大洲市は、愛媛県の西南部に位置し、東は喜多郡内子町、西は八幡浜市、南は西予市、北は伊予市に接する。南から北に流れる一級河川肱川とその支流の河辺川が中央を流れる。中央部には大洲平野が開け、西部は瀬戸内海伊予灘に面する。
  JR予讃線、内子線、国道56号、197号、378号、441号が通じる。松山自動車道の大洲と大洲北只の2インターチェンジが設置され、松山、八幡浜、宇和島、須崎方面への交通の要衝となっている。
 1617(元和3)年以来、加藤氏6万石の城下となり、1658(明暦4・万治1)年ごろ大津を大洲と改めた。肱川は鉄道開通以前は瀬戸内海に通じる水運として利用された。2004(平成16)年に大洲城天守閣が復原された。
 大洲藩時代には製紙業が専売制とされて大洲半紙の生産を奨励され、大洲和紙は伝統的工芸品に指定されている。明治期は養蚕や生糸生産が盛んとなり、養蚕は肱川沿岸や台地などのクワ栽培により現在も続く。長浜地区は伊予灘漁業の基地として発展し、臨海工業地区もつくられている。山間部の肱川地区、河辺地区では、シイタケ、タバコ、クリ栽培などが行われている。
 「伊予の小京都」とも呼ばれ、大洲城を中心に発展した旧城下町の町並みには昔の面影をとどめる所がある。大洲城の櫓4棟、瑞竜寺の木造十一面観音立像、如法寺の仏殿などは国の重要文化財。金山出石寺、臥龍淵にある臥龍山荘等も有名。また、肱川の鵜飼は夏の風物詩で、秋には河畔で大洲の郷土料理「いもたき」が行われる。

観光資源一覧

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海)の写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

肱川あらし(肱川の朝霧、雲海) (愛媛県 大洲市 )

「肱川あらし」とは、晴れた日の朝、上流の大洲盆地で涵養された冷気が霧を伴い、両岸が山で挟まれた肱川を河口まで流れ出すという珍しい自然現象のことである。これは、大洲盆地と伊予灘との間の夜間の温度差によって起こる現象で、日没1~2時間後から翌日の正午頃まで、寒冷多湿の強風が肱川に沿って流れ、海上へ吹き出すさまをいう。  ...

(金山)出石寺の写真

(金山)出石寺 (愛媛県 大洲市 )

大洲市と八幡浜市との境、標高812mの出石山(いずしさん)山頂にあり、石鎚山や大野ヶ原などの四国連山などが一望できる寺院である。境内は豊かな自然林に覆われ、本堂や庫裏、護摩堂、大師堂などが荘厳なたたずまいを見せており、静寂で心休まる雰囲気に包まれている。  本尊である千手千眼観世音菩薩には伝説が残されており、寺伝による...

如法寺の写真

如法寺 (愛媛県 大洲市 )

如法寺は、大洲市冨士山(とみすやま)の中腹にある臨済宗の古刹で、もともと室町時代に喜多郡の領主・宇都宮氏によって創立された寺であった。その後、廃寺となったが、大洲藩2代藩主 加藤泰興(かとうやすおき)の命により開かれた寺院で、1669(寛文9)年、深く帰依した高名な禅僧 盤珪(ばんけい)禅師を招いて如法寺を開山した。当初...

大洲城の写真

大洲城 (愛媛県 大洲市 )

大洲市内を流れる肱川の河畔に望む大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国守護 宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に築城されたことが始まりと伝えられている。その後、小早川隆景をはじめ、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰ら各大名たちの造営を経て近世城郭が整備され、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していった。  1888(明治21...

大洲のいもたきの写真

写真提供:愛媛県大洲市役所

大洲のいもたき (愛媛県 大洲市 )

「大洲のいもたき」とは、藩政時代から伝わる里芋などのブツ切りを、鉄鍋で煮込む郷土料理のことである。粘り気が強くホクホクとした食感の里芋、鶏肉を中心に、乾しいたけ、こんにゃく等を入れて煮込んだ、醤油ベースのほんのり甘い味が特徴となっている。  「大洲のいもたき」の歴史は、農民が集まる行事「お籠もり」から始まり、農民が...