瀬戸やきもの風景せとやきものふうけい

名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅下車。「せともの(瀬戸物)」というように、瀬戸の焼き物は昔からよく知られている。その歴史は1000年余に及ぶといわれ、日本六古窯のひとつとして日本遺産に認定された。
 瀬戸物がほかの地域の焼き物と違いを見せるのは、古瀬戸と呼ばれる施釉(せゆう)陶器の出現による。中世(鎌倉・室町時代)を通して釉薬をほどこした陶器を生産できたのは瀬戸だけであった。こうして古瀬戸は北海道から九州まで日本全国へと流通していった。
 瀬戸で磁器生産が始まるのは、有田に約200年遅れてであった。磁器生産において遅れを取っていた瀬戸は、19世紀初頭に加藤民吉を肥前に派遣して磁器製法を学ばせた。この結果、釉薬や窯の改良が進んで、瀬戸の磁器生産は急速に進んだ。これ以後、磁器生産を新製焼(染付焼)と呼び、従来の陶器生産を本業焼と呼んで区別した。有田焼の特徴が色絵や染付であるのに対し、瀬戸の染付は青の濃淡を用いた色調や写実的な絵付に特色がある。
 明治時代になると、瀬戸の窯業は海外に目を向け、輸出向けの陶磁器生産を積極的に行っていった。
 1873(明治6)年のウィーン万博とその3年後のフィラデルフィア万博に出品して高評価を得、海外からの注文が殺到し、陶磁器生産の約7割が輸出用で占めるようになった。
 市域の山地、丘陵地の地層は瀬戸層群という陶土の層で覆われていて、その陶土と松を利用して、平安時代中期から丘陵地の傾斜に窯を築き、盛んに陶器を焼いてきた。そののち石炭窯になってからは、平地でも焼くことができ、市街を流れる瀬戸川沿いに中小の工場が密集してきた。規模の大きい工場は広い敷地を求めて、各所で生産するようになった。各所で陶土が産出する瀬戸市域では、古来よりやきものづくりが行われてきた「焼き物のまち」ならではの独特の風景がうかがえる。
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みどころ

瀬戸でみられる独特な景観は「窯垣」と陶土の採掘現場である。窯垣とは、窯で焼くときに器を並べる棚として使われた耐火性の陶板などを、垣根や土留めに有効活用したもので、市内には大小様々な窯垣が残っている。巨大な露天掘りの陶土の現場は、雄大さがグランドキャニオンに似ていることから、瀬戸キャニオンと呼ばれている。
 瀬戸市で陶磁関係の場所を見るには、地域別に見るのが良いだろう。例えば、市街地・瀬戸川沿い*、中でも「瀬戸蔵ミュージアム」は、やきものの全てが分かる博物館であり、訪れてみてほしい。さらに、市街地北部の丘陵地*、陶祖公園周辺・洞町地区*、市街地を離れて東部の赤津地区、北部の水野地区、品野地区などがある。
 南部には、愛知県陶磁美術館(2025年3月31日まで改修工事休館中)がある。
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補足情報

*市街地・瀬戸川沿い:名鉄尾張瀬戸駅から東へ、せとものを取り扱う店舗が並ぶ商店街~瀬戸蔵(瀬戸蔵ミュージアム・やきものショップなど)~新世紀工芸館(陶芸とガラス工芸がテーマ)~招き猫ミュージアム~やや離れて瀬戸染付工芸館(瀬戸独特の藍色の絵付けをテーマ)。南に少し足をのばして、瀬戸市美術館。 
*市街地北部の丘陵地:陶彦社(陶祖藤四郎を祀る)~深川神社(拝殿に織部瓦、宝物殿に国の重文陶製狛犬)~無風庵(工芸家藤井達吉ゆかりの民家)~窯神神社(江戸時代肥前に行き磁器の製法学んだ加藤民吉を祀る)
*陶祖公園周辺・洞町地区:陶祖公園(世界最高規模の4.1mの陶製六角碑、国内最大級の大きさの志野焼灯籠)~窯垣の小径(窯垣・ギャラリー・資料館あり)~瀬戸民藝館(瀬戸本業窯(登り窯))
*赤津地区・水野地区・品野地区:窯元が集まる地区。春と秋には、普段つくり手や作家が仕事をしている窯元の工房を開放して、展示販売を行うイベントが開催される。