妙心寺みょうしんじ

JR山陰線(嵯峨野線)花園駅から南総門まで徒歩5分、嵐電北野線妙心寺駅から北総門まで徒歩4分。臨済宗妙心寺派の大本山である。妙心寺派は臨済宗最大の宗派で、国内外に約3,400の関係寺院を擁する。境内は広く、南北約600m、東西約500m、総面積は約33万m2。その中心に堂々たる七堂伽藍を構え、周囲に46もの塔頭寺院が立ち並んでいる。
 1337(建武4)年、宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に深く帰依した花園上皇が、この地にあった離宮を禅寺とし、宗峰が推した関山慧玄(かんざんえげん)を開山として迎えたのに始まる。のちに足利義満の圧迫を受け中絶し、再興後の伽藍も応仁の乱で焼失したが、雪江宗深(せっこうそうしん)が細川勝元・政元父子の援助を受けて復興。その弟子からも名僧が生まれ、寺勢は興隆した。その後も、今川家、武田家、織田家、豊臣家、徳川家など有力大名の帰依を受けて寺勢は拡大。諸大名も菩提寺として塔頭を創建し、一時は塔頭数が80余に達したという。
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みどころ

勅使門から北に向かって、三門*、仏殿*、法堂*、大方丈*、大庫裏*がほぼ一直線に並び、その東に浴室*、経蔵*がある。禅宗の典型的な伽藍配置を今に残し、いずれも重要文化財に指定されている。このうち常時内部を拝観できるのは、法堂と大庫裏(※大庫裏は工事のため2024年5月から約2年間の予定で拝観休止中)。法堂の天井画の八方にらみの雲龍図は狩野探幽の傑作。法堂内には、かつて仏殿横の鐘楼に吊るされていた梵鐘(国宝)も置かれている。698(文武天皇2)年の銘があり、日本最古の鐘とされる。塔頭のほとんども通常非公開で、常時公開されているのは、退蔵院*、大心院*、桂春院*。
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補足情報

*三門:1599(慶長4)年の再建。京都の三門で3番目に古い。楼上には観音菩薩像や十六羅漢像などが祀られ、天井には、極彩色の飛龍や楽器、迦陵頻伽が描かれている。
*仏殿:1827(文政10)年の再建。5間四方、重層、入母屋造、本瓦葺の唐様建築。釈迦三尊像を安置する。毎朝の勤行の他、釈迦の三仏忌となる降誕会・成道会、涅槃会が勤められている。
*法堂:1657(明暦3)年の再建。住職が説法や重要な儀式を行うところ。正面7間、側面6間、重層、入母屋造。
*大方丈・小方丈:大方丈は1654(承応3)の建立。入母屋造、檜皮葺。阿弥陀三尊像を安置する。狩野探幽・益信の襖絵がある。大方丈は住職が多数の賓客を応対するところで、その東にある小方丈は住職の私室である。1656(明暦2)年の建築。南縁の杉戸に麒麟が描かれていることから、一名麒麟殿とも称する。前庭の枯山水は大方丈庭園とともに、国の史跡・名勝に指定されている。
*大庫裏:1653(承応2)年に改建。僧侶の食生活を支える場所で、巨大な竈、厨房を中心に、庫裏の守護神を安置する韋駄天堂、柴小屋、火番部屋、地蔵菩薩を祀る食堂(じきどう)、台所を司る典座寮、妙心寺の行政機関である紀綱寮、検察機関の監寺寮(かんすりょう)、財務機関の副寺寮(ふくすりょう)、事務機関の都寺寮(つうすりょう)の各部屋がある。
*浴室:1587(天正15)年、密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うために建てたので、「明智風呂」とも呼ばれている。現在の建物は1656(明暦2)年の再建。明暦簀子板敷の隙間から蒸気を出す蒸し風呂形式。
*経蔵:約6,500巻の経巻を収めた八角形の輪蔵が据え置かれている。
*退蔵院:1404(応永11)年、妙心寺3世・無因禅師を開山として創建された、妙心寺山内でも屈指の古刹。室町時代の画僧・如拙が描いた初期水墨画の代表作「瓢鮎図(ひょうねんず)」(国宝。京都国立博物館寄託)を所蔵することで知られる。方丈の西側にある枯山水庭園(国史跡・名勝)は室町時代の絵師・狩野元信の作庭。
*大心院:1492(明応元)年、管領細川政元が創建。書院前の「阿吽庭」は白砂に多彩な石組と苔をあしらった昭和作庭の枯山水の名園。宿坊にもなっている。
*桂春院:1598(慶長3)年、織田信長の孫・津田秀則が見性院として創建。のちに桂春院と改められた。方丈の襖絵は狩野山雪の作。江戸時代作庭の庭園は国史跡・名勝に指定されている。
関連リンク 大本山妙心寺(WEBサイト)
参考文献 大本山妙心寺(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社
資料「妙心寺」

2025年05月現在

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