長岡市は、新潟県のほぼ中央部に位置し、新潟市、燕市、三条市、見附市、魚沼市、小千谷市、十日町市、柏崎市、出雲崎町、刈羽村、弥彦村と接する。市の中央部を、日本一の長さと流水量を誇る信濃川が縦断し、その両岸に肥沃な沖積平野が広がっている。市の東部にあたる山古志地域や栃尾地域の一部は、山間地の急傾斜地帯を形成し、栃尾地域の南東方面には越後山脈の守門岳がそびえている。寺泊地域は日本海に面する。
 JR信越本線、上越線、越後線、飯山線、上越新幹線、国道8号、17号、116号、117号、290号、291号、351号、352号、402号、403号、404号などが通じる。関越自動車道と北陸自動車道の長岡ジャンクションがあり、関越自動車道の長岡、越後川口と、北陸自動車道の中之島見附インターチェンジがある。
 戊辰戦争(1868(慶応4・明治元)年)と長岡空襲(1945(昭和20)年)による2度の戦禍、2004(平成16)年の中越地震など相次ぐ災いに遭いながらも、その都度、長岡のまちは、「米百俵」の精神*を受け継ぐ市民の力で復興を成し遂げてきた。
 長岡市は、明治中期の東山油田の開発を契機とする石油掘削機械の製造・修理等の需要に端を発し、機械加工、鋳造業、めっき・表面処理、鍛造業などの基盤的技術をもった企業や大手メーカーが集積している。近年では、電気・電子機械や液晶・半導体などの産業も集積するなど、新潟県内随一の総合的な機械工業群を形成している。
 農業は、水稲を基幹として発展。今では、コシヒカリ等を始めとする優良な農作物(食料)の生産基地として、県内でも有数の穀倉地帯を形成している。
 長岡東山山本山県立自然公園東麓の悠久山公園や信濃川原の川敷運動公園は市民の憩いの場になっている。1999(平成11)年には、柏崎市に近い自然豊かな丘陵地に日本海側では初めての国営公園「越後丘陵公園」が開園した。例年8月2、3日に行われる長岡まつりの花火大会には、長生橋川原で全国一の40号花火やナイアガラ瀑布などの大花火が打ち上げられ、多くの見物客で賑わう。

*米百俵の精神:明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられたが、当時同藩大参事をつとめていた小林虎三郎は、藩の武士や住民に分けてしまったのでは数日でなくなってしまう米百俵を、将来の千俵、万俵として活かすため、学校の設立資金に使った。その結果、設立された学校からはその後、人材が陸続と輩出された。この精神は「米百俵の精神」と呼ばれ、教育への投資こそ国造りにとって最も重要な投資であるとの考え方である。

観光資源一覧

越後山古志 牛の角突きの写真

越後山古志 牛の角突き (新潟県 長岡市 )

奉納神事であり、山古志の人たちの娯楽であった「牛の角突き」の歴史は古く千年まえからと言われ、江戸時代から明治大正と盛んになる。昭和戦後一時途絶えていたが復活。1976(昭和51)年、越後闘牛会、山古志観光開発公社が発足し、闘牛場が整備された。5月から11月の毎月1~2回(日曜日)山古志闘牛場で行われる。

長岡まつり大花火大会の写真

写真提供:一般財団法人長岡花火財団

長岡まつり大花火大会 (新潟県 長岡市 )

長岡の花火大会の歴史は、1879(明治12)年、千手町八幡様の祭で350発の花火の打ち上げに始まると言われる。1926(大正15)年に正三尺玉が打ち上げられ、昭和初期には全国に知られるようになる。しかし、太平洋戦争を鑑みて花火大会は中止された。1945(昭和20)年8月1日、B29大型戦略爆撃機が長岡の旧市街地をほとんど焼き尽くし、1,480余名...

見附今町・長岡中之島大凧合戦の写真

写真提供:長岡市

見附今町・長岡中之島大凧合戦 (新潟県 長岡市 / 新潟県 見附市 )

見附市と長岡市中之島(旧中之島町)との間で行われる大凧合戦。刈谷田川右岸の今町側に6つの凧組、左岸の中之島側に5つの凧組、計11組の凧組の若者らによって午後1時から5時ころまで、川をはさみ両岸で、糸が切れるまで凧を引き合う。高さ4.3m× 幅3.3m、畳8枚分もの大きさで、さまざまな絵柄や色彩を用いた六角大凧が大空を駆け巡る。毎年6...