京菓子きょうがし

京菓子は御所で用いられる献上菓子、社寺の饗饌菓子、そして茶道の菓子として発達してきた。奈良時代に伝わった唐菓子(からくだもの)の団喜・餢飳(ぶと)*などは神仏への供え物としてつくられた。鎌倉時代に禅宗が流入。同時期に伝わったお茶うけ的な点心の「羹(あつもの)」には獣や魚の肉を使うものが多かったが、次第に植物性の素材に変わっていき、小豆の羊羹*が生まれる素地となるが、まだ砂糖は使われない。室町時代初頭に来日した林浄因*が饅頭を考案したといわれ、室町時代末には金平糖やカステラなどの南蛮菓子が伝来する。それでも織田信長でも珍重するくらい希少な存在であった。利休の茶道が隆盛への道を歩み始めるころでも、まだ茶席では焼き栗や干柿、昆布、せいぜい小麦粉を水で溶いて焼いた麩の焼き*程度であった。江戸時代、世の中が安定すると宮中行事や寺社の祭りが復活、町衆の力も蓄えられ、茶会の開かれる機会も増え、次第にさまざまな和菓子が作られるようになる。御所や公家、門跡などへ献上する菓子を扱う菓子屋が、1775(安永4)年、上菓子屋仲間を結成。御菓子司(おんかしつかさ)を称し、その数248軒。まだ貴重だった砂糖はこの仲間しか使用が許可されなかった。この上菓子が茶の湯の場で使われるようになり、さまざまに変化、発展することになる。
 茶の湯に大きな影響を受けた京菓子は、季節感を重視し、歴史や古典、季語を拠り所として作られる。色彩、姿のデザイン性にすぐれ、まさに芸術品である。特に上生菓子は具体的な形ではなく、連想する楽しみ、イマジネーションを大事にする。菓子の名前「銘」の付け方も同じ発想といえる。
 なお商標登録「京菓子」は「京都で製造される和菓子」であり、その特徴を「『京菓子』と呼ばれる菓子は、その容姿から溢れる季節感と風味を大切にしている。その表現方法は、抽象的な作風と無駄を一切省いた技法が特徴で今日まで伝えられている。茶の湯や王朝、町衆の遊びという二つの文化を基盤として先祖代々受け継がれてきた技術は、経験によってのみ養われその修業は長い年月を要する。」としている。
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みどころ

季節と密接にリンクした菓子としては1月の「花びら餅」*、3月の「ひちぎり」*、5月の「唐衣(からころも)」*、6月の「水無月(みなづき)」*、11月の「亥の子餅」*など。これらは菓銘も定着し、いずれの店でも同様のものがつくられる。ただし、店により作り方、味は異なる。たとえば「水無月」はういろう生地の店が多いが、葛を使うところもあり、食べ比べてみるのも楽しい。
 上生菓子の材料は主に「練り切り」。白餡に求肥(ぎゅうひ)や山芋・つくね芋をつなぎとして加え、練り上げたものが練り切り。これに抹茶やクチナシなど自然の着色料を混ぜ、餡を包み込んで形を整える。山芋類を加えるため粘りがあり、整形しやすい。「こなし」は白餡に小麦粉などを加えた生地を蒸し、さらに砂糖を混ぜながら揉みこなして作るため、練り切りよりやや硬めに仕上がる。「きんとん」は白餡に寒天などのつなぎを加えて煉り、それに着色した生地を篩(ふるい)の目から押し出し、できたそぼろを箸で餡の周りにそっと着けて作る。求肥は餅米の粉に砂糖を加えて練り上げたもの。ういろうは米粉や餅粉などに砂糖と水を加えて熱して練り合わせ、蒸したもの。粘りがあるが歯切れもよく、薄くすると透けるので、外郎の色と中にくるむ餡の色でさまざまな姿を作れる。薯蕷(じょうよ)饅頭はつくね芋を擦りおろし、米粉と砂糖を混ぜた生地で餡を包んで蒸し上げる。いかに柔らく仕上げるかが腕の見せどころ。
 京都には200年、300年の老舗も数多いが、室町時代に創業し、御所の御用を勤めた川端道喜(どうき)、虎屋あたりが筆頭格。亀屋の名の付く店が多いのは長い年月の間にいくつもの店が暖簾分けしたため。それぞれの店が長く愛される名物菓子を伝えている一方、老舗にも新しい感覚の菓子が次々と生まれている。昨今は和菓子作りの体験教室も。なお、その時期でないと作らない菓子があるのはもちろん、注文しておかないとその場では買えない店もあるので、注意が必要。
 菓子関連の資料を見るなら一条通烏丸西入ルの虎屋京都ギャラリー、烏丸通上立売上ルの俵屋吉富の京菓子資料館。
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補足情報

*団喜・餢飳:祇園石段下の亀屋清永では昔の製法によって現在も作っている。団喜は清浄歓喜団と称し、米粉と小麦粉を練った生地で7種類のお香を入れた餡を巾着型に包み、胡麻油で揚げたもの。餢飳は同様の生地を丸く伸ばし、餡を挟んで2つ折りにして縁を折って胡麻油で揚げてある。両方とも結構硬い。
*羊羹:まず作られたのは蒸し羊羹であり、練り羊羹は江戸時代後期に寒天の利用が工夫されてから。
*林浄因:元(中国)から来日し、奈良に住む。中国には肉などを小麦粉の皮で包んで蒸した饅頭(まんとう)と呼ばれる食物があったが、浄因は肉に代えて小豆餡を入れることを考案し、これが日本の饅頭の始まりとされる。京都に移った分家の流れが、塩瀬総本家の志ほせ饅頭につながるという。
*麩の焼き:表面に蜜などを塗った「末富」の麩焼き煎餅「両判」や、亀屋良永の「御池煎餅」など、いまも扱う店は多い。麩の専門店でも作る店がある。
*花びら餅:正月の祝いの菓子。丸く伸ばした軟らかい餅に、白味噌餡と蜜煮のゴボウ2本を置いて2つ折りにしたもの。とろりとして、薄紅が透けて見える上品な菓子は、宮中の儀式に使う菱葩(ひしはなびら)に由来し、川端道喜が原形を工夫したという。正月の数日だけ作られる。
*ひちぎり:ひな祭りの定番菓子。丸めた餅の一方を杓子のように延ばし、真ん中をへこませたところに餡玉やきんとんを載せる。忙しくて餅を引きちぎったことからこの名があるとか。貴族が子供の前途を祝う儀式の「戴餅」に由来するといい、漢字は引千切。ひっちぎりとも。2月下旬~3月上旬のもの。
*唐衣:カキツバタの咲きそうなころに使う菓子。白餡を黄色に染め、広袖を思わせる薄紫の外郎で包んで、「伊勢物語」の歌、「唐衣きつつなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ」に詠み込まれた「か・き・つ・ば・た」を表す。唐衣(からきぬ)は女性が十二単の一番上、上半身に羽織る着物。
*水無月:6月30日は夏越祓(なごしのはらえ)。半年間の罪や穢れを祓って無事に感謝し、これからの半年の無病息災を祈る。この日に食べるのが水無月。葛やういろう生地に小豆を散らし、三角形に切って、かつては非常に貴重だった氷をかたどっている。
*亥の子餅:イノシシにあやかり多産、子孫繁栄、また病除け、火除けを願って、亥の月である旧暦10月(現在は11月)に食べる。特に最初の亥の日、亥の刻に食べるとよいとされ、玄猪餅(げんちょもち)の別名がある。イノシシの子を連想する筋を付けたり、焼き印を押したりするが、生地は餅であったり、求肥であったりいろいろ。形はやや楕円形あたりが多い。これも宮中儀式からきているという。茶の湯の炉開きに欠かせない菓子でもある。
関連リンク 京都市文化市民局文化財保護課(WEBサイト)
参考文献 京都市文化市民局文化財保護課(WEBサイト)
京菓子資料館(WEBサイト)

2025年05月現在

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