杭全神社くまたじんじゃ

JR大和路線平野駅から線路沿いに東南へ350mほど行ったところにあり、境内の東側に沿い、かつての平野環濠集落*1の環濠が遺されている。
 同社には3棟の本殿があり、第一殿には素盞嗚尊(すさのをのみこと)、第二殿には熊野三所権現といわれる伊弉册尊(いざなみのみこと)・速玉男尊(はやたまのをのみこと)・事解男尊(ことさかのをのみこと)、第三殿には熊野證誠権現とされる伊弉諾尊(いざなみのみこと)が祀られている。三殿並立する本殿のうち、向って左端の第一殿*2は一間社春日造、檜皮葺で1711(正徳元)年の造営、中央の第二殿は三間社流造、檜皮葺、右端の第三殿は一間社春日造、檜皮葺で、いずれも1513(永正10)年の建立である。三殿ともに国の重要文化財に指定されている。 
 創建については、同社が所蔵する江戸中期に成立した「平野郷社縁起」 によれば、第一殿は、平安時代初期に坂上田村麻呂*3の子広野麻呂が同地の杭全荘を領地として賜り、その子当道が862(貞観4)年に産土神として「祇園社」を祀ったのが始まりだとしている。また、第二殿は、1321(元享元)年に熊野三所権現を勧請し建立されたとし、第三殿は1190(建久元)年に神託を受けて熊野證誠権現を奉祀したと記されている。
 なお、杭全神社の社号は明治になってから定められたもので、江戸後期の地誌「摂津名所図会」などでは、産土神である「祇園社」を「牛頭天王社」とし、「熊野三所権現」、「熊野三所證誠殿大権現社」と現在の三殿をそれぞれ分けて記述している。
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みどころ

右手に環濠跡、左手に神池を見ながら参道を進み、結界の標柱を過ぎると、樹齢850年以上といわれる楠の巨木の神木が参道の左手にそびえている。さらに大門をくぐると正面が拝殿となる。ここで参拝し、本殿三殿を拝観したいところだが、拝殿の裏手に回れば朱塗りの前殿までは間近にできるものの、本殿三殿の全体像は見ることはできない。ただ、本殿の周囲には古木・巨木が立ち、神域の雰囲気に溢れているのは感じ取れる。帰りは境内東側に回り、神社の森を映す環濠跡沿いに散策するのも良い。
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補足情報

*1 平野環濠集落:古代は住吉郡杭全郷と称し、中世には荘園化され杭全荘とも呼ばれていた。この地は奈良街道などの街道筋にあたり、平野川の舟運などもあることから、古来、交通の要衝で物産の集散地であった。とくに江戸期には木綿の取引が盛んになった。そのため平野川西岸には街場、集落が発達し、中世後期以降には、杭全荘の産土神である現在の杭全神社を中心にして惣組織と宮座が結成され、環濠に囲まれた自治都市を形成していた。融通念仏宗本山大念仏寺の門前町でもあった。
*2 第一殿:春日大社本社本殿(第三殿)の式年造替の際に解体移築したもので、現存する移築された春日大社旧殿のうち、由緒が明らかで年代的にもっとも古いものに属している。
*3 坂上田村麻呂:758(天平宝字2)~811(弘仁2)年。平安初期の武将で、蝦夷征討にあたった。京都の清水寺を創建したとも伝えられる。
関連リンク 杭全神社(WEBサイト)
参考文献 杭全神社(WEBサイト)
国指定文化財等データベース 杭全神社本殿第一殿・第二殿・第三殿
「百科事典マイペディア 平野郷」平凡社
「山川 日本史小辞典 改訂新版 坂上田村麻呂」山川出版社
「大日本名所図会 第1輯第5編 摂津名所図会 上巻」大正8年 82/380 国立国会図書館デジタルコレクション

2025年03月現在

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