がる。総面積約7.7万m2、800枚ほどの棚田は、石積みや土坡(どは)で固められた法面によって、小さく曲線的な田から大きく直線的な田まで様々な形状に区切られている。  久留女木*1の棚田の...

竜ヶ岩洞の写真

写真提供:竜ヶ岩洞

竜ヶ岩洞 ( 静岡県 浜松市 )

天竜浜名湖鉄道金指(かなさし)駅から北西約5kmにある鍾乳洞。標高359mの竜ヶ石山の南麓にあり、総全長約1km、そのうち、一般公開しているのは約400m。  2億5千万年前の地層と言われる秩父古生層の石灰岩地帯にあり、1912(大正元)年から1975(昭和50)年までは中断もあるが石灰岩の採石場として操業していた。1978(昭和53)年から学術...

浜名湖ガーデンパークの写真

浜名湖ガーデンパーク ( 静岡県 浜松市 )

JR東海道本線・東海道新幹線浜松駅から西に約14km、浜名湖の東岸、庄内半島の先端にある。湖畔の美しい自然の中、開放感あふれる都市公園。入場無料。  2004年に浜名湖花博の会場となった所で、56万m2の広大な園内には、緑地広場などがある「西側エリア」、水遊び広場や屋外ステージ、展望塔、体験学習館、中央芝生広場などがあ...

安倍の大滝の写真

安倍の大滝 ( 静岡県 静岡市 )

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から北へ約45kmの梅ケ島温泉*1から3つの吊橋を渡り、沢づたいの山道を約1.2kmたどると目前に現われる。高さは約90m、幅は4mほど。安倍川の源流を構成している沢の上流にあたる。

大谷崩の写真

大谷崩 ( 静岡県 静岡市 )

静岡市の最北、山梨県境にあるのが標高1,999.7mの大谷嶺(おおやれい)。この山の南斜面には山体崩壊で形成された大谷崩れ(おおやくずれ)があり、日本三大崩れ*1のひとつといわれる。  山体崩壊のあった北側尾根上には線状凹地*2が発達し、緩やかな稜線を作っている。この山体崩壊は宝永地震*3(1707年)によってできたと記録されており...

島田大祭(帯まつり)の写真

島田大祭(帯まつり) ( 静岡県 島田市 )

JR東海道本線島田駅から北へ500mほどのところにある大井神社の例祭。3年に1度(干支で寅・巳・申・亥の年)、10月中旬に3日間にわたり開催される。大井神社は大井川鎮護や安産の神として、島田宿で古くから崇敬されている。  1695(元禄8)年から下島にあった元の社地(現在の御仮屋町)*1へ神輿渡御が行われることになり、現在の形式の神...

千丈渓の写真

写真提供:桜江町商工会

千丈渓 ( 島根県 江津市 / 島根県 邑南町 )

島根県中央部、江の川の支流八戸(やと)川に合流する日和(ひわ)川上流、約5kmにわたる渓谷。  3,500~4,000万年前の古第三紀と呼ばれる時代に起こった激しい火山活動によって噴出し堆積した流紋岩やデイサイト等の火砕岩で構成されており、岩質は硬く、亀裂が多く発達している。この亀裂に沿って河川の洗堀作用が進み、陸地の隆起に伴う...

断魚渓の写真

写真提供:西村愛

断魚渓 ( 島根県 邑南町 )

大田市の南約40km、中国山地にある於保知(おほち)盆地*、その北東部の山間に刻む渓谷。江の川支流の濁川(にごりかわ)に浸食されてむき出しになった流紋岩の高低差100mほどの崖が、国道261号に沿って展開する。  石英粗面岩の岩盤が渓谷いっぱいに露出し、流れは滝となり淵となって、嫁ガ淵(よめがふち)・一夜橋(いちやばし)・箕ノ...

石見畳ヶ浦の写真

写真提供:一般社団法人 浜田市観光協会

石見畳ヶ浦 ( 島根県 浜田市 )

JR山陰本線下府(しもこう)駅の北へ約2km、国分町唐鐘(とうがね)海岸にある。1872(明治5)年の浜田地震で隆起したといわれるもので、高さ20mの海食崖、約5万m2の千畳敷と呼ばれる隆起海床*が広がる。これは第三紀層の礫岩・砂岩・頁岩の互層で、中に貝の化石や鯨の骨を含んでいる。まるで畳を敷いたように見える小さな亀裂が...

津和野城跡の写真

写真提供:津和野町観光協会

津和野城跡 ( 島根県 津和野町 )

蕗城(ろじょう)、橐吾城(たくごじょう)、三本松城(さんぼんまつじょう)ともいい、町の西に迫る標高367mの城山の山頂一帯に築かれた典型的な山城である。1295(永仁3)年、初代領主吉見頼行が築城にかかり、約30年を費やして息子・頼直の代に完成した。その後、坂崎出羽守が近世城郭の大改修を行い、本丸北方に出丸(織部丸(おりべまる...

津和野の町並みの写真

写真提供:津和野町観光協会

津和野の町並み ( 島根県 津和野町 )

島根県の西端、山陰の小京都と呼ばれる小さな城下町。津和野川に沿って細長く町なみが連なり、東に青野山・西に城山がそびえている。町の中心殿町付近には武家屋敷や白壁の旧家が昔日の姿そのままに立ち、道ばたの掘割には色とりどりの鯉が群れ遊んでいる。  かつてはツワブキの茂る野であったという津和野の歴史は、吉見頼行・頼直親子が...

津和野弥栄神社の鷺舞の写真

写真提供:津和野町観光協会

津和野弥栄神社の鷺舞 ( 島根県 津和野町 )

大橋のすぐ西にある弥栄(やさか)神社の例祭の祇園祭に奉納される古典芸能神事。京都八坂神社の祇園祭の鷺舞が1542(天文11)年に吉見正頼によって、山口を経てこの地に移されたものである。一時、坂崎出羽守の時代に中断したが、1644(正保元)年に復活し、それ以来、古式そのままを今日に伝えている。一方、京都では途絶してしまい、近年...

太皷谷稲成神社の写真

太皷谷稲成神社 ( 島根県 津和野町 )

城山の北中腹にある。1773(安永2)年、亀井7代藩主矩貞(のりさだ)が城の鎮護と藩民の安穏を祈願するため、京都の伏見稲荷を勧請したもので、日本五代稲荷の一つ。西日本では九州の祐徳稲荷と並んで信仰が厚い。  参道にトンネルのごとく立ち並ぶ朱の鳥居や荘厳華麗な朱塗の社殿にその繁盛ぶりを見ることができる。境内にはこのほか参集...

知夫赤壁の写真

写真提供:知夫里島観光協会

知夫赤壁 ( 島根県 知夫村 )

知夫里島の西海岸に続く約1kmの海食崖をいう。玄武岩質のマグマにより形成された、高さ50~200mの削り取られた雄大な断層崖。隆起による2段の波食海壇をなし、断層崖は凝灰岩の赤・黄、玄武岩の黒、粗面岩岩脈の白色がみごとなコントラストをみせ、特に鮮やかな赤色が紺碧の空と海に映える。  海上から眺めるのが普通だが、赤壁の北にある...

三瓶山の写真

写真提供:大田市観光協会

三瓶山 ( 島根県 大田市 )

大田市街の南東約14km、出雲・石見の国境にそびえる鐘状火山群。最高峰は男(お)(親(おや))三瓶で1,126m、ほかに女(め)(母(はは))三瓶(953m)・子三瓶(961m)・孫三瓶(903m)などの6峰が、室の内*と呼ばれる火口を環状に囲んでいる。『出雲国風土記』*では国引きの柱となり、佐比売山(さひめやま)と記されているが、史上に...

石見銀山遺跡の写真

写真提供:大田市観光協会

石見銀山遺跡 ( 島根県 大田市 )

大田市域の南西の山峡にある、近世から近代にかけて栄えた鉱山遺跡。石見銀山は1527(大永7)年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見された。以後、室町・戦国の両時代を通じて、銀山は大内・尼子(あまこ)・毛利・小笠原4氏の、激しい攻防にさらされることになった。この結果、1562(永禄5)年ついに銀山の守り山吹城(...

物部神社の写真

写真提供:物部神社

物部神社 ( 島根県 大田市 )

JR大田市駅から南へおよそ5km。平安時代の法令集「延喜式」に記載のある式内社で、古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神と知られ、石見国一の宮として崇敬されてきた。古代の大氏族物部(もののべ)氏*がこの地方を開拓の折、祖神を祭ったのが起こりと伝えられ、御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、古くの大豪族で大和朝廷...

温泉津温泉の写真

写真提供:大田市観光協会

温泉津温泉 ( 島根県 大田市 )

JR温泉津駅の北、温泉津川に沿って細長く旅館が立ち並ぶ。1300年以上前に旅の僧侶が、湯気の立つ水たまりに浸かってひどい傷を癒やしている古狸を目にしたことから発見されたという説が広く知られている。  平安時代には京都までその存在が伝わり、14世紀以降には湯治客が大勢訪れるようになった。近くの温泉津港が、毛利氏支配の中世以降...

大森の町並みの写真

写真提供:大田市観光協会

大森の町並み ( 島根県 大田市 )

大森町は大田市域の南西の山峡にある。石見銀山が徳川幕府の天領となって以降、その繁栄により銀山柵内(さくのうち)の北側にあたる大森地区の建設へと発展し、支配の中心地も銀山地区から大森地区へと移っていった。奉行所が置かれ、石見銀山の行政と商業の中心地として町が整備された。  山間の狭い谷間に作られた町は、身分に関係なく...

多古の七ッ穴の写真

写真提供:松江市

多古の七ッ穴 ( 島根県 松江市 )

島根半島の最北を占める多古鼻にある日本海の荒波によりつくられた海食洞。集塊岩と凝灰岩の互層からなる高さ50m、延長400mにわたる絶壁に、海食によってできた大小4つの洞窟がある。これらの洞窟の入口は高さ約10mほどで、計9個あり、洞内へ小舟を乗り入れることができる。海上から一度に見える穴が7つなので七ツ穴と呼ばれる。  多古鼻一...

月照寺の写真

写真提供:西村愛

月照寺 ( 島根県 松江市 )

松江城の西に位置し、松江松平家の初代藩主である松平直政が母月照院の冥福を祈って1664(寛文4)年に建立し、以後松平氏の菩提寺となった。境内には多数の燈篭を従えた歴代藩主の廟が並んでいる。特に、小林如泥(こばやしじょでい)作の松江藩7代藩主である不昧(ふまい)公の廟門をはじめ、すぐれた廟門建築が見られる。  不昧公は木工...

熊野大社の写真

写真提供:しまね観光ナビ

熊野大社 ( 島根県 松江市 )

JR松江駅から南へ約10km、意宇(いう)川の左岸、山を背にして社殿が立つ。『出雲國風土記』733(天平5)年に熊野大社、『延喜式神名帳』927(延長5)年に熊野坐神社とあり、日本火出初神社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称され、古来、杵築大社(出雲大社)と並んで出雲の國の大社と遇された。   朝廷の尊崇が極めて篤く、851(仁壽元...

美保神社の写真

写真提供:西村愛

美保神社 ( 島根県 松江市 )

島根半島の東、美保関港を目の前にする山麓にある。創建は未詳だが、「出雲国風土記」(733(天平5)年)に記載のある古社。事代主神(ことしろぬしのかみ)の総本宮で、母神である三穂津姫命(みほつひめのみこと)をともに祀る。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大国主命の第一子といい、えびす様の名で知られ、漁業及び海上安全の神とし...

松江城の写真

写真提供:西村愛

松江城 ( 島根県 松江市 )

宍道湖の北、標高28mの亀田山にあり、別名千鳥城の名をもつ。関ヶ原の戦いののち、出雲・隠岐に封ぜられて富田城(とだじょう)に入った堀尾吉晴(ほりおよしはる)が、1611(慶長16)年に築城*したものである。現在も天守閣*と石垣を残している。  城跡は城山(じようざん)公園と呼ばれ、桜の名所となっており、二の丸跡には松江神社、...

ホーランエンヤの写真

写真提供:松江市

ホーランエンヤ ( 島根県 松江市 )

松江市内を流れる大橋川などを舞台にして10年ごとに行われる、松江城山公園内にある「城山稲荷神社」の式年神幸祭。  ホーランエンヤは「松江城山稲荷神社式年神幸祭」の通称で、神事で使われる櫂伝馬船(かいでんません)が櫂を漕ぐ時の掛け声から名づけられたとも、また「豊来栄弥」から生じたことばとも言われている。  1648(慶安元...

玉造温泉の写真

写真提供:玉造温泉旅館協同組合

玉造温泉 ( 島根県 松江市 )

JR山陰本線玉造温泉駅から車で約5分、宍道湖畔から2km弱の距離にある温泉街。低い丘陵の間を北流する玉湯川に沿って、旅館、土産物屋、足湯などが1kmほど並ぶ。  温泉の歴史は古く、今から約1,300年前、奈良時代に記された『出雲国風土記』に、「ひとたび濯(すす)げば すなわち形容端正(かたちきらきら)しく、再び沐(ゆあみ)すれ...

大根島のボタンの写真

写真提供:日本庭園 由志園

大根島のボタン ( 島根県 松江市 )

大根島は多孔質の玄武岩を基盤とするアスピーテ型の火山島である。ゆるやかな斜面の大部分は畑であり、特産の雲州人参や牡丹の花が育てられている。牡丹は約300年前、全隆寺住職が遠州(静岡県)の秋葉山へ修行に訪れ、その際に持ち帰って境内に植えたのがはじまり。当時は薬用として使われていた。現在では改良が行われ、500種を超える品種...

立久恵峡の写真

写真提供:しまね観光ナビ

立久恵峡 ( 島根県 出雲市 )

島根・岡山の県境赤名峠に源を発して大社湾に注ぐ神戸川の上流にあり、電鉄出雲市駅からは約10km南に位置する。清流に沿って約1kmにわたり高さ100~200mの岩壁がそそり立つ。特に左岸は、神亀岩・烏帽子岩・ろうそく岩・屏風岩などの名で呼ばれる奇岩が連続する。これらの奇岩は集塊質安山岩が風化・水食されてできたもので、小さな谷が複雑...

出雲大社の写真

写真提供:しまね観光ナビ

出雲大社 ( 島根県 出雲市 )

出雲平野の西北端、島根半島の脊稜山地を背にする地にある。  創建は、『古事記』や『日本書紀』によると、神代、天孫降臨に際し、大国主大神が国土を譲られたのを喜ばれた天照大神が、大国主大神のために広大な宮殿「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を建てたのに始まるという。この折、祭祀を司ったのが天照大神の第2子天穂日命(あめのほ...

日御碕神社の写真

写真提供:西村愛

日御碕神社 ( 島根県 出雲市 )

島根半島の西部、小島・岩礁が散在し変化に富んだ海岸線が特徴的で、稲佐浜から日御碕へつづく日御碕海岸*にあり、傾斜地を利用して権現造の社殿が立つ。朱塗の楼門をくぐると、正面に下の宮と呼ばれる日沉宮(ひしずみのみや)、右手上に上の宮と呼ばれる神の宮が鎮座するが、古く下の宮は海岸の「清江の浜」の経島(ふみしま)に、上の宮...

一畑薬師(一畑寺)の写真

写真提供:一畑薬師

一畑薬師(一畑寺) ( 島根県 出雲市 )

島根県を代表する臨済宗の寺で、一畑薬師信仰の総本山でもある。島根半島の中央、標高200mの山上に位置する。松江と出雲から車で約30分。西暦894(寛平6)年、漁夫与市が日本海中から薬師如来を得たところ、夢のお告げにより盲目の母親の目が開かれたため、仏像をこの地にまつったのが寺の始まりである。「目のやくし」として信仰を集める他...

鰐淵寺の写真

写真提供:しまね観光ナビ

鰐淵寺 ( 島根県 出雲市 )

一畑電鉄雲州平田駅から西へ約7km、島根半島西側の北山山中にある。  594(推古2)年創建の天台宗の名刹。平安時代末期に修験道の霊地として全国に知られ、多数の堂塔を擁した。14世紀にはそれまで北院・南院に分かれていた寺内が和合・統一し、根本堂が創建された。  また、出雲大社の祭事において鰐淵寺僧が大般若経転読(だいはんにゃ...

稲佐の浜の写真

写真提供:西村愛

稲佐の浜 ( 島根県 出雲市 )

出雲大社西方800mほどにある海岸で、かつては弁天島の前まで波が打ち寄せていたが、近年砂浜が広がり、弁天島と浜がつながった。岩上には鳥居と祠があり、豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られている。国譲り神話、国引き神話の舞台である。  国譲り神話では、高天原から降った建御雷神(たけみかずちのかみ)が、この浜辺に剣を立...

出雲大社大祭礼の写真

写真提供:しまね観光ナビ

出雲大社大祭礼 ( 島根県 出雲市 )

「山陰無双之節会、國中第一之神事ナリ」と称えられるほど盛大な祭事であった「三月会(旧暦3月1日~3日間)」を引き継ぎ、出雲大社が官幣大社に定められたのを記念して、1886(明治19)年から開催されるようになったもので、5月13日を前夜祭とし、14日から16日の3日間に渡る儀式は大祭礼と呼ばれている。  14日は「勅祭日」と呼ばれ、天皇...

田儀櫻井家たたら製鉄遺跡の写真

田儀櫻井家たたら製鉄遺跡 ( 島根県 出雲市 )

島根県中部、JR山陰本線田儀駅から車で10分の所にある。たたら*製鉄とは、土製の炉の中で木炭の燃料で砂鉄を溶かして鉄をつくる日本古来の製法。中国地方では6世紀から盛んに行われた。出雲、石見地方は、良質の砂鉄と炭になる森林資源が豊富なことから、幕末から明治初頭にかけて鉄生産量の9割を占めた。  江戸前期、奥出雲町にある可部...

島根県立古代出雲歴史博物館の写真

写真提供:島根県立古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館 ( 島根県 出雲市 )

一畑電車の出雲大社前駅から徒歩7分、出雲大社のすぐ東隣に位置する。  2007(平成19)年3月に開館。1984(昭和59)年、荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)*から358本の銅剣が、その後続けて銅矛16本、銅鐸6個が発見され、文化財の保存・展示・活用の方法が模索される中、「島根県古代文化活用委員会」の設置から18年をかけ、博物館建設が...

裏匹見峡の写真

写真提供:益田市観光協会

裏匹見峡 ( 島根県 益田市 )

裏匹見峡は、JR山陰本線・山口線の益田駅から南東へ約25km、広島県廿日市市との境界近くにある峡谷。  この一帯では約9000万年前の中生代白亜紀に非常に大規模な火山活動が起き、流紋岩~デイサイト質の火砕流が噴出し、主に凝灰岩や溶結凝灰岩からなる匹見層群を形成。匹見川および支流の広見川の浸食によって形成された匹見峡は、西中国...

萬福寺の写真

写真提供:西村愛

萬福寺 ( 島根県 益田市 )

JR益田駅の東約2km、益田川の北畔にある。もとは現在の中須町(なかずちょう)にあって平安時代に建立され、安福寺と号した七堂伽藍をかねそなえた天台宗の大寺であった。1026(万寿3)年5月に石見地方を襲った大津波で、堂塔がことごとく流失した。その後、1319(元応1)年、遊行4代呑海上人(どんかいしょうにん)が下向のおり、時宗の道場...

医光寺の写真

写真提供:益田市観光協会

医光寺 ( 島根県 益田市 )

JR益田駅の東約2.5kmに位置する臨済宗東福寺派の寺院だが、もとは崇観寺の塔頭であった。崇観寺の創建は1363(貞治2)年で、室町幕府の保護を受け、また益田氏*の菩提寺として隆盛をきわめた。しかし、戦国の争乱に巻き込まれ、衰退していくことになる。  雪舟*は崇観寺の第5代住職で、文明年間(1469~1486年)に、塔頭のひとつに池泉観...

白島海岸の写真

写真提供:隠岐の島町観光協会

白島海岸 ( 島根県 隠岐の島町 )

隠岐の島町のある島後を含む隠岐諸島は、島根・鳥取の県境から北方約60kmに位置し、約180の島と4つの有人島からなる。有人4島は「島前3島」と呼ばれる西ノ島(西ノ島町)、中ノ島(海士町)、知夫里島(知夫村)と島後(隠岐の島町)を指す。島後は隠岐諸島最大の島で、周囲151km、面積242.82km2、面積の約80%を森林が占めている...

隠岐牛突きの写真

写真提供:しまね観光ナビ

隠岐牛突き ( 島根県 隠岐の島町 )

1221(承久3)年の承久の乱*に敗れて、隠岐・中ノ島(海士町)に配流となった後鳥羽上皇が、小牛が角を突き合わせる姿をみて喜んだことから、島前で始まった。その後、島後(隠岐の島町)にも伝わり、以来、娯楽として楽しまれてきた、現在では島後(隠岐の島町)のみで行われている。  牛突きは、島が誇る伝承であり、現在行われている主...

水若酢神社の写真

写真提供:水若酢神社

水若酢神社 ( 島根県 隠岐の島町 )

本土と島後島(隠岐の島町)の玄関口である西郷港から北西へ13km、車で25分の五箇地区にある。  延喜式神名帳に名神大社と記されている隠岐国一宮。祀られている水若酢命は、隠岐の国土開発と日本海鎮護をされた神様だと伝えられている。社伝によると創建は仁徳天皇(在位は5世紀前半ごろ)の時代と言われている。  1795(寛政7)年に再...

屏風岩の写真

写真提供:しまね観光ナビ

屏風岩 ( 島根県 隠岐の島町 )

本土と島後(隠岐の島町)の玄関口である西郷港から北へ7km、車で中谷駐車場の登山口まで60分、そこから屏風岩展望所までは徒歩で25分。  島後島の北東部で、今から550万年ほど前に大規模な火砕流を噴出するような火山活動が起きた。その時、噴出したものはトカゲ岩*を中心にして、南北6km、東西4.3kmにおよぶ範囲に分布していて、葛尾(...

雲樹寺の写真

写真提供:西村愛

雲樹寺 ( 島根県 安来市 )

JR山陰本線安来駅から南へ約6km、伯太川の右岸近くにある。1322(元亨2)年、後醍醐天皇から「国済」、後村上天皇から「三光」の国師号を授けられた孤峰覚明*によって開かれた。  参道半ばにある四脚門は創建当初のものといわれ、切妻造、本瓦葺。その他の堂宇は江戸後期に焼失し、その後再建された。方丈裏の出雲風禅宗庭園はツツジ・サ...

清水寺の写真

写真提供:安来清水寺

清水寺 ( 島根県 安来市 )

JR山陰本線安来駅の南東、山腹に広大な境内をもつ。寺伝では、587(用明天皇2)年、尊隆上人が、瑞光を発する十一面観音をこの地に得たのに始まり、597(推古天皇5)年、堂宇が建立されたと伝わる。山上に瑞光が現れ、その光にちなみ山号を「瑞光山」とした。また水清く、聖なる湧水を湛えていたことから「清水寺」と名づけられた。出雲地方...

足立美術館の写真

写真提供:足立美術館 

足立美術館 ( 島根県 安来市 )

JR山陰本線安来駅より南西へ約8kmに所在し、1970(昭和45)年に郷土出身の実業家・足立全康*氏が収集した日本画や陶芸を中心とした美術館である。横山大観*をはじめ、竹内栖鳳、川合玉堂、上村松園、橋本関雪など近代から現代の日本画壇の巨匠たちの作品を所蔵している。開館50周年を記念し完成した「魯山人館」*では、常時120点の北大路...

四国八十八ヶ所・お接待の写真

四国八十八ヶ所・お接待 ( 徳島県 徳島市 / 香川県 高松市 / 愛媛県 松山市 / 高知県 高知市 )

四国八十八ケ所めぐりは弘法大師信仰の一つといわれる。  古代・中世の四国は、遍歴や巡礼を重ねる僧侶が修行を行う地であった。そのことは「今昔物語」(11世紀末から12世紀前半の成立)や歌謡集「梁塵秘抄」(12世紀後半に成立)に記されている。四国が修行の地であったのは、四国が仏教の後進地域であったため仏教を根付かせる必要性が...

阿波の土柱の写真

阿波の土柱 ( 徳島県 阿波市 )

JR徳島線の川田駅から車で約10分、阿波山川駅からは車で約15分の所にある。土柱は、約100万年前から30万年前にかけて土砂が堆積した扇状地が地震活動によって隆起してできた山が、豪雨や地震によって崩壊し、そののち雨水によって土が削られ、長い年月をかけて形作られた。地下約600mに至るまで厚く堆積している。幅90mにいくつもの土の柱や...

轟九十九滝の写真

轟九十九滝 ( 徳島県 海陽町 )

JR牟岐線・阿佐海岸鉄道 阿波海南駅からおよそ1時間かけて轟神社まで行く町営バスがある。轟九十九滝とは海部川上流の王余魚谷川(かれいたにがわ)の渓谷にかかる大小無数の滝の総称。本滝の轟の滝、別称王余魚(かれい)滝*は落差約58m、さらに本滝の上流の間には二重ノ滝、横見ノ滝などが連続し、最上部の鍋割の滝まで約1,500m、遊歩道が...

祖谷渓の写真

祖谷渓 ( 徳島県 三好市 )

剣山に源を発して西流する祖谷川は、松尾川などの支流を集めて吉野川に合流する。この祖谷川の下流部に発達した渓谷が祖谷渓である。一番の難所の約200mの七曲りの断崖、祖谷渓を見渡せるところに小便小僧がある。その昔、子どもや旅人がここで度胸試しをしたという逸話があるところ。近年、注目されているのが「ひの字渓谷」。蛇行する祖谷...

大歩危小歩危の写真

大歩危小歩危 ( 徳島県 三好市 )

石鎚山の東に源を発する吉野川が、石鎚・剣の山脈を横ぎる8kmのわが国の代表的な峡谷をつくりだす。大昔、四国山地が隆起する以前に流れていた吉野川が、山地が隆起するに従ってどんどん下刻をし、四国山地を横切るような峡谷となったのである。  「ボケ」は、切り立った崖を表す自然地形名称「ホケ」が地名化したものである。今から約200...

箸蔵寺の写真

箸蔵寺 ( 徳島県 三好市 )

JR土讃線阿波池田駅から北東4kmほどに箸蔵寺がある。吉野川北岸にそびえる箸蔵山(約720m)の南斜面、中腹から山頂付近を占める広大な寺域である。  高野山金剛峰寺の『由来略記』によれば、828(天長5)年、当山で修行中の空海が金毘羅神からの託宣*を受けて七堂伽藍を建立したと伝え、俗に金刀比羅奥ノ院ともいう。慶長年間(1596~1615...

祖谷のかずら橋の写真

祖谷のかずら橋 ( 徳島県 三好市 )

JR土讃線大歩危駅からバスで約25分。祖谷渓の上流にかかる吊り橋で、その名のとおり野生のカズラ、シラクチカズラ(学名 サルナシ)*を主材料にして作られている。長さ約45m、幅2mで、中央の水面からの高さ14mの所にかかっている。  カズラを編んだ敷綱(しきづな)に、栗の木を割ったサナギと呼ぶ丸太をくくりつけて床部を造り、橋の手す...

雲辺寺の写真

写真提供:雲辺寺

雲辺寺 ( 徳島県 三好市 )

香川県と徳島県の県境、雲辺寺山(標高927m)にある、四国霊場八十八ケ所第66番札所。四国霊場では最も標高が高い。寺の住所は徳島県三好市だが、霊場としては古くから讃岐の打ち始めの札所として扱われ、最後の「関所寺」*である。歩き遍路では一つ前の三角寺(愛媛県四国中央市)から峠を越えて進み、徳島県側から雲辺寺山に登る。次の大...

吉野川(下流域)の写真

吉野川(下流域) ( 徳島県 吉野川市 / 徳島県 石井町 / 徳島県 上板町 )

愛媛県と高知県に頂をもつ瓶ケ森(1,897m)より湧き出て、高知県の白猪谷を最源流とし、徳島県内にはいると、大歩危小歩危の渓谷で四国山地を横断し、三好市池田町で中央構造線*に突き当たり、川は直角に東へ向きを変えて、河口まで流れ、紀伊水道に注ぐ。全長194km、川幅最長部は2,380m。日本三大暴れ川の一つとして、坂東太郎(利根川)、...

剣山の写真

剣山 ( 徳島県 三好市 / 徳島県 那賀町 / 徳島県 美馬市 )

徳島県西部に位置し、四国の屋根といわれる剣山地の主峰。標高1,955mは四国では石鎚山(いしづちさん)に次ぐ高峰であり、西日本で2番目に高い山である。古くから山岳信仰の山として昭和初期まで女人禁制が堅守されていた。名前の由来*は壇ノ浦の戦に敗れた平家の落武者が、祖谷にのがれる際、安徳天皇の剣を隠したことによるという。山名に...

徳島城跡の写真

徳島城跡 ( 徳島県 徳島市 )

JR徳島駅から徒歩10分足らずの場所にある徳島藩主蜂須賀氏の居城があったところで、徳島中央公園として市民に親しまれている。戦国時代、豊臣秀吉の四国攻めで戦功を上げた蜂須賀正勝の子、家政が入封。1585年(天正13)に築城を開始し、1586(天正14)年、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)や小早川隆景(こばやかわたかかげ)などの助...

阿波おどりの写真

阿波おどり ( 徳島県 徳島市 )

「踊る阿呆に見る阿呆・・・」で、全国的に知られる阿波おどり。県内では、8月9日に開催される鳴門市阿波おどりを皮切りに、各地で阿波おどりが開催されるが、最もにぎわいを見せるのが、徳島市の阿波おどりである。踊り手約10万人・人出約130万人にも達するという、四国最大の夏祭りである。  阿波おどりの起源は、1586(天正14)年、蜂須賀...

新町川の写真

新町川 ( 徳島県 徳島市 )

徳島市は川と橋のまちで、寺島、出来島、福島など、島のつく地名も多い。徳島も美称の「徳」で、「すばらしい島」を意味する。助任川、田宮川、住吉島川などたくさんの河川に囲まれた「水の都・徳島」で、その中でも市民がもっとも愛する川が新町川である。  徳島駅や城山、市役所などがある市の中心部は、助任川と新町川が囲んだ川の中州...

板東俘虜収容所跡 の写真

板東俘虜収容所跡  ( 徳島県 鳴門市 )

JR高徳線板東駅の北西に、第一次世界大戦時のドイツ兵の捕虜収容所跡地がある。第一次世界大戦が始まると、日本も参戦し、ドイツの租借地だった中国山東半島にあるチンタオ(青島)を攻撃。敗れたドイツ兵士約4,600人 が俘虜となり、日本各地の収容所へ送られた。大戦の長期化に伴い、四国の徳島・丸亀・松山にいた俘虜953人を一か所に集める...

鶴林寺の写真

鶴林寺 ( 徳島県 勝浦町 )

四国八十八か所第20番札所。最寄り駅はJR牟岐線立江駅で南西12km、バスは徳島駅からになる。  生名バス停の南が、鶴林寺参道の入り口で、ここから標高550mの鶴ノ嶽山頂まで急傾斜の山道が3km続く。この道は四国霊場の中でも有名な難所である。参道には、道標の丁石*が11基残っている。車の場合は、鶴林寺表参道入口のすぐ西側からドライブ...

大麻比古神社の写真

大麻比古神社 ( 徳島県 鳴門市 )

JR高徳線板東駅から徒歩約20分。札所1番の北1.5kmにあり、地元の人びとには”おおあささん”の名で親しまれている阿波一ノ宮である。  『延喜式』式内社であり、かつては淡路国と阿波国の総鎮守として信仰を集めた。祭神は大麻比古大神と猿田彦大神。大麻比古大神は、天照大神の岩戸隠れのとき、サカキの木に玉・鏡・麻をかけて大玉串をつく...

藍の館の写真

藍の館 ( 徳島県 藍住町 )

藍住町とその周辺に藍作と藍染が発達したのは、吉野川が氾濫するたびに、毎年新しい壌土を運んでくれるため、土中の養分吸収度が高い藍でも、連作障害を起こすことがなかったからである。  藍作が盛んになったのは、1585(天正13)年、かねてから藍作に深い関心をもっていた蜂須賀家政*が播磨から国主として阿波に入封してからである。彼...

大窪寺の写真

大窪寺 ( 香川県 さぬき市 )

四国霊場八十八ケ所第88番札所、四国遍路を締めくくる結願(けちがん)の寺である。縁起によると、717(霊亀3・養老元)年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、霊夢を感得し草庵を建て修行をしたことが起源とされる。その後、816(弘仁7)年に唐から帰国した弘法大師が、現在の奥の院近くの胎蔵ヶ峰という岩窟で虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建...

志度寺の写真

写真提供:志度寺

志度寺 ( 香川県 さぬき市 )

県東部、道路一本隔てて志度湾に接する四国霊場八十八ケ所第86番札所。625(推古天皇33)年の創建と伝わる古刹で、海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が浦に流れ着いた霊木から十一面観音像を彫り、堂に祀ったのが始まりとされる。681(天武天皇10)年に藤原不比等が堂宇を増築し、「死渡(しど)道場」と名づけ、693(持統天皇7)...

満濃池の写真

満濃池 ( 香川県 まんのう町 )

大川(だいせん)山麓を水源とする金倉川の流れを台地上の浸食谷の端で堰き止め、谷全体に水を満たした大規模な人工の池。灌漑用のため池としては日本最大級のもので、大宝年間(701~704年)、国司道守朝臣(みちもりあそん)が創築したと伝えられる。その後、821(弘仁12)年に弘法大師空海が改修にあたり、日本初のアーチ型ダム方式の堤防...

豊稔池堰堤の写真

写真提供:観音寺市観光協会

豊稔池堰堤 ( 香川県 観音寺市 )

豊稔池は観音寺市大野原町南部の五郷地区、阿讃山脈を分け入る柞田川(くにたがわ)上流にある農業用のため池である。堰堤は長さ145.5m、高さ30.4m、両端部は重力式、中央部は5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式ダムである。建造当時の米国の最新技術を導入しており、現存する同形式のダムの希少性から農業土木...

琴弾公園の写真

写真提供:観音寺市観光協会

琴弾公園 ( 香川県 観音寺市 )

県西部、観音寺市を代表する観光地。標高約59mの琴弾山を中心に、白砂青松が2kmほど続く有明浜に面し、約38.6haの広さを誇る。園内には琴弾八幡宮、四国霊場第68・69番札所の観音寺・神恵院、室町後期の連歌師で俳諧の祖、山崎宗鑑の旧居一夜庵*などの名所旧跡が点在している。琴弾山にはハイキング道やドライブウェイがつけられ、山頂の展望...

さぬき豊浜ちょうさ祭の写真

さぬき豊浜ちょうさ祭 ( 香川県 観音寺市 )

観音寺市豊浜町*で10月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間に行われる祭礼。五穀豊穣と海上安全、豊漁を祈り、平穏を神に感謝する神事で、地元住民が中心となって伝統をよく受け継いでいる。各地区が誇る23台の「ちょうさ」が御輿のお供として太鼓を鳴らしながら町内を練り歩く。ちょうさとは内部に太鼓が積み込まれた山車(太鼓台)の一種...

丸亀城の写真

丸亀城 ( 香川県 丸亀市 )

丸亀市のシンボルともいえる丸亀城は、標高66mの亀山に築かれた平山城で、「石垣の名城」として有名である。山麓の内堀から山頂の本丸まで、渦を巻くように4層に重ねられた石垣の高さの合計は60mにもなり、総高としては日本一高い*。緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂にいくにつれ垂直になるよう独特の反りを持...

塩飽本島町笠島の町並みの写真

塩飽本島町笠島の町並み ( 香川県 丸亀市 )

塩飽諸島*付近は、鳴門海峡と豊後水道からの潮流が交わる良好な漁場であり、瀬戸内の海上交通の要衝でもあった。島民は潮流を読むことにたけ、操船や造船を得意とし、中世ごろには塩飽水軍として活躍した。  笠島集落は、丸亀市本島*の北東端にある小さな港町で、北面に天然の良港が開け、三方は丘陵に囲まれている。笠島はまたの名を城...

飯野山の写真

飯野山 ( 香川県 丸亀市 / 香川県 坂出市 )

丸亀市と坂出市にまたがる飯野山は、標高422m、讃岐平野のほぼ中央に立つ独立峰である。周囲は約6kmに及び、どの方角から見ても円錐形*で、なだらかな裾野が美しい。穏やかな山容は別名「讃岐富士」と呼ばれ、地元の人々に親しまれている。瀬戸内海国立公園に含まれており、コナラ、クヌギ、ヤマザクラなどを中心とした広葉樹が多く、風景林...

金刀比羅宮の写真

写真提供:金刀比羅宮

金刀比羅宮 ( 香川県 琴平町 )

古くから「さぬきのこんぴらさん」として親しまれてきた金刀比羅宮は、仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する、全国の金刀比羅神社の総本宮である。参道の長い石段は、本宮まで785段、奥社まで合計すると1,368段にも及ぶ。神域の入口である大門(おおもん)までは石段の両側に土産物店が軒を連ねる。広い境内には本宮のほか書院、旭社、四脚...

金刀比羅宮大祭の写真

写真提供:金刀比羅宮

金刀比羅宮大祭 ( 香川県 琴平町 )

例大祭は毎年秋に行われる、金刀比羅宮でもっとも重要な祭である。その期間は8月31日の口明神事から、10月15日の焼払神事まで46日間にわたるが、主要な祭典は10月9日〜11日の3日間に行われる。なかでも10月10日の21時から行われる御神幸(おみゆき)の神事は、山上の神様が神輿で麓の門前町に降臨するもので、琴平では古くから「おさがり」、...

旧金毘羅大芝居(金丸座)で上演される歌舞伎の写真

旧金毘羅大芝居(金丸座)で上演される歌舞伎 ( 香川県 琴平町 )

「四国こんぴら歌舞伎大芝居」は、1835(天保6)年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋である「旧金毘羅大芝居」(金丸座)で、年1回行われる歌舞伎公演。国の重要文化財に指定された舞台を活用した全国でも初めての試みで、1985(昭和60)年の初公演以来、毎年1回行われるようになり、現在では讃岐路に春を告げる風物詩となっている。開...

琴平門前町の写真

琴平門前町 ( 香川県 琴平町 )

「こんぴらさん」といえば、石段の両側にびっしりと土産店が建ち並ぶ表参道のようすが目に浮かぶ。現在の琴平門前町は、表参道とそれに続く新町商店街、参道口で表参道と交わる神明町通り、JR琴平駅から神明町までの通りがそのおおよその範囲である。神明町通りは1889(明治22)年に讃岐鉄道(現JR土讃線)の開通に合わせてできた新道で、旅...

瀬戸内海の多島海景観の写真

瀬戸内海の多島海景観 ( 広島県 広島市 / 岡山県 倉敷市 / 愛媛県 今治市 / 香川県 直島町 / 徳島県 )

瀬戸内海は、本州西部、四国、九州に囲まれた日本最大の内海で、東西およそ450km、南北15~55 km、面積23,203km2である。灘や湾と呼ばれる広い部分が、瀬戸や海峡と呼ばれる狭い水路で連結された複雑な構造を持つ。平均水深が38.0mと非常に浅い海だが、瀬戸や海峡では水深100mを超える。700以上の島(有人島は約150)がある多島海...

屋島の写真

屋島 ( 香川県 高松市 )

瀬戸内海に突き出た標高292m、南北約5km、東西3kmのテーブル状の高地で、大きな屋根のように見えるため屋島と呼ばれている。約1400万年前に噴出した山上の讃岐岩質安山岩が他の岩石よりも硬く、その後の浸食で取り残され、頂上部が平らになった。典型的な「メサ」と呼ばれる地形であり、南嶺(292m)と北嶺(282m)の2つのピークがある。かつ...

屋島寺の写真

屋島寺 ( 香川県 高松市 )

屋島の南嶺(標高293m)にある天平勝宝年間(749~757年)の創建とされる古刹で、四国霊場八十八ケ所第84番札所。朝廷に招かれた鑑真が唐から当時の都、奈良に向かう途中、屋島に立ち寄り、北嶺*の霊地に普賢堂を建てたのがはじまりとされる。815(弘仁6)年には弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、北嶺にあった伽藍を南嶺に移し、第84番の霊...

栗林公園の写真

栗林公園 ( 香川県 高松市 )

高松駅から南へ3km、紫雲山(しうんざん)*東麓にある、面積約75haにも及ぶ広大な庭園。紫雲山を背景に6つの池と13の築山で構成され、1000本を超える手入れ松や多彩な石組を配した園内は変化に富み、歩みを進めるごとに風景が変わる「一歩一景」と称される。南庭と北庭とに分かれ、南庭は池泉回遊式大名庭園として優れた地割りや石組みを有...

四国村ミウゼアム(四国民家博物館)の写真

四国村ミウゼアム(四国民家博物館) ( 香川県 高松市 )

屋島山麓にある四国村ミウゼアム(四国民家博物館)は、四国地方の伝統的な古民家や歴史的建造物を移築復原した野外博物館である。豊かな自然に囲まれた約5万m2の敷地に、江戸から大正期にかけての地方色豊かな建物が30棟あまり*配置されている。四国各地の民家、砂糖・和紙・醤油づくりなどに使用されていた伝統産業施設、農村...

八栗寺の写真

写真提供:八栗寺

八栗寺 ( 香川県 高松市 )

高松市の東方、源平の古戦場、壇ノ浦を挟んで屋島と向かい合う五剣山(標高375m)の中腹にある、四国霊場第85番札所。五剣山にはもともと5つの峰があったが、江戸時代の1706年(宝永3)の大地震で東の峰が一部崩落した。  寺伝によれば、空海がこの地で修行中、天から降ってきた五本の剣を五つの峰に埋め、大日如来の像を刻み鎮護としたこ...

屋嶋城の写真

屋嶋城 ( 香川県 高松市 )

663(天智天皇2)年の白村江の戦い*を契機として、中大兄皇子が唐と新羅の侵攻に備え、対馬、九州から瀬戸内海沿岸にかけて築かせた山城の一つ。667(天智天皇6)年に築かれたことが「日本書紀」に記されている*。屋島はもともと陸地から切り離された島で、海上交通における要所にあり、メサ地形特有の断崖絶壁が発達し、眺望が利く場所も...

男木島の町並みの写真

男木島の町並み ( 香川県 高松市 )

男木島は高松港の北方約10km、フェリーで約40分のところにある。周囲約5km、面積1.37km2、海に浮かぶ独立峰のような島で、島の最高地点は標高213mのコミ山。島の北端にある男木島灯台は、灯台守を主人公とした映画「喜びも悲しみも幾歳月」*のロケ地として有名である。古くから漁業の島として知られ、現在もサワラやタコなどを漁...

神谷神社の写真

神谷神社 ( 香川県 坂出市 )

坂出市の東部、高松市との境界に位置する五色台の麓にあり、延喜式にも記載がある古社である。本殿は高さ1.5mほどの石積みの基壇の上に立ち、桁行3間、梁行2間の母屋から庇(向拝)を前方に伸ばしている。棟木(むなぎ)に書かれた墨書銘から1219(建保7)年の建立であり、造営年の明らかな神社建築では日本最古であり、国宝に指定されている...

白峯寺の写真

白峯寺 ( 香川県 坂出市 )

坂出市の東、高松市に連なる五色台は瀬戸内海国立公園の中に位置し、その名の通り五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなり、北は瀬戸内海、南は讃岐平野を望む山々である。白峯寺は西よりの白峯(標高377m)の中腹にある四国霊場八十八ヶ所霊場の第81番札所で、崇徳上皇ゆかりの寺院でもある。  815(弘仁6)年、弘法大師が修行のた...

紫雲出山のサクラの写真

紫雲出山のサクラ ( 香川県 三豊市 )

紫雲出山は香川県三豊市、瀬戸内海に突き出た荘内半島のほぼ中央部にある標高352mの山。荘内半島には浦島伝説の地がいたるところにあり、紫雲出山は浦島太郎が玉手箱を開け、出た白煙が紫色の雲になって山にたなびいたことから名づけられたといわれる。  山頂近くまで車で行くことができ、山頂の展望台からは瀬戸内海の多島美が見渡せる。...

弥谷寺の写真

弥谷寺 ( 香川県 三豊市 )

古来より霊山として信仰された弥谷山(382m)の中腹、標高200mにある四国霊場八十八ケ所第71番札所。仁王門から最上部の本堂までは、540段*の石段を上る。  今からおよそ1300年前、聖武天皇の勅願により、行基が堂宇を建立し、光明皇后の経典を奉納したのが始まりとされ、山頂から八州が見渡せることから八国寺と命名された。弘法大師が幼...

本山寺の写真

本山寺 ( 香川県 三豊市 )

財田川の北岸に立つ四国八十八ケ所霊場第70番礼所。807(大同2)年、平城天皇の勅願により空海が建立したと伝えられる。当時は「長福寺」という名で、江戸時代19世紀頃に本山寺と称されるようになった。境内はおよそ2万m2と広大で、古くから七堂伽藍や塔頭を連ねた大寺として栄華を極めていたことが偲ばれる。  本堂は、正面5間...

寒霞渓の写真

寒霞渓 ( 香川県 小豆島町 )

瀬戸内海国立公園を代表する景勝地の一つ。東西7km、南北4kmの渓谷に、約1300万年前の火山活動により堆積した安山岩や疑灰角礫岩などが、度重なる地殻変動と侵食により、断崖や奇岩群を形成している。日本書紀にもその記述があり、元々は鉤懸山(かぎかけやま)、神懸山(かみかけやま)などと呼ばれていたが、1878年(明治11)年に儒学者の...

小豆島のオリーブの写真

小豆島のオリーブ ( 香川県 小豆島町 )

三都半島の東、内海湾に面した小豆島町西村地区は日本で最初にオリーブ*が栽培された場所である。1908(明治41)年 、当時の農商務省の委託により三重・香川・鹿児島の3県で試験栽培を開始したところ、小豆島のオリーブだけが結実した。現在、栽培試験地一帯は「小豆島オリーブ公園」になっており、約2,000本のオリーブの木や約120種類のハ...

善通寺の写真

善通寺 ( 香川県 善通寺市 )

弘法大師空海*誕生の地として知られ、善通寺市のほぼ中央にある。高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに大師三大霊跡のひとつであり、真言宗善通寺派の総本山である。唐から帰朝した空海が、807(大同2) 年長安の青龍寺を模して建立した真言宗最初の根本道場で、空海の父、佐伯善通(さえき・よしみち)の名をとって寺号とした。四国霊場八...

瀬戸大橋の写真

瀬戸大橋 ( 岡山県 倉敷市 / 香川県 坂出市 )

瀬戸大橋は、本州と四国を結ぶ本州四国連絡橋のひとつで、1988(昭和63)年に開通した。海峡部9.4km、上部が自動車道路(瀬戸中央自動車道)、下部が鉄道(JR本四備讃線、愛称:瀬戸大橋線)の道路・鉄道併用橋としては、世界最大級の橋梁群である。塩飽諸島の櫃石(ひついし)島・岩黒(いわぐろ)島・羽佐(わさ)島・与島の4つの島をつた...

ベネッセアートサイト直島の写真

写真提供:©YAYOI KUSAMA

ベネッセアートサイト直島 ( 香川県 直島町 / 香川県 土庄町 / 香川県 小豆島町 / 香川県 高松市 / 岡山県 岡山市 )

ベネッセアートサイト直島は岡山市に本拠を置く、通信教育などで知られる、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が瀬戸内海の直島、豊島、犬島などで展開する現代アートに関わるさまざまな活動である。美術館、宿泊事業、集落の古民家などを使ったインスタレーション*のほか、刊行物やシンポジウムなどの情報発信も行っ...

外泊「石垣の里」の写真

外泊「石垣の里」 ( 愛媛県 愛南町 )

愛南町外泊は、幕末から明治時代初期にかけて隣の中泊地区からの分家の移住によってつくられた集落で、入り江に面した急斜面に、高い石垣をめぐらした家々が、山の中腹までひしめき合うように立ち並んでいる。石垣は台風や冬の北西季節風による潮害を防ぐために造られたもので、軒に達するほどの高さがあり、独特の景観を造りだしている。こ...

佐田岬の写真

佐田岬 ( 愛媛県 伊方町 )

瀬戸内海と太平洋を区切るように突出した四国西端の佐田岬半島は、全長約40km、最大幅6km、最小幅500mの日本で最も細長い半島である。半島には、入り江ごとに集落が点在し、段々畑には地域特産の柑橘が栽培されている。岬の先端、潮流の渦まく崖の上に白亜の灯台が立っている。岬に立つと大型船の行き来する豊予(ほうよ)海峡を隔てて佐賀関...

和霊神社・和霊大祭の写真

和霊神社・和霊大祭 ( 愛媛県 宇和島市 )

JR宇和島駅の北にあり、大鳥居*と夏祭りで名高い社。俗に「和霊さま」と呼ばれ、漁業を中心に広く産業の神として、地元の人々はもとより、九州・中国地方にまで知られている。祭神の山家清兵衛公頼(やんべせいべえきんより)は、伊達秀宗の家臣で宇和島藩総奉行として藩政改革に尽くしたが、1620(元和6)年政敵の陰謀で殺害された。その後、...

宇和島城の写真

宇和島城 ( 愛媛県 宇和島市 )

宇和島城は、市の中心、標高73mの丘の上に築かれた平山城で、戦国時代には板島丸串城と呼ばれて西園寺氏の居城であったが、1595(文禄4)年藤堂高虎が入部、翌年から6年の歳月をかけて本格的な築城を行った。築城の名手と言われた高虎が大名として初めて自分の居城につくった城である。その後1615(慶長20・元和元)年に伊達政宗の長子秀宗が...

宇和島闘牛の写真

宇和島闘牛 ( 愛媛県 宇和島市 )

宇和島近辺の村々で行われてきた闘牛は、起源は定かではないが、土俵を設け本格的に行われるようになったのは約170年前からといわれる。最も盛んだったのは大正末期から昭和初期で、農閑期やお祭りでは盛大に開催されていた。  現在では、宇和島市営闘牛場*において、1月2日、5月3日、8月14日、10月第4日曜日の年4回、定期闘牛大会が開か...

遊子水荷浦の段畑の写真

遊子水荷浦の段畑 ( 愛媛県 宇和島市 )

「耕して天に至る」という言葉がぴったりの段々畑の集積。住民が石を積み、造成した幅1m、高さ1.5m前後の狭くて細長い畑が、海岸の集落近くから山頂までに続いている壮大な景観。宇和海沿岸部には稲作に適した土地が少なかったことから、人々は山の斜面を開墾し江戸時代の終わりころにはサツマイモの栽培が行われていたが、明治末から大正に...

由良半島の写真

由良半島 ( 愛媛県 宇和島市 / 愛媛県 愛南町 )

由良半島は愛媛県の西南部に位置する豊後水道に長く突き出た半島部で、男性的な渦潮と荒波の中に、大猿、小猿の島々が映え、そそり立つ断崖の至る所に海水浸食の洞、怪礁がみられる。昔は串灘と呼ばれたように、突端まで長さ18km、数え切れないほどの入り江と小半島を長い串で刺したような形をしており、尾根を境に宇和島市津島町と南宇和郡...

滑床渓谷の写真

滑床渓谷 ( 愛媛県 宇和島市 / 愛媛県 松野町 )

滑床渓谷は足摺宇和海(あしずりうわかい)国立公園の一角で、宇和島市と松野町にまたがり、鬼ヶ城山・三本杭・高月山など1,000m級の山々に抱かれた長さ12kmに及ぶ渓谷である。その両側には自然探勝道*が取り付けられており、出合滑(であいなめ)・岳見岩(だけみいわ)・雪輪の滝(ゆきわのたき)・千畳敷(せんじょうじき)などの景勝が...

面河渓の写真

面河渓 ( 愛媛県 久万高原町 )

面河渓は石鎚山の南麓に位置する四国最大の渓谷で、結晶片岩を基盤とし、深成岩・変成岩が併入して形成されている。そのため、奇岩・断崖は黒・白・赤と様々な色彩を持ち、地質学上でも変化に富んだ峡谷美である。  面河渓の入口はバス停近くの両岸に70mもの絶壁が迫る関門(かんもん)で、鉢巻岩、面河川と鉄砲石川が合流する想思(そうし...

岩屋寺の写真

岩屋寺 ( 愛媛県 久万高原町 )

岩屋寺は四国霊場八十八ケ所第45番札所で、創建は815(弘仁6)年といわれている。三宝鳥(さんぽうちょう=コノハヅク)、慈悲声鳥(じひせいちょう=ヤマガラ)、鉦鼓鳥(しょうこちょう=キジバト)、鼓鳥(つづみどり=ホトトギス)、慈悲心鳥(じひしんちょう=ジュウイチ)、鈴鳥(すずどり=キビタキ)、笛鳥(ふえどり=ヒヨドリ)の...

四国カルストの写真

四国カルスト ( 愛媛県 久万高原町 / 高知県 津野町 )

愛媛県と高知県との県境にまたがる約25kmのカルスト*台地で、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台に並ぶ日本三大カルストの一つであり、標高が高いことが特徴となっている。  東部の標高1485mの天狗ノ森をピークにゆるやかな起伏の続く天狗高原、ほぼ中央の周辺に位置し、高山植物や200頭余りの牛が放牧され、のどかな風景が広がる姫鶴平(め...

来島海峡の潮流の写真

来島海峡の潮流 ( 愛媛県 今治市 )

今治市とその沖に位置する大島の間の幅5km弱の海峡。「一に来島、二に鳴門、三とさがって馬関瀬戸(ばかんせと)」とうたわれる海の難所で知られ、鳴門海峡・関門海峡と並ぶ日本三大急潮流の一つである。来島海峡は、1日に平均約1000隻もの船が通る日本有数の交通量の多い海峡で、中水道では最大10ノット(時速約18km)の流れとなって、渦潮...

大山祇神社の写真

大山祇神社 ( 愛媛県 今治市 )

大山祇神社は天照大神の兄である大山積大神を祀り、全国に一万社余りある山祇神社と三島神社の総本社といわれる愛媛県内最古の神社である。海の神や山の神として古代から日本総鎮守として尊称されており、多くの武将が祈願してきた。  大山祇神社の本殿、拝殿は国の重要文化財に指定され、格式高く、立派で厳かな雰囲気が感じられる。また...

今治城の写真

今治城 ( 愛媛県 今治市 )

関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城。香川高松城、大分中津城と並んで「日本三大水城」の1つに数えられる海の城。海砂が吹き揚げる海辺につくられたため、別名として吹揚城(ふきあげじょう)とも呼ばれる。  1602(慶長7)年に築城を始め、建造物も含めて完成したの...

石手寺の写真

石手寺 ( 愛媛県 松山市 )

石手寺は、四国霊場八十八ケ所第51番札所で、道後温泉から東に約1kmのところにある。  728(神亀5)年、伊予大領越智玉純(おちたまずみ)が国家鎮護の道場として創建した。翌年の729(神亀6・天平元)年には、行基(ぎょうき)が薬師如来を刻んで本尊とした。当時は安養寺(あんようじ)と称し、法相宗に属していたが、のちに弘法大師が訪...

太山寺の写真

太山寺 ( 愛媛県 松山市 )

太山寺は、四国霊場八十八ケ所第52番札所で、高浜港の東にそびえる経ケ森の中腹にある。  寺の縁起では587(用明2)年、豊後国臼杵(大分県)の真野(まの)長者が商いのために船で大阪に向かう途中、松山沖で海難に遭った際に、観音菩薩に祈って難を逃れられたことから、そのお礼として豊後の工匠を集めて木組みをした建材を松山まで運び...

伊佐爾波神社の写真

写真提供:伊佐爾波神社

伊佐爾波神社 ( 愛媛県 松山市 )

伊佐爾波神社は、神功皇后・仲哀天皇が、道後温泉に御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、延喜年間につくられた延喜式には既に記載が見られる古社で1000年以上前から信仰を集めていたことがうかがえる。一時期は湯月八幡宮とも、さらには道後八幡とも呼ばれていた。現在の社殿に建て替えたのは江戸時代の松山3代藩主、松平定長である。大...

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社)の写真

写真提供:伊豫豆比古命神社

伊豫豆比古命神社(通称:椿神社) ( 愛媛県 松山市 )

伊豫豆比古命神社は御創建2000年以上の歴史があり、尊称・敬称も親しく椿神社・お椿さんとも慕われ、商売繁昌・縁起開運の神様として全国から崇敬を寄せられている。特に、旧暦の1月7・8・9日に齋行される椿まつりは、善男善女が参詣される大変賑やかなお祭りである。  椿さんの由来は、神社周辺が昔、海原であり津(海の意)の脇の神社、...

松山城の写真

松山城 ( 愛媛県 松山市 )

松山城は松山市の中心地、城山(勝山)山頂に本丸があり、裾野に二之丸(二之丸史跡庭園*)、三之丸(堀之内)がある、広大な平山城である。加藤嘉明(かとうよしあき)が1602(慶長7)年に築城開始。1635(寛永12)年、松平定行が入封し、3年をかけて本壇を改築し三重の連立式天守を築造した。その後、1784(天明4)年、天守が落雷で焼失し...

ロシア兵墓地の写真

ロシア兵墓地 ( 愛媛県 松山市 )

日露戦争で捕虜となり、この地で亡くなったロシア兵の墓が、ロシア兵墓地である。日露戦争が始まった1904(明治37)年、松山市に全国初の収容所が設けられた。松山が捕虜収容所となった理由としては諸説あるが、港があり輸送に便利なこと、気候が温暖であること、港から街まで鉄道があったことなどが理由といわれている。捕虜収容所には、延...

萬翠荘の写真

萬翠荘 ( 愛媛県 松山市 )

萬翠荘は城山公園の南側にあり、旧松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵の別邸として建てられた建物で、1922(大正11)年、フランス風建築を得意とする建築技師である木子七郎(きごしちろう)によって設計・建築させた純フランス風洋館である。地上3階・地下1階建てで、建築面積は428.78m2、延床面積は887.58m<...

道後温泉本館の写真

写真提供:道後温泉

道後温泉本館 ( 愛媛県 松山市 )

道後温泉は、松山市街の北東端に位置する『坊っちゃん』でおなじみの名湯であり、日本三大古湯の一つ。その道後温泉のシンボルとして、今も多くの湯客に利用されている共同浴場が、道後温泉本館である。近代的旅館の立ち並ぶ温泉街の中央に、1894(明治27)年建築の瓦葺、三層楼の建物が、威風堂々とした姿を見せる。日本の公衆浴場として初...

新居浜太鼓祭りの写真

新居浜太鼓祭り ( 愛媛県 新居浜市 )

一宮(いつく)神社をはじめ新居浜市内各神社の総合例祭ともいうべき祭り。太鼓台は1台重さ約3t、高さ5.5m、長さ12mという巨大な山車であり、金糸銀糸で飾られた50台以上の太鼓台が市内を練り歩くさまは豪華かつ勇壮で、男まつりの異名もあるほど。地域の伝承によれば、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象とした神輿渡御の際、その列に参...

別子銅山跡の写真

別子銅山跡 ( 愛媛県 新居浜市 )

別子銅山は、新居浜市(旧別子山村)四国山地の山中に位置しており、足尾・小坂・日立とともに日本の代表的銅山であった。1691(元禄4)年の開坑に始まり、1973(昭和48)年3月の閉山に至るまで283年の歴史を有する。地中深く掘り進められた坑道の延長は約700km、深さは地下1,000mまで掘り続けられ、総産出量は約65万tにものぼり、新居浜市...

西山興隆寺の写真

西山興隆寺 ( 愛媛県 西条市 )

西条市丹原の西約3.5kmの山中にあり、養老年間(717~724年)に空鉢(くうばち)仙人が草庵を結んだのに始まり、桓武天皇のときには勅願寺となった。以来、千有余年、東予随一の霊地として信仰を集め、1187(文治3)年、源頼朝の帰依を得て、堂宇が造営されたが、現在の本堂は1375(文中4)年の建立で、石垣上に客殿や三重塔などとともに城の...

石鎚神社の写真

石鎚神社 ( 愛媛県 西条市 / 愛媛県 久万高原町 )

石鎚神社は日本七霊山の一つ石鎚山を神体山(神しずまります山)とする神社。山麓にたつ口之宮本社(くちのみやほんしゃ)、石鎚山中腹(7合目)の中宮成就社(ちゅうぐうじょうじゅしゃ)と土小屋遥拝殿(つちごやようはいでん)、石鎚山頂の奥宮頂上社(おくのみやちょうじょうしゃ)の4社を総称したものである。  祭神は石鎚毘古命(い...

武丈公園のサクラの写真

武丈公園のサクラ ( 愛媛県 西条市 )

武丈公園はJR伊予西条駅の南、ひうち灘にそそぐ加茂川(かもがわ)沿いの市民公園にある桜の名所で、背後に標高196mの八堂山(はちどうやま)を控えた眺めは「四国の小嵐山」と称えられるほどで、約1,500本の桜並木は愛媛県有数である。彼岸桜(ヒガンザクラ)や染井吉野(ソメイヨシノ)などの桜並木が加茂川に沿って続き、ロケーションの素...

笹ヶ峰の写真

笹ヶ峰 ( 愛媛県 西条市 / 高知県 いの町 )

標高1,860m、愛媛県西条市と高知県いの町の境に位置し、笹ヶ峰から瓶ヶ森、石鎚山に続く尾根の姿は秀麗で「伊予の三名山」と呼ばれており、これらの石鎚山系は四国の背梁山地を形成している。メインの登山口である笹ヶ峰西条側登山口まではマイカーでアクセスすることができる。  日本二百名山および四国百名山の一つに数えられ、山名はな...

石鎚山の写真

石鎚山 ( 愛媛県 西条市 / 愛媛県 久万高原町 )

西日本最高峰の石鎚山は標高1,982m、四国の屋根であり、西条市と久万高原町の境に位置する日本百名山の一つである。主峰の天狗岳を中心に、弥山、南尖峰の三山からなり、東西に石鎚山系の山々が連なって四国の背梁山地を形成している。  富士山、立山、白山、大峰山、釈迦ヶ岳、大山とともに、日本七霊山の一つにも数えられる信仰の山とし...

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海)の写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海) ( 愛媛県 大洲市 )

「肱川あらし」とは、晴れた日の朝、上流の大洲盆地で涵養された冷気が霧を伴い、両岸が山で挟まれた肱川を河口まで流れ出すという珍しい自然現象のことである。これは、大洲盆地と伊予灘との間の夜間の温度差によって起こる現象で、日没1~2時間後から翌日の正午頃まで、寒冷多湿の強風が肱川に沿って流れ、海上へ吹き出すさまをいう。  ...

(金山)出石寺の写真

(金山)出石寺 ( 愛媛県 大洲市 )

大洲市と八幡浜市との境、標高812mの出石山(いずしさん)山頂にあり、石鎚山や大野ヶ原などの四国連山などが一望できる寺院である。境内は豊かな自然林に覆われ、本堂や庫裏、護摩堂、大師堂などが荘厳なたたずまいを見せており、静寂で心休まる雰囲気に包まれている。  本尊である千手千眼観世音菩薩には伝説が残されており、寺伝による...

如法寺の写真

如法寺 ( 愛媛県 大洲市 )

如法寺は、大洲市冨士山(とみすやま)の中腹にある臨済宗の古刹で、もともと室町時代に喜多郡の領主・宇都宮氏によって創立された寺であった。その後、廃寺となったが、大洲藩2代藩主 加藤泰興(かとうやすおき)の命により開かれた寺院で、1669(寛文9)年、深く帰依した高名な禅僧 盤珪(ばんけい)禅師を招いて如法寺を開山した。当初...

大洲のいもたきの写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

大洲のいもたき ( 愛媛県 大洲市 )

「大洲のいもたき」とは、藩政時代から伝わる里芋などのブツ切りを、鉄鍋で煮込む郷土料理のことである。粘り気が強くホクホクとした食感の里芋、鶏肉を中心に、乾しいたけ、こんにゃく等を入れて煮込んだ、醤油ベースのほんのり甘い味が特徴となっている。  「大洲のいもたき」の歴史は、農民が集まる行事「お籠もり」から始まり、農民が...

皿ヶ嶺の写真

皿ヶ嶺 ( 愛媛県 東温市 / 愛媛県 久万高原町 )

皿ヶ嶺は石鎚山系の西部に位置し、皿ヶ嶺連峰県立自然公園に指定されている。山名は山頂の近くに皿のような平坦地があることに由来しており、標高は1,271mである。動植物の宝庫といわれており、特に、山野草の宝庫で四季折々の植物を観賞できる。山頂から、久万高原町や石鎚連峰を望むことができる。  山麓から中腹までは自動車で通行可能...

歌舞伎劇場内子座の芝居の写真

歌舞伎劇場内子座の芝居 ( 愛媛県 内子町 )

内子座はJR内子駅近くにあり、1916(大正5)年、大正天皇の即位を記念して創建された歌舞伎劇場である。建物は正面約20.1m、側面約23.8mの規模で、木造、一部二階建、入母屋造、桟瓦葺、妻入である。大屋根に太鼓櫓をのせ、両袖には2階建の切妻造の櫓風別棟が造られている。内部は桝席、向こう桟敷、花道などが設けられ、電動式の回り舞台も...

瀬戸内しまなみ海道(橋梁群)の写真

写真提供:本州四国連絡高速道路株式会社

瀬戸内しまなみ海道(橋梁群) ( 愛媛県 今治市 / 広島県 尾道市 )

広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ西瀬戸自動車道の橋の愛称。自転車歩行者道、原付道が整備されており、海峡を横断して、自転車や徒歩でも渡ることができる。なお、新尾道大橋は、自動車専用道となっていることから渡船または隣接する尾道大橋を利用することとなる。橋や島々を含む付近一帯が、広域観光圏となっている。  新尾道大橋は、...

高知の皿鉢料理の写真

写真提供:(公社)高知市観光協会

高知の皿鉢料理 ( 高知県 高知市 / 高知県 土佐市 )

海、山、里の物を少量ずつ盛った口取り肴=「組物(くみもの)」や刺身=「なま」、すしを「皿鉢」(口径一尺二寸(約36cm)以上の浅い皿でサワチ、サアチ、サラチ等と呼ぶ)に盛りつけたもので、1つの器の料理をわけあって食べる。県下では冠婚葬祭はじめ各種宴会の定番料理で、高知市内で専門家が手がけるほか、家々での祝宴時等に調理され...

龍河洞の写真

龍河洞 ( 高知県 香美市 )

土佐山田駅の東8km、バス20分。高知龍馬空港から車で15分、土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)のいち駅から8分、南国インターから25分。日本三大鍾乳洞のひとつ。標高322m三宝山中腹北方向きに開口した総延長で約4kmの鍾乳洞。  1931(昭和6)年に地元中学校教諭らの探検でそれまで知られていなかった上部開口部やその付近の弥生...

竹林寺の写真

竹林寺 ( 高知県 高知市 )

文殊信仰の霊場である唐の五台山に登って奥義を授かる夢をみた聖武天皇の命により行基が唐の五台山に似た霊地としてここを選び、724(神亀元)年に開創されたと伝わる。大同年間(806~809年)に弘法大師がここで修行したという由縁から、のちに四国霊場第三十一番札所になった。江戸期には土佐藩山内家が代々祈願寺とし、学侶が集まり、近世...

高知城の写真

高知城 ( 高知県 高知市 )

高知市中心部にあり、現在は高知公園として整備されている。バスまたは路面電車「高知城前」下車。日曜なら「蓮池通(はすいけどおり)」下車で追手筋の「日曜市」を抜けて城へ向かうのも良い。  17世紀初頭・慶長年間築城の平山城。城の立つ大高坂山(おおたかさかやま)は南北朝時代から軍事拠点として利用されてきた。二本の川に挟まれ...

高知県立牧野植物園の写真

写真提供:高知県立牧野植物園

高知県立牧野植物園 ( 高知県 高知市 )

1958(昭和33)年、高知県が生んだ植物学者、牧野富太郎*博士の業績を顕彰するため、高知市・五台山にある竹林寺の境内を譲られて開かれた県立の植物園。  約8haの園地には、博士ゆかりの植物など3,000種類が四季を彩り、1999(平成11)年に新設された牧野富太郎記念館では、博士の生涯を紹介する常設展に加え折々の企画展を開催している...

四万十川の写真

四万十川 ( 高知県 四万十市 / 高知県 四万十町 / 高知県 )

全長196km、流域面積2,186km2、支流総数は319を数える渡川(わたりがわ)水系本流の一級河川。清流、鮎の漁場として名高い。また代表的な景観として増水時に水中に沈むように設計された欄干のない沈下橋がかかる風景も知られている。  津野町の不入山(いらずやま、1,336m)東斜面が水源とされる東側の本流と最大支流の西側の梼...

室戸岬の写真

室戸岬 ( 高知県 室戸市 )

高知市から車で2時間弱。土佐湾の東端、室戸市の最南端。古くはむろとざき(室戸崎)。1927(昭和2)年に日本新八景として注目され、1928(昭和3)年に「室戸岬亜熱帯性樹林および海岸植物群落」が国の天然記念物、ついで国の名勝「室戸岬」の指定をうけた。  亜熱帯性樹林のなかでも目をひく存在としてアコウの林が紹介されている。たこの...

金剛頂寺の写真

金剛頂寺 ( 高知県 室戸市 )

四国八十八ケ所霊場第26番札所。807(大同2)年に平城天皇の命をうけ弘法大師によって創建されたといわれる。室戸三山*において通称「西寺(にしでら)」と呼ばれる。金剛頂寺は、高知市方面から国道55号をバス停元橋西の信号で左折、集落を通って山道を2kmほどのぼった台地にある。  駐車場から33段の女坂、42段の男坂、61段の厄除坂から...

最御崎寺の写真

最御崎寺 ( 高知県 室戸市 )

四国八十八ケ所霊場第24番札所。東寺*とも呼ばれる。室戸岬突端部後方の高い位置にあり、室戸市街地方面から室戸岬スカイラインで上っていくと、参拝路入口・駐車場まで行ける。  807(大同2)年の唐から帰国した空海が嵯峨天皇の命で開き、本尊・虚空蔵菩薩は空海作と伝わる。室町時代に足利氏の土佐の祈願所(安国寺)となり、江戸期に...

大堂海岸の写真

大堂海岸 ( 高知県 大月町 )

白い花崗岩の断崖景観。高さ30mの石柱の観音岩は遭難者をみちびいたという伝説、120mの断崖のお万の滝については悲恋物語が語り継がれている。  観音岩から大堂山展望台まで高低差200m、全長6kmの遊歩道がある。すべてを歩くと登山となるが、観音岩までは県道から近く比較的気軽に足を運べる。  柏島、竜ケ浜も見渡すことができる。海岸...

柏島の写真

柏島 ( 高知県 大月町 )

高知県西南端、足摺宇和海国立公園内。宿毛湾口にある周囲4km、面積0.6km2の島で、大月半島と橋で結ばれている。島の沿岸は南からの暖流黒潮(貧栄養)と、瀬戸内海から豊後水道を南下してくる富栄養な海水とが混じりあうことで、多種多様な海洋生物の宝庫*。  1990(平成2)年代以降ダイビングスポットとして有名になり、多く...

杉の大スギ(八坂神社境内)の写真

杉の大スギ(八坂神社境内) ( 高知県 大豊町 )

日本における代表的な杉の古木のひとつ。八坂(やさか)神社の境内に立つ。根本が合着した2本が寄り添っているような形状のいわゆる「夫婦杉」で南大杉の樹高が約60m根回り約20m、北が樹高57m根回り約16.5m。  1894(明治27)年の国道32号開通以降、馬車や人力車交通時代の宿駅であった杉のまちの大杉は知名度を増した。大正期に内務省天然...

豊楽寺の写真

豊楽寺 ( 高知県 大豊町 )

JR土讃線 大田口駅から徒歩30分。大田山大願院豊楽寺。724(養老8・神亀元)年、行基による創建が伝えられている真言宗寺院。  その薬師如来は国内有数に名高く、四国らしい谷をはさむ急峻な山の中腹にありながら信者参拝を迎えてきた。「柴折薬師(しばおりやくし)」ともよばれる。荒天による大破を被っては長宗我部元親(ちようそかべも...

足摺岬の写真

足摺岬 ( 高知県 土佐清水市 )

高知西南交通バス「足摺岬」下車。土佐清水市街から車で約20分。四国最南端の岬であり、足摺宇和海国立公園の中核的景勝地である。足摺岬の断崖にたつ国内最大級の灯台は高さ18m。1914(大正3)年の点灯。  バスの停留所は第38番札所、金剛福寺*(手前の駐車場)にあり、県道27号道路を挟んで食堂、喫茶店などの建物が軒を並べている。南...

(土佐)国分寺の写真

(土佐)国分寺 ( 高知県 南国市 )

土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)後免(ごめん)駅の北2.5km。高知市内に通じるとさでんバスの最寄りバス停から徒歩20分。  紀貫之*が国司として4年間滞在した国府の地。土佐国分寺は、天平年間(729~749年)に諸国に建てられた国分寺の一つで行基により741(天平13)年創建。本尊は行基作と伝わる千手観音。庭園などに杉苔が...

戸畑祇園大山笠の写真

戸畑祇園大山笠 ( 福岡県 北九州市 )

毎年7月の第4土曜日を挟む3日間に行われる。博多祇園山笠、小倉祇園太鼓とともに福岡県夏の三大祭りの一つとされる。起源は1803(享和3)年。疫病が戸畑地区で広まった折、疫病退散を須賀大神に祈願すると御神徳により平癒したため、山笠をつくり祝ったことが始まりといわれる。  山笠は戸畑区内にある4地区により展開され、それぞれ東大山...

小倉祇園太鼓の写真

写真提供:小倉祇園太鼓保存振興会

小倉祇園太鼓 ( 福岡県 北九州市 )

八坂神社の夏季大祭で、博多や戸畑の祇園と並び福岡県三大夏祭りの一つである。「太鼓祇園」とも呼ばれるように太鼓が中心の祭りで、映画や歌でよく知られる「無法松の一生」で有名になった。山車の前後に乗せた太鼓をヂャンガラという鉦に合わせて、4人の打ち手が両面から力いっぱい打ちならし、町を練り歩く。  起こりはおよそ400年前。...

小倉城の写真

小倉城 ( 福岡県 北九州市 )

JR小倉駅の南西約1,000mにある。関ヶ原の戦いののちに入国した細川忠興が1602(慶長7)年に以前の城の大改築を始めたもので、最盛時は148基もの櫓が立ち並んだ大城郭であったという。細川氏が肥後へ転封後は1632(寛永9)年に播磨明石より小笠原忠真が入り、以後、小笠原氏が10代235年間にわたって九州の要としての重責を果した。  当初の...

黒崎祇園山笠の写真

黒崎祇園山笠 ( 福岡県 北九州市 )

400年以上の歴史を持つ祇園祭で、北九州市八幡西区にある岡田神社(岡田宮)、春日神社、一宮神社に奉納される。毎年7月の3・4週目のなかで4日間にわたって開催され、前夜祭の山笠競演会に始まり、街中巡行、解散式と続く。黒崎祇園山笠は、お清めの儀式である「お潮井とり」を終えたのちに、山笠の装飾が、笹を2本立て注縄で繋いだ笹山笠か...

犬ヶ岳のツクシシャクナゲの写真

犬ヶ岳のツクシシャクナゲ ( 福岡県 豊前市 )

犬ケ岳は豊前市の南方、大分県との県境付近に位置する標高約1,130mの山で、一帯は高山植物の宝庫。尾根沿いのブナ林帯に淡いピンク色のツクシシャクナゲが自生する。「犬ヶ岳ツクシシャクナゲ自生地」が国の天然記念物に指定されている。

マリンワールド海の中道の写真

写真提供:海の中道海洋生態科学館

マリンワールド海の中道 ( 福岡県 福岡市 )

玄界灘に突き出た海の中道の一角に位置する。博多湾に面し、対岸に福岡市街中心部を望む。2017(平成29)年4月にリニューアルオープンし、展示の進化、空間演出の強化、施設の快適性の向上により、“海をより身近に感じられるリゾート施設”へと生まれ変わった。  正面から空に向かって広がるような扇形の建物は3階建てで、館内には10のテー...

西公園のサクラの写真

写真提供:大濠・西公園

西公園のサクラ ( 福岡県 福岡市 )

福岡市のほぼ中央、丘陵地にあり、古くから博多湾を望む景勝地。展望台からは博多湾・志賀島などが一望に収められる。黒田長政の福岡移封と同時に、この地に東照権現を守護神として祭り、以降、霊山として知られた場所であり、敷地内には黒田孝高・長政を祭る光雲神社や、徳富蘇峰の詩碑など史跡もある。  園内は桜の名所で、福岡県で唯一...

筥崎宮の写真

筥崎宮 ( 福岡県 福岡市 )

筥崎八幡宮とも称され、宇佐、石清水八幡宮とともに、日本三大八幡宮の一つに数えられる。応神天皇が主祭神として祀られており、醍醐天皇が社殿を建立したと伝わる。創建時期は平安時代中頃とされているが諸説ある。  鎌倉時代中期、蒙古襲来(元寇)で勝利を収めたことを機に厄除け、勝運の神として知られるようになる。足利尊氏、大内義...

福岡城の写真

写真提供:福岡市

福岡城 ( 福岡県 福岡市 )

関ケ原の戦の功により、筑前52万3,000石を拝領した黒田長政が1601(慶長6)年から7年間かけて建立した城。壮大な平山城で、堀を含めた総面積110万m2、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模である。現在残っているのは、天守台・多聞櫓・(伝)潮見櫓・下之橋御門・旧母里太兵衛邸長屋門・名島門など。城跡は舞鶴公園として公開...

大濠公園の写真

写真提供:大濠・西公園

大濠公園 ( 福岡県 福岡市 )

福岡市のほぼ中央、福岡城跡の西に立地。黒田長政が福岡城を築城する折、城の外堀として利用した博多湾の入江を、昭和初期に県営公園としたもの。総面積約39万8,000m2のうち、半分以上の約22万6,000m2を池が占める水の公園で、池畔には柳・ツツジが植えられ、中の島には観月橋が架かり、ボートが浮かぶ。池の周辺には...

博多祇園山笠の写真

博多祇園山笠 ( 福岡県 福岡市 )

博多最大級の祭礼。博多祇園山笠の起源は諸説あるが、鎌倉時代、承天寺の聖一国師が博多に流行った病魔退散を祈願し、施餓鬼棚を町人にかつがせて町々を回り、疫病を封じたことが始まりとするのが通説である。むかしは約五十尺の山笠をそのままかついだが、電線などの障害物のため、明治の末ごろから飾り山笠とかき山笠に分かれた。飾り山笠...

福岡市博物館の写真

福岡市博物館 ( 福岡県 福岡市 )

福岡タワーの南にある歴史民俗博物館。「Fukuoka アジアに生きた都市と人びと」をテーマに、福岡の歴史と人々のくらしを紹介する。特に、大陸文化の玄関口であった福岡ならではの、対外交流に重点を置いた構成になっている。  国宝の「金印*」をはじめ、黒田家の家臣「黒田二十四騎」のひとり、母里太兵衛が福島正則から”呑み取った”とさ...

承天寺の写真

承天寺 ( 福岡県 福岡市 )

臨済宗東福寺派の寺院で、1242(仁治3)年に謝国明が創建し、開山は後に京都の東福寺を開いた聖一国師による。博多での聖一国師との結びつきから、承天寺は臨済宗東福寺派で中心的役割をなし大いに栄え、盛時には塔頭が43寺もあったと伝わる。第二次世界大戦で山門、勅使門、塔頭二寺を焼失、さらに戦後の都市計画により、境内の規模は大幅に...

福岡市動植物園の写真

写真提供:福岡市動植物園

福岡市動植物園 ( 福岡県 福岡市 )

1933(昭和8)年、昭和天皇御即位記念事業として整備された御大典記念・福岡市動植物園が前身。戦時中の閉鎖を経て、1953(昭和28)年に現在の場所に動物園が開園。2018(平成30)年に開園65周年を迎えた。  ほ乳類38種210点、鳥類57種210点、は虫類12種49点を展示(2020年4月末現在)。  現在、一部老朽化が目立つ園内はエリアごとにリ...

田川市の炭坑節の写真

写真提供:田川市石炭・歴史博物館

田川市の炭坑節 ( 福岡県 田川市 )

「月が出た出た 月が出た ヨイヨイ」の歌詞で知られる炭坑節。田川市の三井田川炭鉱で、坑内から運び出された炭塊を選り分けるときに歌う選炭唄がルーツで、石炭ブームにのって全国に広がった。歌詞の中の「一山、二山、三山越え」というのは3峰よりなる香春岳を指している。  1932(昭和7)年、最初に「炭坑唄」を収録したのは日東レコ...

石人山古墳の写真

石人山古墳 ( 福岡県 広川町 )

八女市と広川町にまたがる八女丘陵には大小約300基の古墳がある。これらの古墳群のうち代表的な石人山、岩戸山、乗場、善蔵塚、弘化谷、丸山塚、丸山、茶臼塚の八基が八女古墳群として1978(昭和53)年史跡に指定された。  その中の一つ石人山古墳は、長峰丘陵の一部を利用し5世紀前半代に築造された八女地方最古の前方後円墳。最古期の装...

岩戸山古墳の写真

写真提供:岩戸山歴史文化交流館

岩戸山古墳 ( 福岡県 八女市 )

八女古墳群のひとつである岩戸山古墳。墳丘長約135m、全長170m以上の規模を誇る北部九州最大の前方後円墳である。古墳の形の特徴として、後円部の北東側に1辺約43mの方形区画が存在する。筑紫君磐井の墓といわれ、石人・石馬や多くの埴輪が出土。出土品は八女市岩戸山歴史文化交流館に多数展示。

風治八幡宮 川渡り神幸祭の写真

写真提供:田川市役所

風治八幡宮 川渡り神幸祭 ( 福岡県 田川市 )

風治八幡宮の例大祭で、福岡県指定無形民俗文化財第1号に登録された祭り。福岡県五大祭りの一つにも数えられている。  永禄年間(1558~1570年)、伊田村に疫病が流行した折、氏神である風治八幡宮に終息を祈願、成就のお礼に幟山笠を奉納したことが起源とされる。  神輿2基と、各町内から出る幟山笠が彦山川を渡るさまが人気で、毎年多...

英彦山神宮の写真

英彦山神宮 ( 福岡県 添田町 )

英彦山の山内至る所に社殿が散在している。主な社殿は上宮、中宮、下宮と、奉幣殿および摂社の高住神社や玉屋神社などがあるが、鬱蒼とした杉の長い参道や坊跡に修験道の往時を伝える。参道は銅鳥居(かねのとりい)からはじまり、民家や坊の並ぶ桜並木の石段を500m登ると神宮下。さらに300段の石段を登ると奉幣殿で、そこから上宮までは約2k...

旧亀石坊庭園の写真

写真提供:添田町役場

旧亀石坊庭園 ( 福岡県 添田町 )

室町時代の画僧・雪舟が、英彦山中腹の亀石坊に滞在し、1476~79(文明8~11)年の間に築いたと伝わる699m2の池泉観賞式の庭園。1928(昭和3)年に国の名勝に指定された。自然の山林を背景に巨石を配し、滝を模した石組が設けられており、複雑に入り組んだ池の形状も特徴的で美しい。

旧藏内邸の写真

写真提供:築上町

旧藏内邸 ( 福岡県 築上町 )

築上町の田園風景のなかに立つ大邸宅。筑豊地方の炭鉱経営で財を成した、藏内家三代(藏内次郎作、保房、次郎兵衛)の本家住宅である。敷地は7135m2、延床面積1250m2にも及び、九州では最大級の規模。1906(明治39)年ごろの造営で、その後大正時代に入って増築されたものという。大玄関をはじめ、大広間、煎茶の茶室...

大野城跡の写真

大野城跡 ( 福岡県 大野城市 / 福岡県 宇美町 / 福岡県 太宰府市 )

大野城市、宇美町、太宰府市にまたがる四王寺山(大城山)一帯に残る古代の山城跡。  百済軍に加勢し唐・新羅軍と戦うために朝鮮半島に出兵した大和朝廷は、663(天智天皇2)年、白村江の戦いに敗戦。唐・新羅軍の侵攻の脅威を受け、まずは664(天智天皇3)年、筑紫国に水城を築く。さらに665(天智天皇4)年、大宰府政庁を防衛するために...

三井三池炭鉱跡の写真

写真提供:大牟田市

三井三池炭鉱跡 ( 福岡県 大牟田市 / 熊本県 荒尾市 )

1469(文明元)年に、地元の農夫が焚き火の中で燃える石を見つけたというのが、大牟田における石炭発見の歴史だと伝わる。  江戸時代から採掘が行われ、1873(明治6)年には官営化され、西洋技術による近代化を進めていった。1889(明治22)年、三井財閥に払い下げられ、勝立坑、宮原坑、万田坑などを次々と開坑。日本の近代化を支えてきた...

大宰府政庁跡の写真

写真提供:太宰府市

大宰府政庁跡 ( 福岡県 太宰府市 )

大宰府は律令制下において九州を治め、外交と防衛を担った地方役所。大陸に近いという立地の重要性から対外交渉を担うなど朝廷から大きな権限を与えられた時期もあった。7世紀後半に太宰府市内にその中枢がおかれ、その遺跡が残っている。  現在、大宰府政庁跡は3基の石碑の立つ辺りが正殿跡、ほかに中門・南大門・東殿・西殿などの礎石が...

九州国立博物館の写真

九州国立博物館 ( 福岡県 太宰府市 )

「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」というコンセプトのもと、全国4番目の国立博物館として2005(平成17)年に開館。太宰府天満宮奥手の丘陵地に立ち、太宰府天満宮から長いエスカレーターでアプローチすると、周囲の山並みに溶け込む穏やかな曲線を描いた全面ガラス張りの近代的な建物が突如現れ、圧倒される。自然光が差し込むエ...

篠栗四国八十八カ所の写真

篠栗四国八十八カ所 ( 福岡県 篠栗町 )

若杉山の麓に広がる、自然豊かな篠栗。9世紀、唐から帰った弘法大師が修法したとされる地で、古来より山岳信仰や真言密教の聖地と伝えられている。  篠栗四国八十八カ所は、尼僧・慈忍が1834(天保5)年、弘法大師の教えを広めるため四国八十八ケ所の霊場を模擬しようとしたが、途中で挫折。当地の藤木藤助が後を継いで88体の仏像を彫刻し...

高良大社の写真

高良大社 ( 福岡県 久留米市 )

市の東郊高良山にある。4世紀の創祀と伝え、筑後國一之宮であり古くは九州の宗廟とあがめられた。全国六社のうち九州では一社だけしかない国幣大社*である。  現在の社殿は1660(万治3)年に筑後久留米藩3代藩主・有馬頼利公が造営したもので、天竺様、唐様*、和様を用いた杮(こけら)葺の権現造*。また、山内には孟宗金明竹と呼ばれる...

柳坂曽根のハゼ並木の写真

写真提供:公益財団法人 久留米観光コンベンション国際交流協会

柳坂曽根のハゼ並木 ( 福岡県 久留米市 )

耳納連山北麓、谷川の高曽根川沿いに、南北約1.2kmにわたってつづく江戸時代に植えられた並木。久留米市荘島町生まれで明治時代に活躍した洋画家の青木繁が、「わが国は 筑紫(つくし)の国や 白日別(しらひわけ) 母います国 櫨多き国(はじおほきくに)」と詠んだことでも知られる。1964年(昭和39)年5月には県の天然記念物にも指定さ...

秋月城下町の写真

写真提供:朝倉市商工観光課

秋月城下町 ( 福岡県 朝倉市 )

朝倉市の中心市街地から北へ約7km、標高約860mの古処山の麓に広がる城下町・秋月。中世からここに拠った秋月氏が豊臣秀吉に抗して遷されたのち、黒田長政の三男長興が秋月藩初代藩主となり、1624(寛永元)年に新たに城を築き、5万石の城下町として復興した。今は石垣と堀の一部が残り、黒門や長屋門などに昔日の面影が偲ばれる。  町全体...

関門海峡の写真

関門海峡 ( 福岡県 北九州市 / 山口県 下関市 )

本州山口県下関市と九州福岡県北九州市の間に位置する。日本海側の響灘と、瀬戸内海や周防灘を結ぶ海峡で、古くから海上交通の要衝であり、重要な航路であった。  歴史的にも、壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水した地、また巌流島での宮本武蔵・佐々木小次郎の決闘の場でもある。  両側にある海域で生じる潮位差により、急潮流や複雑な潮汐...

筑後川(中下流)の写真

筑後川(中下流) ( 福岡県 うきは市 / 福岡県 久留米市 / 福岡県 他 )

大分・熊本に端を発し、福岡・佐賀にまたがって流れる九州第一の大河。その長さ143km、流域面積2,860km2におよぶ。源は九重山地に発する玖珠川と阿蘇外輪山に発する大山川。このふたつの流れが日田盆地で合流して三隅川になる。さらに、大分・福岡県境の渓谷を経て筑紫平野へ流れ込んでいく。ここで筑後川と呼ばれるようになり、...

新川田篭の町並みの写真

新川田篭の町並み ( 福岡県 うきは市 )

筑後川の支流の一つである隈上川沿いの谷筋に広がる集落。川水を、水路を使って利用し、石垣で造成した棚田で稲作を営んでいる。上から見ると棟がコの字型をした「くど造り」と呼ばれる形式の民家・平川家住宅*を代表とした寄棟造の茅葺きの主屋など、昔ながらの建築が残り、かつての農村景観を今に伝えている。

有田焼窯元群の写真

写真提供:有田観光協会

有田焼窯元群 ( 佐賀県 有田町 )

有田は日本有数の磁器の産地。17世紀の初めに、朝鮮人陶工・李参平が泉山で陶石を発見したことに始まり、2016(平成28)年に有田焼創業400年を迎えた。町内に約100の窯があるが、県道281号沿いに展示即売する店が軒を連ねる。代表的な窯元としては柿右衛門窯・今右衛門窯・源右衛門窯のほか、香蘭社・深川製磁などがある。

有田陶器市の写真

写真提供:有田商工会議所

有田陶器市 ( 佐賀県 有田町 )

1896(明治29)年に、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれたのがきっかけ。のちに、品評会と同時に開催されるようになった大売出しが陶器市のはじまりだ。現在は有田商工会議所が主催する。延々4kmに窯元、商社の店舗が並ぶ。陶磁器を山と積んで年に一度の蔵ざらえで人気を呼んでいる。4月29日~5月5日の会期中は、全国から...

武雄温泉の大衆浴場の写真

写真提供:武雄温泉(株)

武雄温泉の大衆浴場 ( 佐賀県 武雄市 )

温泉駅の西方、蓬莱山麓に湧く武雄温泉は「肥前風土記」にも登場し、神功皇后が三韓出兵の折に湯浴みしたと伝わる古湯。湯は弱アルカリ単純泉で、疲労回復・神経痛・筋肉痛・関節痛などに効能があるという。温泉街の中心には竜宮城のような朱塗の楼門が立ち、ひときわ目を引く。設計は東京駅舎などを手がけた辰野金吾で、国の重要文化財に指...

御船山のツツジの写真

御船山のツツジ ( 佐賀県 武雄市 )

御船山の南西麓にある。鍋島家の別荘跡で、その庭園は第28代藩主茂義が1852(嘉永5)年に京都より絵師を招いて計画を書かせ、3年の歳月を費して造園した。桜・ツツジ・藤・シャクナゲなどが見られる。ことに5万株(20万本)もあるツツジがピンクや白い花をつける4月末から5月にかけてがみごと。

川古のオオクスの写真

川古のオオクス ( 佐賀県 武雄市 )

市の北、若木町川古の日子神社にある。樹齢3,000年以上といわれ、樹高25m、根回り33m、枝張りは東西・南北27mもある巨木。幹の空洞に稲荷を祭る。国の天然記念物。

虹の松原の写真

虹の松原 ( 佐賀県 唐津市 )

松浦川口の東唐津から浜玉町玉島川尻まで、ゆるい弧を描く砂浜にクロマツがびっしりと根をはっている。幅400~700m、長さ約4.5kmにわたる広大な松原は、日本三大松原*のひとつで、玄海国定公園を代表する景勝地である。初代唐津藩主・寺沢志摩守広高が防風防潮林として植えたもので、現在約100万本。遠浅で波静かな海岸は絶好の海水浴場。

名護屋城の写真

写真提供:肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会

名護屋城 ( 佐賀県 唐津市 )

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して拠点とした城で、全国の諸大名が普請し1591(天正19)年10月からわずか6カ月で築城したと伝わる。唐津市の北西、小高い丘陵にあり、玄界灘を望む。名護屋城の周囲約3km以内に、全国各地から集まった名だたる戦国大名の陣屋が130以上も立ち、多いときには20万人以上の人口がいたという...

見帰りの滝のアジサイの写真

写真提供:一般社団法人 唐津観光協会

見帰りの滝のアジサイ ( 佐賀県 唐津市 )

相知町の北方、伊岐佐の山間にある落差約100mの滝で、アジサイと紅葉期の景観は絶景となる。標高887mの作礼山に源を発する伊岐佐川にあり、昔から川魚も多く生息し、アユ釣りができる。滝と下流の周辺に約50種・4万株のアジサイが植えられており、1988(昭和63)年以降、毎年6月に「見帰りの滝アジサイ祭り」が催される。  滝のすぐ側に駐...

唐津くんちの写真

写真提供:唐津市役所

唐津くんち ( 佐賀県 唐津市 )

唐津神社の秋季例祭で11月2日の宵曳山に始まり、3日の御旅所神幸、4日の翌日祭に終わる。唐津の地主神、唐津大明神の市中巡行に供奉して曳山が従うもので、むかしは傘鉾であったという。  現在の曳山が巡行するようになったのは1819(文政2)年からである。くんち当日は法被姿の若者達が笛・鐘・太鼓にのって、鯛・鳳凰丸・飛龍などの勇壮...

多久聖廟の写真

多久聖廟 ( 佐賀県 多久市 )

JR多久駅の南4kmにある孔子廟。1699(元禄12)年、多久家4代茂文が東原庠舎を建てて孔子と四哲(四配)の像を祭り、1708(宝永5)年の完成を待って聖廟にこれらの像を移した。廟は朱塗で屋根は入母屋造、正面に唐破風の向拝をつけている。内外に動植物の彫刻を施した壮麗な建物で、中国様式を取り入れた日本建築である。

小城公園のサクラの写真

写真提供:小城市役所

小城公園のサクラ ( 佐賀県 小城市 )

小城駅の北300mにある。小城藩初代藩主・鍋島元茂と2代・直能が造った名庭園・自楽園と蛍川を公園に整備した。3月下旬には約3,000本の桜が、5月上旬には約2,500本のツツジ・藤が咲き誇り花見客の目を楽しませる。  小城公園自体は1875(明治8)年、佐賀県で最初の公園に指定された。園内には、小城藩主別邸跡や、7代藩主・直愈が建立した小...

祐徳稲荷神社の写真

写真提供:祐徳稲荷神社

祐徳稲荷神社 ( 佐賀県 鹿島市 )

日本三大稲荷の一つに数えられる九州屈指の神社。石壁山を背後にして本殿が立ち、広い境内に楼門・神楽殿・岩本社・石壁社・奥ノ院などが点在する。本殿は18mの舞台上に三方唐破風の屋根をつけた朱塗の絢燗たるもの。また楼門の随神像や装飾に有田焼が用いられている。本殿へのアプローチは、以前は階段のみだったが、近年、エレベーターも設...

浜中町八本木宿の町並みの写真

浜中町八本木宿の町並み ( 佐賀県 鹿島市 )

江戸時代に長崎街道の脇街道である多良海道の宿場町として栄えた。また、多良岳山系の清水と佐賀平野の米に恵まれ、江戸中期頃から酒造が次第に盛んになり、江戸後期には10数軒の酒屋があった。現在も全国に銘酒を送り出す酒蔵が3蔵残る。旧多良海道は通称「酒蔵通り」と呼ばれ、醸造町として初めての重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け...

大和町巨石群の写真

大和町巨石群 ( 佐賀県 佐賀市 )

古くは、肥前風土記にも記された大和町下田山中の巨石群。10mをはるかに上回る巨石群は、肥前国一の宮として栄えた与止日女神社のご神体と考えられている。巨石のある山の麓は巨石パークとして市が管理している。釣り体験コーナー、多目的広場などもある。

嘉瀬川の石井樋の写真

嘉瀬川の石井樋 ( 佐賀県 佐賀市 )

嘉瀬川は佐賀市三瀬の脊振山系に源を発し、神水川、名尾川などの支川を合わせながら山間部を流れ、途中多布施川を分派し、さらに下流で祇園川を合わせて佐賀平野を貫流し、有明海に注ぐ。一級河川。流域は佐賀市をはじめ3市。  佐賀平野は、干拓によって干潟から農地に変えるなどしてできた土地。佐賀平野での農業用水として活用されてきた...

佐賀元祖忍者村 肥前夢街道の写真

写真提供:佐賀元祖忍者村 肥前夢街道

佐賀元祖忍者村 肥前夢街道 ( 佐賀県 嬉野市 )

嬉野温泉街の東部に広がる。面積約7万m2に、江戸時代の長崎街道の町並みや風物を、時代考証に基づいて再現。園路に沿って、関所、代官所、本陣、忍者屋敷、からくり時計台、旅籠、芝居小屋などが次々に出現する。園内では大道芸人が妙技を披露し、当時の扮装をした案内人などが、江戸情緒を演出している。「はがくれ忍者屋敷」は、...

大興善寺の写真

大興善寺 ( 佐賀県 基山町 )

JR基山駅の北西4kmにある。717(養老元)年の開山で、のち円仁が中興して栄えた。境内には約5万本のツツジがあって、「つつじ寺」とも呼ばれ4月中~5月中旬がツツジの見頃である。  6月はアジサイ、新緑が美しい。また、11月中旬から下旬にかけて500本のもみじの紅葉も風情がある。

大川内山(伊万里焼)の写真

大川内山(伊万里焼) ( 佐賀県 伊万里市 )

市南部の大川内山は1675(延宝3)年に有田南川原山から鍋島藩の御用窯が移されて以来、明治時代まで色鍋島・鍋島青磁などが焼かれていたところである。今日、個人窯がその技術を受け継いでいるが、御用窯時代の関所跡、登窯跡、陶工の墓なども残っている。大川内山のレンガ造の煙突や磁器の破片の落ちた小道には窯元の町の雰囲気がある。  ...

由布岳の写真

写真提供:由布市

由布岳 ( 大分県 由布市 )

標高1,584mの双耳峰。鶴見岳とともに別府市の背景をなすトロイデ型(鐘状)の秀峰で、豊後富士とも呼ばれている。10月下旬には潅木や草が微妙に色づき、冬は霧氷が美しい。山頂は東西2峰からなり、眺望は雄大で、初夏にはミヤマキリシマ、夏にはミヤマオダマキ、シコクフウロウなどの高山植物が花咲く。  主要な登山道は正面登山口で、車で...

湯平温泉の写真

湯平温泉 ( 大分県 由布市 )

町の南端、大分川支流の花合野川に沿った山間にある温泉。温泉街の中央に敷かれた長い石畳の道は、およそ300年前の享保年間(江戸時代)に病魔退散を祈願した工藤三助により建設されたもの。その狭い石畳の道を挟み、旅館や土産物店が立ち並び、まさに湯治場というにふさわしい雰囲気がある。弱食塩泉、60~80度。胃腸病に効能があるという。

祖母山の写真

祖母山 ( 大分県 豊後大野市 / 大分県 竹田市 / 宮崎県 高千穂町 )

大分・宮崎県境にそびえる標高1,756mの山。祖母傾山系の主峰であり、急峻な山相が特徴。火山活動によって形成された山であるため巨大な岩石が随所に見られる。ブナ・モミ・アカマツなどの原生林におおわれ、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカや、イワナ、ムササビなどが生息する。祖母山周辺は銅や錫、マンガン、水晶など、鉱物...

富貴寺の写真

富貴寺 ( 大分県 豊後高田市 )

市の東部、国東半島ののどかな山里にある。六郷満山*の中で、満山を統括した本山末寺の一つで、寺伝では718(養老2)年の創建と伝える。大堂と庫裏が立つだけだが、大堂のまわりには五輪塔・笠塔婆・宝篋印塔などの石造物も残り、古刹らしい雰囲気に包まれている。  大堂は国宝指定。平安後期の建築で、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などと...

田染荘の写真

写真提供:豊後高田市

田染荘 ( 大分県 豊後高田市 )

火山活動でできた円錐形の国東半島。その南部に広がる田染盆地では、743(天平15)年の墾田永年私財法の成立によって、この地を豊かな水田地帯にしようと、農民や宇佐神宮が尽力。誕生したのが、この田染荘だ。宇佐神宮の「本御荘十八箇所」とよばれる根本荘園のひとつで、最も重用視された荘園として栄えた。土地の地形をそのまま利用した、...

別府八湯の写真

別府八湯 ( 大分県 別府市 )

鶴見岳と伽藍岳の2つの火山の麓に立地する別府市。市内いたるところに多数の温泉が湧き出ている。日本一の湧出量を誇り、日本にある10の泉質のうち、7種が存在する。街中の随所から立ち昇る湯けむりも印象的な風景として知られる。別府・鉄輪・観海寺・明礬・亀川・柴石・堀田・浜脇の市内全域に点在している8カ所の温泉地を総称して、別府八...

鉄輪温泉の写真

鉄輪温泉 ( 大分県 別府市 )

市街の北西部、扇山の北東裾野にある温泉。もといわゆる地獄地帯であったのを一遍上人が埋めて開いたといわれ、湯治場として発展した。今もいたるところから蒸気が噴出して壮観であり、別府観光のハイライトである地獄もここに集中している。外湯と呼ばれる立ち寄り共同浴場も多い。  九州横断道路の入口になって以来、宿泊施設は近代化し...

日田祇園祭の写真

写真提供:日田市役所

日田祇園祭 ( 大分県 日田市 )

約300年の伝統を誇る日田の夏の伝統行事。毎年7月、疫病や風水害を払うとともに安泰を祈念し、絢爛豪華な山鉾が祇園囃子の音色とともに隈・竹田地区、豆田地区の町並みを巡行する。毎年作り替えられる山鉾は「ヤマ」と呼ばれ、現在、祭りで曳き出されるヤマは、隈地区の三隈町、大和町、竹田地区の川原町、若宮町、豆田地区の下町、上町、港...

英彦山の写真

写真提供:添田町役場

英彦山 ( 福岡県 添田町 / 大分県 中津市 )

福岡県田川郡添田町と大分県中津市山国町の県境に広がる。北岳・中岳・南岳の3つのピークがあり、標高は1,199m。かつては出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並ぶ日本屈指の霊場、修験場として栄え、最盛期の江戸時代には、俗に「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと伝えられている。山中には修験場を思わせる、数多くの...

耶馬渓の写真

写真提供:一般社団法人 中津耶馬渓観光協会

耶馬渓 ( 大分県 中津市 )

英彦山に源を発する山国川を中心に、東西36km、南北32kmに及ぶ地域を占め、本・羅漢寺・深・裏・奥・東・羽高・津民・南・椎屋の耶馬十渓に大別される。耶馬渓溶岩台地が浸食されたもので、頼山陽*が絶賛して以来、無数の岩峰が造形する南画的風景で名高い。5月の新緑や10・11月の紅葉期の景観は格別である。  みどころとして有名なのは、...

耶馬渓橋の写真

耶馬渓橋 ( 大分県 中津市 )

山国川に架かる石橋で、青の洞門*の下流約500mにある。1923(大正12)年に竣工。日本で唯一の八連石造アーチ橋で、橋長116m。日本百名橋の一つ。また地元では「オランダ橋」という愛称で呼ばれているが、これは長崎県に多い水平な石積み方式であるため、と推測されている。

岡城跡の写真

岡城跡 ( 大分県 竹田市 )

瀧廉太郎*の名曲「荒城の月」*を生んだ岡城跡は、JR豊後竹田駅の東方にある。1185(文治元)年、緒方三郎惟栄(これよし)が、稲葉川と白滝川が合流する天然の高台に築城した。のち1594(文禄3)年、中川秀成(ひでしげ)が入城し、明治まで中川氏13代の居城となった。城郭は中川氏によるもので、本丸、二の丸、三の丸、西の丸などから成る。...

くじゅう連山の写真

写真提供:竹田市役所

くじゅう連山 ( 大分県 九重町 / 大分県 竹田市 )

玖珠郡九重町と竹田市久住町にまたがる連山で、阿蘇くじゅう*国立公園の中部に位置する。久住山(1,787m)を盟主として、大船山(たいせんざん)、星生山(ほっしょうざん)、三俣山(みまたやま)など1,700m級の山々が11峰、1,000m以上の山々が35峰連なり、“九州の屋根”と呼ばれている。  山群は大別して久住、大船、涌蓋(わいた)の3火...

坊ガツル湿原の写真

写真提供:長者原ビジターセンター

坊ガツル湿原 ( 大分県 竹田市 )

くじゅう*の山々に囲まれた標高1,200~1,300m付近に位置する湿原。2005(平成17)年、長者原のタデ原湿原とともにラムサール条約*に認定された。希少な植物の宝庫でもある。

長湯温泉の写真

長湯温泉 ( 大分県 竹田市 )

久住山を背に、芹川のほとりに湧く温泉。竹田市直入町の中心エリアであり、付近には旅館や商店が立ち並ぶ。「風土記」にも記載があるとされる古い歴史をもつが、江戸時代に岡藩主・中川氏に愛され、岡藩普請による御前湯が作られ、温泉地として整っていった。  高濃度の炭酸を含む茶褐色の湯で知られ、慢性消化器病などに効能があるという...

竹田の井路群の写真

竹田の井路群 ( 大分県 竹田市 )

竹田市周辺には、「井路」と呼ばれる農業水利施設が多く残っている。井路とは水路、灌漑用水路のこと。  「音無井路円形分水」は、竹田から高千穂へ向かう県道8号からさらに細道に入った場所にある。円形分水の名前の通り、水の争いを解決することを目的に造られた、公平に水を分配する仕組み。1934(昭和9)年に完成した。円形の真ん中に...

白水ダムの写真

白水ダム ( 大分県 竹田市 )

JR豊後竹田駅の南西約11kmの里山にある。水に恵まれない周辺地域の安定水源として、1934(昭和9)年着工、1938(昭和13)年に完成した石造りのダム。正式名称は「白水溜池堰堤水利施設一溝」という。  設計は小野安夫技師によるもので、堰堤下の岩盤が弱いため、水圧を抑える工夫がされている。右岸は「武者返し」と呼ばれる曲面流路、左岸...

高崎山のサルの写真

高崎山のサル ( 大分県 大分市 )

大分・別府両駅のほぼ中間に位置する標高628mの高崎山に約1,200頭(2018(平成30)年12月現在)の猿が生息する。一帯は猿の生息地として国立公園に指定され、保護されている。公園の中央部に設けられた餌をまく寄せ場を中心に集まる。  もともとは、1952(昭和27)年に高崎山一帯の猿による農作物の被害を守るため餌付けしたもの。1955(昭...

両子寺の写真

両子寺 ( 大分県 国東市 )

国東半島のほぼ中央にそびえる両子山の南中腹にある。718(養老2)年の創建と伝える六郷満山中山本寺(山岳修行の根本道場)で、江戸時代には杵築城主松平氏の祈願所となり、六郷満山の総持院として隆盛を誇った。  現在の本堂である護摩堂は明治の再建だが、堅固な石垣や奥の院本堂・総門・仁王像などに往時がうかがえる。境内は紅葉の名...

原尻の滝の写真

原尻の滝 ( 大分県 豊後大野市 )

大野川の支流・緒方川にかかる幅120m、高さ20mの滝。ゆるやかに弧を描く岩壁を豊かな水流が落下する雄大・華麗な瀑布で、その景観から、「大分ナイヤガラ」の別名もある。この岩は、約9万年前に阿蘇山の火山活動によって生まれた溶結凝灰岩でできており、火砕流が冷えて固まる際にできた柱状節理もみられ、「おおいた豊後大野ジオパーク」のジ...

久住高原の写真

久住高原 ( 大分県 竹田市 )

くじゅう連山*の南、東西10km・南北8kmに及ぶ広大な高原。阿蘇くじゅう国立公園に属する。標高600~1,000mで、浅い谷が放射状に刻まれ、ススキ・ネザサなどにおおわれている。春から夏にかけては、緑のじゅうたんを敷き詰めたような草原となり、いっせいに放牧が行われる。  毎年、放牧地で行われる野焼きは、春の訪れを告げる風物詩。山...

飯田高原の写真

飯田高原 ( 大分県 九重町 )

くじゅう連山*の北側、標高800~1,000mの地に広がる約8km四方の高原。阿蘇くじゅう国立公園に属する。この地を訪れた川端康成が、その美しさに魅せられ、小説『千羽鶴』の続編『波千鳥』において飯田高原を描いている。  別府と阿蘇を結ぶ「やまなみハイウェイ」が中央を縦断しており、阿蘇方面からアプローチすると牧ノ戸峠からハイウェ...

九重“夢”大吊橋の写真

九重“夢”大吊橋 ( 大分県 九重町 )

2006(平成18)年10月30日にオープン。長さ390m、高さ173m、幅1.5m。歩道専用として日本一の高さを誇る吊橋。橋からは、日本の滝百選にも選ばれた震動の滝(雄滝)や雌滝を望み、眼下には筑後川の源流域を流れる鳴子川渓谷の原生林が広がる。遠くに、三俣山や涌蓋山など雄大なくじゅう連山*が横たわり、360度の大パノラマが絶景。

臼杵石仏の写真

写真提供:臼杵石仏事務所

臼杵石仏 ( 大分県 臼杵市 )

凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖石仏。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたと言われる。その規模と数、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であり、1995(平成7)年6月15日には磨崖仏では全国初、彫刻としても九州初の国宝に指定。61体ある中、59体が国宝となった。石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(...

宇佐神宮の写真

写真提供:宇佐神宮

宇佐神宮 ( 大分県 宇佐市 )

宇佐駅の西約3.5km、国道10号の南側に社叢が広がる。豊前国一の宮であり、全国4万社余りある八幡社の総本社。伊勢神宮に次ぐ宗廟として朝廷から崇敬を受けた屈指の名社である。  寄藻川にかかる神橋を渡ると樹木の多い整然とした境内が菱形池を中心に広がる。広さ約50万m2、イチイガシなどの大樹がうっそうと茂る最奥の亀山に鎮...

院内町の石橋群の写真

院内町の石橋群 ( 大分県 宇佐市 )

75基もの石橋が残る宇佐市院内町は石橋のまちとして知られる。このうちアーチ橋(めがね橋)は64基もの数を誇る。江戸時代末期から、大正時代を中心に昭和にかけて架けられたもので、そのほとんどが今も使われている現役の橋である。  院内町は深い谷に集落が点在する地形ゆえ、それらを結ぶ必要があったこと、また急流のために木橋でなく...

明礬温泉の写真

写真提供:(一社)別府市観光協会

明礬温泉 ( 大分県 別府市 )

鉄輪温泉の西に湧く山の湯。別府八湯のうちいちばん高所にある。温泉名が示すように藩政時代は全国一の明礬*の採取地であったが、明治以後、湯の花*の採取地に変わり、温泉旅館が開業された。湯の花の採取は今も盛んで、藁葺小屋の採取所が立ち並び、噴気と硫黄臭が一面に漂っている。温泉は硫黄泉、酸性泉で38~98度。皮ふ病に効く。宿泊...

別府地獄めぐりの写真

写真提供:別府地獄組合

別府地獄めぐり ( 大分県 別府市 )

地獄とは地中から熱湯・噴気・熱泥が噴出するところのことで、そのようすが灼熱地獄を思わせるのでこの名がある。市内に十数ケ所あり、鉄輪温泉街の北西端に密集するほか、柴石温泉のそばの地獄が知られる。  「地獄めぐり」は地獄組合所属の海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄、鬼石坊主地獄、かまど地獄、鬼山地獄の7箇所を巡るのが...

霧島山の写真

霧島山 ( 宮崎県 えびの市 / 宮崎県 小林市 / 宮崎県 都城市 / 鹿児島県 霧島市 )

宮崎県と鹿児島県にかけて広がり、最高峰は標高1,700mの韓国岳(からくにだけ)。獅子戸岳(ししこだけ)、新燃岳(しんもえだけ)、中岳(なかだけ)、高千穂峰(たかちほのみね)、白鳥山(しらとりやま)、甑岳(こしきだけ)など20以上の山からなる火山群の総称である。やわらかな山容に神秘的な火口湖を複数抱いているのも特徴で、大浪...

霧島山のミヤマキリシマの写真

写真提供:霧島市

霧島山のミヤマキリシマ ( 宮崎県 えびの市 / 鹿児島県 霧島市 / 宮崎県 他 )

樹高は1mほど。ツツジの一種で九州各地の高山に生息する。紫紅色、桃色、薄紅色の花をつける。命名は日本を代表する植物学者の牧野富太郎博士。1909(明治42)年に霧島へ新婚旅行に訪れた折に発見した。 開花時期は、高千穂河原(たかちほがわら)が5月下旬、韓国岳(からくにだけ)山頂が6月上旬。

えびの高原のミヤマキリシマの写真

写真提供:宮崎県えびの市観光協会

えびの高原のミヤマキリシマ ( 宮崎県 えびの市 )

えびの高原は、霧島連峰を構成する、韓国岳(からくにだけ)、甑岳(こしきだけ)、白鳥山(しらとりやま)などに囲まれた標高約1,200mに位置する高原。高原北部には不動池や六観音御池(ろっかんのんみいけ)、白紫池(びゃくしいけ)などの火口湖がある。「えびの」の名称は、韓国岳山麓の硫黄山(いおうやま)から噴出する亜硫酸ガスによ...

大崩山の写真

写真提供:延岡市 北川総合支所

大崩山 ( 宮崎県 延岡市 )

祖母傾国定公園(そぼかたむきこくていこうえん)を代表する山のひとつで、大崩山系の主峰。延岡市北西部にある祝子川(ほうりがわ)温泉から、1時間ほど歩いた場所が登山道の入り口である。標高は1,644m。大崩山系は火山活動によって形成された地下岩脈が、隆起侵食によって現れた山々だ。大崩山を筆頭に、鉾岳、比叡山、矢筈岳、行縢山など...

鹿川渓谷の写真

鹿川渓谷 ( 宮崎県 延岡市 )

市の北西、日之影町(ひのかげちょう)との境を流れる綱ノ瀬川上流のさらに支流、鹿川沿いに続く渓谷。祖母傾(そぼかたむき)国定公園の中心に位置し、源流は鬼の目山。付近の山々同様に花崗岩質が特徴で、渓谷の中には花崗岩の一枚岩でできた大小のなめ滝が点在する。県道214号線を10数km進んだ先にある。

北川の写真

北川 ( 宮崎県 延岡市 )

源流地は大分・宮崎両県境付近にある祖母傾山(そぼかたむきやま)系で、延岡市街地で五ヶ瀬川*の河口付近に合流する。総延長51.3km、流域面積573.5km2。上流部は、祖母傾山系国定公園に属し、美しい渓谷景観が広がる。大きな蛇行が印象的な中流部には砂洲が点在し、河畔林も繁茂。汽水域である下流部には、広大な干潟などが広が...

青島神社の写真

青島神社 ( 宮崎県 宮崎市 )

広さ約4万m2、周囲約1.5kmの青島。その中央部に青島神社の社殿がある。ちなみに島全体は青島神社の神域。祭神は彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、塩土大神(しおつちのおおかみ)。創建年代は不明だが、平安朝の国司巡視記「日向土産」の中に 「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と 記され...

フェニックス・ワシントンヤシ並木(別名ワシントニアパーム)の写真

フェニックス・ワシントンヤシ並木(別名ワシントニアパーム) ( 宮崎県 宮崎市 )

宮崎市の街路や公園に植えられているフェニックスは、アフリカのカナリー島が原産。幹が太く、羽状の複葉は3~4mに達する。葉柄の基部に長い刺があり、葉は強靭で全体は濃緑色。病害虫に対する耐性が強く、寿命が長いため、「不死鳥」を意味するその名が付けられた。大正初期、宮崎市の天神山公園に植えられたのが最初。宮崎県の県の木である...

日南海岸の写真

写真提供:「みやざき観光情報旬ナビ」

日南海岸 ( 宮崎県 宮崎市 / 宮崎県 日南市 / 宮崎県 他 )

宮崎、鹿児島両県にまたがる日南海岸国定公園。その宮崎県側一帯が一般的に「日南海岸」とよばれる。  太平洋に沿うように、北は青島から、堀切峠、鵜戸神宮、都井岬など数々の観光スポットがある。温暖な気候のため、海岸一帯や海岸沿いを走る国道220号には、ビロウやアコウ、ソテツ、ワシントニアパームといった亜熱帯性植物が茂り、青い...

高千穂峡の写真

高千穂峡 ( 宮崎県 高千穂町 )

五ヶ瀬川水系の本流である五ヶ瀬川が阿蘇火山活動で噴出した火砕流を浸食してできた深いV字形の峡谷。浸食された峡谷は、平均で約80mの高さがあり、東西約7kmに渡って続く。1934(昭和9)年には「五箇瀬川峡谷」として国の名勝・天然記念物に、 1965(昭和40)年には祖母傾国定公園(そぼかたむきこくていこうえん)の一部に指定された。峡谷...

高千穂神社の写真

高千穂神社 ( 宮崎県 高千穂町 )

「日向三代」と称される皇祖神とその配偶神と、三毛入野命(みけいりののみこと)とその妻子神9柱からなる「十社大明神」。高千穂郷八十八社の総社で、約1900年前の垂仁天皇時代に創建された。1778(安永7)年に再建された本殿は、五間社流造で九州を代表する大規模なもの。  本殿は2004(平成16)年に国の重要文化財に、 鎌倉時代に源頼...

西都原古墳群の写真

西都原古墳群 ( 宮崎県 西都市 )

西都原は西都市街の西方に北から南に延びる東西2.6km、南北4.2kmにおよぶ洪積台地。この標高60mほどの平坦な台地上に、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)や木花開耶姫(このはなさくやひめ)の墓とされる古墳をはじめ、4世紀初頭から7世紀に造られた300基以上の大小さまざまの古墳が続き、全国初の特別史跡公園として整備されている。  公園は花...

関之尾の甌穴群の写真

関之尾の甌穴群 ( 宮崎県 都城市 )

日本有数の甌穴*群。霧島山地の裾野から湧き出る清流が、約34万年前の加久藤(かくとう)火砕流などでできた地層に流れ込み、小石や岩石の破片を回転させることで、この地層に穴が開き、形成された。甌穴群は千数百の数が確認され、川幅約80m、長さ約600mのエリアに広がっている。甌穴の造成は現在も進行中で、世界的にも珍しく、地質学上貴...

飫肥城の写真

飫肥城 ( 宮崎県 日南市 )

酒谷川(さかたにがわ)と山川に臨む丘の上にある。約600年前までには築城されていたと考えられ、この間28年に渡る島津豊州家と伊東義祐*の攻防戦が演じられた。1588(天正16)年、伊藤祐兵(いとうすけたけ)が入城し、5万1千石の飫肥藩の居城として1871(明治4)年の廃藩置県に至った。  難攻不落の名城として知られた飫肥城だが、石垣...

曽木の滝の写真

写真提供:伊佐市曽木の滝観光案内所

曽木の滝 ( 鹿児島県 伊佐市 )

幅210m、高さ12mの壮大なスケールを誇る滝。二度の火山の噴火によって火砕流が堆積。そこに湖ができ、川内川の浸食によって湖の端が削られてできたといわれている。

藺牟田池の写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

藺牟田池 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )

飯盛山の噴火でできた火口部に水がたまってできた火山湖で、直径約1km、周囲は約4kmの円形をしている。飯盛山をはじめとする6つの外輪山に囲まれている。最大水深は約3mと火口湖*としては浅い。湖の北西部は泥炭層が堆積し、低層湿原になっている。珍しい浮島*があり、泥炭形成植物群落*として天然記念物の指定を受けている。  湖岸に沿...

入来麓武家屋敷群の写真

入来麓武家屋敷群 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )

鎌倉時代からの領主、入来院(いりきいん)氏が築城した清色(きよしき)城を中心に広がる、山と川に囲まれた武家屋敷集落跡。城のすそ野に家臣の住まいを配置する「麓」*を形成し、集落へと発展した。山、川、田などの環境が一体となり、屋敷の配置や区割り、野石を使った美しい玉石垣や生垣、武家屋敷門(茅葺門)、大手門前の濠や広馬場...

新田神社の写真

写真提供:新田神社

新田神社 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )

薩摩川内市街の北西、うっそうとした老樹が茂る神亀山とよばれる小山の頂にある、日本神話に登場するニニギノミコトを祭る神社。枚聞神社とともに薩摩国の一の宮である。本来、一の宮は一国に一社だが、新田神社は島津氏によって一の宮と認められた。  大鳥居をくぐり、社殿まで行くには一直線に続く322段の石段を上る。御神木のクスをはじ...

長目の浜の写真

長目の浜 ( 鹿児島県 薩摩川内市 )

上甑島の景勝地。島の北西部の山すそが風や波によって崩れ落ち、潮風の力でつくられた幅約50m、長さ約4kmの砂州状の弓型の浜。その浜の内側に、なまこ池、貝池、鍬崎池(くわざきいけ)の大小3つの池と、外側に須口池がある。それぞれの池で生態系が異なり、海水と淡水の二層になっているなまこ池にはナマコや魚介類が生息し、貝池はその名の...

開聞岳の写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

開聞岳 ( 鹿児島県 指宿市 )

薩摩半島の最南端に位置する標高924mの独立峰。縄文時代からたびたび噴火を繰り返してきた活火山で、885(仁和元)年の噴火で今の姿になり、現在は活動を停止している。日本百名山*のひとつ。山全体が樹木におおわれていて、その美しい円錐形の山容から薩摩富士ともよばれる。崖となって落ちる海側とは対照的に、陸側はゆるやかな裾野が広が...

池田湖の写真

池田湖 ( 鹿児島県 指宿市 )

薩摩半島の南東部にある、九州最大の湖。周囲15km、水深233m。約5500年前に開聞岳の噴火によって池田火山が陥没してできたカルデラ湖。湖の北西側に駐車場があり、湖岸に開聞岳を望む景勝地でもある。一帯は四季折々の花がきれいに咲いている。北西岸を除いて湖の周囲のほとんどが急崖。湖水は藍色に澄んでいる。

指宿温泉郷(指宿、山川伏目海岸)の砂むし温泉群の写真

指宿温泉郷(指宿、山川伏目海岸)の砂むし温泉群 ( 鹿児島県 指宿市 )

20余りの湧出地区がある、九州を代表する温泉郷のひとつ。なかでも特徴的なのが、世界でも珍しい海岸から自然湧出する温泉の熱を利用した天然の「砂むし」場があること。体を砂の中に埋めての砂むし湯治が300年以上前から行われている。現在、砂むしを行っているのは2か所。摺(すり)ガ浜と山川伏目(やまがわふしめ)海岸で、いずれも泉質...

枚聞神社の写真

写真提供:枚聞神社

枚聞神社 ( 鹿児島県 指宿市 )

古来より薩摩一の宮*として、地元の人々から篤く信仰されてきた神社。特に、交通・航海の安全や、漁業守護の神として崇敬されている。縁起は定かでないが、現在の社殿は1600(慶長5)年に島津義弘が創建し、のちに改修された。  開聞岳を仰いで参拝するために北向きに建てられた社殿は、総漆塗り。元々は開聞岳をご神体とし、今も開聞岳の...

桜島の写真

桜島 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

鹿児島湾(錦江湾)を隔てて鹿児島市街の対岸約4kmにある火山島。桜島一周は約36km、車で約1時間。島といっても1914(大正3)年の噴火で大隅半島と陸つづきになっている。一つの山に見えるが、中央に北岳(1,117m)・中岳(1,060m)・南岳(1,040m)が南北に並ぶ成層火山*で、南岳は現在も活動を続け、断続的に黒い噴煙をあげて灰を降らせて...

照國神社の写真

照國神社 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

第11代藩主・島津斉彬(しまづ なりあきら)を祀る神社で、城山の麓に社殿を構えている。斉彬の死後、1864(元治元)年に創建され、別格官幣社に列格。建物は第二次大戦で戦災に遇い、拝殿は1958(昭和33)年に再建されたもの。鹿児島の総氏神様として県民に親しまれており、初詣には大勢の参拝客でにぎわう。境内に斉彬、久光の銅像が立ち、...

仙巌園の写真

写真提供:株式会社 島津興業

仙巌園 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

1658(万治元)年に、島津家19代光久(みつひさ)によって築かれた島津家の別邸。目の前に広がる錦江湾(きんこうわん)を池、桜島を築山に見立てた壮大な大名庭園で、敷地面積は約1万5千坪。島津家歴代に愛され、篤姫や西郷隆盛も訪れている。  28代斉彬がガス灯の実験に用いたと伝わる鶴灯籠や、琉球国王から贈られた望嶽楼(ぼうがくろ...

いおワールドかごしま水族館の写真

写真提供:いおワールドかごしま水族館

いおワールドかごしま水族館 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

桜島と錦江湾を背景に、海沿いに立つ水族館。南北600kmにもわたる鹿児島県の海にこだわり、南西諸島のサンゴ礁域から、深海域のある内湾で、しかも活火山の海である錦江湾、そして黒潮の海まで、多様性に富んだ鹿児島の海と、そこに生きる生物たち、約500種30,000点を展示している。  人気の高い「黒潮大水槽」には、鹿児島沿岸で捕獲され...

桜島周辺地域の墓地の写真

桜島周辺地域の墓地 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

桜島の「赤水湯之平口」バス停を降りると、道路の脇が墓所になっている。ここの墓はすべて屋根付き。四隅の柱で屋根を支え、その中に墓石と墓碑銘が立つ。一見すると壁のない小屋が密集したミニ集落のようで、墓と墓の間は細い路地になっている。これは桜島の降灰から墓を守るための知恵で、垂水市など桜島から近い地域には、同じような屋根...

鹿児島市 維新ふるさと館の写真

写真提供:鹿児島市 維新ふるさと館

鹿児島市 維新ふるさと館 ( 鹿児島県 鹿児島市 )

明治維新を支えた西郷隆盛や大久保利通らが幼少期を過ごした甲突川(こうつきがわ)沿いに立つ歴史観光施設「維新ふるさと館」。2018(平成30)年にリニューアルオープンした。明治維新をわかりやすく、楽しく学ぶための歴史観光施設で、薩摩の偉人・英雄列伝や篤姫のコーナー、「翔ぶが如く」「西郷どん」の世界が楽しめる大河ドラマシアタ...

出水麓の町並みの写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

出水麓の町並み ( 鹿児島県 出水市 )

鹿児島の最北部、肥後藩との藩境にあった出水麓*は、重要な防衛基地のひとつ。薩摩藩の「外城」として藩内で最初に築かれ、規模も最大だった。出水麓には、3,000人~5,000人の武士たちが暮らし、整然と区画された武家屋敷が立ち並んでいた。碁盤の目のような町割りや、川石を積み上げた石垣、緑の生垣など、今も400年前と変わらぬ風景を残し...

千本イチョウの写真

千本イチョウ ( 鹿児島県 垂水市 )

園主である中馬夫妻*が30年をかけて植えたというイチョウが、季節になると黄金色に染まり人々を魅了する垂水市の名所。先代から受け継いだ山を開墾し、夫妻が植えたイチョウは1,200本以上になる。

坊津町のソテツの写真

坊津町のソテツ ( 鹿児島県 南さつま市 )

沖縄から奄美大島にかけて自生する亜熱帯植物、ソテツ。自生地の北限は九州の南端、薩摩半島および大隅半島の南部の海岸を望む岩地である。南さつま市坊津町、指宿市山川、肝属郡(きもつきぐん)南大隅町佐多・肝付町(きもつきちょう)内之浦に自生しているソテツが国の天然記念物に指定されている。  薩摩半島の西南端に位置する南さつ...

知覧の茶畑の写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

知覧の茶畑 ( 鹿児島県 南九州市 )

薩摩の小京都といわれる知覧町は、薩摩半島中南部に南北に長い町域をもち、南は海に面している。  ここは日本有数の茶の産地として有名で、黒色火山灰土壌の台地で茶の栽培が始まったのは明治初期。低木の茶なら台風の影響が少ないと考え、紅茶品種の栽培から始まり、その後、緑茶品種に変えて生産量が増加した。茶葉を刈る大型機械の導入...

知覧武家屋敷庭園の写真

写真提供:知覧武家屋敷庭園 有限責任事業組合

知覧武家屋敷庭園 ( 鹿児島県 南九州市 )

江戸時代、武士の数が多かった薩摩藩は、領地を外城(とじょう)とよばれる地区に分け、地頭や領主の屋敷を中心に「麓」とよばれる武家集落をつくって統治していた。これは鹿児島城下に武士団を結集させず、分散して軍事拠点を複数つくるためでもある。外城は鹿児島県内に102カ所もあったが、なかでも知覧には武家集落、「麓」の典型的な姿が...

薩摩焼の里美山の写真

薩摩焼の里美山 ( 鹿児島県 日置市 )

日置市東市来町にある薩摩焼の里「美山」は、410年以上前に朝鮮半島より伝わった薩摩焼の里として歴史ある町。薩摩藩17代藩主の島津義弘が、朝鮮出兵のときに陶工を連れ帰り、島津藩の庇護のもとで開窯をしたのが薩摩焼の始まり。  薩摩焼には、白薩摩(白もん)と黒薩摩(黒もん)の2種がある。白もんは白い表面に貫入とよばれる細かなヒ...

霧島神宮の写真

霧島神宮 ( 鹿児島県 霧島市 )

建国神話の主人公であるニニギノミコトが祀られている神社。創建は6世紀、最初は高千穂峰と火常峰(ひけふのみね:御鉢)の間にある背門丘(せとお)に建てられたといわれているが、霧島山の噴火による焼失と再建を繰り返し、500年以上前に現在の場所に移された。現社殿は1715(正徳5)年、薩摩4代藩主・島津吉貴(しまづ よしたか)が寄進し...

霧島温泉郷の写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

霧島温泉郷 ( 鹿児島県 霧島市 )

霧島連山の南麓に広がる温泉郷。新湯(しんゆ)・湯之谷・関平(せきひら)・栗川(くりかわ)・野々湯・丸尾・林田・硫黄谷・殿湯(とのゆ)の9つの温泉を総称したもので、硫黄泉を中心に、個性豊かな湯が楽しめる。硫黄谷温泉は単純硫黄温泉、新湯温泉は乳白色で古くから皮ふ病に効くといわれている。また、関平温泉は飲泉としても人気があ...

屋久島の森の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

屋久島の森 ( 鹿児島県 屋久島町 )

屋久島は鹿児島の南方、九州本土最南端佐多岬から南南西約60kmの洋上に位置する、ほぼ円形をした島。周囲約130kmで、その9割が森林。九州最高峰の標高1,936mの宮之浦岳をはじめ1,000m以上の高峰が40座以上あり、八重岳とよばれるほど山が連なる。  島の土台となっているのは、砂岩や泥岩などの堆積岩が重なった日向層群(熊毛層群)とよば...

縄文杉の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

縄文杉 ( 鹿児島県 屋久島町 )

胸高周囲16.4m、樹高25.3m、確認されている屋久杉の中でも最大級の老大木。1966(昭和41)年に島の役場職員により発見された。荒川登山口から約8kmのトロッコ道を歩き、約3kmの登山道を登りたどり着く、標高1,300mの地点にある。途中、登山道に入り約600mで、ウィルソン株がある。縄文杉の推定樹齢は2200年から7200年まで諸説ある。根の踏み...

千尋の滝の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

千尋の滝 ( 鹿児島県 屋久島町 )

屋久島の南部本富岳(モッチョム岳、標高940m)の麓にかかる落差60mの滝。滝に向かって左側の250m×300mの巨大な岩盤が特徴的な、島を代表する滝のひとつ。壮大なV字谷の景観は、この島が海底のマグマの隆起で現われた花崗岩で覆われた島であることと、年間降雨量が多いことが関係している。島に降る大量の雨が、鯛ノ川(たいのこ)となって花...

宮之浦岳の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

宮之浦岳 ( 鹿児島県 屋久島町 )

標高1,936m。1,800mを越える山々が連なり「洋上のアルプス」とよばれる屋久島の最高峰であることはもとより、九州最高峰でもある。最南の日本百名山。  女性的な山容で、淀川登山口から登山道が整備されており、屋久杉の森、花之江河(はなのえごう)を抜け、標高1,700m前後で樹林帯を抜けると、その後はヤクザサとシャクナゲと花崗岩の巨...

永田岳の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

永田岳 ( 鹿児島県 屋久島町 )

九州一の宮之浦岳(1,936m)の北西に聳える、九州第二の高さを誇る標高1,886mの山。女性的な宮之浦岳とは対照的に花崗岩が露出した男性的な山容で、特に西側は岩壁で、深く永田川源流に落ち込んでいる。ローソク岩など切り立った岩峰が特徴で、南西側の大川(おおこ)源流には、屋久杉原生林や鹿之沢湿原が広がっている。新日本百名山のひと...

花之江河湿原の写真

写真提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

花之江河湿原 ( 鹿児島県 屋久島町 )

淀川登山口から約4km、標高1,640mに位置する、日本最南端の高層湿原*。島の南部の集落から始まる各登山道(尾之間歩道、湯泊歩道、栗生歩道など)の合流ポイントでもあり、この地から宮之浦岳への登山道が一本化される。400mほど離れた場所に小花之江河がある。北に黒味岳を望む開けた地で、可憐な花を咲かせる高山植物が群生し、その間を清...

ウイルソン株の写真

写真提供:ネイチャーガイドオフィス まなつ

ウイルソン株 ( 鹿児島県 屋久島町 )

推定樹齢2000~3000年、江戸時代に木材用に切り倒されたといわれている屋久杉の大株。1914(大正3)年に屋久杉を調査し、大株を紹介したアメリカの植物学者ウィルソン博士にちなんで名付けられた。根回り32.5mの切株の中は10畳ほどの広さの空洞になっていて、泉が湧きだし、小さな流れをつくっている。付近はモミ、ツガの針葉樹、ヒメシャラ...

湯湾岳の照葉樹林の写真

写真提供:宇検村役場観光課

湯湾岳の照葉樹林 ( 鹿児島県 宇検村 / 鹿児島県 大和村 )

湯湾岳は標高694m。奄美群島の最高峰だ。山頂一帯にはミヤマシロバイ、ミミズバイなどハイノキ属の樹木が4種も出現するなど注目すべき特徴をもった低木林が発達しており、貴重な亜熱帯性の照葉樹林として保護されている。  7合目付近にある宇検村の「湯湾岳公園」までは車で行くことができる。「湯湾岳公園」には展望台があり(2019(令和...

安木屋場のソテツ・バショウ群生地の写真

写真提供:龍郷町

安木屋場のソテツ・バショウ群生地 ( 鹿児島県 龍郷町 )

奄美大島の龍郷町、今井崎の西側に位置する安木屋場集落。集落の背後に控える神山「オダキ」の斜面に、ソテツとイトバショウの群落がある。  ソテツもイトバショウも島人の暮らしに深く関わってきた植物だ。イトバショウは芭蕉布の原料として、ソテツは実や幹のでんぷんを水でさらして毒を抜き、救荒食物として昔から島の人の命を支えてき...

昇竜洞の写真

昇竜洞 ( 鹿児島県 知名町 )

「花と鍾乳洞の島」といわれる沖永良部島の地盤は、琉球石灰岩でできている。島のほぼ中ほどにある大山の麓を中心として、島には200から300もの鍾乳洞がある。代表格がこの昇竜洞で、1963(昭和38)年に山内浩教授率いる愛媛大学学術探検部によって発見された。  全長3,500mのうち、600mが観光洞として一般に公開されている。鍾乳石の発達...

大山水鏡洞の写真

写真提供:一般社団法人沖永良部島ケイビングガイド連盟

大山水鏡洞 ( 鹿児島県 知名町 )

「島の地下はすべて鍾乳洞」といっても過言ではないほど鍾乳洞が発達している沖永良部島では、洞窟を探検するケイビングツアー*が楽しめる。ケイビング目的で島を訪れる人も多い。ツアーで入れる代表的な洞窟は、海見洞、大山水鏡洞、水連洞、銀水洞などだが、初心者でも比較的入りやすいのが大山水鏡洞。ここは大山のふもとから海まで続く...

与那国の与那国馬(与那国島)の写真

与那国の与那国馬(与那国島) ( 沖縄県 与那国町 )

那覇から650km離れた日本最西端の与那国島。この島の在来馬が与那国馬。日本に残る在来馬8種のうちのひとつで、沖縄にはほかに宮古島に宮古馬という在来種がいる。  与那国馬の体高はおよそ110~120cm、体重は約200kgと小さく、全身が茶色、改良種には出ないといわれる、鰻線(まんせん)という背骨に沿ってたてがみから尻尾までをつなぐ濃...

名護のひんぷんガジュマルの写真

名護のひんぷんガジュマル ( 沖縄県 名護市 )

国道58号から名護城公園方面へ300mほど入った、名護市道路の中央にそびえる推定樹齢300年以上のガジュマルの木。国指定天然記念物。  名護市を象徴する名木。このガジュマルの隣に立つ石碑「三府龍脉碑」の形がヒンプン(屋敷の前庭と母屋の間に立てるついたて)のように見えることから、地元では「ヒンプンシー(ひんぷん石)」とも呼ばれ...

斎場御嶽の写真

斎場御嶽 ( 沖縄県 南城市 )

琉球の創世神「アマミキヨ」がつくったといわれる7つの御嶽(沖縄独特の祈りの場)のひとつで、琉球王国最高の聖地。南城市の海に近い琉球石灰岩の岩山にあり、6つのイビ(神域)で構成されている。御門口(うじょーぐち)から石畳の道を上がると、最初にあるのが大庫理(うふぐーい)、その先に寄満(ゆいんち)、そして巨大な三角形の岩が...

識名園の写真

写真提供:那覇市文化財課

識名園 ( 沖縄県 那覇市 )

首里城の南、約3kmの那覇市真地(まあじ)の高台にあった琉球王家の別邸。王族の保養や、中国からの使者(冊封使)をもてなすために、1799(寛政11)年、尚温王の時代に造営された。総面積約42,000m2。「心」という形につくられた園池を中心に、御殿(母屋)・築山・果樹園・樹林と、それらを結ぶ園路からなる。池の周囲を歩きな...

座喜味城跡の写真

座喜味城跡 ( 沖縄県 読谷村 )

標高約120mの丘陵地、読谷村のほぼ中央高台にある。15世紀初頭(1420年ごろ)、読谷山按司の護佐丸が築城したといわれる。面積約1万m2で、2つの郭からなり、一の郭には殿舎が建てられていた。この城は要塞としての機能を重視して造られており、郭を取り囲む城壁はいくつもの曲線が組み合わされるような構造。石垣の幅は、厚いとこ...

渡嘉志久ビーチ(渡嘉敷島)の写真

写真提供:垂見健吾

渡嘉志久ビーチ(渡嘉敷島) ( 沖縄県 渡嘉敷村 )

那覇からの船が着く渡嘉敷港がある島の東側から、島中央部に連なる小高い山を越えて車で約10分。島の西側の山の上から目に飛び込んでくるのが、白い砂浜が約800mも続く渡嘉志久ビーチだ。ここは三方が山に囲まれた湾になっているので、波は穏やか。  このビーチの特徴はウミガメに会える確率が高いこと。海底にウミガメの好物である海草が...

ニシ浜(波照間島)の写真

写真提供:垂見健吾

ニシ浜(波照間島) ( 沖縄県 竹富町 )

波照間島は西表島の南に位置し、有人の島では日本最南端の島。島名は「はてのうるましま」からきたものと伝えられる。島の南側は切り立った断崖が続くが、北西側には美しい「ニシ浜」がある。「ニシ」とは沖縄の言葉で北のこと。沖に西表島や仲ノ神島の島影が望めるニシ浜の海は、淡い水色からコバルトブルー、沖の藍色まで、ハテルマブルー...

浦内川(西表島)の写真

浦内川(西表島) ( 沖縄県 竹富町 )

沖縄県では本島に次ぐ面積を誇る西表島は、およそ90%が亜熱帯の自然林で覆われている。降水量が豊富なこの島には、大小あわせて40本以上の川がある。なかでも水量豊かなのが、西表島の北西部を流れる浦内川。古見岳(469m)に源を発し、テドウ山と波照間森の間を流れて東海岸に注いでいる。支流も含めて全長39kmあり、沖縄県内で最長の河川...

糸満ハーレーの写真

写真提供:糸満市役所

糸満ハーレー ( 沖縄県 糸満市 )

豊漁と海の安全を祈願して、沖縄の多くの漁村で旧暦5月4日に行われる競漕行事。ハーリーとは「爬竜」の中国音で竜をさす。中国から伝来した行事だが、糸満は那覇より伝来が古いとの説もある。糸満ではハーレーと呼び、漁業のまち・糸満を代表する年中行事のひとつとして、今も盛大に行われている。  糸満ハーレーは旧暦5月4日の早朝、山巓...

座間味のクジラの写真

写真提供:座間味村ホエールウォッチング協会

座間味のクジラ ( 沖縄県 座間味村 )

1960年代前半まで捕鯨の漁場であった座間味村周辺の海で、再びクジラが目撃されたのが1985(昭和60)年。徐々に頭数が増え、現在は毎年1月から3月末頃まで、座間味島周辺の海にザトウクジラがやってくるようになった。温暖で島影が多いので、波静かなこの海でクジラたちは繁殖活動を行い、やがて子クジラに体力がつく4月頃、エサが多い北の海...

今帰仁城の写真

写真提供:今帰仁村教育委員会

今帰仁城 ( 沖縄県 今帰仁村 )

今帰仁城は、南は谷を隔てて背後のクバの御嶽に連なり、東と北は40~100mの断崖下に志慶真川が流れる要害の地にある山城。琉球が尚氏によって統一される以前、北山・中山・南山の3つの勢力に分かれていた三山時代に、本島北部一帯から与論島、沖永良部島あたりまでを勢力下におさめた北山王の居城で、築城は13世紀末といわれている。  約7....

やんばるの森の写真

写真提供:やんばる学びの森

やんばるの森 ( 沖縄県 国頭村 / 沖縄県 大宜味村 / 沖縄県 東村 )

沖縄島北部の国頭村、大宜味村、東村を含む通称「やんばる」地域。「山々が連なり森の広がる地域」を意味するこのエリアは、世界的にも貴重な自然の宝庫である。森林率が80%以上で、南北約23km、東西約12kmの日本の総面積のわずか0.1%の範囲の中に、多くの固有動植物、稀少動植物が生息している。2016(平成28)年には、やんばるの陸地と海...

砂山ビーチ(宮古島)の写真

砂山ビーチ(宮古島) ( 沖縄県 宮古島市 )

宮古島の中心市街地平良から北へ約4kmの位置にある砂山ビーチは、名前の通り、真っ白い砂の山を越えると広がっている小さな浜。海に向かって左手にあるアーチ状になった琉球石灰岩の岩山がビーチのポイントだ。

伊良部大橋の写真

伊良部大橋 ( 沖縄県 宮古島市 )

沖縄本島の南西約290kmに位置する宮古島と、その西にある伊良部島を結ぶ。離島同士に架かる全長3,540mの橋で、無料で渡れる橋として全国一の長さを誇る(2018(平成30)年現在)。歩いて渡ることもできる。伊良部島の人たちが架橋要請活動を始めてから完成まで40年以上を要し、2015(平成27)年1月に開通式が行われた。架橋以前は、宮古島の...

ハテの浜(久米島)の写真

写真提供:一般社団法人 久米島町観光協会

ハテの浜(久米島) ( 沖縄県 久米島町 )

那覇の西方約100kmに浮かぶ久米島は、緑豊かな山が連なり、水が豊富な島。琉球王国時代から、球美(くみ)島とも呼ばれてきた風光明媚な島で、なかでもハテの浜は島を代表する景勝地。島の東側にある奥武(おう)島、オーハ島のさらに沖合に連なる3つの砂洲(前の浜、中の浜、ハテの浜)を総称してハテの浜と呼ぶ。サンゴ礁の土台にサンゴや...

奥武島の畳石(奥武島)の写真

写真提供:一般社団法人 久米島町観光協会

奥武島の畳石(奥武島) ( 沖縄県 久米島町 )

奥武島の南岸に広がる国指定天然記念物の奇岩群。火山活動で噴出した安山岩質の溶岩が、ゆっくり冷えて岩石になる時にできた割れ目が亀甲模様になっている。直径1~2mの五・六角形の石の数は、砂におおわれたものを含めて1,000個以上に及ぶといわれ、南北50m、長さ250mにわたって広がり、干潮時に現れる。これらは柱状節理の断面が露出したも...

久米島の桜並木(久米島)の写真

写真提供:一般社団法人 久米島町観光協会

久米島の桜並木(久米島) ( 沖縄県 久米島町 )

久米島を代表するサクラの名所は、「アーラ林道」と「だるま山園地」の2カ所。アーラ林道は島の南側、儀間集落と島尻集落を結ぶアップダウンのある林道で、4kmの道のりの両側を約1,500本のサクラが彩る。島の中央西寄りに位置するだるま山園地は、公園内およびその近隣の池のまわりなどに500本以上のサクラが植えられている。  いずれも種...

琉球村の写真

琉球村 ( 沖縄県 恩納村 )

「伝えたい むかし沖縄」をコンセプトに、琉球の文化・伝統を今に伝える体感型テーマパーク。多幸山のふもとの広大な敷地に、沖縄各地に残された古民家を移築し、古き良き沖縄を再現している。  園内では、藍染め、陶芸、織物、紅型などの工芸体験や、芸能のアトラクションが楽しめる。水牛が砂糖車を引いてサトウキビを絞る製糖風景は、...

二見ヶ浦海岸(伊是名島)の写真

写真提供:垂見健吾

二見ヶ浦海岸(伊是名島) ( 沖縄県 伊是名村 )

沖縄本島の本部半島の北、約27kmにある伊是名島は、琉球王国の礎を築いた尚円(しょうえん)が生まれた島として名高い。尚円は第二尚氏王統を樹立、その王統は1872(明治5)年の琉球処分まで400年以上続いた。島には尚円ゆかりの史跡も多く、南側には尚円の家族や親族が眠る伊是名玉陵がある。  この伊是名玉陵あたりから「海ギタラ」と呼...

伊江島城山(伊江島)の写真

写真提供:伊江村役場

伊江島城山(伊江島) ( 沖縄県 伊江村 )

本部半島の北西、約9kmにある伊江島は、面積約23km2、周囲22.4kmのピーナツ形の島だ。  本部港との間を所要30分で村営フェリーが結ぶ。さとうきび、島らっきょう、葉タバコ、花卉などの農業をはじめ、畜産業や漁業も盛んな島。沖縄戦の激戦地となったこともあり、現在も米軍基地が残るこの島では教育民泊として年間多くの修学旅...

勝連城跡の写真

勝連城跡 ( 沖縄県 うるま市 )

勝連半島の付け根に位置する丘陵上に築かれた城跡。正確な築城年は定かではないが、13世紀前後に造られたと考えられている。自然の地形を利用して石灰岩の石垣をめぐらせた5つの曲輪からなり、北西の最高部から一の曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪へと階段状に低くなり、再び南東側の東の曲輪で高くなっている。  歴代の勝連按司(あじ...

慶良間諸島の海の写真

写真提供:垂見健吾

慶良間諸島の海 ( 沖縄県 渡嘉敷村 / 沖縄県 座間味村 )

沖縄本島の西、約30kmの海に広がる約20の島々が慶良間諸島。有人島には渡嘉敷島(渡嘉敷村)、座間味島、阿嘉島、慶留間島(以上、座間味村)があり、その他は無人島である。これらの島の大部分には山があり、海岸線はギザギザして複雑だ。これは山地が沈んだ島である証。200万年~150万年前、琉球列島が中国大陸と陸続きだった時代に、その...

八重岳のサクラの写真

写真提供:垂見健吾

八重岳のサクラ ( 沖縄県 本部町 )

八重岳は、本部町と名護市の境に位置する標高453mの麗峰。県道84号の八重岳入口から山頂まで道路が整備されており(約4km)、この道沿いがサクラの並木になっている。もっとも多く見られるのはリュウキュウカンヒザクラ。濃いピンク色の花がうつむきがちに咲く。八重岳一帯にはおよそ7,000本のリュウキュウカンヒザクラが植えられている。 ...

名護のサクラの写真

写真提供:名護中央公園管理事務所

名護のサクラ ( 沖縄県 名護市 )

沖縄本島北部の玄関口、名護の市街地は、毎年1月末~2月にかけてサクラを目当てに県内外から訪れる人たちでにぎわう。その中心となるのが市街地の南東約1km、名護岳の麓に広がる名護城(なんぐすく)公園(名護中央公園)。ここは県内随一のサクラの名所で、「日本の桜の名所100選」にも選ばれている。南口の駐車場から名護神社までの石段や...

石垣島 四カ字の豊年祭(石垣島)の写真

石垣島 四カ字の豊年祭(石垣島) ( 沖縄県 石垣市 )

沖縄では旧暦6月(新暦の7月)頃に稲の収穫を終える。この時期に、石垣島をはじめ八重山各地の集落で御嶽を中心に行われるのが、収穫儀礼である「豊年祭」。今年の実りへの感謝と、来年の豊作を祈る大切な行事だ。沖縄本島やその周辺の島では「ウマチー」と呼ばれる行事がこれにあたる。  最も規模が大きく見学者も多いのが、石垣島の中心...

エメラルドビーチの写真

写真提供:国営沖縄記念公園(海洋博公園):エメラルドビーチ

エメラルドビーチ ( 沖縄県 本部町 )

国営沖縄記念公園・海洋博公園内の最北端に位置するビーチ。Y字型に突き出した3エリアからなる珍しいかたちで、向かって中央が「眺めの浜(汀線長150m)」、左手が「憩いの浜(250m)」、右手が「遊びの浜(350m)」と名付けられている。ビーチが3方向を向いているので、それぞれ目の前に広がる光景が異なり、変化に富んでいる。沖縄本島では...