飯田市は、長野県南部、天竜川の両岸にまたがる伊那盆地南部の中心都市。西北部は木曽山脈により木曽郡に境し、東北部は飯島町及び松川町ほか3町村に接し、南西部は県内5ヶ村ほか静岡県2市に隣接している。JR飯田線と、中央自動車道及び国道151号、153号、256号が幹線交通をなすが、中央自動車道飯田インターチェンジがあり、名古屋市へ90分で達するため名古屋方面との関係が深い。 
 市街地は天竜川の右岸で、天竜川と支流松川などがつくった段丘上にあり、西方には市のシンボルの風越山がそびえる。天竜川左岸は農村部で、6~7段にも及ぶ河岸段丘上に集落が散在し、伊那山地の分水界まで広がっている。
 産業は、水田とリンゴ、カキ、ナシの果樹栽培、畜産などのほか、伝統産業である水引や番傘の製造が行われる。最近では精密電機産業が盛んである。
 市街地は、織豊時代に毛利、京極氏らにより長姫城(飯田城)の城下町として京都に倣い碁盤状に区画され、江戸時代に入って1672(寛文12)年以来幕末まで堀氏2万石の城下町として形成され、小京都といわれてきた。1947(昭和22)年の大火のため、城下町の姿は大半焼失し近代都市に改まったが、城跡や門、武家屋敷のようすなどが一部に残っている。
 文化的雰囲気が高いといわれ、市内には江戸時代の国学者太宰春台の生家跡や、明治の日本画家菱田春草の碑や墓地、それに飯田藩主の菩提寺長久寺などがあり、近郊には長野市善光寺の本家といわれる元善光寺や、国指定重要文化財の山門をもつ開善寺、五輪塔などをもつ文永寺などが散在している。また、開善寺の隣に飯田市考古資料館もある。龍江地区には人形浄瑠璃の「今田人形」が伝わる。

観光資源一覧

光岳の写真

光岳 (長野県 飯田市 / 静岡県 川根本町 / 静岡市 静岡市 )

南アルプス最南端の山、標高2,592mで南西に露出する巨岩が日光を受けて光るのでこの名がある。長野県と静岡県の県境に位置し、長野県の飯田市遠山郷奥の易老渡が主な登山口。  北部のイザルガ岳にかけて平坦地が連なり、お花畑のセンジガ原がある。周囲に群生するハイマツはわが国の南限である。

聖岳の写真

聖岳 (長野県 飯田市 / 静岡県 静岡市 )

長野県と静岡県の県境にあり、日本アルプス中で最も南にある3,000m峰である。登山口は長野県側では飯田市の遠山郷奥の易老渡先、便ヶ島からと、静岡県大井川上流の椹島からとがあるが、いずれも山深く3泊は見ておきたい。  宗教的な山名だが、語源はヘズル、肘を曲げたようなうねうねした川のヒジリ沢からか、登山道がまがりくねって登るこ...

飯田りんご並木の写真

写真提供:株式会社南信州観光公社

飯田りんご並木 (長野県 飯田市 )

飯田市は長野県南部の天竜川右岸の河岸段丘の上にある城下町として発展してきた。  1947(昭和22)年に飯田大火が発生、乾燥状態と風速4 ~15mの風によって約10時間にわたり延焼しつづけた。市の中心部を含め3742棟が焼失し、焼損面積48万1985m2、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,771人に及び、飯田中心街の約7割が焼失した。  ...

遠山郷・上村下栗の里の写真

遠山郷・上村下栗の里 (長野県 飯田市 )

遠山郷上村は飯田市の中心部から東に車で約1時間のところにある、秋葉街道*と共に栄えた土地。「下栗の里」はさらに7kmの曲がりくねった道を上がったところにある、標高800~1,100mの斜面に張り付いたような集落である。最大斜度30度以上の急傾斜地で、今も雑穀を作り続けている集落で、別名『日本のチロル』とも呼ばれている。  下栗の歴...

天竜川(上流部)の写真

天竜川(上流部) (長野県 飯田市 / 長野県 天龍村 / 長野県 他 )

JR天竜峡駅の東、故射橋(こやきょう)を中心とした100mを天竜峡と呼び、天竜川*舟下りの名所である。  天竜ライン下りが、天竜峡温泉港(姑射橋下)から唐笠港(唐笠駅そば)までの12km、天竜ライン遊舟有限会社によって運行されており、また、天竜峡から上流に当たる弁天港から時又港までの6km、天竜舟下りを運航している。(現在運休中...