神奈川県のほぼ中央に位置し、南北に長い地形で、その中央には、通称「相模横山九里の土手」といわれる相模丘陵の西崖が縦断し、西部の平地と東部の丘陵地帯に大きく二分されている。
 水田地帯は温暖な気候と肥沃な土地に恵まれた穀倉地帯であり、イチゴ・トマトなどのハウス園芸なども行われている。丘陵地帯は年々宅地開発が進んでいる。
 奈良時代には相模国(※)の国府が最初に置かれた地と推定され、今も国分寺跡・国分尼寺跡の史跡が残る。
※相模国とは:一般には相模と書くが正しくは相摸。現在の神奈川県。相模湾に南面し、北は武蔵、西は甲斐・駿河・伊豆に接する。大化改新に1国8郡となり、国府ははじめ海老名あたりに置かれたと推定、のち大磯に移ったといわれる。平安中期以降梶原・三浦・和田などの土豪が割拠。鎌倉時代は幕府の直轄地となる。のち一時後北条氏が領したが、1590(天正18)年、豊臣秀吉に滅ぼされ、江戸時代は大久保氏が小田原藩として治めた。

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