幸手市は、埼玉県の北東部に位置し、東は千葉県野田市、北は茨城県五霞町に接する。地勢は、古東京湾の一部が陸地化したもので、東端には下総台地の一部があるものの、ほかは江戸川と古利根川に挟まれた沖積低地で水害に悩まされたが、利根川の瀬替えや改修、灌漑用水の建設により、穀倉地帯となった。
 江戸時代は奥州街道と日光御成街道が合流する宿場町として栄え、2、7の日は市が立った。戦後は、工業団地も造成され、東京のベッドタウンとして人口が増加した。
 観光では、権現堂堤は、春は桜と菜の花、梅雨は紫陽花、秋は曼珠沙華、冬は水仙と四季折々の花を楽しむ公園として、多くの見物客が訪れる。また、日光社参の祈りに将軍が休憩のため立ち寄ったとされる「聖福寺」や、1783(天明3)年の浅間山の噴火降灰のため大災害を受け、名主が難民を救済したことにちなむ「幸手義賑窮餓の碑(県指定文化財)」がある正福寺などがある。

観光資源一覧

権現堂の桜堤の写真

写真提供:権現堂公園管理事務所

権現堂の桜堤 (埼玉県 幸手市 )

1920(大正9)年、権現堂約6kmにわたって、3,000本の桜が植樹された。花見の名所として人気だったが、戦後になり伐採されてしまう。その後、1949(昭和24) 年に3,000本の桜が植樹され、現在は約 1,000 本が残り、大木に成長、見ごろになっている。