廬山寺
京都御苑のすぐ東にあり、寺町通に門を開く。「源氏物語」の作者・紫式部の邸宅跡に立ち、正式には廬山天台講寺という。1583(天慶元)年、元三大師良源*が船岡山の南に創建。天正年間(1573~1593)、豊臣秀吉の都市改造により現在地の寺町通に移った。皇室とのゆかりが深く、現在の本堂と尊牌殿は、1794(寛政6)年に光格天皇の勅命で仙洞御所の一部を移建したもの。また境内奥の墓地には、慶光天皇廬山寺陵ほか皇子、皇女の陵墓がある。
1965(昭和40)年、歴史学者の角田文衛により境内地は紫式部の邸宅跡と発表され、本堂の南に「源氏の庭」と称する優美な庭が造られた。紫式部は、著名な歌人であった曽祖父の藤原兼輔がこの地に建てた邸宅に生まれて育ち、藤原宣孝との結婚生活を送った。3年で夫と死別すると、一条天皇の中宮彰子に仕えるようになり、彰子のためにここで「源氏物語」を書いた。
「源氏の庭」はキキョウが美しく、2月節分に行われる節分会追儺式鬼法楽(鬼おどり)も有名である。また、境内奥には豊臣秀吉が築いた御土居が残っている。
1965(昭和40)年、歴史学者の角田文衛により境内地は紫式部の邸宅跡と発表され、本堂の南に「源氏の庭」と称する優美な庭が造られた。紫式部は、著名な歌人であった曽祖父の藤原兼輔がこの地に建てた邸宅に生まれて育ち、藤原宣孝との結婚生活を送った。3年で夫と死別すると、一条天皇の中宮彰子に仕えるようになり、彰子のためにここで「源氏物語」を書いた。
「源氏の庭」はキキョウが美しく、2月節分に行われる節分会追儺式鬼法楽(鬼おどり)も有名である。また、境内奥には豊臣秀吉が築いた御土居が残っている。

みどころ
山門を入って正面に立つ元三大師堂には、鬼大師像などを安置。本堂に祀られる本尊の阿弥陀三尊像は平安末~鎌倉期の作で、重要文化財に指定されている。本堂の南の「源氏の庭」は、白砂を敷き、絵巻物に描かれる源氏雲をかたどって苔を洲浜形に配し、苔の上にキキョウを添えている。「源氏物語」に出る朝顔の花は現在のキキョウであることにちなんでおり、6月中旬~9月中旬に紫の花を楽しめる。また、庭には「紫式部邸宅址」と刻んだ石碑もある。
節分会追儺式鬼法楽(鬼おどり)は、京都の代表的な節分行事。元三大師が修法を邪魔する3匹の鬼を法力で退散させたという故事にちなんで行われている。松明と宝剣を持つ赤鬼、斧を持つ青鬼、槌を持つ黒鬼が大暴れするが、最後は豆を投げつけられ退散する。
節分会追儺式鬼法楽(鬼おどり)は、京都の代表的な節分行事。元三大師が修法を邪魔する3匹の鬼を法力で退散させたという故事にちなんで行われている。松明と宝剣を持つ赤鬼、斧を持つ青鬼、槌を持つ黒鬼が大暴れするが、最後は豆を投げつけられ退散する。

補足情報
良源:912~985年。第18代天台座主で、比叡山延暦寺の中輿の祖。正月3日に没したため元三大師ともいう。豆大師、角大師と呼ばれる大師の御影の護符は魔除けの札として喜ばれている。
関連リンク | 廬山寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
廬山寺(WEBサイト) 「古寺歩きの愉しみ」川端洋之 2009 淡交社 |
2025年05月現在
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