圓光寺
叡山電鉄一乗寺駅から東へ徒歩15分にある。1601(慶長6)年、徳川家康が国内教学の発展を図るため、足利学校9代学頭の三要元佶(さんようげんきつ)を招き、伏見に建立した圓光寺学校に始まる。のちに相国寺山内に移り、1667(寛文7)年、現在地に移された。伏見にあった当時は、「貞観政要」など多数の書物を刊行。これらは伏見版、または圓光寺版と呼ばれた。その際に使用された木製活字約5万2,000個が、現在も圓光寺に保存されている。日本最古の活字であり、伏見版木活字として、重要文化財に指定されている。
境内には「十牛之庭」「奔龍庭」という趣の異なる2つの庭がある。特に「十牛の庭」は紅葉と苔の美しいことで知られる。裏山には当山開基の徳川家康の歯を埋葬したとされる墓と東照宮があり、そこから洛北の市街地を一望できる。また、墓地には、安政の大獄で幕府の密偵として活動した村山たか女の墓がある。
境内には「十牛之庭」「奔龍庭」という趣の異なる2つの庭がある。特に「十牛の庭」は紅葉と苔の美しいことで知られる。裏山には当山開基の徳川家康の歯を埋葬したとされる墓と東照宮があり、そこから洛北の市街地を一望できる。また、墓地には、安政の大獄で幕府の密偵として活動した村山たか女の墓がある。

みどころ
十牛之庭と奔龍庭は雰囲気が全く異なり、双方とも人気がある。
山門を入って石段を上ったところにある奔龍庭は、平成に造られた枯山水庭園。白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組で表した躍動感のある珍しい庭である。龍の頭部と背中付近に荒く切り立った石柱は稲妻を表現している。
書院の前に広がる十牛之庭は、牛を追う牧童の様子を描いた「十牛図」を題材にして江戸時代に造られた池泉回遊式庭園。四季を通じてさまざまな景色が楽しめるが、特に紅葉の美しさはよく知られている。庭の南には洛北で最も古い泉水といわれる栖龍池があり、先人たちはここからの眺めを絶景としてほめたたえたといわれる。また書院前に置かれた水琴窟が庭内に心地よい音色を響かせる。この水琴窟は縁が広い盃型の手水鉢を用いたもので「圓光寺型」といわれる。
寺宝展示室の瑞雲閣では、伏見版木活字、円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」などを見ることができる。
山門を入って石段を上ったところにある奔龍庭は、平成に造られた枯山水庭園。白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組で表した躍動感のある珍しい庭である。龍の頭部と背中付近に荒く切り立った石柱は稲妻を表現している。
書院の前に広がる十牛之庭は、牛を追う牧童の様子を描いた「十牛図」を題材にして江戸時代に造られた池泉回遊式庭園。四季を通じてさまざまな景色が楽しめるが、特に紅葉の美しさはよく知られている。庭の南には洛北で最も古い泉水といわれる栖龍池があり、先人たちはここからの眺めを絶景としてほめたたえたといわれる。また書院前に置かれた水琴窟が庭内に心地よい音色を響かせる。この水琴窟は縁が広い盃型の手水鉢を用いたもので「圓光寺型」といわれる。
寺宝展示室の瑞雲閣では、伏見版木活字、円山応挙筆の「雨竹風竹図屏風」などを見ることができる。
関連リンク | 圓光寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
圓光寺(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 資料「瑞巌山 圓光寺」 |
2025年05月現在
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