龍安寺りょうあんじ

京福電鉄北野線龍安寺駅徒歩7分にある。1450(宝徳2)年、細川勝元が徳大寺家の別荘であったこの地を譲り受け、妙心寺の義天玄承に帰依して禅刹を建立した。当時威容を誇ったが、応仁の乱やその後の火災で焼失し、現在の姿になった。龍安寺駅から北上し総門をくぐり、道路を横断してなお進むと山門が立つ。山門を抜けると左手に鏡容池*が広がる。総門を含む境内のほぼ全域が龍安寺庭園として国の名勝に指定されている。鏡容池の北岸には、真田幸村の墓がある大珠院ほか2つの塔頭が並び、さらにその北に庫裏、方丈(重文)がある。方丈の前庭が、よく知られている石庭であり、龍安寺方丈庭園*として国の史跡・特別名勝に指定されている。石庭は1975(昭和50)年に英国のエリザベス女王が希望して訪問。同行した海外のマスメディアが、石庭を東洋の神秘のように伝え、世界的に有名になった。
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みどころ

およそ250m2足らず(75坪)の白砂敷きの中に、大小15個の石を左から5・2・3・2・3の5群に分けて配置している。すべての石を一度に見ることはできず、いくつかは陰に隠れてしまう。15という数字は完全を意味するとされるが、人間は完全ではないのですべての石を見通すことができないように作庭されたともいわれる。そして石庭が意味することについては、さまざまな説がある。後ろの土塀や後面の石組を低くすることで茫洋とした海に浮かぶ島を思わせ、石の配置でよく言われるのが「虎の子渡し」。それは、漢の江陵で、太守を慕い、人々はもとより、虎までが子を連れて、大江を渡ったという故事にある。そのほかに、7、5、3の順に石を並べた「七五三配石」説、「心字」を表す説など諸説がある。石の配置が絶妙なバランスを持っているのは事実で、それを具体的に解釈しても、石庭が応えてくれるわけではないので、見る人個人の解釈でよいのではといわれている。
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補足情報

*鏡容池:境内南に広がる池で、徳大寺家の山荘の遺構。衣笠山や朱山を映し、弁天島や伏虎島などを浮かべる。
*方丈庭園:方丈南側にある枯山水式石庭の代表作。三方を杮葺油土塀に囲まれた長方形の庭一面に白砂を敷き、5群15個の岩石を飛び飛びに配置している。5つの石組みが絶妙なバランスを保っている。
関連リンク 龍安寺(WEBサイト)
参考文献 龍安寺(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 上」山川出版社
「石がつくる庭園宇宙①」日本経済新聞 2004年12月5日
「京都名庭を歩く」宮元健次 光文社新書

2025年05月現在

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