よさこい祭りよさこいまつり

「ヨッチョレ・ヨッチョレ」という軽快なリズムで始まる楽曲「よさこい鳴子踊り」*を、チームの地方車(じかたしゃ=音響設備を積んだトラック)がそれぞれのアレンジで自由に編曲したものを大音響で響かせるなか、鳴子*を手に踊り子が鳴らしながら群舞を披露、その見応えを競い合う。
 お城前の追手筋と中央公園のほか市内の主だった商店街に競演場や演舞場が設けられ、参加チームはバスなどで移動して各競演場や演舞場をまわる。商店街は鈴なりの観客で賑わう。
 1954(昭和29)年に商工会議所有志により発案・創出された祭りで豊穣を祝うような宗教色は無い。老若男女の市民に支持され高知の夏の風物詩として定着し、「南国土佐ブーム」でもとりあげられていくなか、ロックやサンバのような派手なアレンジを加え目を引く衣装でも個性を競う踊り子チームが増えて、カーニバル的な要素を強く備えるに至った。その様子はこれを見た北海道の大学生に刺激を与え、札幌でYOSAKOIソーラン祭りを派生させ、北国と南国の新しい交流を生み出した。若者主導で展開されたYOSAKOIソーランの魅力も介し、よさこいはさらに全国に普及。高知にも回帰的に刺激をもたらし、本場よさこいの再活性化にもつながったとみられている。
 よさこいが飛び火した市町村関係者の視察、県庁や市役所への表敬訪問も相次ぎ、「よさこい外交」と呼ばれた。また、日本の代表的な郷土芸能として、海外諸国の「ジャパンウィーク」などへ踊り子チームの招待や派遣が重ねて行われてきた。海外での注目が増すにつれて、チームの演出傾向はロックサンバ調から和風に回帰しているとも言われている。
#

みどころ

よさこい祭りの踊りは、伝統芸能ではなく、民心による自由なアレンジを是とするダイナミックな文化創造の場といえる。踊り子チームはそれぞれに毎年工夫を凝らし、観る人に新しいものを魅せようと意気込み、市民もそれを楽しんでいる。毎年、変化が感じられる。
 よさこい祭りは、近距離の観覧を楽しみたい。観客と踊り子の距離が近い。踊りの迫力はもちろんのこと、年配の方が踊り子にうちわで風を送っている様子を見たりすると、気持ちが豊かになる。
 よさこい前夜と後夜祭のあと、ひろめ市場や高知の繁華街では、他県からの参加者や観客と地元の人との気さくな交流が見られる。四国遍路の人を同行の人とみなすのと同じように、衣装を着た踊り子たちは相互に同志と認め合い、初めて会う人にも打ち解けていく。よさこいの夜の街を見て、魅力的な祭りが人を繋いでいる力も見て欲しい。
#

補足情報

*楽曲「よさこい鳴子踊り」:1954(昭和29)に第1回よさこい祭りを高知市で開催する時、県内在住の作曲家の武政英策が民謡「よさこい節」をもとに、よさこい祭りで使用される「よさこい鳴子踊り」の作詞作曲を行った。武政は郷土芸能の民心による経年変化を自然なものと考える旨の発言を当初よりしていたといい、「よさこい鳴子踊り」の楽曲の自由なアレンジを許したため、現在では様々な編曲がなされている。
*鳴子:「すずめ脅し」=鳥害から作物守るのに使われてきた打ちもの。新しい祭りの楽曲づくりを依頼された武政英策(「南国土佐を後にして」の作曲家)が、米の二期作地域である高知のイメージに適いかつ徳島の阿波おどりにまけないインパクトをそえる鳴り物として、群舞の小道具に採用した。
関連リンク よさこい祭り(よさこい祭振興会)(WEBサイト)
参考文献 よさこい祭り(よさこい祭振興会)(WEBサイト)
『よさこい祭り50年』H16 よさこい祭振興会

2023年02月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

あわせて行きたい