今宮神社
平安建都以前より、疫神を祀る社があったといわれる今宮神社は、地下鉄烏丸線北大路駅の西約1.6kmにあり、徒歩20分、または同駅より京都市バスで船岡山下車、徒歩7分で到達する。本社の祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、境内にある摂社・疫神社の祭神は素盞嗚尊(すさのをのみこと)。994(正暦5)年、ここに祀られていた疫神を神輿に載せて船岡山に安置し、御霊会が行われた。1001(長保3)年、疫病の流行に際して再びこの地に疫神を祀り、3宇の神殿を造営して今宮社と名付けたことが「日本紀略」にみえ、これが当社の創祀とされる。このあたり一帯は紫野と呼ばれることから、疫病流行の折に行われた御霊会は「紫野御霊会」という。本社の西にある摂社・疫社は、本社より古く鎮座していたとの伝承をもつ。
社殿は1896(明治29)年に焼失したものを、1902(明治35)年に再建したもの。当社は徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院*が厚く崇敬し、社殿の造営や神領の寄進などに大きな功績を残した。桂昌院(お玉の方)ゆかりの神社であることから、「玉の輿」のご利益でも知られている。毎年4月第2日曜に行われる花鎮めの祭礼「やすらい祭」*も有名。
社殿は1896(明治29)年に焼失したものを、1902(明治35)年に再建したもの。当社は徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院*が厚く崇敬し、社殿の造営や神領の寄進などに大きな功績を残した。桂昌院(お玉の方)ゆかりの神社であることから、「玉の輿」のご利益でも知られている。毎年4月第2日曜に行われる花鎮めの祭礼「やすらい祭」*も有名。

みどころ
参拝者は帰りに名物のあぶり餅を食べると厄除けになるといわれる。東門を出たところにあぶり餅を売る2軒の茶店が向かい合い、江戸時代の社頭風景の名残を思わせる。茶店は、1780(安永9)年刊の「都名所図会」には、現在と同位置に並んでいた。あぶり餅は先端を細く割った竹串に親指大の小餅を刺し、炭火で焼いて焦げ目をつけ、それにきな粉を混ぜた甘白味噌をたっぷりとつけたもの。994(正暦5)年の御霊会に際し、供えられたことが始まりという。
八社殿前の奇石「阿呆賢(あほかしさん)」は、線彫四面仏石(重文)で、1125(天治2)年の銘がある。「重軽石(おもかるいし)」とも呼ばれ、3度石を打って持ち上げると重くなり、今度は願いを込めて3度やさしく撫でて持ち上げ軽くなったと感じると、願いが叶うといわれる。
八社殿前の奇石「阿呆賢(あほかしさん)」は、線彫四面仏石(重文)で、1125(天治2)年の銘がある。「重軽石(おもかるいし)」とも呼ばれ、3度石を打って持ち上げると重くなり、今度は願いを込めて3度やさしく撫でて持ち上げ軽くなったと感じると、願いが叶うといわれる。

補足情報
*桂昌院:西陣の八百屋の娘から将軍の生母となり、さらに従一位の位(身分)まで上り詰めた。彼女の名前がお玉であったことから、「玉の輿」は桂昌院のことを言ったのではないかといわれる。
*やすらい祭:国重要無形民俗文化財。疫神を鎮める祭り。黒毛鬼・赤毛鬼それぞれ2人を従えた行列が笛や太鼓に合わせて「やすらい花や」と囃しながら参詣する。太秦の牛祭・鞍馬の火祭とともに、京の三奇祭といわれる。玄武神社・川上大神宮・上賀茂の各保存会でも行われる。
*やすらい祭:国重要無形民俗文化財。疫神を鎮める祭り。黒毛鬼・赤毛鬼それぞれ2人を従えた行列が笛や太鼓に合わせて「やすらい花や」と囃しながら参詣する。太秦の牛祭・鞍馬の火祭とともに、京の三奇祭といわれる。玄武神社・川上大神宮・上賀茂の各保存会でも行われる。
関連リンク | 今宮神社(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
今宮神社(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 上」山川出版社 |
2025年05月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。