青ヶ島二重式カルデラ火山
青ヶ島(あおがしま)は、伊豆諸島に属する火山島*1で、都心から約360km、八丈島からは南に約70kmの位置にあり、有人島では伊豆諸島最南端の島。青ヶ島村の人口は約160人で、日本で最も人口が少ない市町村である。周囲を黒潮の海食によってできた高さ250mもの断崖で囲まれた、外輪山と内輪山のある世界でも珍しい二重(複)式カルデラ構造*2の火山島である。
島の北西部にある外輪山稜線でも最も高い標高423mの大凸部(おおとんぶ)からは、特徴的な二重式カルデラ火山の地形が一望できる。この外輪山のほぼ中央部に1785(天明5)年の大噴火*3によってできた内輪山の丸山があり、西側斜面にはいくつもの噴気孔がみられ、地熱も高い噴気地帯となっている。なお、この大噴火による島民の避難と帰島の歴史は「還住の歴史」*3として記録されている。
島の北西部にある外輪山稜線でも最も高い標高423mの大凸部(おおとんぶ)からは、特徴的な二重式カルデラ火山の地形が一望できる。この外輪山のほぼ中央部に1785(天明5)年の大噴火*3によってできた内輪山の丸山があり、西側斜面にはいくつもの噴気孔がみられ、地熱も高い噴気地帯となっている。なお、この大噴火による島民の避難と帰島の歴史は「還住の歴史」*3として記録されている。

みどころ
青ヶ島へのアクセスは八丈島を起点とし、連絡船「くろしお丸」または、東邦航空が運航するヘリコプター「東京愛らんどシャトル」の二通り。しかしながら天候次第では欠航となり、連絡船の就航率は年平均で約50~60%、ヘリコプターは約80%。また、霧により欠航率が高まる梅雨期を除けば比較的に安定就航するヘリコプターの旅客定員は9名と少なく、事前予約は困難をきわめる。ゆえに、行きたくともなかなか訪れることのできない島である。
二重式カルデラ火山の外側をみるには往路のヘリコプターからがもっともよい。大洋に浮かぶ青ヶ島の全景を俯瞰できる。また、外輪山最高部の大凸部からもカルデラ地形を眺望できる。集落からは車で散策路の入口まで行き、そこから30分ほどの登山でたどりつくことができる。車がなくとも集落から歩いていくことも十分可能である。
外輪山の上でも比較的平地となっている集落から外輪山を下りると、カルデラの内部にいることを強く実感できる。
中央火口丘の丸山には遊歩道が整備されており1時間ほどでぐるりと一周できる。その麓では地熱により水蒸気が噴き出す「ひんぎゃ」と呼ばれる噴気孔を間近にみることができる。また、この地熱蒸気を利用した「ふれあいサウナ」を楽しめるほか、地熱を利用した「地熱窯」があるので、民宿でサツマイモやジャガイモ、卵などを用意してもらい、1時間ほど蒸してランチとするのもよいだろう。
二重式カルデラ火山の外側をみるには往路のヘリコプターからがもっともよい。大洋に浮かぶ青ヶ島の全景を俯瞰できる。また、外輪山最高部の大凸部からもカルデラ地形を眺望できる。集落からは車で散策路の入口まで行き、そこから30分ほどの登山でたどりつくことができる。車がなくとも集落から歩いていくことも十分可能である。
外輪山の上でも比較的平地となっている集落から外輪山を下りると、カルデラの内部にいることを強く実感できる。
中央火口丘の丸山には遊歩道が整備されており1時間ほどでぐるりと一周できる。その麓では地熱により水蒸気が噴き出す「ひんぎゃ」と呼ばれる噴気孔を間近にみることができる。また、この地熱蒸気を利用した「ふれあいサウナ」を楽しめるほか、地熱を利用した「地熱窯」があるので、民宿でサツマイモやジャガイモ、卵などを用意してもらい、1時間ほど蒸してランチとするのもよいだろう。

補足情報
*1 青ヶ島火山:青ヶ島火山は、水深700mを基盤の深度と考えると基底径約15km×8km、比高約1,100m以上となる火山体である。このうち海面上に現れている青ヶ島は、北北西-南南東にのびた長径約3.5km、短径約2.5kmの楕円形をした部分であり、青ヶ島火山全体のごく一部である。島の南半部は、中央火口丘(丸山)をもつ径1.7km×1.5kmの大きな火口(池の沢火口・標高約200m)で占められ、標高約150~420mの外輪山で囲まれている。島の最高点は、外輪山の北東部に位置する標高423mの大凸部である。島の北半部は、北北西に向かって傾いた緩斜面(標高250~300m)で覆われ、集落がある。島は海食崖で囲まれているので、火山体の構造すなわち成層火山の断面がよく露出している。
*2 二重式カルデラ構造:一つの火山の火口やカルデラの内部にもう1つの火山が噴出して、新旧2つの火山が重なったもの。
*3 1785(天明5)年の大噴火:1785(天明5)年の大噴火によって島民は生活することができなくなり八丈島へ避難した。避難生活は約40年にもおよび、この間に何度も帰島を試みたが船の遭難・難破にあったり、島にたどり着いても水や物資が不足するなどの問題が山積みした。こうした状況を繰り返しながらも帰島に対する強い意志と熱意によって困難を克服し、1824(文政7)年、ようやくほとんどの島民が帰島した。そして更に約10年の時をかけて復興を進め、1835(天保6)年、50年の時を経てついに青ヶ島は復興を果たした。島へ帰ることを諦めなかった人々の青ヶ島という特別な故郷への想いが「還住」という言葉で表現され、その精神は島の人々に受け継がれている。
*2 二重式カルデラ構造:一つの火山の火口やカルデラの内部にもう1つの火山が噴出して、新旧2つの火山が重なったもの。
*3 1785(天明5)年の大噴火:1785(天明5)年の大噴火によって島民は生活することができなくなり八丈島へ避難した。避難生活は約40年にもおよび、この間に何度も帰島を試みたが船の遭難・難破にあったり、島にたどり着いても水や物資が不足するなどの問題が山積みした。こうした状況を繰り返しながらも帰島に対する強い意志と熱意によって困難を克服し、1824(文政7)年、ようやくほとんどの島民が帰島した。そして更に約10年の時をかけて復興を進め、1835(天保6)年、50年の時を経てついに青ヶ島は復興を果たした。島へ帰ることを諦めなかった人々の青ヶ島という特別な故郷への想いが「還住」という言葉で表現され、その精神は島の人々に受け継がれている。
関連リンク | 青ヶ島村役場(WEBサイト) |
---|---|
参考文献 |
青ヶ島村役場(WEBサイト) 「青ヶ島-黒潮に浮かぶ絶景と還住の島」青ヶ島村 「HELLO!!青ヶ島-日本で一番小さい村を知る-」東京宝島・青ヶ島島会議 「青ヶ島火山 および 伊豆諸島南方海底火山地質図」(産業技術総合研究所)(WEBサイト) |
2025年06月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。