柴又帝釈天(帝釈天題経寺)
京成電鉄柴又駅の東にある。同寺は1629(寛永6)年に下総国中山法華経寺第19世日忠を開山とし、その弟子日栄を開基として開創した。日蓮自刻と伝える帝釈天板*1本尊を祀るところから、一般に柴又帝釈天と呼ばれるようになった。この帝釈天と庚申信仰が結びついたのは、一時所在不明となっていた帝釈天板本尊が、1779(安永8)年の本堂改修の際、庚申の日に棟木の上から発見されたことに由来する。新年の初庚申から納めの庚申まで60日ごとに行われる「庚申まいり」は参詣者で賑わう。
柴又駅前から続く約200mの参道には、名物の草だんご、塩せんべい、庚申信仰にちなむはじき猿*2のおもちゃなどを売る店や、川魚料理の老舖が並んでいる。二天門*3をくぐると、帝釈堂*4・祖師堂・開山堂・鐘楼*5・大客殿などの堂宇が重厚な構えを見せ、左手前には「瑞龍の松」*6が枝を伸ばし、境内右手奥には富士山からの下山仏の観音菩薩坐像*7が鎮座している。帝釈堂の壁面には「法華経絵巻」の説話を題材とした胴羽目彫刻十枚*8がはめ込まれ、同堂の裏手には庭園邃渓園*9(すいけいえん)が広がり、回廊を巡りながら観賞できる。
また、門前町と帝釈天境内は、松竹映画「寅さんシリーズ『男はつらいよ』」*10の舞台でもあり、柴又駅前には主人公の「寅次郎」と「さくら」の銅像が立つ。同寺の付近には江戸初期から続くという「矢切の渡し」*11や「寅さん記念館」などがある。
柴又駅前から続く約200mの参道には、名物の草だんご、塩せんべい、庚申信仰にちなむはじき猿*2のおもちゃなどを売る店や、川魚料理の老舖が並んでいる。二天門*3をくぐると、帝釈堂*4・祖師堂・開山堂・鐘楼*5・大客殿などの堂宇が重厚な構えを見せ、左手前には「瑞龍の松」*6が枝を伸ばし、境内右手奥には富士山からの下山仏の観音菩薩坐像*7が鎮座している。帝釈堂の壁面には「法華経絵巻」の説話を題材とした胴羽目彫刻十枚*8がはめ込まれ、同堂の裏手には庭園邃渓園*9(すいけいえん)が広がり、回廊を巡りながら観賞できる。
また、門前町と帝釈天境内は、松竹映画「寅さんシリーズ『男はつらいよ』」*10の舞台でもあり、柴又駅前には主人公の「寅次郎」と「さくら」の銅像が立つ。同寺の付近には江戸初期から続くという「矢切の渡し」*11や「寅さん記念館」などがある。

みどころ
かつてこの地は、下総国に属し江戸府外であったが、明治以降に東京府あるいは東京市に属するようになった。昭和初期には参道沿いに門前町のまとまりのある景観が形成された。第2次世界大戦後、東京の市街地拡大に伴い、工場や住宅地が拡大し下町として認識されるようになり、映画『男はつらいよ』によって、東京の下町の風情や気風がよく残されているところとして知られるようになった。柴又駅から題経寺までの参道は現在もまさにその風情、景観が維持されている。土産物屋、だんご屋、川魚の店などが建ち並び、参道を歩くだけで、その雰囲気を十分に味わえる。
題経寺の二天門をくぐり境内に入れば、すぐに目につくのは瑞龍の松、龍頭が帝釈堂となる。帝釈堂の拝殿までは昇殿できるが、帝釈天板本尊はその奥の内殿に安置されている。拝殿の右手の回廊奥に、内殿の外壁に配されている胴羽目彫刻十枚を拝観する入口がある。極めて精密な彫刻で描かれた「法華経縁起絵巻」の説話の世界が並ぶ。ここはじっくり鑑賞したいものだ。あとは裏手の大客殿前にある庭園邃渓園を巡ってみたい。庭園内には入れないが、大回廊を回りながら、いろいろな角度から楽しめるようになっている。
参拝のあとは少し離れるが「寅さん記念館」に立ち寄って「フーテンの寅さん」の世界に浸るもの悪くない。
題経寺の二天門をくぐり境内に入れば、すぐに目につくのは瑞龍の松、龍頭が帝釈堂となる。帝釈堂の拝殿までは昇殿できるが、帝釈天板本尊はその奥の内殿に安置されている。拝殿の右手の回廊奥に、内殿の外壁に配されている胴羽目彫刻十枚を拝観する入口がある。極めて精密な彫刻で描かれた「法華経縁起絵巻」の説話の世界が並ぶ。ここはじっくり鑑賞したいものだ。あとは裏手の大客殿前にある庭園邃渓園を巡ってみたい。庭園内には入れないが、大回廊を回りながら、いろいろな角度から楽しめるようになっている。
参拝のあとは少し離れるが「寅さん記念館」に立ち寄って「フーテンの寅さん」の世界に浸るもの悪くない。

補足情報
*1 帝釈天板:文化文政年間(1804~1830年)発刊の「新編武蔵風土記稿」によると「縁起ノ略ニ云 當(当)寺ニ日蓮彫刻セシ祈祷本尊トテ寺宝アリシヨシ云伝ヘシカ 其在所ヲ知ラス 然ルニ安永八(1779)年本堂再建ノ時棟上ヨリ長二尺五寸幅一尺五寸厚サ五分許ノ板出タリ」として、水で清めたところ「片面ハ病即消滅ノ本尊ヲ彫シ 片面ニハ帝釈天ノ像ヲ刻セリ」とし、これが日蓮自刻のものとされた。この板が発見されたのが庚申の日であったことから、この日が縁日となった。折から江戸周辺は飢饉や浅間山の噴火、利根川の水害などで疲弊していたことから、庚申信仰と結びつき、題経寺は柴又帝釈天として大いに賑わったという。
*2 はじき猿:厄をはじき去るという縁起ものである。郷土玩具としても有名。
*3 二天門(にてんもん):1896(明治29)年の建築で、重層、入母屋造、唐破風(からはふ)、本瓦葺、総欅造である。門内左右に安置する増長天・広目天の二天像は、藤原時代の仏師定朝(じようちよう)の作といわれ、題経寺の山門建立にあたり、泉州堺の妙国寺から寄贈されたもの。もとは奈良の大安寺にあったと伝えられる。
*4 帝釈堂(たいしやくどう):内殿は1915(大正4)年、拝殿は1929(昭和4)年の造営である。神殿造、唐破風、本瓦葺。堂内外に見られる「十二支」「日蓮一代記」「法華経縁起」の彫刻は精巧を極める。
*5 鐘楼:高さ約15m、入母屋造、千鳥破風付き、本瓦葺、1955(昭和30)年建立の重厚な建築。
*6 「瑞龍の松」:現在の樹高約 9m、幹周囲長約 3m、樹齢は500年といわれている。幹は上方にまっすぐ伸び、大枝は北、南、西の3方に長く伸びており、天に昇る「龍」のように見えるとされている。 縁起によると、題経寺の開基日栄が柴又に寄った際、このマツと、その下に湧泉を見つけ、この地に庵を結んだとされる。この木が、瑞龍の松だとされる。文化文政年間(1804~1830年)発刊の「新編武蔵風土記稿」にも描かれている。東京都指定天然記念物。
*7 下山仏の観音菩薩坐像:明治時代の神仏分離の際、富士山山中より下ろされた仏像で、帝釈天の信者の手によって当寺に奉納されたという。室町期の金銅仏。
*8 胴羽目彫刻十枚:帝釈堂の再建に際し、大正末期より1934(昭和9)年まで費やし完成した彫刻。極めて細密であり、透かしなど高度な彫刻技法で彫り込まれている。「一雨等潤図」(3世石川信光作)・「法師修行図」(横谷光一作)など10作品(枚)を10人の彫刻家で制作。1枚板の大きさは、縦巾1.27m・横巾2.27m・厚さ20cmの襖大の欅材。拝観有料。
*9 庭園邃渓園:面積約2000m2。大正末期頃の作庭と思われ、作庭師永井楽山(1880-1971)によって大幅に手を加えられて、1965(昭和40)年にほぼ現在の姿になった。 庭の周囲に大回廊が巡らされ、いろんな視点から庭を楽しめるようになっている。東京都指定名勝。入園有料。
*10 松竹映画「寅さんシリーズ『男はつらいよ』」:山田洋次原作・脚本・監督、渥美清主演で1968(昭和43)年から全26話がテレビで放映され、1969(昭和44)年に映画化、2019(令和元)年まで全50作品が公開された。「日本人の心の原風景」を描いたとされる作品は、主人公の寅次郎が「寅さん」の愛称で呼ばれ、世代を超えて今も愛され続けている。柴又帝釈天の東側、江戸川堤防の近くに「寅さん記念館」があり、映画のセット、映像資料などが展示されている。入館有料。
*11 矢切の渡し:江戸時代に始まった江戸川の農民渡船で唯一現存するもので、葛飾区柴又と千葉県松戸市矢切を結んでいる。江戸幕府は防衛上から川に極力橋を架けなかったが、対岸に農地を持つ農民のための渡し船として許されていた。明治から大正期の歌人・小説家伊藤左千夫の「野菊の墓」や、演歌「矢切の渡し」で広く知られるようになった。現在は観光目的を主として運航されている。乗船有料。
*2 はじき猿:厄をはじき去るという縁起ものである。郷土玩具としても有名。
*3 二天門(にてんもん):1896(明治29)年の建築で、重層、入母屋造、唐破風(からはふ)、本瓦葺、総欅造である。門内左右に安置する増長天・広目天の二天像は、藤原時代の仏師定朝(じようちよう)の作といわれ、題経寺の山門建立にあたり、泉州堺の妙国寺から寄贈されたもの。もとは奈良の大安寺にあったと伝えられる。
*4 帝釈堂(たいしやくどう):内殿は1915(大正4)年、拝殿は1929(昭和4)年の造営である。神殿造、唐破風、本瓦葺。堂内外に見られる「十二支」「日蓮一代記」「法華経縁起」の彫刻は精巧を極める。
*5 鐘楼:高さ約15m、入母屋造、千鳥破風付き、本瓦葺、1955(昭和30)年建立の重厚な建築。
*6 「瑞龍の松」:現在の樹高約 9m、幹周囲長約 3m、樹齢は500年といわれている。幹は上方にまっすぐ伸び、大枝は北、南、西の3方に長く伸びており、天に昇る「龍」のように見えるとされている。 縁起によると、題経寺の開基日栄が柴又に寄った際、このマツと、その下に湧泉を見つけ、この地に庵を結んだとされる。この木が、瑞龍の松だとされる。文化文政年間(1804~1830年)発刊の「新編武蔵風土記稿」にも描かれている。東京都指定天然記念物。
*7 下山仏の観音菩薩坐像:明治時代の神仏分離の際、富士山山中より下ろされた仏像で、帝釈天の信者の手によって当寺に奉納されたという。室町期の金銅仏。
*8 胴羽目彫刻十枚:帝釈堂の再建に際し、大正末期より1934(昭和9)年まで費やし完成した彫刻。極めて細密であり、透かしなど高度な彫刻技法で彫り込まれている。「一雨等潤図」(3世石川信光作)・「法師修行図」(横谷光一作)など10作品(枚)を10人の彫刻家で制作。1枚板の大きさは、縦巾1.27m・横巾2.27m・厚さ20cmの襖大の欅材。拝観有料。
*9 庭園邃渓園:面積約2000m2。大正末期頃の作庭と思われ、作庭師永井楽山(1880-1971)によって大幅に手を加えられて、1965(昭和40)年にほぼ現在の姿になった。 庭の周囲に大回廊が巡らされ、いろんな視点から庭を楽しめるようになっている。東京都指定名勝。入園有料。
*10 松竹映画「寅さんシリーズ『男はつらいよ』」:山田洋次原作・脚本・監督、渥美清主演で1968(昭和43)年から全26話がテレビで放映され、1969(昭和44)年に映画化、2019(令和元)年まで全50作品が公開された。「日本人の心の原風景」を描いたとされる作品は、主人公の寅次郎が「寅さん」の愛称で呼ばれ、世代を超えて今も愛され続けている。柴又帝釈天の東側、江戸川堤防の近くに「寅さん記念館」があり、映画のセット、映像資料などが展示されている。入館有料。
*11 矢切の渡し:江戸時代に始まった江戸川の農民渡船で唯一現存するもので、葛飾区柴又と千葉県松戸市矢切を結んでいる。江戸幕府は防衛上から川に極力橋を架けなかったが、対岸に農地を持つ農民のための渡し船として許されていた。明治から大正期の歌人・小説家伊藤左千夫の「野菊の墓」や、演歌「矢切の渡し」で広く知られるようになった。現在は観光目的を主として運航されている。乗船有料。
関連リンク | GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) |
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参考文献 |
GO TOKYO 東京の観光公式サイト(WEBサイト) 「江戸名所図会 7巻 [19]」天保5~7 (1834~1836)年 53/54 国立国会図書館デジタルコレクション 「題経寺邃渓園」東京都文化財情報データベース(東京都教育庁地域教育支援部)(WEBサイト) 「まつどの魅力 矢切の渡し・野菊の墓文学碑」(松戸市)(WEBサイト) 「新編武蔵風土記稿巻之二十七 葛飾郡ノ八 題経寺・帝釈天総像」国立公文書館 |
2025年06月現在
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