不動院ふどういん

広島市街から北に約4km、太田川東畔に位置する。開基は行基とも空窓とも伝えられ、創建年代や由緒は諸説が残るが、本尊薬師如来像の様式から、平安時代には創建されていたと推察されている。足利尊氏・直義兄弟が日本全国に建立した安国寺のひとつ。戦国時代の戦いで伽藍は焼け落ちたが、安土桃山時代、安国寺恵瓊*が豊臣秀吉の時代に再興し、興隆を誇った。恵瓊なき後、寺運は次第に衰えた。江戸時代初期になると、安芸広島藩主・福島正則の従軍僧である宥珍(ゆうちん)が住持となり、宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を安置したことから、不動院と呼ばれるようになった。
 境内には市内唯一の国宝の金堂、重要文化財の楼門と鐘楼が立ち並ぶ。1945(昭和20)年8月6日の原子爆弾投下に際しては、爆心地から3.9km、市の中心部から離れた山麓に位置しているため、爆風による被害以外は、大きな被害を受けることはなかった。多くの文化財を一瞬にして失った広島市にとって、昔の栄華を今も留める極めて貴重な存在となっている。
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みどころ

境内に建ち並ぶ金堂・楼門・鐘楼は、重厚な構えを見せる。金堂は、原爆による大きな被害も受けず広島市内に現存する唯一の国宝。現存する禅宗様(唐様)の建築としては最大規模の遺構であり、その容姿からは雄大な気風がうかがわれる。
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補足情報

*安国寺恵瓊(あんこくじえけい):毛利氏の外交僧として、また、豊臣秀吉の直臣大名として活躍した僧。
関連リンク 不動院(WEBサイト)
参考文献 不動院(WEBサイト)
広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま/広島県の文化財」(WEBサイト)

2025年02月現在

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