土浦全国花火競技大会
土浦全国花火競技大会は、秋に全国の花火業者が夏場に磨いたその技の粋を凝らして打ち上げるため、規模、技術においてわが国でも最高水準のものである。競技はスターマイン*の部、10号玉*の部、創造花火*の部の3部門で行われ、約100演目、約2万発の花火が打ち上げられ、花火の美しさ、打ち上げの技術、独創性を競う。
この花火大会の歴史は古く、1925(大正14)年、土浦藩藩主土屋家の菩提寺でもあった神龍寺の24代住職が、霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者の慰霊と関東大震災後の不況で疲弊した土浦経済の活性化のために、私財を投げうち、霞ヶ浦湖畔で開催したのが始まり。また、この大会の特徴のひとつでもある秋の開催は、土浦周辺には農村地帯が広がっていたことから実りの秋を祝い、農民の勤労を慰めるという意味も込められていたという。第二次世界大戦により中断した時期もあったが、戦後いち早く復活し、1946(昭和21)年には再開した。打上場所は、霞ヶ浦湖畔や桜川匂橋付近で打ち上げられたこともあったが、1971(昭和46)年から現在の桜川畔大曲付近で開催されている。
この花火大会の歴史は古く、1925(大正14)年、土浦藩藩主土屋家の菩提寺でもあった神龍寺の24代住職が、霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者の慰霊と関東大震災後の不況で疲弊した土浦経済の活性化のために、私財を投げうち、霞ヶ浦湖畔で開催したのが始まり。また、この大会の特徴のひとつでもある秋の開催は、土浦周辺には農村地帯が広がっていたことから実りの秋を祝い、農民の勤労を慰めるという意味も込められていたという。第二次世界大戦により中断した時期もあったが、戦後いち早く復活し、1946(昭和21)年には再開した。打上場所は、霞ヶ浦湖畔や桜川匂橋付近で打ち上げられたこともあったが、1971(昭和46)年から現在の桜川畔大曲付近で開催されている。
みどころ
日本の花火師の技術の粋を集めた約100演目2万発の花火に圧倒されるが、 競技の中でも、スターマインが土浦の大会の華の中の華。数百発の多種多様な花火を組み合わせ、絶妙なタイミングと多彩な変化が素晴らしい。
10号玉の部では、菊型花火の場合は親星・芯星ともに正円であることや星の配列や鮮明度などがみどころ。さらに高度な技術が見せ所となる多重芯の美しさも見ごたえがある。
創造花火の部では、花火の美しさは当然だが、創作性や独創的なアイデア、新技術に注目したい。(志賀 典人)
10号玉の部では、菊型花火の場合は親星・芯星ともに正円であることや星の配列や鮮明度などがみどころ。さらに高度な技術が見せ所となる多重芯の美しさも見ごたえがある。
創造花火の部では、花火の美しさは当然だが、創作性や独創的なアイデア、新技術に注目したい。(志賀 典人)
補足情報
*スターマイン:速射連発のことをいう。土浦大会では、幅40mの区画に各花火師が工夫を凝らした配置で筒を並べて、技術を競う。点火は、かつては手動であったが、現在は、コンピュータ制御による自動点火が主流。打ち上げる花火玉の大きさは2.5号玉以上4号玉以下。筒の数と玉の数は大会規定で定められている。
*10号玉:30cmの玉を330m上空まで打ち上げ、直径300mの大輪を咲かせる日本を代表する花火。
*創造花火:決まった型にとらわれず斬新なアイデアを競う創造花火。競技として、5号玉を7発打ち上げ、さまざまな模様が夜空に浮かぶ。
*10号玉:30cmの玉を330m上空まで打ち上げ、直径300mの大輪を咲かせる日本を代表する花火。
*創造花火:決まった型にとらわれず斬新なアイデアを競う創造花火。競技として、5号玉を7発打ち上げ、さまざまな模様が夜空に浮かぶ。
関連リンク | 土浦全国花火競技大会(土浦全国花火競技大会実行委員会)(WEBサイト) |
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参考文献 |
土浦全国花火競技大会(土浦全国花火競技大会実行委員会)(WEBサイト) 観光いばらき(一般社団法人茨城県観光物産協会)(WEBサイト) |
2020年12月現在
※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。