三富新田
東武東上線鶴瀬駅からバス15分、あるいは西武池袋線・新宿線所沢駅からバス18分。三富とは、上富、中富、下富をいい、現在の行政では三芳町と所沢市の区域にまたがる。1694~96(元禄7~9)年に川越藩主柳沢吉保の命により開拓が行われた約1,400haに及ぶ畑作新田村である。
吉保は、川越城から三里南の「地蔵林」を拠点とし、東西33町、南北20町の地に、1軒分約5町歩(約5ha)の耕地を短冊形に均等に配分することを決定した。上富地区では、1軒分の間口は40間(約72m)、奥行きは375間(約675m)とし、幅6間(約10.8m)の道路を村の中央に通し、道の両側にそれぞれ屋敷、耕地、雑木林(ヤマと呼ぶ)の順で区割した短冊状の地割が整然と続く。雑木林は、薪や堆肥の供給源として育成されたもの。確保が困難な水は三富全域で11か所の深井戸(約22m)を掘削して、数軒の共同利用とした。生産性は高くなく、そのために約5町歩の広い土地を与えたのである。
吉保は、川越城から三里南の「地蔵林」を拠点とし、東西33町、南北20町の地に、1軒分約5町歩(約5ha)の耕地を短冊形に均等に配分することを決定した。上富地区では、1軒分の間口は40間(約72m)、奥行きは375間(約675m)とし、幅6間(約10.8m)の道路を村の中央に通し、道の両側にそれぞれ屋敷、耕地、雑木林(ヤマと呼ぶ)の順で区割した短冊状の地割が整然と続く。雑木林は、薪や堆肥の供給源として育成されたもの。確保が困難な水は三富全域で11か所の深井戸(約22m)を掘削して、数軒の共同利用とした。生産性は高くなく、そのために約5町歩の広い土地を与えたのである。
みどころ
地理の教科書や地図帳には特徴的な地割の様子が取り上げられる。今なお、江戸時代に開発された典型的な短冊形の農地形態が残る。短冊形の耕地が規則正しく並ぶ様は美しい。
現在、三富新田は埼玉県指定旧跡「三富開拓地割遺跡」として、その景観保全がはかられている。
現在、三富新田は埼玉県指定旧跡「三富開拓地割遺跡」として、その景観保全がはかられている。
補足情報
*旧島田家住宅:江戸時代文化・文政期(1804~29年)に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅で、畑作新田として知られる三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明する大型の家屋。現在は移築復元され、三富新田の歴史と文化学習の場となっている。
*多福寺:三富開拓入植農民の菩提寺で、入植がはじまった1696(元禄9)年に創建された。開拓時に飲料として使用した元禄の井戸跡がある。
*毘沙門堂と多聞院:開拓農民の祈願所として、多福寺とともに吉保によって建立された。
*木ノ宮地蔵堂:三富開発の拠点となった「地蔵林」はここを中心とするものであったと思われている。
*多福寺:三富開拓入植農民の菩提寺で、入植がはじまった1696(元禄9)年に創建された。開拓時に飲料として使用した元禄の井戸跡がある。
*毘沙門堂と多聞院:開拓農民の祈願所として、多福寺とともに吉保によって建立された。
*木ノ宮地蔵堂:三富開発の拠点となった「地蔵林」はここを中心とするものであったと思われている。
関連リンク | 三芳町(WEBサイト) |
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参考文献 | 三芳町(WEBサイト) |
2020年04月現在
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