矢来能楽堂で上演される能・狂言やらいのうがくどうでじょうえんされるのう・きょうげん

近年急速に人気の高まった都内のスポット「神楽坂エリア」。矢来能楽堂は、東京メトロ東西線神楽坂駅から徒歩2分の地にある。公益社団法人観世九皐会(かんぜきゅうこうかい)*の所有する能楽堂で、三世観世喜之・観世喜正を中心にして、矢来能楽堂を本拠地として全国的に能の活動を展開している。
 1911(明治44)年に初世観世喜之により神田西小川町に設けられた舞台は、関東大震災のために焼失。1930(昭和5)年に牛込矢来町の現在地に移って舞台を復興するが、この舞台も1945(昭和20)年5月、空襲によって焼失してしまう。二世喜之は、戦後いち早く舞台再建に着手し、1952(昭和27)年に現在の矢来能楽堂が建てられた。
 客席は、戦前の桟敷席から椅子席に変更したが、客席後方には和室の座敷を残して古風な趣がある。席数は約230席。建物は2011(平成23)年国の登録有形文化財に指定された。
 関係者の尽力により舞台には木曽の檜が使用され、舞台の背景となる鏡板の松の絵は、日本画家・川邊菊久の手による。
 矢来能楽堂では、毎月第二日曜日に「観世九皐会定例会」が催されている、また、初心者向けの「はじめての矢来能楽堂」公演や体験講座などは、近隣だけでなく、海外からの観客も多く、盛況を博している。
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みどころ

毎月の「観世九皐会定例会」公演以外に、若手能楽師による研究公演の「若竹能」や初心者向けの普及公演「はじめての矢来能楽堂」が複数回行われている。
 また流派を問わず、能・狂言の公演にも貸し出されており、「能楽講座」や「学校公演」の会場としてもよく使用されている。
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補足情報

*観世九皐会:明治時代観世銕之丞家から分家した観世清之とその後に続く代々の観世喜之と門弟による能楽のグループ。昭和に入って矢来町に舞台を移転し矢来観世とも呼ばれる。東京、大阪をはじめ全国各地に門弟を抱え、地方での演能活動も盛んである。
関連リンク 矢来能楽堂(公益社団法人観世九皐会)(WEBサイト)
参考文献 矢来能楽堂(公益社団法人観世九皐会)(WEBサイト)

2025年06月現在

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