圓教寺
JR山陽本線・山陽電鉄姫路駅より北へ7kmほどの書写山ロープウエイ山麓駅からロープウエイに乗って約4分の山上駅下車。ここから約1kmの急坂を登ると、徒歩20分ほどで圓教寺の摩尼殿(本堂)*1に着く(有料のマイクロバスあり、所要5分)。
標高371mの書写山の山上一帯は圓教寺の境内で占められ、全山スギ・ヒノキなどの深い森で覆われており、老樹大樹も多い。そのなかに摩尼殿(本堂)・大講堂*2・常行堂*3・食堂*4、奥之院開山堂*5などの大堂・諸堂、大名家などの墓所が点在している。天台宗。書写山の山上は多くの諸堂を巡る参拝路が整っており、山上駅から仁王門を経て摩尼殿(本堂)に至る東坂は山陽自然歩道、摩尼殿(本堂)の奥にある白山権現などを巡る道は自然探勝道として整備されている。境内の主な堂宇を巡るだけで、1時間30分から2時間は必要。
同寺の創建については、寺伝の縁起や開創である性空*6の伝記では、966(康保3)年、性空が57歳の時、九州での修行を終え、京に向かう途中、この山に瑞雲を見て入山し、草庵を結んだのが始まりとしている。古代からすでにこの山は山岳信仰の霊山として知られていたため修行の地に選んだといわれている。984(永観2)年、金剛薩埵(菩薩)から両部(金剛界と胎蔵界)の秘法について夢告されたとし、声望が高まったという。985(寛和1)年には播磨介(国司)藤原季孝から寄進の申し出があり、法華三昧堂が建立された。翌年には花山法皇が参詣し、「圓教寺」の寺号と勅願寺の待遇を賜った。その後、後白河法皇・後醍醐天皇の行幸があるなど、皇室の尊信も厚かった。
1331(元徳3)年落雷で多くの諸堂・寺坊が焼失したが、翌年には再建、西の比叡といわれるほど天台宗の中で重きをなし、山上の至る所に寺坊が建ち並んだとされ最興隆期を迎えた。しかし、15世紀に入り、次々に堂宇の焼失に遭い、さらに16世紀には戦乱にも巻き込まれ再建に時間を要するようになり、それまでの寺勢を維持するのが困難になった。それでも江戸時代に入り、西国三十三カ所巡礼の第27番目の札所として参詣者も増えた。境内には、歴代姫路藩主が篤く庇護をしたことがあって本多、松平、榊原諸家の廟所が設けられている。現存する堂宇のうち、主要なものは15世紀に再建されたものが多いが、摩尼殿(本堂)は大正期にも焼失したため、1933(昭和8)年に再建したものである。入山には志納が必要。
標高371mの書写山の山上一帯は圓教寺の境内で占められ、全山スギ・ヒノキなどの深い森で覆われており、老樹大樹も多い。そのなかに摩尼殿(本堂)・大講堂*2・常行堂*3・食堂*4、奥之院開山堂*5などの大堂・諸堂、大名家などの墓所が点在している。天台宗。書写山の山上は多くの諸堂を巡る参拝路が整っており、山上駅から仁王門を経て摩尼殿(本堂)に至る東坂は山陽自然歩道、摩尼殿(本堂)の奥にある白山権現などを巡る道は自然探勝道として整備されている。境内の主な堂宇を巡るだけで、1時間30分から2時間は必要。
同寺の創建については、寺伝の縁起や開創である性空*6の伝記では、966(康保3)年、性空が57歳の時、九州での修行を終え、京に向かう途中、この山に瑞雲を見て入山し、草庵を結んだのが始まりとしている。古代からすでにこの山は山岳信仰の霊山として知られていたため修行の地に選んだといわれている。984(永観2)年、金剛薩埵(菩薩)から両部(金剛界と胎蔵界)の秘法について夢告されたとし、声望が高まったという。985(寛和1)年には播磨介(国司)藤原季孝から寄進の申し出があり、法華三昧堂が建立された。翌年には花山法皇が参詣し、「圓教寺」の寺号と勅願寺の待遇を賜った。その後、後白河法皇・後醍醐天皇の行幸があるなど、皇室の尊信も厚かった。
1331(元徳3)年落雷で多くの諸堂・寺坊が焼失したが、翌年には再建、西の比叡といわれるほど天台宗の中で重きをなし、山上の至る所に寺坊が建ち並んだとされ最興隆期を迎えた。しかし、15世紀に入り、次々に堂宇の焼失に遭い、さらに16世紀には戦乱にも巻き込まれ再建に時間を要するようになり、それまでの寺勢を維持するのが困難になった。それでも江戸時代に入り、西国三十三カ所巡礼の第27番目の札所として参詣者も増えた。境内には、歴代姫路藩主が篤く庇護をしたことがあって本多、松平、榊原諸家の廟所が設けられている。現存する堂宇のうち、主要なものは15世紀に再建されたものが多いが、摩尼殿(本堂)は大正期にも焼失したため、1933(昭和8)年に再建したものである。入山には志納が必要。

みどころ
住宅街のはずれにある山麓駅からロープウエイに乗り、一挙に高度を上げると、姫路の市街地が眼下に広がり、遠く瀬戸内海まで見渡せ、開放感にあふれる。ただ、姫路城が小さな丘に阻まれ遠望できないのが少しばかり残念。山上駅に着くと、豊かな樹林帯のなか、幽邃の地へと入り込む。仁王門を通り、塔頭の寿量院*7前を過ぎ、本堂に当たる摩尼殿までは、参道は整備はされているが、急坂が続く。足に自信がない人は、山上駅のすぐ近くの志納所前から出るマイクロバスをお勧めする。摩尼殿(本堂)は懸造りで、下から見ると覆いかぶさってくるほどの迫力のある建物。近代の再建ではあるが、豪快で質実な中世密教建築の雰囲気をそのまま遺している。祭壇の後ろの壁の厚い漆塗りの扉の中には、四天王立像が安置されているという。摩尼殿(本堂)から少し登れば、「三つの堂」(大講堂・常行堂・食堂)に出合う。3堂とも大きな建造物で重機もない中世によくぞこの山上に建造したと感心してしまうほど。ともにどっしりとした大陸の影響が強い建造物群だ。ここからさらに奥之院を回れば、境内最奥となる。あとは金剛堂、根本薬師堂、鐘楼、榊原家廟所などをみて山上駅に戻ることなる。摩尼殿(本堂)まで行けば、山上は多少のアップダウンはあるものの、生い茂った背の高い樹林帯の中なので、気持ちよく歩くことができる。ゆっくり回るには山上で2時間は確保しておきたい。足回りはハイキングシューズなど歩きやすい靴を準備することをお勧めする。

補足情報
*1 摩尼殿(本堂):桁行9間、梁間7間、入母屋造、本瓦葺、東面に向拝1間、向唐破風造、本瓦葺。岩上に建つため、懸造になっている。開創の性空が最初に建てた堂宇といわれ、当初は如意輪堂と称した。この地の岩壁に桜の木が生え、そこに天女が舞い降りたところから性空が、その木に立木観音(如意輪観音)を彫ったという伝承によるという。1921(大正10)年に焼失したため、1933(昭和8)年に再建されたもので、4代目の建物。国指定重要文化財。
*2 大講堂:室町中期の建立。食堂、常行堂とともにコの字に広場を囲む。桁行七間、梁間六間、二重一階、入母屋造、本瓦葺。本尊は木造釈迦如来および両脇侍像。当初のものは、花山法皇の勅願により建立。建物・本尊ともに国指定重要文化財。
*3 常行堂:室町中期建造。常行堂以外に中門、楽屋及び舞台から構成され、ともに国指定重要文化財。常行堂自体は桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺。本尊は丈六の定印(手に印を結んでいる)阿弥陀如来坐像で、国指定重要文化財。
*4 食堂:室町中期建立。僧侶の学問、寝食の場で後白河法皇の勅願で造られた。総2階の大建造物。現在は、仏像・仏具なども寺宝展示や写経道場に利用されている。桁行十五間、梁間四間、一重二階、入母屋造、本瓦葺。
*5 奥之院開山堂:もともとは1007(寛弘4)年、性空が遷化したのちに弟子たちが建立。現在の開山堂は1673(寛文13)年の建立。開山堂を中心にコの字型に1559(永禄2)年造立の護法堂(乙天社及び若天社)、1589(天正17)年建築の護法堂拝殿が建ち、奥之院、すなわち開山廟所を構成している。開山堂は桁行五間、梁間六間の宝形造。奥の院諸堂とともに国指定重要文化財。
*6 性空:910~1007年。平安中期の天台宗の僧侶。書写山円教寺の開基。はじめ日向(宮崎県)霧島山など九州各地で山岳修行。のちに書写山で草庵を結んだ。花山法皇をはじめ、源信、和泉式部、藤原実資など貴族・高僧に結縁を求められ、朝廷などへの影響力を強めた。
*7 寿量院:塔頭のひとつ。建物は国指定重要文化財。
*2 大講堂:室町中期の建立。食堂、常行堂とともにコの字に広場を囲む。桁行七間、梁間六間、二重一階、入母屋造、本瓦葺。本尊は木造釈迦如来および両脇侍像。当初のものは、花山法皇の勅願により建立。建物・本尊ともに国指定重要文化財。
*3 常行堂:室町中期建造。常行堂以外に中門、楽屋及び舞台から構成され、ともに国指定重要文化財。常行堂自体は桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺。本尊は丈六の定印(手に印を結んでいる)阿弥陀如来坐像で、国指定重要文化財。
*4 食堂:室町中期建立。僧侶の学問、寝食の場で後白河法皇の勅願で造られた。総2階の大建造物。現在は、仏像・仏具なども寺宝展示や写経道場に利用されている。桁行十五間、梁間四間、一重二階、入母屋造、本瓦葺。
*5 奥之院開山堂:もともとは1007(寛弘4)年、性空が遷化したのちに弟子たちが建立。現在の開山堂は1673(寛文13)年の建立。開山堂を中心にコの字型に1559(永禄2)年造立の護法堂(乙天社及び若天社)、1589(天正17)年建築の護法堂拝殿が建ち、奥之院、すなわち開山廟所を構成している。開山堂は桁行五間、梁間六間の宝形造。奥の院諸堂とともに国指定重要文化財。
*6 性空:910~1007年。平安中期の天台宗の僧侶。書写山円教寺の開基。はじめ日向(宮崎県)霧島山など九州各地で山岳修行。のちに書写山で草庵を結んだ。花山法皇をはじめ、源信、和泉式部、藤原実資など貴族・高僧に結縁を求められ、朝廷などへの影響力を強めた。
*7 寿量院:塔頭のひとつ。建物は国指定重要文化財。
2025年03月現在
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