三原山
東京・竹芝客船ターミナルから高速船で1時間45分、夜発の大型船で8時間の大島のほぼ中央に位置し、大島の象徴ともいえる活火山である。現在の大島を形づくる大島火山は、海底火山として誕生し、今から約100万年前に現在の姿になったと考えられている。成層火山*の複式火山で山頂付近は直径3~4kmに及ぶカルデラ*と火口原、それに火口を囲む中央火口丘からなり、火口原には溶岩原や火山砂による砂漠*を現出して活動のすさまじさを物語っている。三原山はこの大島火山の中央火口丘にあたり、最高点は火山南西縁の砕屑丘(さいせつきゆう)*上にある。大島火山は有史以後も数多くの噴火を繰り返し、粘性の強い玄武岩質の溶岩を火口いっぱいに溢れさせる活動は、「御神火(ごじんか)」*として島民を恐れさせてきた。最近の活動では1778(安永7)年に始まる安永の大噴火が知られ、戦後の1950・51・57・86(昭和25・26・32・61)年にも大規模な活動をして溶岩流や噴石丘を出現させている。1986(昭和61)年の噴火では、溶岩が麓の元町近くまで流出し、三原山ドライブウェイは溶岩や新しい火口によって分断されてしまった。分断された旧大野道路から山腹噴火口の溶岩流を見ると、当時の噴火が生々しく感じられる。現在は外輪山西側の御神火茶屋付近まで溶岩地帯をう回した新しい観光道路が開通している。1986年11月の噴火以前は、山頂口から火口展望台*まで有料徒歩道が設けられていて、手軽に火口と火口原の溶岩地帯を探勝することができた。御神火茶屋の南にはもく星号遭難事故*の慰霊碑が立つ。
伊豆大島の南西側、元町港から波浮港に向かう島一周道路沿いに、三原山の火山活動によってつくられた、高さ約30m、長さ約600mにわたって波打つように続く露頭「地層大切断面」がある。およそ150年から200年程度に1回という火山の大噴火によって降り積もった、スコリア・火山灰主体の降下堆積物が幾重にも積み重なってできた縞模様状の地層*で、地元では「バームクーヘン」と呼ばれている。一見すると褶曲のように見えるが、火山体斜面の尾根と谷が繰り返す地形を覆うように降り積もった堆積物が、斜面勾配と直行するように切られて、その断面が見られるようになったものである。低い谷の部分には溶岩が流れ込んでいるのも見られる。
伊豆大島の南西側、元町港から波浮港に向かう島一周道路沿いに、三原山の火山活動によってつくられた、高さ約30m、長さ約600mにわたって波打つように続く露頭「地層大切断面」がある。およそ150年から200年程度に1回という火山の大噴火によって降り積もった、スコリア・火山灰主体の降下堆積物が幾重にも積み重なってできた縞模様状の地層*で、地元では「バームクーヘン」と呼ばれている。一見すると褶曲のように見えるが、火山体斜面の尾根と谷が繰り返す地形を覆うように降り積もった堆積物が、斜面勾配と直行するように切られて、その断面が見られるようになったものである。低い谷の部分には溶岩が流れ込んでいるのも見られる。

みどころ
海から見ると大島全体が三原山のようにも見え、標高は764mと低いものの、気象条件がよければ伊豆半島からも望むことができる。火山であることを直に感じるためにも、カルデラ内に溢れ出た真新しい溶岩流を間近に体感しながら三原山を登り、噴火口をめぐるお鉢巡りコースをトレッキングすることを勧めする。さらに時間に余裕があれば、三原山お鉢巡りから裏砂漠に立ち寄り、温泉ホテルまで歩くとよい。タフなコースとなるが、荒涼とした裏砂漠歩きは特異な体験となるだろう。時間や体力的に難しいようであれば、カルデラを一望できる外輪山展望台までは行きたいものだ。
地層大切断面は大島を周回する道路をレンタカーや自転車でまわり、方位の北を時計の12時とすると、8時の位置に来ると道路沿いに目に入ってくる。まさにバームクーヘンの色合いで、細い層が何段にも重なり、波打つような模様となっている地層がみられる。最寄りのバス停は地層断面前と名付けられている。観察には道路交通に注意すること。
地層大切断面は大島を周回する道路をレンタカーや自転車でまわり、方位の北を時計の12時とすると、8時の位置に来ると道路沿いに目に入ってくる。まさにバームクーヘンの色合いで、細い層が何段にも重なり、波打つような模様となっている地層がみられる。最寄りのバス停は地層断面前と名付けられている。観察には道路交通に注意すること。

補足情報
*成層火山:火山の形式の一つで山体が噴出物の累積によって、火口を中心に円錐形をつくるもの。
*カルデラ:火山の火口が主として陥没してできた凹地をいう。
*砂漠:外輪山と内輪山の間に広がる火山砂・火山灰の原で、安永の噴火で生じたものといわれる。西側の表砂漠は1951(昭和26)年の噴火による溶岩流で埋められたが、東側の裏砂漠は大きく広がり、茶褐色・灰黒色の砂原が続く。北西部をハイキングコースが通過している。
*砕屑丘:火口のまわりに、粉砕物が積もってできた円錐形の丘。火山灰丘・噴石丘・軽石丘などがある。
*御神火:むかしから三原山の噴火は神の火といわれて崇敬された。噴火のほかに、火口上空の雲などが、ほの赤く見える現象も御神火と呼ばれている。また三原は「御洞(みほら)」が語源ともいわれる。
*火口展望台:火口の西縁、一般に内輪山と呼ばれる火口壁上にある。「御神火さま」と恐れられ、敬われてきた火口は外径約200mで、白煙と水蒸気を噴き上げている。眼下の火口のほか、新島・神津・三宅などの島々や、伊豆半島・富士山まで遠望できる。現在は立入禁止になっている。
*もく星号遭難事故:1952(昭和27)年4月9日、日航機もく星号が濃霧のため、外輪山南東部の白石山に激突。37名が遭難した。
*縞模様状の地層:スコリア・火山灰・風化火山灰または腐植土が交互に繰り返し堆積しており、これら3層でひとつの単位(1回の活動期)となっている。千波・間伏間の都道開削の際、山側に露出したもので、砂岩層と玄武岩質安山岩の互層が約90層を数え、平安時代以来の噴火の積み重ねが車窓からでも観察できる。
*カルデラ:火山の火口が主として陥没してできた凹地をいう。
*砂漠:外輪山と内輪山の間に広がる火山砂・火山灰の原で、安永の噴火で生じたものといわれる。西側の表砂漠は1951(昭和26)年の噴火による溶岩流で埋められたが、東側の裏砂漠は大きく広がり、茶褐色・灰黒色の砂原が続く。北西部をハイキングコースが通過している。
*砕屑丘:火口のまわりに、粉砕物が積もってできた円錐形の丘。火山灰丘・噴石丘・軽石丘などがある。
*御神火:むかしから三原山の噴火は神の火といわれて崇敬された。噴火のほかに、火口上空の雲などが、ほの赤く見える現象も御神火と呼ばれている。また三原は「御洞(みほら)」が語源ともいわれる。
*火口展望台:火口の西縁、一般に内輪山と呼ばれる火口壁上にある。「御神火さま」と恐れられ、敬われてきた火口は外径約200mで、白煙と水蒸気を噴き上げている。眼下の火口のほか、新島・神津・三宅などの島々や、伊豆半島・富士山まで遠望できる。現在は立入禁止になっている。
*もく星号遭難事故:1952(昭和27)年4月9日、日航機もく星号が濃霧のため、外輪山南東部の白石山に激突。37名が遭難した。
*縞模様状の地層:スコリア・火山灰・風化火山灰または腐植土が交互に繰り返し堆積しており、これら3層でひとつの単位(1回の活動期)となっている。千波・間伏間の都道開削の際、山側に露出したもので、砂岩層と玄武岩質安山岩の互層が約90層を数え、平安時代以来の噴火の積み重ねが車窓からでも観察できる。
関連リンク | 東京都大島町(東京都大島町役場)(WEBサイト) |
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参考文献 |
東京都大島町(東京都大島町役場)(WEBサイト) 伊豆大島ジオパーク(伊豆大島ジオパーク推進委員会)(WEBサイト) |
2025年06月現在
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