氷川神社
大宮駅の北東約1.5kmにあり、武蔵国一宮として知られる延喜式内の古社である。関東に多い氷川神社約280の総本社でもある。新都心駅近くの一の鳥居から2kmも延びる参道は、車も通行できるが、一部は歩行者専用になっている。参道の両サイドは杉、ケヤキ、スダジイ、エノキなど30種以上、約650本の樹木が二の鳥居、三の鳥居へと導く。長い参道のため、途中に広場や公園などが配され休憩できるようになっている。
社域は広く、約10 万m2に及び、杉・ケヤキなどにおおわれて古色蒼然とした雰囲気である。本殿・拝殿・舞殿など、社殿の大半は昭和初期の造営で、銅板葺の荘重な建物であり、朱も鮮やかな楼門を起点に透塀がめぐらされている。楼門の前には神池があり、その周辺には小さな境内摂社・末社が散在している。
社伝では第5代孝昭天皇の代に、見沼畔に鎮座したと伝える。その後、无邪志国造に任命された出雲族の足多毛比命に崇敬されて栄え、聖武天皇の代にはすでに武蔵国一宮に定められたといい、延喜式では名神大社に列せられた。鎌倉時代以降は 1180(治承4)年に源頼朝が社殿を再建したのをはじめ、代々の幕府の尊崇が厚かった。1868(明治元)年には明治天皇の御親祭が執り行われ、1871(明治4)年、官幣大社となった。1877~82(明治10~15)年に社殿が再建された。明治天皇はその後も2度も、大正天皇、昭和天皇、上皇も訪れている。
社域は広く、約10 万m2に及び、杉・ケヤキなどにおおわれて古色蒼然とした雰囲気である。本殿・拝殿・舞殿など、社殿の大半は昭和初期の造営で、銅板葺の荘重な建物であり、朱も鮮やかな楼門を起点に透塀がめぐらされている。楼門の前には神池があり、その周辺には小さな境内摂社・末社が散在している。
社伝では第5代孝昭天皇の代に、見沼畔に鎮座したと伝える。その後、无邪志国造に任命された出雲族の足多毛比命に崇敬されて栄え、聖武天皇の代にはすでに武蔵国一宮に定められたといい、延喜式では名神大社に列せられた。鎌倉時代以降は 1180(治承4)年に源頼朝が社殿を再建したのをはじめ、代々の幕府の尊崇が厚かった。1868(明治元)年には明治天皇の御親祭が執り行われ、1871(明治4)年、官幣大社となった。1877~82(明治10~15)年に社殿が再建された。明治天皇はその後も2度も、大正天皇、昭和天皇、上皇も訪れている。
みどころ
航空写真でみると、2kmに及ぶ長い参道がまっすぐ一直線に伸びていることがよく分かる。参道の両側にはケヤキ、スダジイなど約650本が立ち並び、大宮に緑が少ないだけに感動する。
参道には一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が続く。大宮駅から歩き始めると、二の鳥居からのスタートとなる。時間が許せば、さいたま新都心駅近くの一の鳥居から歩き始めると、その壮大さがより実感できる。関東に約280ある氷川神社の総本社であり、その風格が感じられる。(溝尾 良隆)
参道には一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が続く。大宮駅から歩き始めると、二の鳥居からのスタートとなる。時間が許せば、さいたま新都心駅近くの一の鳥居から歩き始めると、その壮大さがより実感できる。関東に約280ある氷川神社の総本社であり、その風格が感じられる。(溝尾 良隆)
関連リンク | 氷川神社(WEBサイト) |
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参考文献 | 氷川神社(WEBサイト) |
2020年04月現在
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