江戸前の寿司
江戸前の日本食料理は、いずれも新鮮な江戸前の小魚貝を素材として成立し得たもの。江戸時代から庶民にとって、動物性たんぱく質の確保は重要課題であった。肉を食べないため魚がその役割を果たした。江戸期、屋台*で出されていた寿司は、ネタ、シャリとも、今の何倍も大きかったという。 江戸前寿司のネタになる、タイ、カレイ、スズキ、キス、ボラ、アイナメ、サヨリ、ホウボウ、イシモチ、アナゴ、ウナギ、アカガイ、ハマグリ、アサリなどが、江戸前を代表する海産物である。
「江戸前」と呼ばれた場所については諸説あるが、だいたい多摩川河口の羽田沖から江戸川河口の葛西沖までの約30kmにおよぶ地先の海面である。この海には、多摩川など5本の河川が流域の豊かな養分を運んでくるばかりでなく、伊豆七島から北上する黒潮の分流も、湾口から流入している。そのため江戸湾では洲場、磯場、平場と、変化に富んだ漁場を形成している。明治時代の記録では、128種類の魚貝類が漁獲されている。
江戸湾の漁業は、佃島*のように、徳川初期に関西から移住してきた漁業者たちによって開発された。中期から幕末期にかけては、江戸の水産物需要の増大にともなって、漁業技術も発達し、漁場も拡大した。
生魚を日持ちさせるために、酢や塩で締める、煮る、タレに漬け込むなどの工夫をこらしたり、せっかちな江戸っ子が短時間で食べられるように屋台で握り寿司を提供していたことが江戸前寿司の始まりである。
「江戸前」と呼ばれた場所については諸説あるが、だいたい多摩川河口の羽田沖から江戸川河口の葛西沖までの約30kmにおよぶ地先の海面である。この海には、多摩川など5本の河川が流域の豊かな養分を運んでくるばかりでなく、伊豆七島から北上する黒潮の分流も、湾口から流入している。そのため江戸湾では洲場、磯場、平場と、変化に富んだ漁場を形成している。明治時代の記録では、128種類の魚貝類が漁獲されている。
江戸湾の漁業は、佃島*のように、徳川初期に関西から移住してきた漁業者たちによって開発された。中期から幕末期にかけては、江戸の水産物需要の増大にともなって、漁業技術も発達し、漁場も拡大した。
生魚を日持ちさせるために、酢や塩で締める、煮る、タレに漬け込むなどの工夫をこらしたり、せっかちな江戸っ子が短時間で食べられるように屋台で握り寿司を提供していたことが江戸前寿司の始まりである。

みどころ
京都の料理の本質が野菜料理とすれば、それに並ぶ江戸の料理は、魚貝、それも小魚貝の料理であった。かつて欧米人インバウンド旅行者が日本で食べる和食は、天ぷらかすき焼きだった。その後、欧米の国々で、江戸前寿司など和食が健康面から人気を集め、和食の店舗が増えてきた。現在では、訪日外国人にとって、本場で江戸前の寿司をはじめとして、和食を食するのが、来訪目的の一つになっている。

補足情報
*屋台:江戸時代、冷蔵庫がなかったので、新鮮な魚を食べるには、わざわざ屋台に行って食べざるを得なかった。あたらしい江戸の町には、地方からの流入者、それも働き盛りの若者が多かった。したがってネタ・シャリとも大きかった。
*佃島:佃島の歴史は古く、徳川家康が江戸に入府の際、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁民たちを招いたのが始まり。1613(慶長18)年、幕府御用掛(がかり)として江戸湾近辺での自由漁業を願い出て許可された。漁民たちはその見返りとして、幕府への御菜魚の納入、将軍御成先での漁の実演、鷹狩りに使用する鷹に与える小鳥や小動物の餌となる小エビ、小ウナギの納入、出水の際の船人足の派遣などが義務付けられた。彼らは当初は小石川(当時、海に近かった)の仮住まいで漁業で生活していたが、大川(隅田川)河口付近の干潟百間(約180m)四方を拝領し、1644(正保元)年に埋め立て造成して築いた。これが佃島である。
*佃島:佃島の歴史は古く、徳川家康が江戸に入府の際、摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁民たちを招いたのが始まり。1613(慶長18)年、幕府御用掛(がかり)として江戸湾近辺での自由漁業を願い出て許可された。漁民たちはその見返りとして、幕府への御菜魚の納入、将軍御成先での漁の実演、鷹狩りに使用する鷹に与える小鳥や小動物の餌となる小エビ、小ウナギの納入、出水の際の船人足の派遣などが義務付けられた。彼らは当初は小石川(当時、海に近かった)の仮住まいで漁業で生活していたが、大川(隅田川)河口付近の干潟百間(約180m)四方を拝領し、1644(正保元)年に埋め立て造成して築いた。これが佃島である。
関連リンク | 東京都鮨商生活衛生同業組合(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
東京都鮨商生活衛生同業組合(WEBサイト) 佃島の歴史2~「佃島」の誕生~日本人の忘れもの 和のたしな美塾 着物文化が育んだ和のたしな美 (一般社団法人和のたしな美塾)(WEBサイト) 「巨大都市江戸が和食をつくった」渡辺善次郎 農山漁村文化協会 |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。